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「イスラエル批判」は「反ユダヤ主義」?―パレスチナを巡り、ドイツで何が起きているのか

7年ぶりに再会した少女たちは、見違えるほど大きくなっていた。シリアからドイツに避難することになった知人一家を前回訪ねたのは、2017年のことだった。当時、幼い娘たちと妻はまだ、シリアを離れて数ヵ月という頃だった。

その後、子どもたちは学校で言葉の壁に突き当たり、知人もシリアで身に着けた専門性を活かせる仕事を見つけることはできなかった。異国の新生活で、度々困難に直面したという。それでも子どもたちはドイツ社会に少しずつなじみ、家族全員がすでにドイツ国籍を取得していた。

2015年、ドイツに難民としてたどり着いたのは約90万人だが、彼の家族のように、順当に日常を取り戻す人々ばかりではないだろう。それでも、命の危険から逃れようとする人々を包摂しようとするドイツ政府の姿勢は、同年にたった27人しか難民認定をしなかった日本政府のそれとは天と地ほどの差だった。

難民の受け入れだけではない。ホロコーストという加害の歴史と向き合おうとする「メモリアルカルチャー」は、学ぶべきものも多々あった。もちろん、植民地支配下のナミビアでの虐殺が近年まで省みられなかったこと、同じホロコースト犠牲者の中でも、シンティ・ロマの人たちなどが長らく置き去りになっていたことを考えれば、「まなざしの格差」という課題は常について回っていたのだろう。

それでも、加害の歴史を「なかったこと」にする力学が強く働く昨今の日本から見れば、ドイツの姿勢は「先進的」に映った。

ドイツ、ベルリン市内にある「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。(2024年3月、安田菜津紀撮影)

ホロコーストの記憶を伝える記念碑や博物館などから私たちが受け取ってきたのは、「誰に対しても、どこであっても虐殺はあってはならない」という普遍的なメッセージだと、そう思ってきた。ところがその「普遍性」が大きく揺らいで見えるようになったのは、2023年10月からだ。

「すべてはハマスが10月7日に始めたこと」?

ドイツのショルツ首相は、イスラエルの安全は「国是」だと力説し、2023年には例年の10倍規模の軍事支援を行った。

2013年から23年の10年間で、イスラエルの軍事輸入品の約30%を占めるのはドイツからのもので、アメリカに次ぐ多さだ(SIPRI統計)。歴史的に見れば、国交を持つ以前の1957年から、西ドイツはイスラエルに対し、秘密裏に軍事支援を行ってきた。つまりドイツは、昨年来続いているガザでの虐殺のみならず、占領や封鎖下で起きてきた暴力行為への加担に、明確な責任がある国なのだ。

イスラエル軍によって破壊されたジェニン難民キャンプの住宅。(2023年12月、安田菜津紀撮影)

ところが、「ガザの現状を誰かに話そうとすると、“反ユダヤ主義”と思われて人間関係が壊れてしまうのではないかと恐い」という声が、ドイツに暮らす知人たちから届きはじめた。一体、何が起きているのか?

3月、久しぶりに訪れたドイツでは、やはりこんな言葉に出くわすことになる。

「ハマスの攻撃は反ユダヤ主義」
「すべてはハマスが10月7日に始めたこと」
「“親パレスチナデモ”もイスラエルに対してではなくハマスに対して“やめろ”と言うべきだ」
「ハマスが人質を解放さえすれば解決するだろう」

まずもってパレスチナの問題は宗教問題ではなく、近現代の政治問題だ。それも、昨年10月7日に突如始まったことではなく、占領や封鎖、構図的な暴力はそれ以前から綿々と続いてきた。加えてガザでこの半年以上に渡り起きてきたのは、もはや「人質解放のための作戦」というより「パレスチナ人の存在の否定」であることは明白だろう。

2024年3月17日、トルコ系、アラブ系のルーツを持つ人々も多く暮らすベルリン・ノイケルン区で行われたデモを取材した。「シリア革命」から13年を迎えるにあたり、パレスチナとの連帯も込めて行われたものだ。シリアの現政権への抵抗の意を込めた旗や、パレスチナの旗が交互に通り過ぎていく。

「パレスチナに自由を!シリアに自由を!クルディスタンに自由を!スーダンに自由を!」

ベルリン市内で3月17日に行われたデモは、多くの警官に囲まれながら進んでいった(2024年3月、安田菜津紀撮影)

コールでは、シリアやパレスチナのみならず、人々が抑圧にさらされる他地域との連帯も示された。若者を中心に、数百人の隊列が組まれたが、その中に、幼い子どもたちを連れた、アラブ系ではない女性の姿があった。

「この地区に暮らしているのですが、子どもたちが通っている学校では、ナクバを否定するような冊子が配られていて……。学校だけでは正しい歴史を知ることができないと思い、子どもたちもこうしたデモの現場に連れてきているんです」

「ナクバ」とは、イスラエル建国の過程でパレスチナ人約70万人が故郷を追われ犠牲になった大惨事を意味する言葉だ。後日冊子を確認してみると、確かにナクバについて、《アラブ人がユダヤ人を倒すことに失敗したことであり、国連が提示するような、誤解を招く歴史観とは大きく異なる》と書かれていた。こうした「歴史否定」の資料が、パレスチナルーツの子どもを含めた移民が多く暮らす地区の学校で、堂々と配られているのだ。

学校で配られた、ナクバの否定などが書かれた冊子の一部。(安田菜津紀撮影)

ドイツはなぜイスラエルを擁護し続けるのか

「アラブ系コミュニティ、特にパレスチナ系コミュニティの人々は、ここ数ヵ月、非常に苦しい状況にあり、ドイツの民主主義や寛容な政策を信じてきたことが本当に正しかったのか、疑いを持たざるを得ない状況です」

そう語るのは、パレスチナ人のフェミニスト・アクティビストで、独立系アラブメディアのためのネットワーク「Febrayer Network」(フェブライヤーネットワーク)の共同ディレクター、ヤスミン・ダヘルさんだ。

3月17日のデモは大きな混乱には見舞われなかったものの、ドイツでは、抗議活動に参加した人々が警察に暴力的に排除されることが度々起きているうえ、「反ユダヤ主義」とみなされ、逮捕、強制送還、市民権剥奪などの脅威にさらされてきたという。

民主主義においては、明確なヘイトスピーチを除き、議論を重ねることが欠かせないはずだ。「ところがパレスチナに関しては議論さえできず、それは反ユダヤ主義、さよなら、と門前払いにされてしまうんです」と、ヤスミンさんは危機感を語った。

Febrayer Networkのオフィスで取材に応じてくれたヤスミンさん。(2024年3月、安田菜津紀撮影)

そもそもドイツはなぜ、イスラエルを擁護し続けるのか。

ヤスミンさんは戦後、ドイツ(主に西ドイツの文脈)が国際社会に「復帰」していく背景をこう見ている。

「そこには利害関係も絡んでいます。ドイツは第二次世界大戦後、自らのイメージを浄化し、国際社会で善意のあるプレイヤーとして受け入れられることを望んでいました。そのため、歴史的犯罪を省みて、“何かを学んだ”ということを証明する必要があったのです」

そして前述のとおり現在ドイツは、イスラエルに武器を売り、経済的利益もそこに絡む。

「ドイツはホロコーストの過去を、罪悪感ではなく、責任感に繋げることが望ましかったのではないでしょうか。その責任は、ユダヤ人だけではなく、人類全体に対して負うべきです。過去の罪の意識を消すために、私たちパレスチナ人は道具として利用されているに過ぎません」

ヤスミンさんが言うように、パレスチナ人はときに「スケープゴート」化されてきた。例えばよく謳われる言説として、「輸入された反ユダヤ主義」という誤った認識がある。「反ユダヤ主義は移民たちが外から持ち込んだものだ」という主張だ。ところが実際に2022年の警察のレポートを見てみると、反ユダヤ主義に基くヘイトクライムなどの80%以上が、極右勢力によるものだ。

昨年11月2日、ハーベック副首相は、「反ユダヤ主義」を批判する動画を公開した。その様子についてヤスミンさんはこう語る。

「その動画で彼は、ドイツがユダヤ人の命を大切にし、保護し、寄り添っていることについて語りました。しかし、9分間にわたるメッセージの中で、彼はパレスチナ人の命について一言も触れませんでした。当時、すでにパレスチナ人の被害は深刻化していたにも関わらず、です。まるで、全く何も感じず、何も知らないないかのように……」

政治家によるパレスチナ人の「透明化」は、ハーベック副首相に限らない。2024年1月に開催されたベルリン国際映画祭では、パレスチナ人とイスラエル人の共同監督作品『ノー・アザー・ランド』がドキュメンタリー部門で賞を獲得したが、その後、ドイツ連邦政府文化・メディア庁のXアカウントは《クラウディア・ロート大臣の拍手は、ユダヤ系イスラエル人のジャーナリストで映画監督のユヴァル・アブラハムに送られた》と公式に表明した。つまり、共同監督であるパレスチナ人のバーセル・アドラ氏を事実上、黙殺したのだ。

ヤスミンさんはこうした事態を前に、メディアが適切に機能していないことも指摘した。

「最近になってメディアは、ガザでの飢餓や人道危機などについて少し取り上げようとしていますが、彼らは決して、誰がその責任を負い、誰がそれを隠蔽し、誰がそれを可能にし、誰がイスラエルに武器を与えているのか、言及しないのです」

「反ユダヤ主義」だと排除されるユダヤ人

私たちの滞在中、新聞社ターゲスシュピーゲル前でも抗議活動が行われていた。「ジェノサイドに抗議するアクティビストの顔や個人情報を不必要にさらしている」、「ガザでは130人以上のジャーナリストが殺害されている中で、あなたたちはジャーナリズムとしての役割さえ果たしていない」と、参加者たちは社屋に向かいスピーチを続けた。何も書かれていない「空白」プラカードを持参した女性は、「だって何を訴えているかはもう、文字にするまでもないでしょう」と淡々と語った。

ターゲスシュピーゲル前で掲げられていた「空白」のプラカード。(2024年3月、安田菜津紀撮影)

ベルリン市内では、AfD(ドイツのための選択肢)に反対する大規模なデモや集会も度々行われてきた。AfDは反移民・難民を掲げる政党として知られるが、世論調査によっては、その支持率はショルツ首相の率いるSPD(社会民主党)を上回る。今後行われる地方議会選挙では、第一党に躍り出るとみられる州もある。

私たちが取材した抗議集会では、AfDの主張するような価値観が広がっていくことで、「性的マイノリティに対する攻撃が増す」、「反ユダヤ主義的な価値観が広がってしまう」という懸念の声を聞いた。

一方、そうした反AfDデモで、パレスチナに連帯するグループが、排他的な言動を参加者から受けたり、警察によって排除される事態も相次いできた。

レイチェル・シャピロさんは、2024年2月に行われた抗議デモに参加した。彼女はアメリカ、ニューヨーク州出身のユダヤ女性で、祖母はドイツ・ケルンからホロコーストを逃れ、16歳で渡米したという。

レイチェルさんはその日、《自由なパレスチナを求めて、AfDとシオニズムに反対するユダヤ人》というプラカードを掲げていた。「シオニズム」とは、ナチスがドイツで実権を握る前から始まった、パレスチナの地にユダヤ人の拠点となる国家を作ろうとする運動だ。ただその理念の中で必要とされているのは「土地」であって、そこに暮らすアラブ・パレスチナ人ではない。その意味で、当時の列強による植民地支配よりも、さらに排他性の強いものともいえる。

なぜパレスチナの解放が必要なのか、ドイツでいかにパレスチナ人や彼らと連帯する人々が抑圧されているのか――レイチェルさんたちの主張に触れた多くのデモ参加者は興味を持っていたという。ところが一人の年配のドイツ人男性が、「イスラエルとAfDに何の関係があるんだ」とレイチェルさんに食ってかかり、彼女が話している間、3回、顔に唾を吐いてきたという。

当日起きたことの詳細は、レイチェルさん自身がアルジャジーラに寄稿している。

ベルリン市内で開かれたAfDに対する抗議集会。(2024年3月、安田菜津紀撮影)

「私は、人口のおよそ40%がユダヤ人だった街で育ち、イスラエルやシオニズム、現代ヘブライ語とは関係のない、世俗的なユダヤ人がいるという考えが、そこでは非常に一般的でした」

ベルリンで取材に応じてくれたレイチェルさんは、ドイツ国内で「ユダヤ人」が単一の集団に押し込められていることの違和感を語った。

「ドイツでは“シオニストである”、あるいは“イスラエル人である”などの定義に当てはまらない人はみな、“真のユダヤ人ではない”か、“反ユダヤ主義者”とみなされるようです。だからこそ私は、『あなたは本当のユダヤ人ではない』 『反ユダヤ主義者だ』などという中傷を何度も受けてきました。私がユダヤ人であろうと、私の家族がドイツ出身であろうと、先祖の中にホロコーストの生存者や犠牲者が多くいたとしても、関係がないようです」

同じ2月、レイチェルさんは、イスラエル寄りの姿勢を鮮明にする巨大メディア会社、アクセル・シュプリンガー本社前に向かった。抗議者たちはすでに、何十人もの警官に囲まれていた。

これだけの威圧的な状況下でなお、レイチェルさんがマイクを握り、スピーチする様子はSNS上にも拡散された。
https://twitter.com/RashadAlhindi/status/1757872107612930150

「私が言いたかったのは、『ユダヤ人として、ドイツ国家やドイツのメディアによって利用されることを拒否する』ということです。シオニズムはユダヤ教的価値観では全くないことをはっきりさせたかったんです。ドイツ国家とシオニスト自身によって主張されてきた以外に、シオニズムがユダヤ教的価値観であることを示すものは何もありません。私がよく言うのは、ユダヤ教はシオニズム以前から何千年も存在しており、シオニズムの後も何千年も存在し続けるだろう、ということです」

その後、警察は抗議者たちをなぎ倒したり、殴ったりと、強制的な排除を行い、レイチェルさんたちも連行されることになる。

「私たちは何時間も拘束されました。その間、弁護士と話したり、誰かに電話したりすることさえ許されませんでした」

それでもレイチェルさんが行動を続けるのは、「パレスチナ人の同志、きょうだいたち、特にドイツで沈黙させられがちな彼らの声を、よりこの社会の中心に据えるため」だと強く語った。

2月11日の英紙ガーディアンでは、「反ユダヤ主義」を理由にポジションを追われたり、イベントの出演が取りやめになるなど、ドイツ国内で「キャンセル」された様々なケースのうち、およそ3分の1がユダヤ人であることが報じられた。

取材に応じてくれたレイチェルさん(左)とラムジーさん。(2024年3月、安田菜津紀撮影)

恣意的に判断される「反ユダヤ主義」

そもそも「反ユダヤ主義」とは何を意味しているのか。

ドイツも加盟している政府間組織、国際ホロコースト記憶連盟(IHRA)は、2016年に「反ユダヤ主義の定義」を公表し、その例として「イスラエル国家の存在を人種差別主義者の企てと主張すること」「現在のイスラエルの政策をナチスの政策と比較すること」などが挙げられている。

「シオニズムは差別的な理念だ」「ガザでの虐殺は、ホロコーストと変わらない」などの文言は、この定義に沿えば「反ユダヤ主義」と判断されかねないだろう。だからこそこのIHRAの定義自体への批判もあるが、この中でもなお、「イスラエル政府への批判」そのものが即「反ユダヤ主義」であるとは書かれていない。この「定義」の恣意的な解釈、適応自体もまた、深刻なものだ。

2019年には「BDS決議」がドイツ議会で可決され、イスラエルに対する「ボイコット、投資引き上げ、制裁運動」が「反ユダヤ主義的」であるとされた。

後に研究者らが、イスラエル批判と反ユダヤ主義的言動との区別を例示し、「文脈を考慮すべき」とした「エルサレム宣言」(JDA)を出したものの、IHRAはEU、米国をはじめ国際的に強い影響力を維持している。

そして今、ドイツの公権力が、虐殺に抗うユダヤ人を「反ユダヤ主義」として逮捕・排除しているのだ。

私たちがレイチェルさんと待ち合わせた文化施設「オユーン」では昨年、シオニズムに反対し、イスラエルによるジェノサイドに抗議を続けるJüdische Stimme(Jewish Voice/ユダヤ人の声)という団体が追悼イベントを開催したところ、ベルリン市からの補助金を打ち切られてしまった。その後、Jüdische Stimmeの銀行口座が止められたうえ、所属メンバーのリストや住所など、個人情報の提出が求められた。

デモに参加するのは感情があるから

こうした排除は、昨年10月に突如始まったわけではない。

「パレスチナ人としてドイツで育つと、幼いうちから疎外されていると感じさせられます。当局や学校、教員など、あらゆる権威や機関からそう感じます」

そう語るのはレイチェルさんと共に取材を受けてくれた、ラムジー・キラーニさんだ。ラムジーさんは、ドイツで育ったパレスチナ人としての実感をこのように語る。

「たとえば『出身はどこ?』と聞かれて『パレスチナです』と答えると、『パレスチナなんてないじゃないか』『お前は存在しない』などと言われるのです。ドイツで育った多くのパレスチナ人は、このような反応を受け自尊心を失い、打ちのめされます」

実際、ドイツの入管でも、パレスチナ人は「パレスチナ人」としてではなく、「ステートレス」(国籍、市民権を持たない人)と登録される。

ラムジーさんはドイツ人の母、ガザ出身のパレスチナ人の父のもとに生まれた。父はその後、ガザへと戻り再婚。2014年のイスラエルによる侵攻で、ガザにいた父親と妻、ラムジーさんの異母きょうだい全員が殺害された。

2014年のイスラエルによる侵攻で破壊されたガザ内の市場。(2018年2月、安田菜津紀撮影)

ベルリンでは2022年、ナクバを追悼するデモが禁じられた。ナクバこそ、多くのパレスチナ人が遠く離れたドイツに暮らしている大きな理由であるにも関わらず、だ。

そして昨年10月は、ハンブルク、ケルンなど主要都市全てでデモが禁じられ、ベルリンの学校ではカフィーヤ(伝統的な織物)の着用まで禁止された。「カフィーヤはパレスチナ人だけでなく、多くの人にとって文化やアイデンティティの一部なのに」とラムジーさんも語る。

「デモの禁止令が出たことで、ガザの家族が家を失い避難する様子を、ニュースを通して自宅で見るしかありませんでした。やがてガザではライフラインが遮断され、家族に連絡が取れなくなりました。最後の連絡は、わずかな水しか残っていない、というものでした」

「昨年10月は、路上でともに人々と悲しみ、苦しみ、怒りを叫ぶことすらできず、部屋で一人で画面を見つめ、精神衛生状態が悪化していくのをただ待つしかありませんでした」

その後、ようやくデモの開催にこぎつけたときは、「奴隷状態から解放されたようだった」という。

「家でじっと我慢して、抗議活動にも行かず、パレスチナ人であることを示すことをやめれば、抑圧してくる側の思う壺でしょう。そんなことはしたくない。抵抗したいし、おかしいと言いたい。黙らせるなんてさせたくないんです」。現在、ベルリンでの抗議活動は様々な形で続いており、希望もある、とラムジーさんは語った。

「パレスチナ人やムスリム、アラブ系のコミュニティは暴力的で、いつも感情に流されていると言われることがありますが、デモに参加するのは感情があるからです。何の訴えもないのにデモをするわけがありません」

こと昨年の10月以降、イスラエルによる虐殺が続く中、ドイツ政府が「これは支持していい攻撃なのだ」と世界に発した国際的な影響と、多額の軍事支援による加害への直接加担の責任は重い。一方、ドイツの公共放送ARDが10月下旬から11月上旬に行った調査の時点ですでに、イスラエルの軍事行動について、ドイツ市民の6割以上が「正当化できない」と答えていた。これだけパレスチナを語ることが「タブー視」されてもなお、「変化」は着実に起きている。

新聞社ターゲスシュピーゲル前のデモ。(2024年3月、安田菜津紀撮影)

私たちが帰国後のことになるが、Jüdische Stimmeなどが中心となって開催されたイベント「パレスチナ会議」では、会場を大量の警官が取り囲み、チケットを持つ人々の入場を阻んだ。警察は《ジェノサイドに抗議するユダヤ人》というプラカードを掲げたユダヤ人を拘束し、会場の中に押し入って電源を切り、ライブ配信を遮断した。このイベントでは、ガザ出身で英国市民権を持つ医師が、ガザでの医療活動の報告を行う予定だったが、ドイツへの入国を拒否されている。連邦内務大臣は当日の警察の行いを賞賛し、「イスラム主義者を監視していく」と述べた。繰り返しになるが、このイベントは、シオニズムに抗うユダヤ人団体も中心となっている。

一方、4月に発表された警察の報告書によると、400人以上の警官が極右思想や陰謀論に傾いているとして調査対象となっているという。ドイツの16州のうち4州が数字を公表していないため、実際の数字はさらに増加するとみられている。

警察をはじめ公権力が、取り締まるべき対象を誤認し、本来向き合うべき差別問題や暴力を野放しにしているどころか、レイシズムがその内部にまで侵食していないか――。それは「国際社会」の一員である、日本にも問いかけられている。

(2024.4.17 / 安田菜津紀)

Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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