上智大学国際教養学部教授で、美術評論家の林道郎氏からおよそ10年にわたり、セクシュアル・ハラスメントとアカデミック・ハラスメントを受けたとして、元学生の女性が2,200万円の慰謝料を求める訴訟を東京地裁に起こした。女性は学部在学中から二人きりでの「お茶」に誘われるなどし、大学院入学後に林氏から性的な行為を受けるようになったと訴えている。また学部生時代からアシスタント業務を行ってきたものの、その多くが無償だったとしている。
取材に対し林氏は、「本件については未だ係争中ですので、コメントは差し控えさせていただきます」「あくまでも裁判という場における公正な判断を待ちたい」と回答。上智大学にはすでに退職の意向を伝えているという。
「個人間のこと」とすべきケースなのか?
9月20日掲載の美術手帖の記事(※1)に、学校法人上智学院は「本件については個人間のことと認識しておりますので大学としてコメントは控えさせていただきます」とコメントしている。
上智大学の公式サイトには、セクシュアル・ハラスメントの事例として、「指導教授から研究室に呼び出されデートの誘いを受けた。いやいやながら数回つきあったが、我慢できなくなってはっきり断ったら、その後の授業では集中攻撃にあい、評価は最低だった」という事例を挙げているほか、アカデミック・ハラスメントの定義として「教員等が、職務上の地位又は権限を不当に利用し、学生や他の教員等に対して行う教育研究上の不適切な言動をさします」と掲載されている。果たして今回の女性の訴えは、ただ「個人間のこと」とすべきケースなのか。
この点について改めて大学側に問い合わせたところ、「ご指摘の点に関しては、当事者間の民事裁判でしかも係争中の段階にあります。そのため、上智大学としてコメントをするのは適切ではないという主旨で申し上げました」と回答。「9月21日に本学サイトに掲載した通り、学内規定に則り学内調査を進めている段階であり、現時点でこれ以上のコメントは致しかねます」との回答だった。
上智大学の公式サイトには、9月21日に「本学教員に関する報道について」(※2)と題し、「関係各位に多大なるご迷惑、ご心配をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます」とのコメントが掲載されている。
※1 「美術評論家連盟会長で上智大教授の林道郎、元教え子の女性がセクハラで提訴。10年にわたり関係」(2021.9.20, 美術手帖)
※2 「本学教員に関する報道について」(2021.9.21, 上智大学公式サイト)
大学の具体的な行動を求める署名
「報道の内容にも衝撃を受けましたが、それ以上に、大学の”個人間のこと”という対応が無責任だと感じました」。そう語るのは上智大学の学生団体Gender Equality for Sophia(GES)の副代表を務める、同大学外国語学部4年生の鈴木亜湖(すずき・あこ)さんだ。
報道がなされた翌日に、GESは「大学は、学生が安心して勉学や研究に取り組める環境を整備する責任がある」として、下記の事項を求めている声明文を提出した。
(1)本件に関する事実確認と上智大学の見解発表
(2)上記事実確認に基づく、大学の同教授に対する適切な処分
(3)本学におけるハラスメントの実態調査
(4)再発防止に向けた教職員研修の実施
(5)ハラスメント被害に関する学生への適切な情報提供とセーフティネットの強化
それに対する上智大学の返答は、「HPのコメントをご確認下さい」というものだった。
「私たちが声明文で求めていたのは、具体的な大学の行動であって、HPに掲載されているような“心配、迷惑”という回答ではありません。大学が果たして安全に勉学、研究に取り組める環境を心から提供しようと思っているのか疑問に思い、署名を立ち上げました」
GESは「#ハラスメントのないキャンパスを 上智大学・林道郎教授による元教え子に対するハラスメント行為への上智大学の対応に強く抗議し、同教授の適切な処分と再発防止を求めます」という署名を、9月22日からChange.orgで募ってきた。既に1万2,000筆以上が大学の内外から集まっている。
また、GESに所属する、総合グローバル学部2年生の徳田悠希(とくだ・ゆうき)さんもこう語る。「声明文を提出した時、大学側は受け取るだけで、具体的な行動が見えず、そういった対応をされたのがショックでした。権力構造としても、所属学生が大学に何かを求めることの難しさも感じました。署名であれば、大学の外からも問題意識を持っている方々が賛同できます」。
GESメンバーは、10月19日に署名を大学側に提出する。GESはその署名提出の取材やその場のライブ配信について大学側に許可を求めたが、了解を得ることはできなかった。そのやりとりについて、徳田さんはこう語る。
「大学側は“特定の教授が起こした問題であり、裁判中、調査中。それに影響を与えてしまうかもしれないことは控えたい”とのことでした。私たちは今回報道された訴えの事実関係というよりも、こうした訴えや報道に対して、大学が何をしていくのか、実際に被害に遭われて声をあげることが困難な人に寄り添うために、これからどうしていくのかという未来の話をしたいんです。“一緒に作っていきたい”、というメッセージがどうやったら大学側にも届くのかというもどかしさを感じています」
多くの人が問題意識を持つきっかけに
それでも、署名活動には手ごたえも感じていると鈴木さんは語る。「署名の良いところは、一人ひとりの声が集まって集合体となり、大きな風になることだと思います。学外の学生や社会人の方々が賛同して下さり、上智大学だけの問題ではない、という認識を多くの人と共有できていると思います」。
徳田さんは集まった署名のコメントの中で、「こんなに当たり前のことをいまだに求めなければならないのか」という声にハッとさせられたという。
「今はSNSが一般的になり、色んなサポートがあって署名が広がっていますが、過去には声をあげられずにいた人たちがたくさんいたと思います。ハラスメントは権力構造の中で起きることですが、個人間のことに矮小化されて、社会全般の問題としてとらえようとは、まだまだなり難い状況だと思います。そんな中で、被害に遭っている人に届けられる可能性のある形で連帯ができたのは、意味のあることだと身近な人から伝えてもらいました。こうして意思表示する場があれば、現状は変わっていくのではないかと思います」
鈴木さんは大学に求めている項目の中でも、とりわけ(3)~(5)が重要だと考えているという。「今回の報道でひとつ明るみになったことは、それが起きえてしまう構造が大学に存在するということです。それに対して重い責任をもってほしいと思います。報道を受けて不安に思った学生は多いと思いますし、実際にハラスメントを受けている側は、そこに権力構造があるために、それが被害だと気づけなかったり、気づいても声をあげづらかったりすると思います。大学にも相談窓口はありますが、それが不十分であるからこうしたことが起きてしまったのではないかと、改めて考えてほしい。何がハラスメントにあたるのか、その情報にしっかりアクセスできる環境を提供することが大切ではないでしょうか」。
この署名を通して訴えかけたいのは、上智大学だけの問題に留まらない。「教育機関の権力構造に着目するのであれば、今回のことは氷山の一角ではないかと思います。連帯をして、社会に訴えかけていくことによって、ハラスメントの温床になってしまっている場での現状に、少しでも歯止めをかける力になっていければと思います」。
徳田さんは、「社会の一員」としても、この署名を提出したいという意識を持っている。「署名に声を寄せてくれた一人ひとりが、ハラスメントに問題意識を持っていると思いますし、それが1万2,000筆以上集まっていることの重みを、大学側には感じてほしいと思います。そして、“上智大学が対策をしました”というだけで終わらせたくない。“これは被害なのかもしれない”と認識するのは苦しいことですが、教育機関や企業、色んなコミュニティの中で、多くの人が問題意識を持つきっかけになればと思います」。
ハラスメントは、力の不均衡がある限り、どんな場所でも起こりえる。だからこそ、現状の対策が果たして十分なのか、常に「点検」が不可欠となる。大学が今後、どのような具体策をとり、どのようなコミュニケーションをとっていくのか。一方通行の提示ではない対話を、大学の側からも積極的に行えるかどうかが、今後、他のコミュニティでのハラスメント防止を考える上でも、鍵になっていくのではないだろうか。
▶︎ 性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター一覧
▶︎ 性暴力に関するSNS相談「CureTime (キュアタイム)」
(2021.10.18/写真・文 安田菜津紀)
追記:2022年3月4日、上智大学は「教育者の姿から逸脱した行為を行った」と教授の懲戒解雇処分を発表しました。(リンク)
あわせて読みたい
■ 表現の現場で起こる性暴力・ハラスメントの問題は?社会調査支援機構チキラボの調査結果から考える[2021.5.21]
■ 【インタビュー】性被害報道、記者は何を心がけるべきなのか?「性暴力被害取材のためのガイドブック」から考える[2021.3.30/佐藤慧・安田菜津紀]
■被害者に沈黙を強いる社会のアップデートを――伊藤詩織さん意見陳述全文(9月21日 東京高裁)[2021.9.22/佐藤慧]
Dialogue for Peopleの取材や情報発信などの活動は、皆さまからのご寄付によって成り立っています。取材先の方々の「声」を伝えることを通じ、よりよい未来に向けて、共に歩むメディアを目指して。ご支援・ご協力をよろしくお願いします。