無関心を関心に—境界線を越えた平和な世界を目指すNPOメディア

Articles記事

New

イスラエル・米国によるイラン攻撃と国際法―瓦礫の下から見通す「法の支配」

2018年、イラン政府に弾圧され隣国のイラクに逃れてきた政治団体の本拠地に向けて、イラン側から7発の弾道ミサイルが撃ち込まれた。(安田菜津紀撮影)
本記事は西南学院大学法学部教授の根岸陽太さんによる寄稿記事です。


奪われた教室、静寂のなかの叫び

2026年2月28日、イスラエルと米国によるイランへの大規模な武力行使が開始された。その直後、イラン南部ホルモズガーン州ミナーブ(Minab)の女子小学校にミサイルが直撃した。授業中だった校舎は瓦礫と化し、150人から160人以上もの生徒と教師が犠牲となった。国連人権理事会が設置した「イラン・イスラム共和国に関する国際独立事実調査団」によれば、その大多数は7歳から12歳の少女たちだったという。この悲劇は、「付随的被害(コラテラル・ダメージ)」という言葉で片付けられてよいはずもない。そこに確かにあった日常が、突如として瓦礫と化したのである。遠く離れた私たちも、この言葉にできない痛みから、今回の武力行使の法的正当性を国際法の天秤にかけ直さなければならない。



二重の暴力の狭間で――イラン国民の沈黙

ミナーブの小学校爆撃という凄惨な事実を法的に分析する前に、私たちはまず、被害に遭ったイラン国民が置かれていた複雑な状況に想像力を働かせる必要がある。彼らは、外国からの軍事侵略の被害者であると同時に、長期間にわたって自国の権威主義体制による抑圧にも苦しんできた人々でもある。国連国際独立調査団の声明(2026年3月4日)が警告したように、「数週間または数ヶ月続く可能性のある大規模な軍事キャンペーンと、重大な人権侵害の長い記録を持つ政府との間に挟まれている」状況にあり、「2025年12月28日に始まった抗議活動に続く暴力的な弾圧から辛うじて抜け出した」ばかりである。

混乱の中で、イラン国民は脆弱な立場に置かれている。上記の国際独立調査団の声明に加えて、国連人権理事会の特別手続任務保持者の声明(2026年3月4日)も指摘するように、イラン当局がインターネット制限を「武器化」し、接続性が通常の約1パーセントにまで崩壊したことで、国民は情報から断絶され、安全確保や外部への被害記録の術を奪われている。また、2025年12月以来の抗議活動で拘束された数万人の被拘禁者が、攻撃中の刑務所内で拷問や強制失踪、死刑執行のリスクに晒されていることも深く懸念されている。



武力紛争で人道をどのように保つか――(国際人道法)

このような二重の抑圧のもとにあるイラン国民の日常が、ミナーブの小学校爆撃に象徴されるように蹂躙された。武力紛争に適用される国際法(国際人道法:IHL)にしたがえば、ジュネーヴ諸条約第一追加議定書(1977年)や慣習法として形成されている以下の諸原則が、敵対行為を規律するための中核をなす。

区別原則:攻撃対象を戦闘員や軍事目標に限定し、文民や民用物への攻撃を禁止する。
比例性原則:巻き添えによる文民被害を過度に引き起こす攻撃を禁止する。
予防原則:付随的被害を可能な限り減らすための予防措置を講じる義務がある。

今回のイランに対する攻撃では、ミナーブの小学校爆撃に加え、医療機関への攻撃も報告されている。大規模かつ無差別的な攻撃が行われている場合には、文民や民用物を攻撃した点で「区別原則」の違反となる蓋然性がある。仮に近隣に軍事目標があったとする主張がなされたとしても、これほど多数の児童を犠牲にする攻撃は、文民の犠牲が軍事的利益に比して過大であってはならないとする「比例性原則」や、犠牲を最小限にするための「予防原則」にも違反しうる。これらの国際人道法の基本原則の重大な違反がある場合、「戦争犯罪」として国際的な捜査・訴追の対象ともなる(国際刑事裁判所規程8条)。

もう一つの国際人道法上の問題は、今回の攻撃がイランの最高指導者ハメネイ師を殺害する「斬首作戦」の性格も持ち合わせていたことに見出せる。この傾向は、今回のイラン攻撃に先立つ、米国によるベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領に対する作戦(2026年1月)においても顕著に見られた。学術的議論の中には、ハメネイ師が憲法上武装部隊の最高司令官であり、作戦・戦術レベルの意思決定に関与していたため、「戦闘員」または「直接敵対行為に参加していた文民」として、国際人道法上は合法的標的であった可能性が高いと論じる考察もある。しかし、今回の米国・イスラエルの声明は、ハメネイ師の過去の「悪行」や情報協力の成果といった、道徳的・政治的成果として公然と枠付けられた。このように、国際法の正当化を試みず、最悪の運命に値したかという道徳的主張に依存することは、「力の支配」の論理を正当化する道具となりかねない。



武力により紛争を解決しないために――(武力行使法)

子どもを含む多数の文民を殺害し、そして国家元首を斬首するという暴挙は、そもそもこの戦争を始めるという決定自体が、国際法が求める要件を満たしていたのかという強い疑念を抱かせる。国際秩序の基礎となる国連憲章は、2条4項において、いかなる国家の領土保全または政治的独立に対する武力の行使・威嚇も原則として禁止している。

この逸脱の許されない「強行規範」である武力行使禁止原則には、極めて限定的な2つの例外がある。集団安全保障体制における安保理による「軍事的強制措置」の授権(42条)と、各国が固有に有する自衛権(51条)である。本件では「軍事的強制措置」に関する安保理決議は存在しないため、後者の自衛権による正当化の余地のみが残される。(一部の理事国は、イランが核軍縮に関する度重なる安保理決議に違反したことを強調しているが、あくまで経済制裁などの「非軍事的強制措置」(41条)が問題となり、武力行使を授権するものではない。) 自衛権の行使は、脅威を排除するために厳格に「必要」であり、その手段は「均衡」していなければならないという厳格な要件によって規制される。しかし、ミナーブの小学校爆撃に見られるような、開始直後からの無差別的かつ大規模な文民犠牲・民用物破壊は、彼らが主張する「脅威排除に必要な限定的自衛」という作戦目標とその手段が、そもそも「均衡」していないことを強く推認させる。さらに、外交交渉が継続する中での攻撃は、武力行使が脅威を排除するための「必要」な唯一の手段であったとは言えない。

さらに遡れば、自衛権の発動には、自国に対する「武力攻撃」(武力行使の最も重大な形態)が発生していることが前提となる。しかし、本件ではイラン側からの差し迫った「武力攻撃」が確認されておらず、事実上の「先制的(予防的)自衛」である可能性がきわめて高い。この「武力攻撃」の論証を回避するかのように、イスラエルは安保理会合において、「国連憲章および国際法に則り、イスラエルとイラン間の現在進行中の武力紛争の枠組の中で、イスラエル国民を保護するために実施された」と主張した。この「現在進行中の武力紛争」論によれば、イランが支援する代理勢力から武力攻撃を受けて開始された武力紛争が続いているため、今回の事態に即して個別の武力攻撃が存在したことを論証する必要がないという。しかし、この主張は、過去の紛争状態を理由にどのタイミングでも自らの判断で攻撃可能であることを容認するに等しく、武力行使禁止原則を根底から崩壊させる危険な論理である。

一方、米国も自衛権の解釈において錯綜を見せている。CNN報道によれば、当初ルビオ国務長官は、イスラエルの差し迫った攻撃に対するイランの報復(米軍への攻撃)を防ぐための攻撃であると主張した。これは、イスラエルの先制攻撃が、さらなるイランの先制攻撃を招くという「二重の先制論」(先制攻撃を防ぐための先制攻撃という論理)である。しかし、翌日トランプ大統領は、イランが米国に先制攻撃を仕掛けようとしていたという「予感」に基づく全く異なる説明を示した。これらの主張は、差し迫った脅威(切迫性)の客観的な証拠を欠き、大統領の個人的な感覚や複雑な連鎖反応の予測だけで先制的(予防的)自衛を正当化する道を開くものである。



国際法の再生に向けた道筋――覇権に抵抗するマルティラテラリズム

ミナーブの小学校の瓦礫の下で失われた命に応えるために、私たちは絶望しているわけにはいかない。彼女たちが生きていることのできた世界のために、瓦解しつつある国際秩序を再び創り上げていく必要がある。その再生は、違反を繰り返す強者からトップダウンで押しつけられるものではなく、法の平等な適用を求める中小国と、現場の痛みに共感する市民社会の側から、ボトムアップでもたらされなければならない。

カナダのマーク・カーニー首相は、ダボス会議演説(1月20日)において、大国が恣意的に利用してきた「ルールに基づく国際秩序」という幻想から脱却し、課題ごとに共通の価値観や利益を持つ中小国と柔軟な有志連合を組むマルティラテラリズムを構想した。その旗手となりうる存在として、すでに希望の兆しが現れている。スペインのサンチェス政権は今回の暴力を直ちに「国際法違反」と批判し、国内にある米軍基地の出撃使用を拒絶したことで、徐々に賛同の輪が広がりつつある。また、パレスチナに連帯するために結成された「ハーグ・グループ」は、今や40カ国ほどの参加国を迎えて緊急会議決議(3月4日)を採択し、国連憲章と国際法的秩序が「国家と人民の間の平和で公正な関係の基礎」であることを再確認した。

これらの実例が示すように、強国が「力の支配」のために国際法を歪曲してしまうような事態(覇権者の国際法)に異論を唱え、国際法の旗印の下に平等を志向する国々が集う在り方(対等者の国際法)は、けっして妄想や空想ではなく、現実に立脚した理想である。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という前文から始まる憲法を持つ日本は、この新たな国際法秩序に貢献する可能性を秘めているはずである。

そしてそのような下からのマルティラテラリズムを根幹から支えるのは、地域的な具体性やニーズに基づいて連帯する草の根の運動である。パレスチナに共感共苦する行動は、イランにおける「女性、命、自由」運動に、そして世界中で虐げられている弱者への連帯につながる。イスラエル製ドローンの導入見送りを求めた市民社会の抗議や、日本が提供した武器の第三国での使用(事前同意の形骸化)に対する追及などは、まさにこの規範の再生に向けた非暴力の良心に基づく行動である。

国際法は死んでいない。死ぬとすれば、それは、私たちがミナーブの教室にいたような最も弱い立場の人々を守ることを諦めた時だ。今を生きる私たちは、100年前には存在しなかった法規範を、先人たちが瓦礫の中から創り上げられた法規範を、その手に握りしめている。弱者を支え、活力を配るという「法の支配」の価値を信じ、それと共に一歩ずつ歩み続けることが、今、私たちに求められている。

※より詳しく調べたい方に向けて、根岸陽太「イスラエル-米国 vs イラン紛争(2025年6月〜;2026年2月〜)国際法情報ページ」に情報をまとめていますので、ご参照ください。

【プロフィール】 根岸陽太(ねぎし ようた)

早稲田大学博士後期課程修了。博士(法学)。専門は国際法、国際人権法。近年の業績として、『国際法-シナリオからはじまる』(共著、弘文堂、2026年)、『メディアと国際法-「知る公衆」』(監訳、法律文化社、2026年)など。


Radio Dialogue_169
「国際法とイスラエル」
(ゲスト:根岸陽太さん|安田菜津紀・佐藤慧 2024年7月17日配信)

あわせて読みたい・聴きたい

メールマガジンに登録しませんか?

新着コンテンツやイベント情報、メルマガ限定の取材ルポなどをお届けしています。

公式LINEを登録しませんか?

LINEでも、新着コンテンツやイベント情報をまとめて発信しています。

友だち追加

この記事をシェアする