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東日本大震災から15年―それぞれの心の歩幅

東日本大震災から15年が経つ。「自分たちは前に進んでいる、いつまでも被災者と呼ばれたくない」という人もいるだろう。一方で、いまだに言葉にできない感情とともに、日々を過ごしている人たちもいる。

心の歩幅はそれぞれに異なる。置き去りになっている声はないか、悲しみを抱えながらも生きる人たちを切り捨てるような社会になっていないかーーこの問いは、取材を続ける上で忘れたくない。

(写真はすべて安田菜津紀撮影)


気仙小学校の校庭脇に、住人の方が立てた鯉のぼり。(2011年3月/岩手県陸前高田市)
米崎小学校の校庭に建設された仮設住宅に、最初の冬がやってきた。(2012年1月/岩手県陸前高田市)
港にテントをはり、牡蠣養殖の作業を再開した女性たち。(2012年5月/岩手県陸前高田市)
少しずつ広田湾に、牡蠣養殖の筏が戻ってきた。(2012年10月/岩手県陸前高田市)
祖父の菅野修一さんの船を待ちながら、港に積まれた瓦礫を見つめる修生さん。(2013年5月/岩手県陸前高田市)
孫とともにウニ獲りに励む修一さん。(2014年7月/岩手県陸前高田市)
瓦礫の撤去作業が続く市街地で。(2013年1月/岩手県陸前高田市)
獅子舞を導く才坊(さいぼう)たち。ばらばらの仮設住宅に暮らしている子どもたちが、祭のために集う。(2013年1月/岩手県陸前高田市)
かさ上げのための土を運ぶベルトコンベヤーが市街地に巡らされていた。(2015年8月/岩手県陸前高田市)
毎年8月に行われる「うごく七夕」。街に戻ってくる亡くなった人々の魂が迷わないよう、強く太鼓をたたき続ける。(2016年8月/岩手県陸前高田市)
かさ上げが続く市街地を通り抜ける川原祭組の山車。(2015年8月/岩手県陸前高田市)
山車を貫く舵棒。ここに力を持ち寄り街を練り歩く。(2017年8月/岩手県陸前高田市)
護岸工事が続く気仙川から海へと流れていく灯篭。(2014年8月/岩手県陸前高田市)
仮設住宅の中庭に集い体操を楽しむ住民たち。(2015年5月/岩手県陸前高田市)
津波の到達点を桜の植樹によって伝承していこうと、苗木を植える「桜ライン311」職員の佐藤一男さん。(2025年3月/岩手県陸前高田市)
港と街を隔てる防潮堤。(2021年3月/岩手県陸前高田市)
佐藤愛梨さんの遺体の傍にあった上靴。津波警報が鳴り響く中、愛梨さんら園児を乗せた幼稚園のバスは、海側へ向かったことが分かっている。津波の後、火災が園児たちを襲った。(2018年2月/宮城県石巻市)
愛梨さんの写真の前で宿題をする妹の珠莉さん。毎日のように写真に語りかける。(2018年2月/宮城県石巻市)
日和山から眺めた街、そして海。(2018年2月/宮城県石巻市)
木村汐凪(ゆうな)さんの遺骨の一部が発見された場所に、父の紀夫さんが築いた小さな慰霊碑。(2019年2月/福島県大熊町)
これまでの捜索で見つかった汐凪さんの服や持ち物。(2019年2月/福島県大熊町)
汐凪さんが通っていた熊町小学校。学校では地震が起きた時、上履きのまま校庭に避難するよう呼びかけられていたため、下駄箱には子どもたちの靴がそのまま残されている。(2025年10月/福島県大熊町)
2016年に発見された汐凪さん顎の骨の一部の写真が、「原子力災害考証館 furusato」に置かれている。(2022年1月/福島県いわき市)
沖縄で長年、戦没者遺骨の収集を続けてきた具志堅隆松さん(右)が、汐凪さんの右大腿骨を発見した。(2022年1月/福島県大熊町)
震災前の防潮堤が海辺に残る。(2025年3月/福島県大熊町)
震災から14年の日、海に向かい黙とうする木村紀夫さん。(2025年3月/福島県大熊町)
パレスチナ・ガザで、東日本大震災の復興を願っての凧揚げが続けられてきたことを知り、木村さんの呼びかけで、ガザでの停戦を願う凧揚げに人々が集った。(2024年11月/福島県大熊町)





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