学園が子どもたちの「命綱」―ブラジル人保育所が直面する、幼保無償化対象外の危機
琵琶湖へと流れる愛知川に面した、滋賀県愛荘町。のどかな畑と閑静な住宅地に囲まれた一角から、子どもたちのにぎやかな声が響いてくる。2階建てのプレハブと隣接する住宅の中で運営されているブラジル学校兼保育所「サンタナ学園」には、ブラジル・ルーツの乳幼児から18歳まで、およそ80人が通っている。
滋賀県では産業の約4割を製造業が占めており、工場などで働く外国人労働者やその家族も多く暮らしている。国籍別でみると、ブラジル人が9,281人と、外国人人口の26%近くを占め、最も多い(2022年末時点)。
その一方、外国人乳幼児の保育ニーズを正確に把握している自治体はまれだ。サンタナ学園に通うブラジル人の乳幼児は、在住する市町村の待機児童にカウントされていない。
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地域に行き場のなかった子どもたち
「ようこそ!」と満面の笑みで出迎えてくれたのは、このサンタナ学園校長の中田ケンコさんだ。
ケンコさんは、ブラジルに移住した日本人の両親のもとに生まれ、35歳の時に来日した。当時、ケンコさんが地域で目の当たりにしたのは、出稼ぎなどで来日したブラジル人労働者の子どもたちが、行き場を見出せずにいる姿だった。
「会社の社宅で暮らしていると、夜勤で日中、寝てる人たちもいますよね。子どもたちが遊んでいると、『うるさいぞ!』となってしまう。だから当時、子どもたちは静かに、テレビを見ているしかなかったんです」
その様子に胸を痛めたケンコさんは、1998年に幼い子どもたちの保育所を開設する。それが「サンタナ学園」の出発点だった。その後、受け入れる年齢を広げていき、20年以上に渡って子どもたちの居場所を守り続けてきた。
ケンコさんの一日は毎朝4時台に、子どもたちの「給食」を作るところから始まる。5時台には迎えのバスを自ら運転し、各家を回っていく。サンタナ学園には8つの市町から子どもたちが通っているため、スタッフと手分けをして送迎にあたる。
保護者たちが置かれた不安定な雇用環境
なぜ距離のある街からも、子どもたちはここに通い続けるのか。その背景は家庭によっても様々だ。「ブラジルの言葉で教育を受けてほしい」「ルーツを大事にしたい」と望む親たちもいるが、サンタナ学園をサポートするNPO法人コレジオ・サンタナの理事を務める柳田安代さんは、保護者たちが置かれた脆弱な立場について語る。
「工場で働いている人たちにとって、日本の保育所は預かり時間が短いし、柔軟な送迎も難しかったりしますよね。それに、子どもが体調を崩すとすぐ『お迎えに来て下さい』と呼び出されてしまいます。ここではケンコ先生が病院に連れて行ったり、送り届けたりもします」
保育所の迎えを理由に残業を拒めば、解雇の対象になってしまうかもしれない――それだけ不安定な雇用環境に置かれた保護者たちにとって、サンタナ学園はなくてはならない存在となってきた。遅い時間では夜9時近くまで、学園で子どもを預かることもある。長時間働く親たちにとって、子どもの様子を自分の母語で尋ねることができるのも、安心に繋がる。
また、一度サンタナ学園から日本の小学校に進学したものの、周囲とのコミュニケーションに壁があったり、いじめを受けたりして、また学園に戻ってくる子どもたちも少なからずいるのだとケンコさんは語る。「周りの言葉が分からないと、先生や他の生徒に悪意がなくても、周りに責められているように感じてしまったりしますよね」。
柳田さんも続ける。「親が日本の学校になじめなかった経験がある場合は、同じ思いをさせたくない、と日本の学校を選ばないこともあります。公立学校も、どれくらい外国籍の子どもが在籍しているかによって、サポート体制が違います。その狭間で、“ダブルリミテッド”、つまりポルトガル語も日本語も十分にできないままの子どもたちもいるんです」。
ところが、文部科学省の解釈する“義務教育の対象”は「国民」だ。外国籍の子どもたちは、外国人学校への「転校」を申し出た場合、日本の学校を「除籍」となる。教育行政の手を離れることになり、転校先で実際に就学しているかなど、正確な実態がつかめなくなる。
コロナ禍や物価高でひっ迫する家庭状況
今、長らく続いてきたコロナ禍に加え、物価高が各家庭に追い打ちをかけている。工場の景気が上向かず、残業や日雇いの仕事がなくなる日もある一方、電気代やガソリンは目に見えて上がっている。経済的にますますひっ迫する親たちの声が、ケンコさんの元にも届いてくる。
「中には朝昼晩のご飯を学園で食べていく子どもたちもいるんです。迎えに行くと、テーブルの上にパンも何もない、食べるものがない家もあります。そんな子たちもバスが来ると“来た来た!”って嬉しそうに駆けてくる。ご飯を“美味しい、ありがとう”って何でも食べていくんですよ」
困窮家庭にとって、まさにサンタナ学園は「命綱」でもある。ところが、そんな学園の存続を揺るがす事態が起きている。今年11月(予定)の立ち入り調査で指導監督基準を満たしていないとみなされれば、2024年10月以降、幼保無償化の対象外となってしまう見通しなのだ。サンタナ学園に限らず、県内3つのブラジル人保育所、あるいは全国にある同状況の保育所全てが、その危機に瀕している。
高すぎるハードルで、幼保無償化対象外の危機
2019年10月に始まった「幼児教育・保育無償化」制度は、「多種多様な教育を行っている」ことなどを理由に、各種学校に認可された外国人学校に付属する幼保施設を対象外としている。
サンタナ学園は各種学校ではなかったものの、当初、認可外保育施設が制度の対象となるのか、なるとしてもどの範囲までが認められるのかが不透明だった。結果として、認可外保育施設の監督基準を満たしていない場合でも、5年の猶予期間を設けた上で幼保無償化の対象とする国の方針が示される(ただし自治体の裁量によって、猶予期間が短縮されたり、設けられない場合もある)。滋賀県の自治体は全て、5年間の猶予期間を設けることとなり、認可外の基準を満たさないサンタナ学園でも制度の利用が可能となった。現在、サンタナ学園に通う0~5歳の子どもたちの月謝は、保育料含め5万円だ。3~5歳には保育料のうち3万7千円が補助され、0~2歳でも住民税非課税世帯には4万2千円が補助されている。
問題はこの5年間の「猶予」だった。
認可外保育施設の基準を満たす上で最大のハードルとなっているのが、日本の保育士有資格者の確保だ。そもそもの問題として、認可保育所であっても、待遇の問題などから保育士は不足している。サンタナ学園などの外国人保育所は、言語の壁などもあり、何らかの支援なしにこの条件を満たすのは、ほぼ不可能に近い状態だという。かといって日本語がネイティブではない外国ルーツの人々が、日本の保育士資格や子育て支援員の資格を取るのも、やはり言語や知識、費用などの問題から非常に困難だ。
一方、ベビーシッターの場合、保育士資格を有していなくても、猶予期間などは関係なく、今後も無償化の対象だ。
今年1月、コレジオ・サンタナは県に対し、「基準を満たすだけの保育士有資格者の確保支援」などを求めたほか、県からの国に対する働きかけも要望した。具体的には「5年の猶予期間の延長」や「外国の資格を認めるなど、保育士・看護師以外の資格も特例的に認める」ことなど、外国人保育所の実態に則した措置だ。
また、基準を満たすためには年に2回の健康診断も求められるが、そうしたところにも伴走してほしいと柳田さんは語る。「基本的な健康診断を、と要請されますが、その“基本的な”がどの程度なのか曖昧です。サンタナには保健室がないので、例えば保健センターを利用できるようにしたり、その嘱託医の方に診てもらうことを可能にしたり、もう少し寄り添ってほしいと思います。診断結果がもらえても、全部ポルトガル語に訳す必要もありますよね」。
今も、そしてこれからも、多くの外国人の労働力を必要としながら、受け皿は作らない国の姿勢に、柳田さんは疑問を投げかける。「サンタナ学園に携わるようになって気づいたのが、日本の教育って、“日本人を作る日本人のためのもの”なんだ、ということです。ケンコ先生たちも必要に迫られて活動を続けてきたわけですし、多様な人が通いやすい幼稚園、保育園、学校の体制がいまだに整っていません。少子化対策が叫ばれていますが、生まれた命がちゃんと大人になるまでの過程を守るのも大事なはずですよね」。
結局国からは今に至るまで、根本解決に繋がる具体策は示されていない。無償化の対象から外れれば、5万円の月謝が保護者たちにのしかかることになるが、食べ物にも事欠く家庭にそれを求めるのは現実的ではない。このままではまた、子どもたちの行き場が奪われていくことになる。
そもそも、外国ルーツの子どもたちが通う保育所、幼稚園に、無償化の情報は行き届いてきたのだろうか。そして今後、その対象から外れてしまうことも、当事者にどこまで認知されているのかは不透明だ。
底上げ支援こそ必要
今時点ですでに、サンタナ学園の子どもたちは制度上も脆弱な立場に置かれている。例えば学校や保育所などでケガをした場合、日本スポーツ振興センターの「災害共済給付制度」により、保護者に対して給付金が支払われる。2017年4月からは認可外保育施設にも拡大されたが、ここでも基準を満たすことが求められており、サンタナ学園の子どもたちは加入できていない。
柳田さんと同じく、コレジオ・サンタナの理事を務める、滋賀県立大学教員の河かおるさんは、子どもの安全を巡る悪循環を指摘する。「『ここは安全性が確保されていないから公金で補助しません』となっても、ここに通わざるを得ない、困っている子どもたちがいることに変わりはないですよね。でもこのままでは、何か事故が起きても『そんなところに通わせた親が悪い』となってしまいます。子どもの命と安全を第一に考えるなら、基準を満たしていない保育所こそ手厚いサポートをして、なんとか底上げすることが必要ではないかと思います」。
基準を満たせない理由そのものを支える
学園のプレハブはすでに築15年以上が経ち、水漏れなどに見舞われることもしばしばだ。日々、近隣の街まで走り続ける車も修理が必要になったりと、費用のかかるトラブルは尽きない。
ケンコさんも66歳となり、「もしも自分に何かあったら」ということが頭を過るという。「私がいなくなったら、学校も一緒になくなってしまうんじゃないかって。ここを必要としている子どもたちがいる限り、この学校は続いてほしい」。それでも疲れを感じてこなかったのは、この仕事が心から好きだからだと朗らかに語る。柳田さんも続ける。「ここにいる子たちはとても天真爛漫で、来たばかりの頃は押し黙っていた子でも、しばらくすると本当に楽しそうに過ごしているんですよね。それだけ、子どもたちにとって大切な場所なんだと思っています」。
保育所での痛ましい死亡事故が相次ぐ中、保育士の配置基準を見直したり、安全性を高めるための措置はもちろん、必要だろう。ただ、自助努力だけではどうしても、それを満たすことが困難な園も存在する。
サンタナ学園の子どもたちの周囲には、先述の通り、ここに来ざるを得ない社会状況がある。この社会はすでに、多様だ。だからこそ大切なのは、一方的に「基準を満たせ」と求め、「自己責任」だと切り捨てるのではなく、「なぜ基準を満たすことができない状況なのか」という問いに則した支えを、公的に整えることではないだろうか。
(2023.3.9 / 写真・文 安田菜津紀)
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