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イラク北部クルド自治区現地取材中―続く困難な日々、毒ガス兵器の影響は今も

ロクマンさん(右)と被害者の方々の元を訪れた。ハディザ・アミンさん(左)は26歳で被害に遭い、今も酸素吸入を続けなければ日々を営めない。(佐藤慧撮影)

イラク、バグダッドから北東約260キロ、北部のクルド自治区の中でも東端に位置するハラブジャの街――。雪に染まる山脈を越えたらもうそこはイランだ。ハラブジャは1980年から続いたイラン・イラク戦争の最前線として、フセイン政権下のイラク軍に化学兵器を投下された。1988年3月16日、空から落ちてくる大きな鉄の塊は、のどかな街を地獄へと変えた。亡くなった住人たちの数は当時の街の人口の1割を超える、約5千人に及ぶとされている。

化学兵器の被害は今も続いている。当時のイラク軍の化学兵器製造に関係した欧州企業の責任追及や、今も投薬の必要な方々の支援などを行っているNGO Harabja Victims Society代表のロクマン・ムハンマドさんと、被害者の方々を訪問した。彼自身、当時20歳で毒ガス被害に遭い、九死に一生を得た。今も後遺症に苦しんでいる。被害は毒ガスによるものに留まらない。化学兵器の詰まった爆弾の破片により四肢を失った人や、「周囲に感染する」という謂れのない差別に苦しんでいる人もいる。

戦争・虐殺の被害は何十年にも渡り人々に、社会に影を落とし続ける。「新たな悲劇が起こる度に、過去の悲劇は忘却されていく」、そんな言葉を被害者の方に聞いた。詳細はまた帰国後に報告します。

ハラブジャ市内の平和博物館に展示されている当時のイラク軍の兵器。(佐藤慧撮影)

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