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【エッセイ】「私」という小さな主語からのささやかな提案

date2025.10.24

writer安田菜津紀

categoryエッセイ

どう言葉にするか悩みましたが、私のケースに限らず、トラウマについて考える一つの参考になるかもしれない、と思い書いてみます。

下記、性被害に関連する投稿となりますのでご注意下さい。

私は取材も発信もしていて、「元気そう」「大丈夫そう」に見えるかもしれません。ただ、性被害などに関する長期のトラウマ治療は続いており、下記の記事にも書いたように、突然、私にとっての加害者の話題や、関連する性被害の話を振られると、内心とても、ぐらぐらすることがあります。一気に被害当時の記憶の中に引き戻される感覚がまだ、あります。

もちろん私が当該男性から被害を受けたと知った上で話題にして下さる方々は、「大変でしたね」と声をかけて下さったり、一緒に憤り、悲しんで下さる方々で、こうして寄せて下さる気持ちにとても感謝をしています。責めたり、糾弾したい、という思いでこれを書いているわけではありません。「腫物に触る」ように接してほしいわけでもありません。

「サバイバー」と呼ばれる中にも、それぞれに異なる経験や感じ方があり、大きな主語で語ることは適切ではありません。なので、あくまでも私の考え、として受け取って頂きたいのですが、もし話題にして下さるときは、「今、この話を、この場で(ネット上含む)して大丈夫な状況か」を一言確認してもらえたら、とても嬉しく思います。

私自身も知らず知らずのうちに、他者のバウンダリーの内側に踏み込んでしまうことがこれまであったと思います。自戒を込め、これを書きました。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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