For a better world, beyond any borders.境界線を越えた、平和な世界を目指して

Top>Reports>「当たり前の日常を見つめ直す」高校生・東北スタディツアー参加報告 西山洋花

Reports

2019.11.21

「当たり前の日常を見つめ直す」高校生・東北スタディツアー参加報告 西山洋花

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2019.11.21

#tohoku2019

東日本大震災から8年が経った。東京でずっと暮らしてきた私には、とても長い時間に感じられた。私は小学校2年生から高校2年生になり、あの日、映画のように感じられた津波がとても怖いものだと知っていた。大震災の次の日、スーパーは水やティッシュペーパーを求める人で大混雑しており、入場規制が度々行われた。小学2年生ながら、震災直後に限って物を奪い合う大人たちは、とても虚しく感じられた。しかし、このツアーの前に、家に備蓄されている水を確認した時、自分も同じだと知った。水の賞味期限は5年前の2014年だった。この8年間で震災への関心や記憶は薄れてきている。このままではいけない、どこかでそう感じていても具体的な行動に移せないでいた。どうやったら、これから起こる災害で被害を小さくできるのか、知りたかった。

また中学生の時、菜津紀さんが学校で講演をしてくれた。お話の中で一番印象に残っているのは“奇跡の一本松”の話だ。大きな津波が来ても力強く生き残った松を、メディアは奇跡と呼んで大々的に取り上げた。私も、この一本松は東北の人々にとって希望の光なんだろうなと思っていた。だが菜津紀さんは、普段の松林を見てきた東北の人々にとっては、たくさん植わっていた松の中で一本しか残らなかった、津波の恐ろしさを表す象徴かもしれないと教えてくれた。この話を聞いた時、私は唖然とした。様々なメディアは東京で暮らしている私に、たくさんの情報を与えてくれる。でも、東北で暮らしている方、一人一人の感情は映していなかった。私は東北の方々の心に寄り添う方法を知りたいと思った。そのために、自分の目で東北を見つめて、自分の耳で現地の方々のお話が聞きたいと思い、このツアーに応募した。

上野さんは、津波で4人の家族の命を失った。命を落とした長女の永吏可ちゃんは、私と同い年だ。「今、高校2年生の子っている?」 上野さんの言葉に、私は恐る恐る手を挙げた。すると上野さんは、「そうか、そうか」と私たちの顔を見回した。寂しそうで、でもあたたかい声だった。私はその声に救われた気がした。上野さんを含め、東北で震災を経験された方の過去に踏み入ってよいのか、自分には分からなかったからだ。でも上野さんは、「なんでも質問して。聞かれて悲しいことは何もないから。」と私たちを受け入れてくださった。そんな上野さんは亡くなった家族が空から見ているから、と震災の2年後くらいから笑顔でいることを心がけているという。永吏可や倖太郎のため、と言いながら毎年あげている花火では見ている人が笑顔になることを願う。また、3ヘクタールの菜の花畑は、子どもたちが笑ってくれるように願って作った。「命が生まれる場所は、笑顔が生まれる場所じゃないといけない。悲しい震災の記憶は忘れてもらってかまわない。でも教訓は忘れちゃいけない。」 その言葉には、愛する家族の死を無駄にしないでほしい、という上野さんの強い願いが感じられた。また、私は“記憶は消えていってもいい”という上野さんの言葉に少し驚いた。確かに、過去に大きな津波が来た、という情報は地震発生時には無意味だ。過去の震災を知ることも大切なことだが、その震災から教訓を学ぶことが、防災を達成する鍵だと気づいた。大事な人を突然失って初めて気づく悲しみや苦しみを、私たちが経験しないように、上野さんの思いをたくさんの人と共有したい。そのために、まずは自分自身が震災の教訓を心に留めて、身近な人々との会話の中で防災の話をしようと思う。

大川小学校では、子どもを失った3人のご遺族からお話を聞かせていただいた。この小学校は、児童や先生たちが高台に避難せず、多くの命が失われた場所だ。震災発生後、児童たちは校庭に待機しており、避難を始めたのは津波が来る1分前だった。しかも、なぜか津波がやってくる川の方に避難してしまったのだ。実は、大川小学校の近くには子どもたちが毎年、シイタケを育てていた裏山があった。遺族の方と共にその裏山に登った時、そこから見える景色はとても綺麗だった。あの時、この景色を子どもたちと先生が見ていたらみんな助かっただろう、と悔しい気持ちになった。私は、どうしても山に児童を避難させなかった先生たちを責める気持ちになってしまった。しかし、遺族の方は「児童を殺そうと思う先生なんていないことを忘れないでほしい。」とおっしゃった。実際に、大川小学校で命を落とした教師の息子さんで、今でも児童たちを守れなかった自身の父の死を悲しみ切れない方もいる。大川小学校の悲劇は、知れば知るほど、考えれば考えるほど難しい。でも、そこから目を背けず、亡くなった小さな命にきちんと向き合うことが大切だと気づいた。小学校を訪れた時、ヒグラシやホトトギスの声が響いていて、一輪車に乗って遊ぶ子どもたちや、かけっこをする子どもたちの姿が容易に想像できた。震災が起こる前、ここにはごく普通の日常があって、学ぶ児童と、児童を守る先生がいた。私たちが復興を考えるということは、当たり前の日常を振り返ることなんだと思う。大川小学校は震災の記憶であると同時に、復興の象徴だ。同じ悲劇を繰り返さないように、学校が児童を守る安全な場所であるように、当たり前の日常を見直して備える心を大切にしたい。

牡蠣漁業の学さんには、実際に船に乗せていただいた。漁師の数は年々減少していて、震災後は海底の環境も変化した。それでも学さんは、ふとした思い付きから新しいことを始めていた。海底の砂漠化を防ぐために、ダイビングをしに来た観光客にウニを大量に取ってもらう“ウニバスターズ”を始めたり、カルシウムを多く含むウニの貝殻を、肥料代わりにブドウ園に蒔いてみたり、海底にお酒を沈めて熟成させたり、飲食店のホールに自身が立って接客してみたり…。震災後の学さんの活動は、震災前にはほとんどなかったという学さんと他の人とのつながりを強くした。東日本大震災は悲しい面の方が多く取り上げられ、語られる。でも学さんのように、震災によって新しい発見が生まれることもきっとあるはずだ。

そして、それは民泊で出会った方々もそうだった。村上さんの住む、陸前高田市の広田町一帯は地震発生後、約1か月半、電気がつかなかった。その時、村上さんはライフラインの重要性を痛感し、自給自足の生活を始めたという。家にはソーラーパネルがあって、私が足を蚊に刺された時は、湧水で手当てをしてくれた。家の近くには大きな畑があって、中でもトウモロコシやトマトはとても甘くておいしかった。村上さんの話を聞きながら私は自分の生活を振り返ってみた。経験したことのない大きな地震を恐れた私は、一時的に防災に興味をもった。震災直後にスーパーに押し寄せて水や非常食を手に入れ、買い替えることをしなかった。しかし、この民泊で、“一時的”な防災には何の価値もないことを実感させられた。防災訓練も、地域の人々とのつながりも、日常の積み重ねの中で意味をもつものだ。首都直下型地震や南海トラフ地震などの大きな地震が起こることが予想されているのだから、今から備えておかなければ意味がない。

地震や津波は何の前触れもなく訪れて、たくさんの命を奪った。その亡くなった命に意味をもたせることができるのは今を生きる私たちであり、それが残された遺族を救うことになるのだと知った。これから起こる災害で、犠牲者にならないこと。そのためには、一人一人が防災の意識を強くもつことが大切だと思う。自分の住んでいる地域や勤務先の土地のことをよく理解しておくこと。災害が起こった時、どこに避難すればいいのか、避難場所までのルートを確認して、自分や、家族が歩けるのか確かめること。非常食の消費期限を確かめること。家の家具を固定して、日ごろから備えておくこと…。どれも簡単で、すぐにできることだ。だからこそ、多くの人が怠ってしまう。

“まさか”、自分の家族が震災で亡くなると思わなかった。“まさか”、自分の地域で土砂崩れが起きると思わなかった。災害の後、みんなが口をそろえて言う。でも、その“まさか”で大事な人を失い、悲しんでいる人々がいるのだ。特に、上野さんの言葉が心に突き刺さった。
「災害のニュースで何人死にましたとか、ギリギリで救助された人の映像を観ると、悲しくて悔しい。永吏可や、倖太郎の命が無駄になってしまった気がして。」
東日本大震災から8年。私たちが、現地の方々の心に寄り添うためにできることはなんだろうか。その答えは、私たちのすぐ足下にあるのだと気づかされた。

このツアーをきっかけに私は、家の非常食を買い替えた。また、自分と家族の命を守るために防災について勉強することにした。そして、日ごろから積極的に防災訓練や地域のボランティア活動に参加して、周りの人とのつながりを大切にしたいと思う。今できることを、今、全力でやって、大きな災害が来ても自分や家族の命を絶対に守りたい。私は将来、医療に携わる仕事がしたいと思っている。特に、このツアーの中で災害医療に興味をもった。震災が起こると、現地にいる医者も被災者となる。地震や津波を生き延びた人の中から犠牲が出ないように、数少ない医者の中でどのように協力したらよいのか知りたい。

これから先、大きな地震や津波が来た時、私はきっと今回のツアーで出会った人たちの顔をすぐに思い浮かべるだろう。そして、自分の家族のように心配すると思う。それくらいこのツアーは自分にとってすごく大きな経験で、大切な出会いだった。そして、奇しくも東日本大震災がなければなかったはずの出会いだ。この出会いを決して無駄にしないように、当たり前の日常を見つめ直し、“教訓”を語り継いでいきたい。

最後に、このツアーで出会ったたくさんの人に感謝の気持ちを伝えたい。そして、その気持ちを行動で返していきたい。将来、再び美しい自然に囲まれた東北に行って、今回出会った人たちに会いたいと思う。

2019.11.21

#tohoku2019