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コロンビア 戦時下で忘れられた被害者たち【前編】―生きるために武器を置けなかった若者たち(柴田大輔さん寄稿)

和平合意からこぼれ落ちた元ゲリラ民兵の若者たち(柴田大輔撮影/2017年3月)

内戦が続いてきたコロンビアで、反政府ゲリラと政府による和平合意が結ばれてから、10年近くが経ちます。しかし、その後も戦禍は続き、多くの人々が今も避難民となっています。長年にわたり、現地で取材を続けてきたフォトジャーナリストの柴田大輔さんに、コロンビアで生きる人々の現状をご寄稿いただきました。

※本文中に性暴力に関する描写があります。また、紛争の犠牲となった方のご遺体の写真があります。ご注意ください。

武力紛争が60年以上続く南米コロンビア。2016年には、かつて国土の3分の1を実効支配したとされる反政府ゲリラFARC(コロンビア革命軍)と政府が和平合意を結んだが、現在まで「平和」な状態を維持できていない。

コロンビアでは19世紀の独立以来、植民地期に社会を支配していた層が、その後も国の政治と経済を握り続けた。社会格差が引き継がれたことで、多くの市民が社会の周縁に追いやられ、政治参加の道を閉ざされてきた。こうした差別的な社会構造が、複数の反政府ゲリラを生み出した。1964年に発足したFARCもその一つだ。

非合法武装組織の中で最大勢力を誇ったFARCが和平に応じ、1万3000人あまりの構成員が武装解除したとき、多くの国民は、待ち望んだ「戦争終結」が現実になると期待した。

だが、期待はすぐに裏切られることになる。FARCが去った後にできた政治的な空白地帯を政府は支配できなかったのだ。FARCが残した麻薬密輸や違法鉱山などの利権をめぐり、乱立する武装組織が衝突を繰り返しているのが、現状だ。戦禍に遭う農村から国内避難民となった人々は累計で約900万人に及び、死者・負傷者も増え続けている。政府による「統一犠牲者名簿」に登録する武力紛争被害者は、2025年9月末現在で約1006万人に上る。国民5200万人の20%あまりが被害を経験している計算だ。

武装組織同士の対立に巻き込まれる太平洋沿岸のトゥマコ市(柴田大輔撮影/2025年5月)

こうした過酷な状況で、二つの環境に直面する人々がいる。

2025年5月、複数の武装組織が対立を繰り返してきたトゥマコ市を訪れた。前編で取り上げるのは、2016年の和平合意からこぼれ落ち、旧FARCの民兵として生きてきた若者たちだ。

彼らに再び武器を取らせないよう、薄氷の交渉を続けた人物に、同市のカトリック司祭、アルヌルフォ・ミナ神父がいる。神父と活動を共にする、教会の人権組織で責任者を務めた人権活動家のドラ・バルガスさんとともに、終わらない紛争の背景にある地域が抱える問題を聞いた。後編では、苛烈な紛争被害に直面したことで心に傷を負った人々の現状を報告する。

コロンビア地図(柴田大輔作成)

「誰が聞いているかわからない」

「場所を移そう。ここでは誰が話を聞いているかわからない」

ミナ神父の呼びかけで、取材場所を町の中心部からバイクで10分ほど離れた海岸の集落へ移した。人権活動家のドラ・バルガスさんも一緒だ。

トゥマコでは今も、複数の武装組織が市内に根を張り活動している。どこに、どの組織の協力者の目があるかわからない。移動した先は、神父の活動に賛同する、気心の通じた人々が集まる地区だ。到着すると、砂浜で遊ぶ若者たちが神父に歩み寄り、握手を求める輪ができた。そんな若者たちに目を向けながら神父はこう話す。

「今もトゥマコには、いくつかの武装グループが地区ごとに縄張りを張り対立しています。その中には、『和平合意』のときに武器を置けなかった元FARCメンバーの若者たちもいる。彼らは生き残るために、武器を取り続けてきたのです」

トゥマコで人権活動に取り組むアルヌルフォ・ミナ神父(柴田大輔撮影/2025年5月)

取り残された民兵の若者たち

2016年の和平合意は、半世紀を超える武力紛争を終わらせたことを評価された当時のマヌエル・サントス大統領がノーベル平和賞を受賞するなど、国際的な注目を集めた。結ばれた和平協定では、「平和」を国内に定着させるべく、国をあげて取り組む課題として以下の6項目が定められた。①戦争の要因である社会格差解消を目的とした農村開発、②戦争の終結、③被害者救済、④武装組織の資金源となる麻薬対策、⑤ゲリラ組織の政治参加、⑥合意内容の実行、だ。

その中には、武装解除したゲリラ兵士に対し、安全を確保した上で社会復帰を支援することが明記された。国内各地に設けられた集合地に部隊ごとに集まり、コロンビア政府と旧FARCの代表者、さらに国連等、国際支援機関によるサポートのもとで、社会復帰に向けた準備が始まった。

武装解除に向けて集合地で待機するFARC兵士(柴田大輔撮影/2017年2月)

こうして2017年6月、1万3000人余りに及んだFARCゲリラの武装解除が完了したが、トゥマコの状況は異なった。武器を置くことができなかった400人あまりの若者たちがいたのだ。FARC内で「汚い仕事」を担ってきた「民兵」たちだ。

旧FARCには、政府軍と対峙する「本隊」である正規ゲリラ兵の他に、地域に残り家族らと暮らしながら、本隊の裏方を担う「民兵」がいた。その仕事は地域により異なるが、トゥマコでは、麻薬取引の監視、暗殺、誘拐、爆弾での攻撃、裏切り者の監視などだった。「革命」を説く本隊の陰で、「汚れ仕事」を担ったのが民兵だったのだ。参加するのは地域の若者たちだ。未成年の子ども達もいた。初めは路地の見張りなど些細なことを頼まれ、少しずつ組織との関係を深めていく。そこで小遣いや銃が渡されることもあるという。FARCは、貧困地区で住民同士の緊密な人間関係を利用しながら、地域支配を固めていった。

「ゲリラ本隊の司令官たちは、トゥマコに暮らす民兵たちのことを『知らない』と主張し、切り捨てた。それにより、彼らは和平プロセスから除外されることになったのです」とミナ神父は話す。太平洋沿岸の他の町で生まれ育ったミナ神父は、1990年に司祭としてトゥマコに来た。以来、時には政府への抗議活動の先頭に立つなどしながら常に貧しい住民と歩み続けてきた。

民兵の若者らが暮らすトゥマコ市内の貧困地区(柴田大輔撮影/2017年3月)

約400人の若者たちは、一度は和平プロセスへの参加を決意し、本隊に合流した。しかし、格下に見られぞんざいな扱いをされるなど、正規兵から受けた差別により、多くが離反したという。その後、トゥマコに戻った彼らを待っていたのは、家族にも及ぶ命の危機だった。神父が言う。

「本隊から離れたことで、彼らは社会復帰プログラムの法的対象からこぼれ落ちた。それによって『犯罪者』として軍・警察の攻撃対象となったのです。ただ、問題はそれだけではなかった。この時期、FARCと敵対する複数の麻薬組織がトゥマコに侵入し、FARCの活動地を支配しようとした。トゥマコに暮らす彼らの家族が、敵からの攻撃の危険にさらされたのです」

危機を前に、400人は新組織を立ち上げた。しかし、そのリーダーがFARC本隊によって粛清されることになる。独自の麻薬密売ルートを持ち、本隊の指令の外で住民への暴力行為を繰り返していたとされている。こうした理由も重なりFARCは民兵の存在を無視し、和平プロセスへの参加を認めなくなった。「同胞」からも切り捨てられた若者たちは、敵と国を相手に戦争を続けることになる。

民兵のFARC本隊への再合流を拒否した旧FARCのジェシ・ゲバラ司令官(左)と女性兵士(右)(柴田大輔撮影/2017年3月)

トゥマコの歴史と終わらない暴力

トゥマコは、コロンビアの中でも長年、顧みられることのなかった地域の一つだ。20万人の住民のうち、およそ9割がアフリカにルーツを持つ人々だ。スペイン植民地時代、周辺地域で盛んだった金採掘への労働力として、多くの奴隷がアフリカから移送されてきた。19世紀に彼らが解放されると、その子孫が地域に根を下ろし、独自の暮らしを築いて今に至る。しかし一帯は、国から長く放置され、教育や医療、社会インフラは未整備のままとなっていた。この取り残されてきた地域で住民が苛烈な戦争に巻き込まれるのは、麻薬経済が拡大した2000年以降のことだった。

伝統音楽に合わせて踊りを練習するトゥマコの若者たち(柴田大輔撮影/2018年6月)

トゥマコがある太平洋沿岸地域は、入り組む海岸線をマングローブの木々が覆い、いくつもの河川が熱帯雨林の中を蛇行し海へと流れ込む。この複雑な地形と豊かな自然が、麻薬密輸の好条件となった。近年、コカ葉栽培が広がり、一帯が、コロンビア最大の麻薬生産地の一つとなった。長く複雑な海岸線は「格好の麻薬積み出し港」となり、精製されたコカインが、太平洋を経由し北米や欧州へと渡っていく。この要地をめぐり、武装組織が熾烈な争奪戦を繰り広げてきた。トゥマコ市郊外に暮らすある女性は被害をこう話す。

「2013年に弟を、2014年には息子を殺害されたうえ、さらに別の息子と娘、私自身も武装組織のメンバーにレイプされました。ここでは武装組織の力が強く、警察は力を持たなかった。逃げ場のない世界で、武装組織が住民に恐怖を植え付けるのです。対立する組織に寝返ったり情報を漏らしたりすることがないよう住民をコントロールするためでした」

恐怖の中で避難民となったのは、2024年4月までにトゥマコ市内だけで約19万人以上、犠牲者は、4000人を超えている。

武装組織の対立により若者が殺害された(柴田大輔撮影/2018年6月)

武装解除プログラム実施後も続いた、生き残るための殺し合い

和平合意から取り残され、戦争を続けた元FARC民兵の若者たちの間に、その後、自らの武装解除を求める動きが生じた。2002年からトゥマコで活動してきた人権活動家のドラさんが当時を振り返る。

「2017年1月頃、他の麻薬組織や軍、警察から攻撃を受けた彼らは『このままで全滅してしまう』と感じ、武装解除のための支援をトゥマコ市長に求めたのです。そして、教会関係者や地域住民の指導者たちが彼らに同行し始めました。結果的に武装解除が実現したのは2ヶ月後のこと。その数は126人。女性や未成年者も数人ずつ含まれていました」

人権活動家のドラ・バルガスさん(柴田大輔撮影/2025年5月)

当初は300人以上が武装解除を望んだという。だが半数以上が、他の武装組織や、軍、警察への不審などを理由に交渉を離脱した。彼らが言うのは、「警察、裁判官、裁判所にも、(彼らを裏切った)FARC本隊の仲間が潜入している」ということだった。

「首都ボゴタから武装解除プログラムの担当官がやってきて、私たちとともに民兵との対話に臨みました。しかし、彼らは私たちをも信頼していませんでした。多くの忍耐が必要でした」とドラさんは言う。

慎重な対話の末、和平合意に基づくプログラムとは異なる法律を適用し、126人の若者を武装解除することに成功したものの、次に起きたのは「民兵同士の殺し合い」だったという。ミナ神父が言う。

「武装解除に応じなかった人々が、国の制度を利用し武装解除した人々を『政府と結びつく裏切り者』だとして攻撃し始めたのです。同じ民兵でも、互いを信用できなくなっていた。末端の民兵たちは、地域に暮らす普通の若者です。トゥマコの貧困地区で、貧しい者たちが生き残るために、互いに殺し合い始めたのです」。解決策を模索する中で、6人の若者が命を落とした。

ミナ神父によると、その後、元FARCの民兵側から「いくつか取り決めを交わすために、民兵同士で会議を開く必要がある」と提案があったという。そして、ミナ神父ら協力者の仲介を得て、複数のグループに分かれていた約40人の元民兵が対立を乗り越えて集まり、暴力のエスカレートを防ぐための「停戦合意」が結ばれた。これにより、地域に一定の安定がもたらされた。

トゥマコ市街地(柴田大輔撮影/2017年3月)

銃を置けない若者に向き合い続ける

トゥマコで長年、紛争や貧困に苦しむ若者たちを、ドラさんは支援してきた。だからこそ、和平合意後の混乱の中で銃を置けない若者にも向き合い続けてきた。

「彼らの誰もが戦争を望んだわけではありません。彼らはただ、愛する人と一緒にいたかっただけなのです。だから私は会うたびにこう伝えました。『あなたたちには子どもや家族と過ごす権利がある。逃げ続けて生きる必要はない。それは本当の人生ではない。だから、対話の方法を探し、生活を変える必要がある』と。私たちの仕事は、彼らを励まし、平和に暮らすとはどのようなことかを彼らに示すことでもあるのです。それが、『武器を手放す道こそが正しいのだ』と、彼らに気づかせるきっかけになるのです」

農村から避難民が集まる市街地では、カトリック教会が大人向けの学習支援を行なっている(柴田大輔撮影/2018年6月)

二度と若者に銃を取らせないために必要なこと

和平合意では、コロンビアに平和な状態を定着させる必要条件として、麻薬や武装組織への対策だけでなく、紛争が蔓延る農村で、道路や市場といった社会インフラを整備しながら被害者を経済的にも支援していくことが明記されている。戦争は、武装組織のメンバーがただ武器を置くだけでは終わらないことの証左と言える。

しかし、和平合意から10年が経とうとしている現在、コロンビアでは未だ紛争被害は拡大し続けている。必要とされる農村開発は、汚職などにより必要な成果には程遠いのが現状だ。市民の努力を背景に、現政権下で一部の武装組織が停戦に合意するなどし、トゥマコの治安は一時よりは改善されつつあるが、依然として複数の武装組織が活動する状況は変わらない。

ドラさんは言う。

「武装解除に応じた彼らの中には、お金を稼ぐために再び犯罪に走った者、再武装した人がいます。なぜなら、ここには彼らが就ける仕事がないからです。ただでさえ、トゥマコには仕事がありません。その中で、彼らは『元武装集団の一員』と差別的な目を向けられる。それが、より仕事を得ることを難しくしています」

高い失業率の中で、多くの人がバイクタクシーを生活の糧にしている(柴田大輔撮影/2018年6月)

トゥマコの失業率が70%という調査結果がある。さらに、53.7%の人々が多次元的貧困状態にあるという。同貧困率が12%程度、失業率は10%前後であるコロンビア全体と比べると、落差は著しい。また、教育についても同様だ。トゥマコでは、子どもの約半数が小学校を卒業せず、大学など高等教育機関への進学率は7%未満、非識字率は17%に及ぶ。コロンビア全体では高等教育機関への進学率は約58%、識字率は約96%だ。首都から遠く離れ、置き去りにされてきた生活環境が、麻薬経済や武装組織と住民を近づけてきたと言える。

多くが非正規職でその日を生き抜いている状況で、周囲には、違法栽培されるコカ栽培地が広がっている。コカ葉を収穫し、安い金額で国外への麻薬の運んだり、殺人を引き受けたりする若者がいる。

「周囲から信頼を得られない葛藤が、元ゲリラ兵士にはある。生産的なプロジェクトを個人で立ち上げることも難しい。仕事を得られないことが、武器を捨てた人々への大きな課題となっています」「和平合意に署名した者の多くが、再び武器を手にしました。そして、殺されてしまった人、現在、刑務所にいる人がいます。彼らにとって、経済的な問題は非常に深刻です。彼らの良心や平和への決意も、経済的な問題を前に持ちこたえることはできなかった。彼らが作りを担い、その販売を担当するなどし、彼らが生活できるようにする必要があると考えます」

そう話すと、ドラさんは前を見据えてこう話した。

「この国では和平合意以降、武器を置いた400人以上の元FARCゲリラが敵対勢力などにより殺害されました。彼らを再び社会に参加させるための方法を、私たちはもう一度、模索する必要があります。もう二度と、彼らに銃を取らせないために」

武装組織の抗争に巻き込まれ父親を亡くしたトゥマコの女性(柴田大輔撮影/2018年6月)

近日公開予定の【後編】では、苛烈な紛争被害に直面したことで心に傷を負ったコロンビアの人々の現状を報告します。

(2025.10.14 / 執筆・撮影 柴田大輔)

【プロフィール】
柴田大輔(しばた だいすけ)

1980年茨城県出身。2006年よりニカラグアなど、ラテンアメリカの取材をはじめる。コロンビアにおける紛争、麻薬、和平プロセスを継続取材。国際ニュース情報サイト「ドットワールド」での連載「コロンビア和平から10年 混乱する農村から」など。国内では茨城を拠点に、土地と人の関係、障害福祉等をテーマに取材している。地域メディア「NEWSつくば」で活動中。

・公式サイト:https://www.daisuke-shibata.com/

・SNS:X / Instagram

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柴田大輔さん(本人提供)

参考文献
柴田修子「コロンビアにおける平和構築の阻害要因 ―トゥマコの FARC 分離グループの事例研究― 」(ラテンアメリカ研究年報 No.41所収、2021年)(http://ajel-jalas.jp/nenpou/back_number/nenpou041/pdf/001_%E6%9F%B4%E7%94%B0%E8%AB%96%E6%96%87.pdf


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