「開いてみたときに、夫の字だとすぐ分かりました」。6月22日、ついに「赤木ファイル」が赤木雅子さんに開示された。
「森友学園」への国有地売却を巡る公文書の改ざんを強いられ、財務省近畿財務局の上席国有財産管理官だった赤木俊夫さんは、2018年3月7日、自ら命を絶った。妻の雅子さんは、2020年3月、俊夫さんが遺した手記の公表と同時に、真相解明を目指し、国と佐川氏を提訴――その解明の要となりえるもののひとつが、このファイルだった。
直属の上司だった池田靖・統括国有財産管理官は、俊夫さんが文書の改ざんについて整理したファイルを残していたことを雅子さんに明かしていた。ところが国側は、ファイルの存否すら回答を拒んできた。
提訴から1年3ヵ月あまり。開示されたファイルは518ページにのぼり、所々、俊夫さんの文字と見られる手書きの文字が見受けられる。手元に届いたのはコピーとはいえ、雅子さんは「夫が私の元に帰ってきてくれた」と感じたという。
独立した新たな調査の必要性
「赤木ファイル」の中身は、財務省理財局と近畿財務局との間のメールのやりとりや、添付資料などが主だ。最も古いメールは2017年2月16日午後11時01分、本省のメールが転送されてきたものと思われる内容で、決済文書などについて「(民進党の福島伸享議員に)持っていくつもりはまったくなく」「仮に物を出せと言われたら、近畿に探させているけどなかなか…と引き取る(実害がなさそうなら、追って、提出)」とある。つまり、あるはずの文書を、見つかっていないかのように装うように、という内容になっていた。さらに末尾には「ことが終わったらおごりますとお伝え下さい」という生々しい記述がある。これだけ軽々しく文書の所在を誤魔化していたのだとすれば、森友学園の問題に限らず、そうした粉飾が常態化していなかったかも含めて検証する必要があるだろう。そして当時の安倍首相から「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」という答弁がなされたのが、翌2月17日のことだった。
冒頭の2ページは「本省の対応(調書等修正指示)」と題された、赤木さんが作成した「備忘記録」となっており、作業過程が細やかに整理されている。そこには「現場の問題認識として既に決裁済の調書を修正することは問題があり行うべきではないと、本省審理室担当補佐に強く抗議した」と、俊夫さんが改ざんに抵抗したことも記されている。
また、理財局職員から近畿財務局関係者に宛てたメールの中には、国会答弁を踏まえて決裁文書を“修正”するよう、佐川宣寿理財局長(当時)から「直接指示がありました」という文面が残っている。2018年に財務省がまとめた報告書では、佐川氏の関与は「改ざんの方向性を決定づけた」という抽象的な書き方に留まっていた。
やはり財務省の「内輪調査」ではなく、独立した新たな調査が必要なのだと、こうした経緯からも見て取れる。ところが麻生大臣は、ファイルが開示された22日の会見で、「財務省としては調査を尽くしている」として、再調査を行う考えがないことを改めて示した。雅子さんは言う。「ファイルには麻生さんの名前も出てきます。これは何度も伝えてきたことですが、麻生さんは再調査される側の立場であって、再調査しないと言える立場ではないはずです」。さらに、「夫が改ざんをさせられたときも、亡くなったときも、財務大臣は麻生さんでした。夫は改ざんを苦にして亡くなっています。なのに、いまだに財務大臣は変わっていない」と、責任のあり方に強く疑問を呈した。
「赤木ファイル」の原本を求めて
ファイルが開示された翌日の23日、大阪地裁で四度目の口頭弁論が開かれた。原告席は雅子さんと代理人2人、それに対し被告席には、10人以上の男性たちがずらりと並ぶ。それだけでも相当な威圧感だが、雅子さんはハッキリした声で、今の思いを陳述した。その中で、ある教会の牧師さんから教わった聖書の言葉として、「なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です」という一節に触れ、国が「なすべき正しいこと」は「夫の代わりに国民の皆さんに何があったのかすべてを明らかにすること」と語った。その間、国側の関係者たちや佐川氏の代理人はうつむき、誰ひとりとして雅子さんの方を見ようとしなかった。
雅子さんの代理人、生越照幸弁護士は法廷で、赤木ファイルの「原本」の確認を求めた。これが果たして本当にファイル全体なのか、体裁はどうだったのか……疑問は尽きない。同じく代理人の松丸弁護士が、「これは検察に任意提出したものと同一なのか」と何度問いかけても、国側は「元上司の方(池田氏)にこちらで確認している」と答えるに留まり、かみ合わないやり取りが続いた。
雅子さんは改めて、遅々として進まなかった開示についてこう語る。「“池田さんに確認しました”といいますが、それだけなら1年3か月もかからないはずですよね。“探索中”ということでこれだけ時間がかかったのは、許せないです」。
加えてファイルの中で、理財局からのメールの送り主が黒塗りになっているなど、肝要なはずの人物名がマスキングされていることも、解明を遠のかせている。理財局と近畿財務局でこれだけのメールが残っているのであれば、理財局内でも相当なやりとりがあったはずだ。「これからそのマスキングをひとつひとつとった上で、その人にどういう指示がきていたのが、もっと奥の方まで解明してもわらなければと思います」と、雅子さんは真相究明への決意を口にする。
不条理の傍を黙って通り過ぎるわけにはいかない
22日にファイル開示、23日は口頭弁論、24日は東京で会見というハードスケジュールをこなしてきた雅子さんだったが、その前に「どうしても行きたい」と、21日に日帰りで沖縄を訪れていた。遺骨の混じった土砂で辺野古の基地建設が進められようとしていることに抗議し、二度目のハンガーストライキを行っていた具志堅隆松さんに会いに行くためだった。
雅子さんは今年5月から、各地方紙を巡る旅をはじめていた。俊夫さんの身に起きてきたことが十分に伝わっていないと感じ、地方紙にも取り上げてもらう必要があるのではないかと考えていたところ、5月8日に沖縄タイムスが社説「[赤木ファイル] 全面開示し真相解明を」を掲載したことを知り、「行脚」を沖縄からスタートさせた。雅子さんにとっては初めての沖縄訪問だった。そして、タイムス紙の阿部岳記者の紹介で、具志堅さんの活動に触れた。
具志堅さんと共に遺骨収集の場に赴き、「こんな大事なことを、私も逆に知らなかった」と衝撃を受けたという。日本軍が堀った壕に入ると、足元から次々と遺骨が見つかった。壕の入口付近で拾ったのは、小さな子どものものと思われる骨や歯だった。
熾烈な地上戦が続いた沖縄では、推定で約9万4000人の住民を含む20万人以上が犠牲になったとされている。具志堅さんは沖縄の戦没者たちが、国によって「使い捨てにされた」と憤り、その尊厳を取り戻そうと活動を続けている。「夫もただ使い捨てにされてしまった、だからもう一度、助け出さなければと感じています。そういう思いで闘っているという意味では、重なるところがあると思います」と雅子さんは語る。
「不条理の傍らを黙って通り過ぎるわけにはいかない」――具志堅さんのその言葉は雅子さんの心に強く響いた。「遺骨の混じった土砂で基地を作るなんて、誰が何と言っても間違いなんです。赤木さん、あなたのこともそうなんですよ」と具志堅さんは雅子さんに語りかけたという。
屋根に米軍機ヘリのものと見られる部品が落下した、宜野湾市の緑ヶ丘保育園を訪れた際には、頭上を轟音と共に米軍機が低空飛行していく現状を目の当たりにした。落下の「原因究明」という当たり前の求めさえ、国には届いていなかった。戦争を経験し、辺野古の基地建設に反対し続けている島袋文子さんには「ヤマトに応援に行くからね!」と励みをもらった。こうして雅子さんの一度目の沖縄訪問は、かけがえのない出会いが重ねられた。
そして6月19日、具志堅さんは3月に続き二度目のハンガーストライキを決行した。雅子さんが沖縄を再訪したのは、ハンストの3日目だったが、少しの距離を歩くのも苦しい体調でも、具志堅さんは雅子さんとの再会を喜んだ。ふと雅子さんの目に留まったのは、テントの前に掲げられた看板の、「戦没者は二度殺された」という文字だった。
「夫は改ざんに苦しんで一度亡くなっていますが、その後もファイルを出すのに時間がかかったり、その中の大事な人の名前が黒塗りになったりと、いまだに見捨てられて殺されているように思っています」。人を理不尽に虐げる構造は、沖縄も、俊夫さんの身に起きてきたことも、重なるものがあるのかもしれない。
沖縄慰霊の日である6月23日にハンストを終えた具志堅さんは、雅子さんとの出会いから改めて考えたことを伝えてくれた。
「俊夫さんは国から押しつけられ、指示が正しくなくてもやらざるをえなくて苦しみましたよね。ファイルは命にかえて残したもの。雅子さんひとりで明らかにするのではなく、行政が改ざんを指示したのなら、みんなの責任として明らかにすべきだと思いますよ。それを隠そうという姿勢は不条理ですよ」
雅子さんの中で、「不条理の傍を黙って通り過ぎるわけにはいかない」という具志堅さんの言葉が印象に残っていることを伝えると、「本来は皆がそうであってほしい」と切実な思いを語った。
ファイルの「原本」の開示、マスキングの下に隠れた名前の公表、それが俊夫さんの身に起きてきたことを解明する、重要な鍵のひとつとなるはずだ。ともすると不都合を覆い隠そうとする国家権力に歯止めをかけるのは、「不条理の傍を黙って通り過ぎない」市民の姿勢なのではないだろうか。
(2021.6.28/写真・文 安田菜津紀)
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