5月17日、ワルシャワからバスに乗ること15時間半。車窓から、白み始めた早朝の空の下に浮かび上がる街に目をやると、ウクライナ首都キーウへと続く道のわきにも、破壊の爪痕を色濃く残す建物が所々に目につく。街中は一見すると平穏を取り戻しているように見えるが、いたるところに土嚢が詰まれ、バリケードが残り、「戦時下」を思わせる光景も目立つ。毎日のように空襲警報が鳴り響き、スマホに入れていた“空襲警報アプリ”も避難を呼びかけるが、「もうこの日常にも慣れてしまった」と、人々は特にシェルターに向かう素振りもなく往来を続ける。そんな街中の様子を、写真と共にお伝えする。(写真はいずれも2022年5月17日、19日に撮影)
街を歩いていると、ロシア語とウクライナ語、そのどちらも人々の間で飛び交い、「ロシア語話者=親ロシア派/ロシア系住民」という単純化した図式があてはめられないことを実感する。
私たちと取材を共にしてくれたキーウ在住の女性は、「自分がロシア語を話しているのか、ウクライナ語を話しているのか、特に意識せず、自然にしゃべっている」という。元々彼女は東部ドンバス地方出身であり、2014年に、ロシアが後ろ盾となっている分離派とウクライナ軍との間で戦闘が始まってから、キーウで暮らすようになったという。ただ、「ドンバス出身」と周囲に伝えると、「親ロシア派なのか」と度々身構えられた経験があると、彼女は複雑な思いを語ってくれた。
また、市内や国内から逃げることを選んだ人、留まることを決断した人、この軍事侵攻に対してどのようなリアクションをしたのかによって、今後日常を取り戻していく中で、人々の意識の分断につながらないかと懸念する声にも触れた。目に見える戦禍が収まれば、戦争のすべてが終わるわけではない。だからこそ今後も継続して、街や人々の息吹を伝えていきたい。
(2022.5.27/写真・文 安田菜津紀)
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