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【取材レポート】どこかもっと、温かな場所へ ―ストリートチルドレンたちの明日(ザンビア)

ザンビア共和国。日本ではあまり耳にしない国名かもしれない。その名前を聞いても何もイメージが沸かない人も多いだろう。しかし、南部アフリカに位置するザンビアは、世界有数の銅鉱床を持っており、かつては日本の硬貨にもザンビア産の銅が使われていた。(※1)。今はコバルト(※2)が多く日本へ輸出され、多くの携帯電話、ノートパソコンなどの原料となっている。意外と身近なところに、ザンビアから来た資源が使われているのだ。また、「ヴィクトリアの滝」という、世界三大瀑布にも数えられる雄大な滝は、ザンビアとジンバブウェの国境にまたがっており、観光客の絶えない観光名所となっている。

雄大なるザンベジ川の途中にあるヴィクトリアの滝。

そのザンビアという国の田舎に、僕はNGOの仕事などを通じて暮らしていたことがある。’07年当時、ザンビアの貧困率(※3)は6割を超え、HIVやマラリア、感染症などによって命を落とす人も多かった。しかし電気もガスも、水道すら多くは通っていない地での暮らしは、確かに手間のかかることも多かったが、便利な生活の中では見えづらい「人々の繋がりの大切さ」に気づく機会も多かった。

「Extended Family」という英単語を覚えたのもザンビアでのことだった。日本語に直訳すると「拡大家族」という意味だが、僕が住んでいたザンビアの田舎では、日本でイメージする拡大家族よりも、さらに定義が広い印象を受けた。親族より大きな部族という繋がりを持ち、近隣住人の繋がりや、教会のコミュニティも強い。手間のかかる生活だからこそ、助け合う機会が日常のいたるところにあり、その数だけ感謝を感じる瞬間がある。「豊かさ」とは、単に数値で表す経済力だけでは測れないのだと、その生活の中で学んだ。

当時の隣人たち。裏表のない素直な大人のそばでは、子どもたちも自然にすくすくと育つ。

「繁栄」の影に生きる子どもたち

しかしそんなザンビアでも、首都ルサカに出るとまるで違う風景が広がる。モダンなガラス張りの高層ビル、世界中の商品の並ぶショッピングモール、きらびやかなレストラン。一部分だけを切り取れば、まるで東京やニューヨークのように映る場所も少なくない。溢れるほどの豊かなモノに囲まれた都市は、田舎の生活と地続きの場所であるとは信じられないほどだ。

その首都で、10年ほど前から「路上に暮らす子どもたち―ストリートチルドレン」の取材を続けている。僕が暮らしていた田舎では、そういった子どもを目撃することなどなかった。しかし都会では、至る所でそんな子どもたちが目につくのだ。路上で生まれた子を抱える「子ども」もいる。田舎よりも遥かに物質的に恵まれている都会に、なぜ「何も持たない飢えた子どもたち」がいるのだろう。その問題の本質は、ザンビア固有のものではなく、近代以降の人類がたどってきた「繁栄」の影なのではないかと思い、昨年夏、久しぶりにそんな子どもたちに会いにとザンビアへ戻った。

取材パートナーとなってくれたのは10年来の友人でもあるセヴェリノ・ヴァスコ氏。2014年に立ち上げたストリートチルドレンの支援団体「Footprints Foundation for Children in Zambia/フットプリンツ・ファウンデーション・フォー・チルドレン・イン・ザンビア(以下Footprints)」の代表をしている。訪れるたびに、路上の子どもたちに心から信頼されている様子を何度も見てきた。「昔よりも路上で暮らす子どもの数が増えている」とヴァスコ氏は言う。ひとりでも多くの子どもたちを、路上生活から救いたい。その思いは、自身の体験から来ているものだった。

日々子どもたちの様々な問題に向き合うヴァスコ氏。

どこかもっと、温かな場所へ

首都ルサカから約300キロ南に行ったところに、チョマという、交通の要所となっている街がある。そこがヴァスコ氏の故郷だった。生まれて間もなく両親を失った彼は、親族の家へと引き取られていく。しかし、そこでの生活は楽なものではなかった。陰湿な虐待を受け居場所を失った彼は、11歳のある日、家を飛び出した。「どこかもっと、温かな場所へ」。そんなか細い望みを抱え、噂に聞く都会、ルサカへと歩き始めたのだ。

やっとルサカへたどり着いたものの、知り合いはひとりもいない。ヴァスコ少年はそのまま路上で生活を送るようになった。年端もいかない少年が生きていくためには、強くならなければならなかった。ルールのない路上では、ちょっとした諍いから殺し合いが起きることもあり、生き抜くためには仲間が必要だった。気がつくとヴァスコ氏は、路上の不良少年たちと夜を駆けるようになっていた。

当時路上には、トルエン(俗にいうシンナー)のようなドラッグが蔓延していたという。数滴を布に染み込ませにおいを嗅ぐと、空腹や痛みを忘れられた。だんだん意識が朦朧とし、会話もおぼつかなくなっていく仲間たちを見て、ヴァスコ氏はドラッグから距離を置くようになる。しかし仲間の輪から外れようとすると、寄ってたかって酷く殴られた。空腹に傷を抱えたまま、段ボールひとつで過ごした夜のことは、今でも忘れられない。

そんな路上から抜け出すことができたのは、ある国際支援団体のおかげだった。「Fountain of Hope Association」という、路上の子どもたちにシェルターを提供する団体に保護されたヴァスコ氏は、屋根と壁、毎日の食事があるということが、どれほどありがたいことなのか、身に染みて感じたという。「オレはこうして毎日を生きながらえている。でも、路上の他の連中はどうだろう…」。かつての仲間たちの遺体が路上で見つかるたびに、心を痛めた。

ドラッグにより意識が朦朧とし、明日を思い描けない子どもたちが多い。

「この仕事は天職だと思っている」と、現在のヴァスコ氏は言う。路上の子どもたちを見ていると、かつての自分の姿が重なった。ヴァスコ氏は、子どもたちの様子を見てまわる「アウトリーチ」を欠かさない。「毎日顔を合わせることが信頼に繋がるんだ」。

ストリートチルドレンたちは、トイレもシャワーもない生活を送っており、感染症にかかるリスクも人一倍高い。HIVも蔓延しており、Footprintsの見立てでは、路上で暮らす子どもたちの70%以上がHIVに感染しているという。昨日元気だと思っていた子が、次の日冷たくなって発見されることも少なくない。「こうして子どもたちの遺体を安置所に運んでいると、子どもたちを救っているのか、殺しているのかわからなくなる」と、ヴァスコ氏は眉間にしわを寄せて呟いた。

蔓延するドラッグ

そうした子どもたちの間で、今深刻な問題となっているのが「スティッカ(Sticka)」と呼ばれるドラッグだ。ベンジンや航空機燃料が原料であると見られている液体で、見た目や臭いはトルエンに近い。ヴァスコ氏が路上にいた頃も似たようなドラッグが流行っていたが、スティッカは、より揮発しにくく効果も強い。ザンビアの工業地帯、コッパーベルト州から流入してくると思われるそのドラッグは、ペットボトルの「キャップ」1杯15円程度で売られている。液体を布に染み込ませ、常時嗅ぐことで神経に影響を与える。肉体的、精神的苦痛を取り除いてくれる代わりに、痛覚が徐々に麻痺し、認知機能も衰えていく。

スティッカを持ち歩く少年たち。3~4歳の子どもたちまで常習している。

ある日、警察に暴行を受けた子どものひとりが、逃走中に転び、腕を強く打った。右腕は異常に腫れており、ひと目で骨に異常があることが見て取れたが、その子はまったく痛みを感じていなかった。ヴァスコ氏と一緒に彼を病院に連れていくと、前腕の2本の骨がどちらも折れていた。通常なら、泣き叫ぶほどの激痛を感じているはずだ。

スティッカの蔓延は社会問題化されておらず、子どもの教育に携わる国会議員に訊ねてみても、その存在、危険性を知らなかった。「政治家はストリートチルドレンの存在なんて目に入らない」とヴァスコ氏は言う。

子どもたちは、首都ルサカの街の中で、大きく12のゾーンにわかれて暮らしている。その中のひとつ、ゾーン5(Levy bridge)には70人近くの子どもたちが暮らしているが、なんとそこは「母子健康・地域開発省(Ministry of Community Development Mother and Child Health)」という、政府省庁の真裏なのだ。ザンビアの憲法には、「生きる権利」「健康である権利」「拷問からの自由」などが明記されているが、公的支援もなく、「路上にいる」というだけで警察に暴行を受けることもあるストリートチルドレンたちは、こうした権利からは程遠いところで生きている。

Footprintsの活動に理解を示してくれる医師が、無料で骨折の処置を施してくれた。

スカイ・ボーイの夢

そんなストリートチルドレンの中に、いつも聖書を手放さない青年がいた。彼は「スカイ・ボーイ」と名乗った。母が病死して以来、父と折り合いが悪く家を飛び出したのだという。食べるものにも事欠く日々の中で、ボロボロの聖書は彼の唯一の持ち物であり、拠り所だった。20代の彼は、仲間内でも年長者の部類に入る。毎日路上でタバコを1本、2本と細々と売り、そのわずかな売り上げで仲間たちの食料を買う。

「気が付いたら路上にいて、でも、そこで多くのことを学んだんだ」とスカイ・ボーイは言う。「僕たちの人生は一度きりなんだ。何かを得たり、挑戦する機会があれば、それを逃してはいけない。どんなときでも学ぶことを辞めてはいけないと思う。ネルソン・マンデラも言っていたように、教育こそが、世界を変える唯一の鍵なんだ。教育が、未来を切り拓くんだ」。

驚いた。そんな言葉が出てくることを予期していなかった自分を恥じた。高架下で眠り、汚れた服に身を包む青年を、どこかで「何も持たない者」だと勝手に決めつけていたのではないか。彼らの素顔を知りたいとやってきたのに、無意識の偏見がこびりついている自分自身こそが、こういった状況を放置する社会の一部なのだと気が付いた。「スティッカ」の影響なのか、時折うつろにさまようスカイ・ボーイの瞳の奥に、汚れなき真っ直ぐな知性を感じた。

時に周囲の子どもたちに聖書を読み聞かせるスカイ・ボーイ。

僕がビデオを回していると、「ちょっと僕を撮ってくれよ」とスカイ・ボーイが声をかけてきた。「僕、ラップをやってるんだ。仲間内でも一番うまいんだぜ」。周囲には、彼のパフォーマンスを観ようと子どもたちが集まってきた。落書きだらけの壁には大きくSKYBOYと描かれている。彼にはひとつ夢があった。「シンガーになりたい」。既に自作の曲はいくつもある。高架下を走る貨物列車を脇目に、小気味良いリズムに乗ったコトバを紡いでいく。

『YOLO』 詩・スカイ・ボーイ

もう人生に疲れた
燃え尽きてしまったよ
父はもう死んでしまった
母は「あなたの人生は大丈夫だ」と言ったけれど
僕は今も困難の中にいる

人生はレースのようだ
どれだけ早く走っても、ゴールは見えてこない…

なあ、気楽に考えるんだ
夢を諦めてはいけない
自分にはできない、なんて絶対に言うな

人生はレースのよう
でも、早く走りすぎる必要はない
風を感じて生きなさい

YOLO (You Only Live Once/人生は一度きりだ)

よく考えて生きるんだ
紳士淑女、少年少女よ

母は言った

人生はレースのよう
でも、早く走りすぎる必要はない
風を感じて生きなさい

「亡くなった母さんがね、僕には言葉を紡ぐ力があるって言ってくれたんだ」と、スカイ・ボーイが遠くを見つめながら語る。自作の曲の中で、スカイ・ボーイはこう歌う。「嘘をついてはいけない。嘘をつけば、おまえの人生そのものが嘘になる」。聖書に深く影響を受けた歌詞は、「正しく生きればいつか報われる」と繰り返す。「僕の詩に込めたメッセージは、自分自身に向けたものでもあるし、路上で暮らす仲間たちへのものでもあるんだ」。

SKYBOYと描かれた壁の前で、仲間たちとスカイ・ボーイ(中央)。

「子どもたちは、居場所を求めているんだ」とヴァスコ氏は言う。様々な理由で居場所を失った子どもたちは、路上で出会った仲間を「ファミリー」と呼ぶ。多いところでは100人以上の子どもたちが、年上のリーダーたちの統率のもと、日々命を繋いでいる。中には武闘派の勢力もあり、必死に貯めた生活費や食材が奪われることも少なくない。突然蒸発してしまう仲間も多く、毎週どこかで誰かの遺体が見つかった。

「路上で初めて、人と一緒にいることに安らぎを感じた子もいる」とヴァスコ氏は続ける。「でも、ずっとストリートにいるわけにはいかない。いつか彼ら、彼女たちなりの居場所を見つけられるよう、まずは今日を生きなければいけないんだ」。

Footprintsの配ったパンを、仲間で分かち合う子どもたち。

「人権」とは何だろうか。人が生まれながらにして持っている権利とは、物理法則や数学の公理とは違い、人類が共存するために生み出した「世界観」だ。「人権」とは、誰もがその生命、健康、自由を保証されることで、互いに殺し合わずに生きていけるという「共生の思想」なのだと、僕は思う。それは国境に区切られた領域内だけで保つことのできるものではない。資源の独占や地政学上の都合、利益の奪い合い、他者への恐れ。解決しなければいけない問題は山積みだが、その堆(うずたか)く積もった欲望や恐怖の影で、今日を明日へと繋げられない子どもたちがいる。僕たちは、その明日のために何ができるだろうか。

(2020.6.1 / 写真・文 佐藤慧)

※1 ザンビアの銅…日本の硬貨は10円玉以外のものでもその主要成分は銅。古い10円玉にはザンビアの大地の欠片が含まれているかもしれない。現在の日本の銅の輸入先ははチリ、ペルー、インドネシアなどが占める。

※2 コバルト…いわゆる「レアメタル」に分類される。強磁気性を持ち、鉄より酸化しにくい。日本国内では携帯電話、ノートパソコン、電気自動車、リチウムイオン電池の製造に欠かせない。コバルトの世界埋蔵量の半数以上を占めるコンゴ民主共和国はザンビアの北に位置するが、その資源故に紛争が絶えない。

※3 貧困率…全人口に占める貧困層の割合。貧困層の定義として、「貧困ライン」が用いられる。世界標準としてよく用いられるものに、世界銀行が発表する米ドル基準の貧困ライン=「1日1ドル以下で生活をしている」というものがある。


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