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ナクバとパレスチナ―国際規範に反する虐殺を止めるために(鈴木啓之さんインタビュー・後編)

現在進行形で違法な土地の収奪や排除が進むシルワン、ブスタン地区の、破壊されたコミュニティセンター。(佐藤慧撮影:東エルサレム/2024)

1948年のイスラエル建国と前後して、パレスチナの人々の生活が破壊されたことを指す「ナクバ」。東京大学中東地域研究センター特任准教授、鈴木啓之さんへのインタビュー記事の後編では、イスラエルでナクバはどう記憶されてきたのか、そして「第二のナクバ」とされるガザ地区の現状について考えていきます。(【前編】はこちら

イスラエルにおけるナクバの記憶

――イスラエル側では、ナクバについて現状どのように伝えられているのでしょうか?

伝えられていない、あるいは意図的に語ろうとしていないと言えます。政府・国家としては、ナクバという言葉すら語られないようにしようとする動きが、特にこの10年から15年ほど非常に強くなっています。

イスラエルにとって(「ナクバの日」の前日の)5月14日は建国記念日、独立記念日であり、輝かしい日として記憶されています。その建国に関連して難民が出たこと、ましてや民族浄化のような形で人々を追い出したこと、虐殺があったことなどは語られてきませんでした。

しかし、語ろうとする努力も一方では行われていました。ところが2011年、イスラエル国内で通称ナクバ法と呼ばれる法律が制定されました。これは、ナクバについて扱う活動をした公的機関、特に学校への補助金をカットするという内容です。トランプ政権がいまアメリカの大学に対して行っていることと似たようなことが、15年ほど前にイスラエルで始まっていたと言えます。公の場でナクバについて語ることは悪いことだ、語った者にはペナルティーが科せられるという形で、公的な空間からナクバの語りが消されていきました。

もちろん、イスラエル人の中にも、ナクバやパレスチナ人の悲劇を扱おうとした研究者は多くいました。イスラエルには、30年経つと公文書を公開するという規定があり、1948年の記録は1978年頃から公開され始めました。これを使って、シムハ・フラパン、ベニー・モリス、イラン・パペ、アヴィ・シュライムといった研究者たちが、建国当時の歴史を掘り起こしました。彼らはかつて自分たちが学校で教わった歴史とは異なる事実を発見していきました。

たとえばイラン・パペは、パレスチナ人は自主的に避難したと言われてきましたが、そんなことはなく、シオニストの軍隊が計画的にパレスチナ人を追い出したと主張しました。パペはその後、イスラエルの大学にいられなくなり、現在はイギリスにいます。

アヴィ・シュライムは、第一次中東戦争は兵力で劣るイスラエルの奇跡的な勝利だったという建国神話に対し、実際には兵力差はそれほどなく、アラブ側の総司令官を務めていたヨルダン国王がシオニスト指導部と裏取引をしていたことを明らかにしました。シュライムも現在イギリスにいます。

学術的な取り組みがある一方で、社会にはそれを許さない反発があり、そうした反発を利用して圧力をかける動きがあると感じています。

――イスラエル国内だけでなく、たとえばドイツでも、アラブ系住民が多い地区の公立学校で、ナクバを否定する小冊子が配布されていたという話を聞きました。そこには、ナクバは国連が定義するようなものではなく、アラブ人がイスラエルに戦争を仕掛けて負けただけだと書かれていました。イスラエルとの関係を重視している国々での動きで気になるものはありますか。

ドイツはホロコーストの歴史から、イスラエル批判を反ユダヤ主義と結びつけて、言論封殺と言ってしまっていいほどの傾向が非常に強いと思います。アメリカも同様で、トランプ大統領はハーバード大学やコロンビア大学への補助金削減の理由の一つとして、学術界における反ユダヤ主義の広まりを挙げています。

日本国内の日本学術会議をめぐる議論でもそうですが、「あの組織は偏っている」という言葉が政権にとって都合よく使われ、資金を使って言うことを聞かせようとする動きが見られます。

止められない「第二のナクバ」

――ナクバをなかったことにする動きがある中で、不条理は継続しており、特にガザで起こっていることは、「第二のナクバ」という言葉も使われるほどです。今のガザでの虐殺が止められない現状を、どのようにご覧になってきましたか?

もはや、イスラエルとパレスチナという対等な両者がいて、その間で話をつければ事態が終わるという幻想は完全に打ち砕かれたという状態だと思います。元々それは幻想だったのかもしれません。

圧倒的な強者としての国軍を持つイスラエルと、国を持たないパレスチナの人々。この力のアンバランスさの中では、当然弱きものをなんとかサポートしなければならないと思いますが、和平交渉を仲介してきたアメリカは、完全にイスラエルとの同盟関係を重視し、強い者にさらに強い者が肩入れするという状況が続いてきました。誰も止める役がいない。これまでも止められてこなかったし、今も止められていません。

イスラエルは、ガザ地区での戦闘を自らの意志によって継続しているのだと思います。パレスチナの人々が「第二のナクバ」と言うのは、現在の状況の酷さを非常に象徴していると感じます。ナクバは、これまで100年近く続いてきた不条理な状況を指す言葉でしたが、今はそれとはまた別の、もっと次元の違う酷い不条理が襲ってきたという、それくらいの強い意味合いがあるのではないでしょうか。

全ての指標が本当に史上最悪です。2023年10月の時点で最悪でしたが、その最悪が更新され続けているという筆舌に尽くしがたい状態が続いています。今この瞬間も、2ヵ月近く食糧が完全に閉ざされ、飢えや渇きによって命を失おうとしている人々がいます。

それほどの危機感を持たなければならないのに、様々なニュースの中で、ガザのことがどうしても優先順位が下がり、注目も薄れてきています。しかし、この瞬間に亡くなろうとしている人にとっては、それは全く合理的ではなく、受け入れがたいことです。

「なぜ世界は自分たちのことを見てくれないのか?」「なぜ世界は自分たちを見捨てていくのか?」という絶望が、ガザという本当に小さな地域で渦巻いています。しかもその声が、聞かれないままになっている。この深刻さは、まさにナクバの日の前後に思い起こすべきことだと個人的には思っています。

「これはアパルトヘイトだ」という、イスラエルの占拠に抵抗する掲示。(佐藤慧撮影:ヘブロン/2018)

イスラエルはガザをどうしようとしているのか

――今後、イスラエルはガザをどうしようとしているのか、漏れ聞こえる声を総合すると非常に恐ろしい事態が予想されてしまいますが、どのようにご覧になっていますか?

非常に悲観的な予測になってしまうところですけれども、イスラエル国家としては、ガザの土地には関心がありますが、そこに暮らしている人々に関心があるとは到底言えない状態です。

イスラエル軍は今、ガザ地区の真ん中に南北に貫く通行路を作り、さらに南にもう一つ作っています。これは明らかに、一部地域をイスラエルが直接的に管理するため、あるいはすぐに直接管理に移行できるようなインフラを構築している状態です。

ガザ地区を管理していくのでしょう。最悪の場合、ガザ再占領、ガザ地区をイスラエルがすべて自らのものにするということもありえます。

その時、そこに暮らしてきた人々をイスラエルが受け入れる状態にはならないだろうと思います。良くても、そこに暮らす人々は占領下に暮らす外国人として権利も保障されず、社会保障も与えられないということになるでしょう。最悪の場合は追い出す、あるいは命が尽きていくのをじりじりと待つ、それくらいの非常に深刻なことがこの先に見えているような気がします。

2023年10月のことを思い出しますと、戦争が起きた瞬間には、日本国内でガザに関して非常に熱心な注目が集まりました。それは私自身としても初めて見る光景で、大変心強かったものでした。ガザというものが日常の中に入ってきたり、一部の人にとっては人生の中に入ってくるような、そんな出来事でした。しかし、その関心が引いていくような恐ろしさをいま感じています。

しかし、状況は何一つ良くなっておらず、むしろ悪化していると言えます。イスラエルが何をしようとしているのか、それを監視する目が少なくなってきている。むしろ今、監視しなければいけない状態だと思うのですが、それを見る目が少なくなってきている。これもやはり不安に思うところです。

――暴力を振りかざす側にとっては、世界からの目が遠のくというのは非常に都合が良いことですよね。だからこそ、国際社会からどういう応答をし続けるのかということが問われてくるわけですが、非常に難しい状態が続いています。私たち一人ひとりが、今この局面でも改めてするべきこと、できることというのはどんなことでしょうか?

現在のガザ地区での戦闘を含めて、パレスチナ問題、またそれ以外の国際的な紛争すべてでもそうかもしれませんが、国際規範というものが世界にはあります。

今明確に、イスラエルは国際規範に違反をしています。そうなれば、イスラエルを止めるために、あらゆる手段を講じる。これが地球市民として、国際社会の一員としての役割ではないかと思います。それができない間、パレスチナの人々へのNGOを通した寄付などでも結構かもしれません。しかし、最終的にはやはり今のこの虐殺を止めるという、そのための方策をもがき続ける、これが必要なことなのかなと思います。

※本記事は2025年5月14日に配信したRadio Dialogue「ナクバとパレスチナ」を元に編集したものです。

(2025.6.9 / 聞き手 安田菜津紀、 編集 伏見和子)

【プロフィール】
鈴木啓之(すずき ひろゆき)

博士(学術)。日本学術振興会特別研究員PD(日本女子大学)、同海外特別研究員(ヘブライ大学ハリー・S・トルーマン平和研究所)を経て、2019年9月より東京大学中東地域研究センター特任准教授。著書に『蜂起〈インティファーダ〉:占領下のパレスチナ1967–1993』(東京大学出版会、2020年)、共編・編著に『パレスチナを知るための60章』(明石書店、2016年)、『パレスチナ/イスラエルの〈いま〉を知るための24章(明石書店、2024年)、『ガザ紛争』(東京大学出版会、2024年)、共訳書にラシード・ハーリディー著『パレスチナ戦争』(法政大学出版会、2023年)。主に中東の地域研究に従事し、パレスチナ問題を軸に中東の近現代史を研究している。

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