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東ティモール現地取材―加害の歴史に向き合うために

2024年6月10日
東ティモール・エルメラ県、山間の道は雨季のピークが過ぎた後も、ぬかるみや土砂崩れに見舞われ、車での通行が困難な場所はバイクや徒歩で移動し、目的地を目指しました。イネス・デ・ジェススさんが、東ティモールを占領していた日本軍の「慰安所」に連れていかれたのは12、3歳頃だったといいます。

自宅で取材に応じてくれたイネスさん

昼は道路工事などの重労働に駆り出され、夜になると「シャワーを浴びてこい」と命じられ、性暴力の被害を受けたのです。息子さんにも先立たれ、今の望みは、家を建て直し、自分が亡くなった後も、イネスさんが生き、語ってきたことの「証」が残ることだといいます。

霧深い村の中のイネスさんの自宅

2024年6月4日
D4P新規プロジェクト 「加害の歴史に向き合うために」の取材で、東ティモールに来ています。岩手県ほどの面積の小さな国ですが、2002年に独立するまでの過程で、インドネシア軍の侵攻により、約20万人(人口の約3分の1)が犠牲になったともいわれています。(その間、日本政府はインドネシアに「援助」を続けました。)

1991年11月、首都ディリでデモ行進していた市民にインドネシア軍が発砲し、多数の死傷者を出した「サンタクルス事件」。このデモに参加していたゼキトさんが、東ティモール抵抗運動博物館で上映されている事件の映像を前に、当時の体験を語ってくれた

この島を襲った残虐行為はそれだけに留まりません。太平洋戦争中、日本軍が3年半この地を占領し、過酷な労働や飢餓で多くの命が奪われたとされています。詳細な取材報告はまた追って。

首都ディリ郊外の山中、日本軍の壕跡地

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