「法の支配」による国際秩序の危機―国際刑事裁判所(ICC)への米国制裁がもたらすもの

イスラエルのネタニヤフ首相に逮捕状を出していることなどを理由に、米国政府は、国際刑事裁判所(以下、ICC)への圧力を強めている。その影響について考え、日本政府が果たすべき役割などを訴える院内集会が、2025年10月9日、市民団体らの主催で行われた。集会には超党派議連や外務省などのほか、NGO関係者や有識者、市民らが参加した。
国際的な犯罪を裁く司法機関
集会では、国際刑事司法の専門家である、宇都宮大学の藤井広重准教授により、ICCの役割や困難について解説が行われた。
「ICCは、国際的な犯罪を裁く司法機関ですが、その活動の前提には国際法の原則があります。国際社会の法律は国内法と異なり、中央集権的ではありません。大原則は《パクタ・スント・セルヴァンダ(pacta sunt servanda/合意は拘束する)》、つまり国は自らが批准した条約にのみ従うということです」
現在、ICCの設立根拠である「ローマ規定」の締約国は125ヵ国に及ぶ。しかしアメリカ、中国、ロシアといった大国が非加盟であるため、世界人口の多くがその枠組みの外にある。国連加盟国が193ヵ国であることと比べると、ICCが管轄できる範囲は限定的とも言える。
しかし、「ICCに加盟していない国にも管轄権が及ぶ場合がある」ことを藤井氏は強調する。
「例えば国連安全保障理事会が国連憲章第7章下の採択をすることによって、ICCは非締約国に対しても捜査を開始することができます。例えばスーダンの事例やリビアの事例がそれに当たります」
「また締約国の領域内で重大な犯罪が行われた場合、その重大犯罪を起こした者が“非締約国の国民”であっても、ICCは捜査・訴追することができます。これがアフガニスタンにおけるアメリカであったり、パレスチナにおけるイスラエルということになるわけです」
スーダン(ICC非加盟国):ダルフール紛争における戦争犯罪や人道に対する罪などについて、2005年に安保理が付託。ICCはオマル・アル・バシール元大統領らに逮捕状を発付。
リビア(ICC非加盟国):2011年のリビア内戦における人道に対する罪について、同年、安保理が付託。ICCはムアンマル・カダフィ大佐らに対し逮捕状を発付。
アフガニスタン(ICC締約国):2003年にローマ規定を批准したアフガニスタン領域内で、2020年、ICCの上訴裁判部の判事はタリバン、アフガン国家治安部隊、米軍、米中央情報局(CIA)に対する犯罪容疑の捜査を求めるICC検察官の申立を全員一致で認めた。
パレスチナ(ICC締約国):2024年11月、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とヨアフ・ギャラント前国防相に対し、人道に対する罪と戦争犯罪の容疑で逮捕状を発付。ICCはハマスの軍事部門トップであるモハメド・デイフ司令官に対しても、戦争犯罪と人道に対する罪の容疑で逮捕状を発行している(モハメド・デイフ氏はイスラエルの攻撃により既に死亡との報道がある)。2012年、パレスチナは国連総会で「オブザーバー国家」として承認されている。この承認により、パレスチナは国際法上「国家」としての地位を一定程度確立し、ICC加盟資格を得るための土台となった。2015年にはローマ規定を批准し、正式にICCに加盟。

1998年に開港した「ヤーセル・アラファト国際空港(ガザ国際空港)」は2001-02年にかけてイスラエル軍に破壊された。(佐藤慧撮影)
ICCとアメリカ
ICCと米国との関係は、設立当初から対立と協調を繰り返す複雑な歴史をたどっている。クリントン政権下でローマ規定に署名されたものの、ブッシュ政権は自国兵の訴追を恐れ、米軍兵士のICC引渡しを禁止する二国間協定を各国に求めた。一方で、スーダン・ダルフール情勢のICC付託では、安保理決議の「棄権」により捜査を容認するなど、「使えるところは使う」姿勢も見せていた。
オバマ政権下では関係が改善し、ICCの被疑者移送を支援するなど協力姿勢に転じている。
しかし、(第一次)トランプ政権時代に状況は一変することになる。ICCがアフガニスタン情勢の捜査を認可すると、米国は猛反発し、ICC検察官らをテロリストなどと同列の「SDNリスト(制裁対象者リスト)」に掲載し、経済制裁を課した。
バイデン政権はこの大統領令を取り下げ、ウクライナ侵攻を巡る証拠収集でICCに協力するなど関係を再構築したが、第二次トランプ政権が始まると、トランプ大統領はICC職員を制裁する大統領令に署名した。理由として「正当な根拠もなく、米国とイスラエルに対する管轄権を主張して予備調査を開始し、イスラエル首相らに戦争犯罪などの逮捕状を発して権力を濫用した」としている。
制裁内容は、米国への入国禁止や資産の凍結、取引の禁止、資金・物品・サービスの提供の禁止など、多岐にわたる。
ICCを取り巻く課題はアメリカだけではない。ロシアのプーチン大統領は、先日10月8日、ICC加盟国であるタジキスタンを訪問したが、タジキスタン政府は拘束せずに歓迎した。また、ハンガリーや、西アフリカのマリ、ブルキナファソ、ニジェールなどが相次いで脱退を宣言するなど、国際的な「法の支配」の土台は揺らいでいる。

2017年、トランプ大統領(一期目)の就任式。(佐藤慧撮影)
国際秩序全体の衰退の危機
続いて慶応義塾大学のフィリップ・オステン教授による提言も行われた。
「ICCとは、国際社会における司法機関として、法の支配を担保している最も重要な司法機関のひとつです。ICCに対する制裁が発動した場合には、法的なルールに基づいた国際秩序全体が、大きく衰退する危機にあると認識することが非常に重要です」
「ICCは、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪といった大規模な人権侵害の責任を追及できる、唯一の国際裁判所です。その活動を阻害したり、攻撃に対して何も手を打たないことは、大規模な人権侵害に対する個人の責任を追及することと、それから何よりも被害者の救済――それらを両方ともないがしろにしかねません」
日本はこれまで、ICCの最大の分担金拠出国であり、3名の裁判官を輩出するなど、ICCに深くコミットしてきた。
「国際社会における法の支配の在り方が、現在のように危機に瀕している今だからこそ、(日本が)他国との足並みを揃えて、法の支配の重要性を明確に打ち出せるかどうかが問われています」
そう語ったうえで、《ICCを支持する姿勢を積極的に示す》《ICC日本事務所の開設》《(ジェノサイドなどといった犯罪を裁けるように)国内法を整備する》など、国際社会の一員として、日本が果たすべき役割について意見を述べた。

国境を接するトルコからの軍事侵攻により破壊されたシリア北東部の小学校。(佐藤慧撮影)
ICCの妨害は「虐殺の容認」
本集会の主催団体のひとつ、ヒューマンライツ・ナウ副理事長で弁護士の伊藤和子氏は、「加盟国の領域内で起きた戦争犯罪等に対して、ICCが管轄権を有するのは当然のこと。ICCは、自ら条約上課された仕事をしているだけだということになります。(アメリカが)気に入らないからといって制裁するということがあってはならない」と述べ、「ICCの妨害は“虐殺の容認”につながる」と強く指摘した。
同じく主催団体、ヒューマン・ライツ・ウォッチの日本代表で弁護士の土井香苗氏は、「日本政府が公に制裁を非難する行動を取っていないこと」に懸念を示した。アメリカ、トランプ政権によるICCの制裁に関しては、今年2月(79ヵ国)、6月(52ヵ国)、7月(48ヵ国)と、ICC締約国による共同声明が発出されたが、日本政府はそのいずれにも参加していない。
排外主義やレイシズムが横行し、国境という「線」の内外で「法の支配」のルールや実効性が異なるのが今の世界の現状だ。しかし、その「線」をまたいだところで命の価値が変わるわけではない。ジェノサイドや戦争犯罪というものは、そうした一人ひとりの存在の土台を破壊する。あらゆるものが繋がり影響し合うこの世界で、どのように共生社会の土台を守っていくか、今問われている。
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フォトジャーナリスト / ライター佐藤慧Kei Sato
1982年岩手県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の代表。世界を変えるのはシステムではなく人間の精神的な成長であると信じ、紛争、貧困の問題、人間の思想とその可能性を追う。言葉と写真を駆使し、国籍−人種−宗教を超えて、人と人との心の繋がりを探求する。アフリカや中東、東ティモールなどを取材。東日本大震災以降、継続的に被災地の取材も行っている。著書に『しあわせの牛乳』(ポプラ社)、同書で第2回児童文芸ノンフィクション文学賞、『10分後に自分の世界が広がる手紙』〔全3巻〕(東洋館出版社)で第8回児童ペン賞ノンフィクション賞など受賞。
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