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Reports

2019.11.21

「身近な人々と教訓を共有する」高校生・東北スタディツアー参加報告 中下紗里

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2019.11.21

#tohoku2019

私が住んでいる広島は被災地から遠く離れているため、私は東日本大震災についてあまり知らなかった。広島でも東日本大震災の被害や実情が忘れられかけている。それ以上に、昨年7月に発災した豪雨災害の被害状況や被災者のその後の生活の方がはるかに切実な関心を集めている。いつしか東日本大震災の深刻な状況や復興がままならない事態を、自分には関係の薄いことだと思い、他人事のように考えている。そんな自分がもどかしく、改めて被災地の現状を深く心に刻み、他者にも伝えていきたいと考えた。

応募の際のレポートの繰り返しになるが、私は昨年、祖父を亡くした。そのときに感じた「生」というものの不思議さ。祖父はこの世にはいないが私はその笑顔を写真や映像を通していつまでも見ることができる。震災についても同じだ。震災を経験していない人、遠く離れた場所に住んでいる人、これから先の世代の人たちに、写真や映像によってその瞬間にしか感じられないことやその後の人々の生活や地域の実相を伝え続け、記憶と記録に残し続ける。私自身が現地に行くことによって、写真が持つパワーを映像に刻み、他者と共有していきたいと考え、このツアーへの参加を決意した。

ツアー初日となる8月4日(日)の午前は、上野敬幸さんのご自宅でお話をうかがった。毎年3月11日が近づくとテレビでは地震や津波の映像が流れる。私はそれを見て“もう二度とこんなことが起きてはいけない”と同じことばかりを思い、実際に防災のための行動を起こすことはなかった。しかし、上野さんのお話を聞き、私のような姿勢では家族の命、ましてや自分の命を守ることはできないということを痛感した。私の知らない人が災害で亡くなっても私は泣くことはない。けれど、家族や親戚、友達など身近な人が亡くなったら悲しい思いになり涙を流す。このことが強く心に響いた。人はとても勝手な生き物だと思う。だからこそ、まずは、自分自身と身近な人たちの命、この今の命を守らなければいけない。「私たちが今できることは何か?」という質問をさせていただいたとき、上野さんは「とにかく自分と家族、友達のことを大切にして。」「今ある命を考えて。」とおっしゃった。大切な人を亡くし、涙を流す人は減らなければならない。そのために私ができることは、さまざまな自然災害からもたらされる教訓を忘れることなく、身近な人々とその教訓を共有し、自然災害を自分自身のことと捉え、毎日を精一杯の力で生きていくことだと感じた。

その日の午後に訪問したのが、大川小学校だ。佐藤敏郎さんと佐藤和隆さんからお話を聴かせていただいた。大川小学校は、石巻市釜谷地区の北上川河口から約4キロメートルの川沿いに位置する。地震発生から津波到達まで51分の時間があったにもかかわらず、子どもたちが避難のための移動を開始したのはその1分前であった。結果として、多くの命が津波に流され、犠牲になった。大川小学校のつらい事態に関しては、テレビや新聞、その後の訴訟なども含めて多く報道されていたので、よく知っていた。岩手県釜石市では当日登校していた児童・生徒全員が無事に避難し助かったのに対して、大川小学校では全校児童の死亡・行方不明率が70%以上と対照的に報道される。今までの私はメディアから受けるイメージしか持っていなかったので、大川小学校では先生方の判断の誤りによって子どもたちの命が、その先生方と共に流され奪われていったと思っていた。校内の案内をしていただきながら、たくさんの話をおうかがいした。震災の現状、亡くなった子どもたちの表情、遺族の方々の思い、避難マニュアルの現実、生き残った子ども、現在の大川小学校。この中の多くのことを私は初めて知った。もし、あの場所に行かなければ一生知ることがなかっただろう。お話を通して理解した、先生たちは子どもを殺したいわけではなかったということ。さまざまな条件や状況を考慮しようとしたあまりに、想定を超えた津波に呑まれたのだ。そんな当たり前のことを、そのとき、初めて悟った。今まで私の持っていたイメージは偏見にあふれており、たった一部のことしか知らなかったのだ。

大川小学校への津波の爪痕は、広島の原爆ドームと似ている。原爆ドームは、原爆や戦争の悲惨さを未来の世代にも引き継ぎ、同じ過ちを繰り返さないために残されている。大川小学校は、当時のことを偲び、「未来を拓く」ために残されたと聞いた。この二つに共通するのは、過去を振り返るだけでなく、未来のために残されているということだ。教科書やテレビで過去のこととして学べば、人はそれを記憶しないし、すぐに忘れてしまうだろう。しかし、当時の出来事を実際に伝えるものが今の時代にも存在していることで、いつの時代の人々の心にも強く訴え続け、記憶の共有と継承とを可能とする。多くの子どもたちや先生方の命が奪われた遺構は、私たちに静かにこのことを促している。

翌8月5日(月)の午前は、牡蠣漁業を営む佐々木学さんの船に乗せていただき、海を見ながらお話を聞かせていただいた。佐々木さんは笑顔が素敵な方だった。「楽しみながら常に新しいことに挑戦し続けたい。」とおっしゃる。日々の辛いこと、大変なことを乗り越えいつも笑顔でいる。それは自分の周りに笑顔の輪を広げていくことができるし、さらに復興につながっていくことだと思う。佐々木さんは、震災後にボランティアの人たちといかだづくりをしたそうだ。私は、誰かのためにボランティア活動をしたいと思いながらも、何も実行できていない。しかし、この場所で私は助け合うことの重要さを心から感じた。災害が起こったから助け合うのではなく日頃から助け合っていかなければならない。これからは、誰かの役に立っていると感じられる生き方をしたい。そのことはすなわち、自分自身のために役立つ生き方なのだと思う。佐々木さんの生き方からこのことを学んだ。
 
同5日(月)の午後、防災士である佐藤一男さんからお話を聴かせていただきながら、岩手県陸前高田市内を訪問した。「東日本大震災の津波到達点である約15mの高さに防潮堤を作ったら人は逃げようとしない。だからあえて大丈夫とは言えない高さのかさ上げをした。」――この言葉は衝撃的だった。

広島県では大雨による被害が相次いでいる。平成26年8月の土砂災害、そして、昨年は深刻な豪雨災害も発生した。しかしこのような状況の中で、昨年7月の豪雨では避難率は平均で約4%だった。私自身も、広島では大きな災害があまりないし安全だと思い込んでしまっている面がある。しかしこれは自分の命を捨てる行動である。「岩手県陸前高田市では逃げてほしいという思いのために、防潮堤は安全とは言えない高さで作られている。」――心に留め続け、周囲の人に伝えなければならないことだ。そして、この事実を通して自分の命は自分で守るということを強く意識しなければならない。

その日の夜は村上榮二さん・妙子さんご夫妻にお世話になった。初めての民泊ということもあり、とても緊張していたが、優しく受け入れてくださり、いろいろな経験もさせていただいた。夕飯のときには、実際に村上さん夫婦が経験した震災後の生活についても聞かせていただいた。メディアでは被害の状況や、町全体の復興については報道される。だが、個人の経験は直接聞かないとわからない。村上さんのお話から一人一人が多くの思いを抱えながら震災を乗り越えて暮らしているのだと知った。

ツアーの行程や内容を顧みて、改めて自身のことも振り返る契機となった。私は人前で話すことが苦手で、自分の意見をはっきりと他者に伝えることができなかった。だが、このツアーでは周りの人たちの思惑など気にせずに自分の考えを口に出そう。そう強く自分に誓っていた。初日に上野さんにお話をうかがったとき、私は質問させていただいた。それだけなのに、手には汗をかき、心臓がバクバクした。けれど、それ以来、質問をすることにこれまでのような抵抗を感じなくなった。このツアーの後、学校で実施された、英会話に習熟するためのプログラムに参加した。そこでは積極的に自分の意見を伝えることが求められる。そこで私は、東北スタディツアーに参加した経験が活きていることを実感した。自分の意見を伝え、それを他の人たちと共有することの大切さを学ぶことができた。

実際に現地を訪れ、現地の人から直接話を聞かせていただき、多くの経験をさせてもらったことで、今まではテレビや新聞の中のことに過ぎなかった東北の地が、実際に自分が訪れた場所へと変化した。被災地の人々の体験や記憶がより鮮明に私の中に宿って、私自身の経験となっていることを実感している。訪れた地域の地名を見つけると気になって確認するし、ニュースでの天気予報も見てしまう。

また、今年の8月6日の午前8時15分は岩手県陸前高田市で迎えた。これから私は8月6日が来るごとにこのことを思い出すと思うし、つながりを感じながら過ごしていくつもりだ。

安田菜津紀さん、OLYMPUSの方やツアーに関わってくださった方々、そしてたくさんのお話を聞かせていただき、体験させていただいた現地の方々。このような貴重な機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。このスタディツアーでの有意義な体験を今後の人生に活かし続けていくことを決意しています。

2019.11.21

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