平和について「一緒に考えたい」―生まれ育った広島での記憶のかけらが原点に
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今の時代に考えていかなければいけないこと
「みなさまに戦争や歴史に関する事実を提供して、一緒に平和について考えたいと思い、この活動を始めました」
2023年7月、アユ釣り客でにぎわう那珂川が平野部を流れる栃木県那須烏山市。
同市内に住む嶋田貴子さんは月1回、平和や戦争について考えるイベントを開いている。2023年1月から毎月開催し、今では毎回参加してくれる人もいるという。取材に訪れた日の会の冒頭、嶋田さんは活動を始めた理由を参加者へ伝えた。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続く状況にも触れ、「難しいけれど、苦しいけれど、ちょっとずつでもこの時代に考えていかなければいけないと思っています」と語った。
イベントではまず、「被爆の実相」をテーマに、嶋田さんが用意した資料をスライドに投影しながら説明していく。
「どうして原子爆弾が落とされたのか。広島から言うと『落とされた』。アメリカから言うと『落とした』。果たしてそれが“絶対必要”だったのか、考えたいと思います」
「早期に戦争を終わらせたい(アメリカ兵の命を守るため)」という思惑、“無駄な”プロジェクトに税金を費やしたのではないかとの国内批判をかわし、戦後の軍事計画の支持を得るもくろみ、冷戦初期の政治状況、真珠湾攻撃や日本軍による残虐行為への復讐心、研究開発したものを使用したいという「科学の誘惑」……。原爆が使われた論拠をさまざまな側面から丁寧に説明する。
加えて、原爆を「落とした」側である米軍関係者の苦悩の一端にも触れた。
1945年8月6日早朝。ある米軍パイロットが広島市上空を旋回し、天候を確認。雲がないことを報告した。そして午前8時15分、人類史上初めての原爆が広島に投下された。
「この『雲なし打電』をしたパイロット、イーザリーさんという方は、自身が(原爆投下に)関与したこと、その事実の重さを生涯悔やんだそうです。『原爆の被害に遭った人たちに追いかけられている』と繰り返し口にするなど、精神の疾患を発症されました」
イベントでは毎回「被爆の実相」に加え、月ごとにもうひとつテーマを設定する。この日は「日米安全保障条約」を取り上げた。
「そもそも条約とは何か」を入り口に、1951年に成立した旧条約「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」と1960年に改定された新条約「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」の前文や条項を比較する。
「新条約では『相互協力』という言葉が入りました。そこが目玉です」
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(外務省)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/jyoyaku.html
1945年8月のポツダム宣言受諾から日本の降伏、1951年の対日講和条約の調印、1950年の朝鮮戦争勃発と、1953年の同戦争の休戦、1954年のビキニ環礁での水爆実験など時代背景を踏まえながら、条約がなぜ作られ、改定されたのか、そして、今を生きる私たちに条約はどのような影響を与えているのかなどについて、解説していく。
「条約だからわかりにくい。自分からは遠い問題。日本の防衛に関わることだから、もっとよくわからない。だから、普段あまり考えない。その辺りの問題点を今日は拾っていきましょう」
日常の景色の中で「平和」を考える
嶋田さんは1961年に広島市で生まれた。父親は12歳で被爆、母親は5歳で原爆投下翌日の広島市に入り被爆したという。
結婚やパートナーの正さんの転勤などで住まいを移し、1998年から栃木県で暮らしている。
毎年夏は戦争に関する報道が増えるが、「シーズンイベントだけで終わってしまっているのではないか……」と一抹の寂しさのようなものを感じるようになった。だが一方で、例えば沖縄戦や、米軍基地の問題など、自分が知ろうとしてこなかったことがたくさんあると気づいた。自分にできることを考え、2018年から被爆者の体験を伝承する広島市の事業に参加したり、2022年には栃木県内の被爆者に体験を語ってもらうイベントを開いたりと、平和に関する活動を続けてきた。
そして、2022年12月。那須烏山市内の観光施設「ふるさと民芸資料館」にある会議室を訪れた時、大きな窓から市内の名所「龍門の滝」が見える景色を目にし、ひらめいた。
「この“日常の風景”の中で活動をやったらどうだろう」
戦争や平和は日常生活の根底にある話だが、どこか遠いテーマに感じられ、実感が湧きにくい――。「栃木では、原爆のことや沖縄戦のことをよく知らない人も多い。宇都宮市で空襲があったことも知らない人がいる」。そう感じるからこそ、市民にとって身近なこの滝が見える空間で、イベントを開きたいと思ったという。
すぐに会場を申し込み、毎月イベントを開くことを決めた。
「プラスONE」に込めた3つの意味――パートナーや参加者の存在、そして……
イベントは「被ばく2世の会ひとり事務局プラスONE」として嶋田さんが主催している。この「プラスONE」という言葉には3つの意味が込められているという。
1つ目は、パートナーの正さんの存在。嶋田さんの考えや活動を深く理解し、イベント準備や当日の運営なども手伝ってくれている。
2つ目は、イベントに参加してくれる方一人ひとりの存在。参加者と交流し「問題を一緒に共有して考えていきたい」という想いを込めた。
そして3つ目は、イベントで取り上げる毎月のテーマを「被爆の実相」と、もうひとつ設定していること。「被爆の実相だけだと、例えばきのこ雲の写真などを見てそれで終わってしまうのではないか…。それだとその先に繋がりにくいと思うんです」。テーマを「プラスONE」することで、点から線へ、そして過去から現在につながる問題として平和や戦争について捉えてもらおうと考えた。
活動の原点にある、青年期までを過ごした広島での記憶
嶋田さんの本業は司法書士で、プロボノ(専門職が行うボランティアの一種。職業上のスキルなどを生かして取り組む社会貢献活動のこと)も行うなど、慌ただしい毎日を送っている。忙しい中でも時間や労力をかけて平和に関する活動を続けるのはどうしてか――。そこには、生まれ育った広島での記憶があった。
嶋田さんが10代の頃、1960、70年代、地元・広島の学校では実際に被爆した教師が教壇に立っていた。音楽の授業では、教師が東京大空襲に関する歌を子どもに歌わせていたことも、おぼろげながら覚えているという。
「今考えると、熱量がきっと違うと思うんですよね。その熱のようなものが(私の)体の中に入って『戦争はしてはいけないものだ』『招かれてはいけないものだ』と強く印象付けられているのかもしれません。それは『平和教育』そのものではなく、先生たちの個人的なメッセージだった気がします。それが体の中に理屈ではなく染み付いて、それが今ぼんやりとでも具現化しているんだと思います」
また、2018年、嶋田さんが活動を始めた頃、ある出会いがあった。広島市の被爆者の体験を伝承する事業の中で、在日コリアン2世で被爆者の李鐘根さんの体験談を聞いた。
日本で生まれた李さんは朝鮮人であることで幼少期から差別を経験してきたという。朝鮮人であることを隠して仕事に就いた李さんは、1945年8月6日、通勤途中に被爆し、顔などに火傷を負った。
「李さんの体験談の中には“加害の歴史”がありました」。嶋田さんはそう力を込める。「日本あるいは日本国民による加害の歴史です。人間の尊厳を奪う侮辱的な行為を当時の日本人がしていたんですよね。そのお話抜きには私はこの(平和に関する)活動はできないと思いました」
李さんは2022年7月30日、93歳で亡くなった。
「『相手を傷つけるようなこと、いじめは絶対にしちゃいけない』。それを一番伝えてほしいとおっしゃっていました。それから、被爆された後、近所のおばあさんがくださった油を身体に塗ったことで治癒ならぬ快方に向かった、と。『それがあって今の自分があるんだ』ということをおっしゃっていました。やはり人間の優しさとか、救い。それも強く伝えてほしいとおっしゃっていました」
毎月のイベントでは、李さんのことも参加者に伝えている。
「我が事」として捉える
イベント会場の会議室には、すぐそばにある「龍門の滝」のごうごうと流れる音が聞こえてくる。
嶋田さんは、スクリーンに日米安保条約(新条約)の第五条、そして第六条の文面を映しだし、解説を続ける。「第五条、これは日本防衛のための条項と言われています。第六条は米軍基地の根拠条文ですね」。
条文中にある「施政の下にある領域」「極東」など、わかりづらいと感じる言葉には噛み砕いて説明を加える。条約の評価については、肯定的なものと否定的なもの両方の意見を紹介する。「戦後85年間日本が戦争をしなくて済んだのは、この条約があったから」という肯定的な意見に対しては「ベトナム戦争も朝鮮戦争も日本ありきだと言われています」と付け加えた。否定的な意見としては「アメリカ追従外交に終始することになり、アジアとの密な関係を築けなかった」「在日米軍は日本防衛には充てられていない」などをあげた。
1982年、当時のアメリカ国防長官が「沖縄の海兵隊は日本の防衛には充てられていない」とした見解にも触れ、話題は米軍基地が沖縄に集中する現状へと移っていった。
「日本の国土面積の0.6%が沖縄。そこに米軍専用施設の7割が集中している。これを私たちは、安全保障上の話も含めて我が事として捉えなければならないと思います」
そしてイベントの終盤、参加者たちへこう語りかけた。
「果たして日米同盟って何だろう。主義主張の対立は一体どうなっているんだろう。そして、憲法との関係は? いろいろな次元の違う問題が複合的にあります。日本あるいは世界を少しでも、少しでも平和な方向に向けて、みなさんや子どもたちと、お話を共有して考えていければと思っています」
過去を知り、未来に生かす
参加者たちは嶋田さんの話に時折うなずきながら、熱心に耳を傾けた。イベント終了後、60代の女性は「一個人だけれど、これからを少しでもいい方向に向けていかないといけない、過去を知って未来に生かしていかないといけないと感じました。やってはいけないことを繰り返すのは怖い。人間として悲しいことですよね」と、過去から学ぶことの大切さをあらためて実感していた。
自分の意見や主張を押し付けるのではなく、あくまで自分は平和や戦争に関係する“事実”を調べて、皆さんに提供する。そして、一緒に考える――。嶋田さんはそのスタンスを大切にしている。「ただ今は、スマホを見れば大抵のことは調べられて、わかる時代。それに何を肉付けしていけるか」。試行錯誤しながら、毎月のイベントを積み重ねている。
「憲法改正」「広島市の平和教材からの『はだしのゲン』削除問題」「平和記念公園(広島市)とパールハーバー国立記念公園(アメリカ)の姉妹協定」…。次回以降のテーマもすでに決まっている。テーマについて自ら勉強し、発表内容をまとめる毎回の準備は「大変」と言うが、嶋田さんの表情には充実感がにじむ。「ただ自分がやりたくてやっているから」と口調は軽やかだ。
「ぐっと歯を食いしばってという感じではなく、肩の力を抜いて、押し付けにならないようにというのは自分の中にあります。やはり、みなさんが自然発露的に考えていくべき問題なんでしょうね」
月1回、地域の人々にとって身近に感じられる場所に嶋田さんが用意するこの空間。人々が集い、「我が事」として平和について考える輪が少しずつ、だが着実に広がっている。
(2023.8.12 / 写真 佐藤慧、文 田中えり)
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