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Reports

2019.11.21

「かけがえのない命の重み」高校生・東北スタディツアー参加報告 宮島梧子

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2019.11.21

#tohoku2019

「このスタディツアーに参加し、東北の今を知ることで、私の中の“過去”をアップデートしたい。」 スタディツアーの応募レポートに書いた、「過去のアップデート」ということば。

私は、岩手県盛岡市在住時に東日本大震災を経験した。被災して間もない沿岸部の光景を、今も鮮明に覚えている。久しぶりに東北を訪れることで、時が経つにつれて薄れていく震災に対する意識や記憶と向き合いたい、そんな思いで目標に掲げたことばだった。しかし、東北で強く感じたのは、それぞれの場所で、それぞれの人に流れる、今という時間と、かけがえのない命の重みだった。

1日目

福島県南相馬市に住む上野敬幸さん。震災で、私と同い年の長女・永吏可(えりか)ちゃんと実母を亡くし、長男・倖太郎(こうたろう)くんと実父は震災から8年が経った今も行方不明だ。震災後、もとの場所に自宅を再建し、奥さんと震災後に誕生した次女・倖吏生(さりい)ちゃんと暮らしている。上野さんは地震が来た後、消防団員として地域の人の救助や避難の手助けなどに励んでいたそうだ。その働きによって救われた命もたくさんある中で、上野さんはご自身のことを、“子どもを守れなかった最悪な父親”だという。そして、2度と自分のような思いをする人が現れてほしくないという願いを、何度も伝えて下さった。

—「教訓さえ残れば、震災のつらい記憶は覚えておかなくていい。東北のことを考える時間があるのなら、自分のこと、家族や友人の命のことを考えてほしい。」

消えることのない、深い悲しみを抱えているからこそ、このような考え方を持ち、それを私たちに伝えて下さるのではないか。災害による犠牲は1人たりともあってはならない、という上野さんのメッセージは、3日間震災と命について考える中で、一時も私から離れなかった。

宮城県石巻市・大川小学校。避難が遅れ、津波によって74名の小さな命が奪われた。

—「ここは、あの日を伝える場所であると同時に、(震災からの)8年間を伝える場所でもあります。今は“あの”大川小学校といわれる特別な場所だけれど、本当は特別な説明なんていらない場所。私たちが伝えたいのは、3.11以前にここにあったものです。」

こう話し始めて下さった佐藤敏郎さんも、大川小学校で大切な我が子を亡くされた方の1人だ。私たちは、佐藤さんをはじめとするご遺族の方の付き添いのもと、校舎の内部に入らせていただいた。同じ方向に傾いた壁、根こそぎ倒れた柱、天井に残る水痕……。津波の威力を感じた一方で、はっきりと名前が読み取れる廊下のネームプレートや、子どもたちが描いた生き生きとした絵からは、確実に“3.11以前にここにあった”日常が感じられ、いたたまれない気持ちになった。学校の管理下で、守ることができた命を守れなかったという悲しい事実を消すことはできない。亡くなった子どもたちの命をむだにしないために私たちにできることは、突き詰めると、悲劇と向き合い、教訓を学び、これからに生かすこと、ただそれだけなのではないかと思う。しかし、この“それだけ”が本当に難しく、今も苦しんでいる方が大勢いらっしゃる。かつて子どもたちが歌っていた大川小学校の校歌には、“未来をひらく”という歌詞がある。佐藤さんは、「復興が進むというのは、未来をつくり、ひらくこと」と前置きされた上で、「でも、“復興が進む”と “風化が進む”という2つを並行させてはいけない」とおっしゃった。様々な考え方や意見があるが、“未来をひらく”ためにやらなくてはならないことと、どの立場の人も向き合う必要があると思う。

夕食後のミーティングでは、参加者のみんなや安田さんと1日の感想や気付きを共有した。ある仲間が口にした、「伝えるために写真を撮るとはどういうことだろう」という疑問に対する、安田さんの「誰かを傷つける可能性を減らすということなんじゃないかな」ということばが印象に残った。写真で伝えることに不慣れな私は、何をどのように撮ればよいのか分からず、毎回迷いながらシャッターを切っていたが、ことばに正解がないように、写真にも正解はないのだと思った。不安や迷いを感じながらも、目の前の機会と大切に向き合っている仲間たち。「今日できることは今日やって下さい。」という、上野さんのことばが頭をよぎった。明日はもっと自分から動こうと思った。

2日目

岩手県陸前高田市で牡蠣漁業を営む佐々木学さん。佐々木さんの船に乗って海に出て、牡蠣の養殖いかだを見せていただいた。天候に恵まれ、海もとてもおだやかだった。佐々木さんは父親を津波で亡くされた。仕事に欠かせない船がほぼ無傷で残った時、父親が船の身代わりになってくれたと感じたそうだ。今は、消費者側との交流などの新しい取り組みを考え、実践している。

—「あそびの中から仕事が生まれる楽しさがある。いつかは子どもが継ぎたいと思うような仕事がしたい。」笑顔でそう話す佐々木さんの目は、真剣だった。

防災士の佐藤一男さん。参加者の1人、佐藤あかりちゃんのお父さんでもある一男さんからは、震災後の取り組みや工事について教えていただいた。陸前高田市では今、12.5mの防波堤の建設工事と、約10mのかさ上げ工事が行われている。実際に防波堤のふもとに立って驚いた。向こう側に海があるとは思えないほど、何も見えないし、聞こえない。高い防波堤はひとつの安心材料になりえるし、津波の到達までの時間を稼いでくれるかもしれないが、海の表情が分からず避難が遅れたら、と考えると恐ろしくなった。また、避難所や仮設住宅での暮らしのこともお話しして下さった。災害時の支援の在り方や、当事者でない人々に何ができるのかということについて、改めて考えさせられた。

おいしいご飯ととびきりの笑顔で私たちをもてなして下さった村上さん。温泉からの帰り道には、SET(セット)という震災後すぐに発足した組織の活動場所に連れて行って下さった。代表者の三井さんは、大学卒業後、両親を説得して広田に移住したそうだ。村上さんは、SETの働きによって、大学生をはじめとするたくさんの若者が広田を訪れるようになったとうれしそうに教えて下さった。

—「震災によって失われたものはたくさんあるけれど、震災があったから出会えた人たちがいる。おまえらもそうだろ。」

お皿に山盛りに盛られたワカメやウニ、収穫後数分で食卓にのぼったトマトの輝き、点いては消えるホタルの光、道路に寝そべって眺めた満天の星空、朝の海……。盛りだくさんの幸せな1泊だった。

3日目

民泊先の方たちとお別れをした後、まとめの会が行われた。1人ずつ、3日間で撮った中から1枚の写真を選び、感想を述べた。私は、陸前高田のまちを高台から写した1枚を選んだ。このスタディツアーを通して、悲しみの中身や今の暮らし、“復興”ということばの意味など、地域や震災について考えることは人それぞれであること、そして、誰もが一生懸命に今を生きているのだということを知った。

これから私にできることは大きく2つあると思う。それは、自分の当時の記憶を保とうと躍起になることではないし、無関心な人々に震災がもたらした悲しみを訴えることでもない。まず、災害が起きた時、まず自分、次に家族や近しい人々の命を守ること。これが第一である。2つ目は、“今”を知るために、“過去”ではなく“今”をアップデートするために、また東北を訪れること。笑顔で迎えてくれる人たちの、その笑顔の向こう側を想像することができる人でありたい。

最後になりましたが、東北で出会った方々、安田さん、スタッフの方々、参加者のみんな。
みなさんから与えていただいた全てに感謝でいっぱいです。本当にありがとうございました。

2019.11.21

#tohoku2019