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取材レポート

2022.4.4

なぜ私たちは、日本からの保護を迅速に受けられないのか――問われる日本の難民受入

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

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佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2022.4.4

取材レポート #ウクライナ #難民 #安田菜津紀

「ショックでした。息子に将来、『戦時下で、日本政府はあなたをしっかり守らなかった』と、母親としてどう説明できるというのでしょうか」

ウクライナから、デンマーク・コペンハーゲン郊外に身を寄せるオレナ・ブロバッチさんは、滞在先の部屋から、怒りを抑えきれない様子でそう語った。
 

オンラインで取材に応じて下さったオレナさん

見通しの立たない避難生活

オレナさんはキーウの出身であり、日本人の元パートナーとの間に生まれた5歳の息子は日本国籍だ。その息子と母と共に、3月7日、まず隣国のポーランドに逃れ、ワルシャワにある日本大使館に助けを求めた。

息子は日本のパスポートを有しており、オレナさんも4月後半まで有効な日本のビザを持っている。戦禍を逃れて日本へ渡航しようと思い、母の日本滞在ビザも取得しようと試みたが、壁が立ちはだかった。日本に暮らす身元保証人が必要だというのだ。元パートナーとその家族とは既に疎遠であり、保証人の確保は困難だった。母一人をポーランドに置き去りにすることなどできない。かつ、経済的にも厳しい状況にあるオレナさんにとって、日本までの渡航費用を自費負担することも難しい。

「その後、大使館からは何度も母に電話がかかってきました。『2月24日はどこで何をしていたのか、ポーランドにいつ着いたのか』と、同じ質問が繰り返されましたが、答えても、何も進展はありませんでした」

3月18日、日本政府は身元保証人がいない場合でも入国を認める方針を表明するなど、ウクライナから逃れる人々に対する入国要件を緩和していった。しかしそれでも、オレナさんの母のビザに関しては、前向きな回答は得られなかった。

過酷な状況から逃れてもなお、今後の見通しが立たず、じりじりと焦りが募る。3月25日、改めて日本大使館に問い合わせても、「まだ分からない、時間がかかる」の一点張りで、わずかな道筋さえ見えてこなかった。
 

長旅の後に届いた思わぬ知らせ

もうこれ以上あてもなく待つのは限界ではないか――けれども避難者が集中しているポーランドの状況を考えれば、これから仕事を探し、子どもを育てていく環境として不安があった。周囲に相談して回ると、毎月の金銭支援や医療支援、無料で提供される現地語学習支援を受けられるデンマークへの移住を勧める声が多くあった。

3月28日、20時間のバス移動を経て、オレナさんは息子と母と共にデンマークへとたどり着いた。長旅の疲れは抜けきらず、母は頭痛が続いている。息子も体調を崩してしまった。ところが翌日の3月29日、ポーランドにいる知人のジャーナリストから思わぬ連絡があった。

「ポーランドにいる避難者を、日本が政府専用機で移送する計画があるようだ」

悲しみと怒りが同時に溢れてきた。

「私たちは“バケーションに行きたいからチケットをちょうだい”と言っているのではありません。戦時に、日本のパスポートを持っている息子にまで、なぜこのような態度をとるのでしょうか。デンマークまでやってきたのは、私の“選択”ではありません。見通しが立たず、やむなくここまで来たんです」

ちなみに読売新聞が《ポーランド避難のウクライナ人、政府専用機での日本移送を検討》というタイトルのオンライン記事を掲載したのは、日本時間3月29日午前1時半、ポーランドの時間でいえば3月28日18時半だった。

3月31日に、再びオレナさんが日本大使館に電話をすると、「4月1日にまた大使館に来てもらえたら」と返答があった。息をつく間もなく、また20時間の道のりを、体調の思わしくない2人と後戻りすることは現実的ではなかった。

「これまで冷静であろうと努めてきましたが、この時は涙が止まりませんでした。なぜ私たちは、日本からの保護を迅速に受けられなかったのでしょうか」
 

キーウ・ポジール地区にて、3月16日、クレ・カオル氏撮影

難民に固く門戸を閉ざす国

オレナさんは軍事侵攻が始まった2月24日以降、上手く眠ることができていないという。キーウ郊外に残っている父や兄のことも気がかりだ。

「息子はよく眠れているし、今のところ心理的に大きな問題があるようには見えません。ポーランドまでの移動中、道路に遺体が横たわっているのが見えたときや、銃を持った兵士たちに車を止められたときは、息子の目をふさぎ、残酷なもの、恐怖を感じるようなものは見せないようにしていました。戦争が起きた、ということを全て理解するにはあまりに幼いですし、家に残してきたおもちゃを懐かしがっています。ただ、ドアを強く閉じるような大きな音や、ヘリコプターは恐がります」

日本政府の対応への不信感は深く残るものの、オレナさんは、息子が望んでいるのであれば、引き続き日本への渡航を考えたいという。

「私たちが日本を離れたときは、息子は今以上に幼く、暮らしていたときの記憶もほとんどありません。それでも、日本で過ごしていた頃の写真を何度も見ていましたし、よく日本のことを話していたので、興味があるのだと思います」

まずは到着したばかりのデンマークでの生活を整えながら、今後を見据えていきたいとオレナさんは語った。

ワルシャワの日本大使館をはじめ、現場は緊急対応で手一杯の状態だろう。ただ、日本政府自体の対応の問題を、「緊急時だから仕方がない」と矮小化することもできないはずだ。2021年8月、アフガニスタンでタリバン政権が復権した際、日本政府の退避オペレーションは多くの大使館現地職員らを置き去りにし、失敗に終わった。それ以前の問題として、NGO職員らには家族の帯同ができないことが伝えられていたことに、「それは支援と呼べない」など批判が相次いでいた。

ところがその「失敗」に学んでいないことは、その後もアフガニスタンから日本に逃れてこようとする人々に対して、身元保証人の確保やパスポートの保持など、高いハードルが課されていることからも明らかだ。難民に固く門戸を閉ざす限り、緊急時での柔軟な対応は困難だろう。

「オレナさんの息子が日本国籍者だから優先すべきだった」ということを伝えたいのではない。国境を超えた対応を求められる事態の相次ぐ中、どのようなバックグラウンドの人々であっても、困難な状況から安心して逃れてくることができるよう、この国の難民受入のあり方の根幹が今、問われているのではないだろうか。

(2022.4.4/写真・インタビュー 安田菜津紀)

 


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2022.4.4

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