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イスラエル兵の目に、パレスチナの人々は「人間」として映らない―止めどない暴力に閉じ込められたガザ地区から(Aysarさん寄稿)

徹底的な殺戮――民族浄化が続いている。

2025年3月18日、イスラエル軍はガザ地区での「停戦」以降、最大規模の空爆をガザ地区全域で行った。

今この瞬間にも、いつ爆弾が降り注ぐかわからない空の下で生活し、人々の声を丹念に取材して歩くD4P現地取材パートナーのAysar(アイサール)さんに、本記事を寄稿して頂いた。

ガザ市街地の中心にある避難民のテント群。(Aysarさん撮影)



パレスチナの人々は「人間」として映らない

「停戦」下の静謐なラマダンの夜、200万のガザの人々は、突如再開された戦火に深い衝撃を受けました。無数の爆弾がガザ全土に襲いかかり、悪夢が再び人々を捉えたのです。

イスラエルは、和平交渉を優位に進めるため、深夜の空爆という手段を選びました。その犠牲となった400人以上のパレスチナ人の多くは、幼い子どもたちと、その母親たちでした。

人々は、静かに眠りについていたり、断食前のスフール(早朝の食事)の準備をしていたり、あるいは、ささやかな楽しみを分かち合っていたり、勉学に励んでいたり、祈りを捧げていたりと、ごく普通の人々が、ごく普通に生活を送っていたのです。

しかしイスラエルの兵士たちの目に、パレスチナの人々は「人間」として映ることはありませんでした。だからこそ、彼らは躊躇なく、いつでも、誰であろうと、命を奪うことができるのです。

束の間の「停戦」期間中、ガザの人々は、わずかな希望を抱き始めていました。イスラエルは、その小さな希望さえも、無慈悲に打ち砕いてしまったのです。

さらにイスラエル軍は、国境付近において「標的を絞った地上活動」と称する作戦を開始しました。

パレスチナ議会の近くに避難してきた人々のテント。(Aysarさん撮影)



この苦しみを想像してみてほしい

ベイト・ハヌーン(Beit Hanoun)の人々は、破壊された家々や瓦礫の山となった通りを、懸命に片付けながら、辛うじて生活を維持しようとしています。しかし、破壊し尽くされた場所で再び生活を築くことは、想像を絶する困難を伴います。

ましてや、そのわずかな希望さえも、再び奪われ、避難を余儀なくされるとしたら、それは、筆舌に尽くしがたい苦しみです。

オム・フサムさんは、7人の子どもたちと、7人の孫を持つ母親です。雨の降る日、軍は地域住民に「避難を指示するビラ」を投下しました。

「どうすればいいのか、どこへ行けばいいのか、全く見当もつきませんでした。避難のための費用も、到底用意できなかったのです」

オム・フサムさんの家族は、親戚一同と共にトラックで学校へ向かいましたが、そこは既に人で溢れかえっていました。彼女たちは仕方なく、破壊されたパレスチナ議会の近くで一夜を明かすことになりました。そして翌日、テントを張るために、何時間もかけてその場所の瓦礫を撤去するなど、整えなければなりませんでした。必要なものを全て持ち出すことはできず、今となっては、家に戻ることはあまりにも危険です。

私が「世界に伝えたいことは何か」と尋ねると、オム・フサムさんは、こう答えました。

「どうか、世界の人々に、ガザのパレスチナ人が味わっている苦しみを、想像してみてほしいのです。ほとんどの生活必需品もなく、いつ命を奪われるか、愛する人を失うかという恐怖に怯えながら、私たちは、もうすぐ2年もの間、このような生活を送っているのです」

ガザ市中心部にある避難先のテント前に座っているオム・フサムさんと2人の孫。(Aysarさん撮影)

私は、ガザ市の住宅街の真ん中に作られた、避難民キャンプを歩きました。そこには人々の深い悲しみが、痛いほどにあふれていました。

ナビールさんという男性は、30人の親戚と共にベイト・ハヌーンから避難し、9つのテントに分かれて生活していました。

「状況は本当に厳しいです。赤ん坊たちのための、食料とミルクを手に入れるのがやっとです。こうした困難な状況が改善されるきざしは、全くありません」

そう語るナビールさんは、エジプト大統領にもメッセージを伝えたいと言います。

「ガザに最も近いアラブ諸国の大統領として、イスラエルによる攻撃を終わらせ、ガザに食料と人道支援をもたらすために、より一層の努力をしてほしい」

ナビールさんと家族。(Aysarさん撮影)



止めどない暴力に閉じ込められた人々

再び始まった空爆の轟音は、ガザの不安定な生活を、さらなる地獄へと変えました。

オム・フサムさんとナビールさんの個人的な物語の背後には、凍てつくような現実が広がっています。「停戦」が崩壊してから数日のうちに、多数の命が失われ、その多くが子どもと女性でした。既に膨大な数となっている犠牲者に、さらなる死者が上乗せされたのです。

数万の人々が、再び避難を余儀なくされ、過密状態の避難所や、間に合わせのテント街に身を寄せています。そこでは食料や清潔な水といった、最低限の生活必需品さえも、手に入れることが困難な状況です。

援助機関からの報告によると、特に子どもたちの間で栄養失調が急増しており、医療物資も深刻に不足しています。負傷者や病人は、適切な治療を受けることができません。

再開された破壊行為は、残されたわずかなインフラも麻痺させ、停電が頻発し、生活に必要なサービスは崩壊しています。

これらの数字は、単なる統計ではありません。止めどない暴力に閉じ込められた人々の、打ち砕かれた生活を表しているのです。そして、この状況は、永続的な解決策が、いかに緊急に必要とされているかを、痛切に物語っています。

(文 Aysar/翻訳・編集 佐藤慧)
※Aysarさんによる原文の寄稿は2025年3月24日。



Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト / ライター佐藤慧Kei Sato

1982年岩手県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の代表。世界を変えるのはシステムではなく人間の精神的な成長であると信じ、紛争、貧困の問題、人間の思想とその可能性を追う。言葉と写真を駆使し、国籍−人種−宗教を超えて、人と人との心の繋がりを探求する。アフリカや中東、東ティモールなどを取材。東日本大震災以降、継続的に被災地の取材も行っている。著書に『しあわせの牛乳』(ポプラ社)、同書で第2回児童文芸ノンフィクション文学賞、『10分後に自分の世界が広がる手紙』〔全3巻〕(東洋館出版社)で第8回児童ペン賞ノンフィクション賞など受賞。

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