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取材レポート

2023.9.23

差別を正当化する妄想の寄せ集め――「在日特権」というデマ(安田浩一さん寄稿)

2023.9.23

取材レポート

本記事はノンフィクションライターの安田浩一さんによる寄稿記事です。

もはや都市伝説どころか、「神話」の域にまで達しているかと思いきや、一部ではまだ現実社会の“仕組み”として認識されていることに驚いた。

いわゆる「在日特権」のことである。

在日コリアンが日本社会において優越的な権利を有しているというトンデモ説だ。

在日コリアンは公共料金の支払いを免除されている、大企業への就職に際し優先枠が設けられている、といったものから、政界を牛耳っている、はては日本を支配しているといった、荒唐無稽な陰謀論までもが、いまだネット上にあふれている。

ネットで目にするだけではない。少し前にも、ヘイトスピーチをテーマとした行政主催による講演会の終了後、会場参加者の一人から「あなた(※筆者)が言うとおり差別はよくないと思うが、在日の人たちが特権を持っていることについてはどう思うのか」と真顔で訊ねられたことがあった。

その場で崩れ落ちそうになるのをこらえながら全力で否定したが、私と同世代と思しき質問の主は、「ネットに書いてあったので」云々と合点のいかない表情を最後まで隠さなかった。

まるで実体がありません、単なるデマです、ネトウヨのホラ話です、まぼろしにすぎません――これまで何百回となく、「在日特権」を口にする人々に向けて、そう述べてきた。バカバカしいと思いながらも、役所や政治家に「在日特権」の有無を問うてもきた。私が2012年に刊行した『ネットと愛国』(講談社)でも、あえて1章分を「『在日コリアン=特権階級』は本当か」といった特権説の検証に費やし、そのデタラメさを指摘した。

ない、あるわけがない。役所の担当者も与野党の政治家も、誰もが呆れ顔で特権の存在を否定した。ときに私自身がネットのデマに踊らされたネトウヨであるかのように誤認されながら、それでも「まぼろし」の検証を続けたのは、「在日特権」なる文言や概念それ自体が、ヘイトスピーチとして機能しているからである。

いや、差別を正当化させるために、そして在日コリアンを貶めるために、ありったけの妄想を寄せ集めたヘイトスピーチそのものと断言してもよい。

特定の人種や民族が優越的な権利を有し、マジョリティに不利益を強いているといった考え方は、洋の東西を問わず人種・民族への憎悪を煽るために利用されてきた。紛うことなき差別行為だ。

社会から多様性を奪い、人間から尊厳を奪うことなど、許されるわけがない。

だがネット上では、あるいは現実社会においても、だれがどのように否定しようとも、「在日特権」の亡霊は相も変わらず醜悪な姿をさらして徘徊している。

だから何百回であろうと、それがどれだけ手垢にまみれた言葉であろうと、私は繰り返す。

「在日特権」など存在しない。

ただの妄想に過ぎない。

 

浮かび上がってくるのは差別の歴史

それにしてもヘイトスピーカーたちが口にする「在日特権」とは具体的に何を指すのか――。

実は、これがまた適当すぎて整理に困るのだ。

『「在日特権」の虚構』(河出書房新社)の著者、フリー編集者の野間易通も同書にて次のように述べている。

「『在日特権を許さない』と宣言している市民団体の言う在日特権と、過去に別の誰かが論じた「在日特権」、あるいは街頭デモのビラに載っている「在日特権」のそれぞれが一致せず、概念としてまったく確立していない(中略)まるで鵺のようなものである」

存在しないものなのだから、まさに空想上の怪物と同様、いいかげんな思いつきで仕上がった「虚構」であることは当然だ。要は野間が指摘する通り、「すべてが根拠のまったくない偽情報」なのである。

たとえば、私の手元には、2013年に新大久保(東京都新宿区)で行われたヘイトデモの際、主催者が沿道でバラまいたチラシが残っている。

「日本人差別をなくそう」と題されたチラシには、「在日特権」とされるものが記述されていた。それによると――

・働かず年600万円貰って遊んで暮らす優雅な生活
・犯罪犯しても実名出ません
・税金は納めません
・相続税も払いません
・医療、水道、色々無料
・住宅費5万円程なら全額支給

おそらくネット上のデマをかき集め、なにひとつ検証、確認することなく列記したものだろう。すべてがデタラメだ。

そもそも「年600万円貰って遊んで暮らし」ながら税金、家賃、公共料金をも免除されている人々が、どこに存在するというのか。

国税庁の「令和3年分民間給与実態統計調査」によると、日本における給与所得者の一人当たりの平均年収は443万円である。これを大きく上回る金額が無条件に支給されているエスニックグループがあるとすれば、とうの昔に政治問題化していたはずだ。たとえば朝鮮学校に対する補助金カット、教育無償化からの排除など、マイノリティに対してイジメともいうべき政策を強行しているのが、いまの行政、国なのである。にもかかわらず、上記のような「特権」が政治問題化しないのは、それがヨタ話の類であるからに他ならない。存在しないものを問題にすることなどできないのだ。

一部では「特権」の象徴のように捉えられてもいる「生活保護の優先利用」といった言説もそうだ。

レイシスト集団として一時期、全国で差別デモを繰り返していた「在特会(在日特権を許さない市民の会)」は、かつて在日コリアンの「生活保護優遇廃止」を運動の最大目標として掲げていた。

「日本人は生活保護の申請からも排除されているのに、在日(コリアン)は簡単に生活保護を利用できている」

そうした主張を繰り返しながら、各地の役所に恫喝まがいの“要請行動”をおこなうことも珍しくなかった。

生活保護行政に問題があるのは事実だ。生活困窮者の保護申請を窓口の段階で拒む役所の「水際作戦」をはじめ、理不尽な保護打ち切りなど、行政による経済弱者切り捨ては、私だって絶対に許容できない。だからこそ多くの市民団体がこの問題に取り組み、当事者とともに闘っているのだ。

だが、貧困問題を口にする在特会などのレイシスト集団が、こうした隊列に加わることはない。この者たちはあくまでも「在日の優先利用」なるデマを吹聴しながら差別を煽っているだけなのである。

この問題に関しては、厚労省、各地の福祉事務所に徹底的に質してみたが、担当者はいずれも「優先利用などあるわけがない」と、私の取材を一蹴した。

東京都内のあるケースワーカーは次のように答えた。

「生保利用にあたって重視するのは、あくまでも申請基準を満たしているかどうかであり、在日(コリアン)だからと基準を曲げることなど、過去に遡っても聞いたことがない」

しかも外国籍住民の場合は、たとえば申請が認められなかった際、日本国籍者であれば不服申し立てを行うことで生保利用が許可される場合もあるが、その権利すらない。外国籍住民の不服申し立ては却下するよう、厚労省から通達が出ているのだ。「優先利用」どころか、大きな制限が加えられている。

前述のケースワーカーはさらにこう続けた。

「生活保護利用者の圧倒的多数は高齢者と障がい者、そして母子家庭です。これは外国籍住民であっても同じこと。あえて日本人との違いをあげてみれば、助けてくれるべき親族や知人が身近にいるかどうか、ということになります。外国籍住民の場合、全体の数そのものが少ないわけですから、援助してくれる親族、知人も限られている。特に単身高齢者の場合、就職に恵まれなかったり、無年金であったり、条件的に悪い人が多いのは事実。だからこそ地域によっては、日本国籍者よりも利用率が高いことがあったとしても、それはけっして『優先』を意味するわけではありません」

それこそが、外国籍住民、とりわけ在日コリアンの置かれてきた状況を示すものだ。

経済的、社会的基盤が脆弱であるうえ、特権どころか差別や偏見によって就職の機会も奪われ、厳しい生活を余儀なくされた在日は少なくない。なかでも高齢者は、国民年金制度の創設時には国籍条項によって加入資格すら得ることができなかった。生活保護に頼らざるを得ない困窮状態にある人が高齢世帯で多いのは当然だ。

いったい、これのどこが「特権」だというのか。取材して浮かび上がってくるのは、長きにわたって社会福祉制度から排除されていたという、差別の歴史でしかない。

 

暴走するデマとヘイトクライム

ちなみに「在日特権」なる差別的文言が定着したのは、2006年に刊行された『別冊宝島 嫌韓流の真実! ザ・在日特権』(宝島社)がきっかけだと言われる。著者の一人である野村旗守(故人)は、公安方面に強いライターで、私も週刊誌記者時代に交流があった。だが、私が同書を批判したことで険悪な関係となり、一時期は私を「訴える」と激高して電話をかけてきたこともあった。

同書が在日コリアンへの偏見を煽り、差別を流布されることに一役買ったことは事実だ。その罪は重たい。しかし、いまあらためて同書に目を通してみると、多くのデマを事例に挙げながら、そのほとんどが「実はそれほどでもなかった」という、締まりのない結論となっている。

野村は私が書いた『ネットと愛国』でも取材に応じ、「戦後の一時期、ある種の優遇政策があった」としながらも、次のように答えている。

「いま現在、在日にどれだけの特権が残っているというのか。そんなものほとんど消滅してますよ」

「(在特会などの活動は)『ない』ものを『ある』と言い、あるいは『小さくある』ものを『大きくある』と言って相手を責め立てるなら、これは不当な言いがかりであり、チンピラヤクザの因縁の類と変わりがないでしょう」

結果として自らが加担した差別扇動への責任を放棄した物言いだが、その野村でさえ、そう答えざるを得ないほどに「在日特権」なるデマは暴走をしていた。

そして――それを単なるヨタ話だとして放置することができないのは、在日コリアンの命を脅かすヘイトクライムの引き金となっているからでもある。

ネッシーやツチノコ伝説とはわけが違うのだ。

差別や偏見を伴ったデマは、人としての尊厳を奪う。命を奪う。さらに社会を破壊する。関東大震災直後の朝鮮人・中国人虐殺の歴史がそれを示しているではないか。

「在日特権」なるデマが日本社会に与えたのも、在日コリアンへの嫉妬や羨望ではない。排除の思想と激しい憎悪だ。

在日コリアンが多く暮らす京都・ウトロ地区(宇治市)で起きた放火事件もそうだった。昨年の公判時、被告(当時)は在日コリアンが「特別待遇」を得ているのだと訴えた。それゆえに憎悪が募り、放火に至ったのだと証言している。つまり、ここでもまた「在日特権」なるデマが、ひとりの放火犯を生み出したのだ。あるいは、その放火が住民の命を奪ったかもしれないという想像力こそ、日本社会は働かせるべきだ。

「在日特権」なる事実無根、荒唐無稽なデマは、差別扇動の、さらには虐殺の「火種」でもある。

あらためて確認したい。この日本において、日本国籍の日本人以上に優越的な権利を有した外国人など、どこに存在するのか。「思いやり予算」で十分な環境を保証された米軍人は例外として(これこそ特権の最たるものだろう)、生活も福祉も雇用も日本人以上に恵まれ、そのうえ「支配」する側に立つことのできる外国人など、どこにもいない。

税金は外国籍者にも同様に課せられるが、参政権からは排除され、政治の意思決定に参加することもできない。その不備を補うための施策が検討されると、たちまち「特権」だと批判の声が上がる。

だから何度でも繰り返す。

存在するわけがないのに、差別扇動の飛び道具として用いられる「在日特権」なる物言いは、れっきとしたヘイトスピーチである。ヘイトクライムを後押しするものである。

だからこそ、政治も行政も、いや、日本社会全体で、このふざけた文言を断固として否定すべきなのだ。

「殺戮」の材料など、踏み潰すしかない。
 

醜悪な差別デモと同行する警察。(2022年10月@東京/佐藤慧撮影)

【プロフィール】
安田浩一(やすだ・こういち)

1964年、静岡県生まれ。「週刊宝石」「サンデー毎日」記者を経て2001年からフリーに。事件、労働問題などを中心に取材・執筆活動を続ける。『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』で第34回講談社ノンフィクション賞受賞。

 

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