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君とまた、あの場所へ ―シリア難民の子どもたち

001:カシオン山から、首都ダマスカスを見下ろす度に、息をのんだ。週末になると人々が集う、憩いの場所のひとつだった。
002:何度も滞在していた街、ジャラマナ。「お帰りなさい!」と、いつもの顔ぶれが出迎えてくれた。
003:旧市街地、ハミディア市場。砂糖の甘い香りと共に、チャーイ売りたちが出迎えてくれる。
004:にぎやかなハミディア市場を抜けると突き当たる、静かな広場。世界最古といわれるウマイヤド・モスクの前にはいつも、穏やかな時間が流れていた。
005:夜に訪れたカシオン山。茶褐色の風景が、一面に広がる宝石の絨毯へと変わる。
006:ヨルダン北部に位置する国内最大のザータリ難民キャンプ。6万人を想定して作られた場所で、今は8万人以上の人々が避難生活を送っている。
007:ファティマさん一家は、10人でひとつのテントに暮らしている。食事は全て、国連の配るクーポンと引き換えになる。「最低限のもの以外、買えないの。日常の楽しみには殆ど何も費やせないんです」。
008:ブシュラちゃん、13歳。限られた食材で、夕食の支度をする。「料理は姉さんの方が上手よ。まだシリアに残っているの。姉さんと離れているのが一番、寂しい」。
009:子どもたちの身に着けているものに、シリア前政権の三ツ星の国旗が目立つ。今のアサド政権で使われているのは二つ星。日常に忍ぶ、静かな抵抗の意思だった。
010:砂漠の真ん中のキャンプで、命をつなぐはずの水タンク。水が僅かしか出てこない。人口が膨れ上がるほどに、インフラが追いつかない、その綻びが目立つ。
011:キャンプの中に、“シャンゼリゼ通り”と呼ばれる通りがある。一部の人々がテントやマットを、監視の目を盗んで外に売りに行く。ここで得た資金を元手に商売を始める。そうした積み重ねがこの商店通りを築いてきた。
012:ここでは子どもたちも労働力だ。荷物運びをする13歳の少年。「稼ぎ?この暑い中、キャンプの隅まで運んだって、1JD(約130円)にもならないよ」。
013:「この音を聴いているときだけ、穏やかに故郷を思い出せるんだ」。シリアでは音楽教師だったオマルさん。ウードと呼ばれる伝統楽器を、いつも息子に奏でて聴かせる。
014:キャンプ内には3つの学校がある。教室の数は足りず、午前中は女の子だけが学ぶ。
015:電気の通らない教室の中で、音楽の授業の教壇に立つニダさん。彼女自身もここで暮らす難民の一人、このとき臨月を迎えていた。子どもたちと故郷の歌を力強く歌いあげる。
016:「出産前は不安で泣いてばかりでした。いつかこの子に故郷を見せてあげるの」。無事生まれた息子バーシルくんは1歳になっていた。「この子は故郷も知らないけれど、戦争も知らない。それが一つの救いです」。
017:学校から帰ったメイサちゃん、12歳。「お部屋はテントひとつ、昼間は暑くてたまらないの」。勉強に集中出来ず、上の兄、姉は学校をやめてしまったという。
018:ダーリアちゃん、13歳。キャンプで生活して2年半。寄せ集めたプレハブで、両親含め7人が暮らす。兄夫婦の子どもの世話が、彼女の日課だ。
019:「もう一人の兄さんは軍隊で働いていたの。亡くなったわ、戦闘で。持ち出せた写真は、これだけ」。
020:砂埃に覆われる夕刻。「電柱が立ち並び、テントではなくプレハブが増えた。でもそれは、ちっとも嬉しいことではないんです。まるでずっと、ここにいなさいと言われている気がして」と難民の一人。
021:アブドゥラくん、5歳。何度その名前を呼びかけても、空の一点を見つめたままだった。彼が亡くなったのはその2週間後だった。
022:両親と離れ離れとなり、一人で入院生活を送るアミナちゃん、9歳。一家が国境に逃れてきたとき、ヨルダンへの入国が許されたのは、怪我をしているアミナちゃんだけだった。
023:最初は黒いグローブをつけているのだと思っていた。すぐにそれは、ススに覆われた彼の素手だと気づいた。仕事から帰ってきたマーズルさん。「工場勤務はもちろん不法だ。見つかればすぐにシリアに帰される。その恐怖と毎日隣り合わせだ」。※当時はヨルダン国内で難民が就労することは認められていなかった。2016年に労働許可基準が緩和された。
024:アーユくん、6歳。母親と兄たちと、アンマン郊外のアパートに身を寄せる。父親は戦闘に巻き込まれ、行方不明となったままだ。
025:アーユくんの一家の支え手は、11歳の兄、ムハンマドくんだった。「パンを拾って、家畜の餌として売るんだ。僕だけじゃないよ。時々、同じようにゴミを拾っている男の子を見かけるんだ」。
026:ハンムーデくん、6歳。小さなアパートの一角に、母と兄、姉あわせて7人が暮す。「ここに来るまでね、ずっとずっと歩いたの」。一家は一ヵ月かけて、徒歩でヨルダンまでたどり着いた。
027:夏の遊び時間は、太陽が容赦なく照りつける日が落ちてから。夕飯後に外へと駆けだすハンムーデくんと兄姉たち。
028:「どうして家族全員、吹き飛ばしてくれなかったんだろう?」。アンマンの療養施設で暮らすバーシルさん。妻と3人の子どもたちは、彼の目の前で戦車の砲撃に巻き込まれた。
029:唯一生き残ったバーシルさんの娘、ジュアーナちゃんは、ザータリ難民キャンプで暮らしていた。「お父さんとは時々、電話でお話出来るんだ」と、かすかに笑う。
030:「ここでの生活に耐えられずに帰っていく仲間もいた。それでも残るのはなぜか?ジュアーナが傷つくところなんて想像もできなかったからさ」。バーシルさん親子の、束の間の再会。
031:都市部に散っている人々をつなげようと、NPO法人国境なき子どもたち(KnK)ではホストコミュニティの学校での補習授業の支援に乗り出した。最初の授業日はアイスブレークのゲーム。現地スタッフ、松永晴子さんと。
032:最初は恐る恐る交わり始めたヨルダンとシリアの子どもたち。体を動かしながら、少しずつ壁を解かしていく。

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