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「苦しんだのは間違いなく、改ざんさせられたこと」 提訴と手記の公表から間もなく1年、赤木雅子さんインタビュー

公文書の改ざんを強要され、自ら命を絶った財務省近畿財務局の赤木俊夫さんの妻、赤木雅子さんは、2020年3月、俊夫さんが遺した手記の公表と同時に、真相解明を目指し、国と佐川氏に対して提訴しました。

財務省は改ざん問題についての調査報告書を2018年6月にまとめたものの、不都合を隠してきた側の内輪の調査は、曖昧なものに留まっています。そもそもなぜ、国有地が8億円も値引きをされ森友学園に売却されたのか。その土地に開校される予定だった小学校の「名誉校長」に安倍昭恵氏が就任していたことを国会で問われると、首相は「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」と応じましたが、その言葉が後の改ざんにどのように影響したのか。公文書の改ざんはどういった指示系統でなされ、当時理財局長だった佐川宣寿氏は、そこにどう具体的に関わったのか。いずれもうやむやの状態が続いています。

俊夫さんは改ざんの詳細を記したファイルを残していたとみられ、2021年2月8日、雅子さんは国側に提出を命じるよう、大阪地裁に申し立てを行いました。

2021年2月8日、記者会見に臨む赤木雅子さん

この日の会見で、赤木雅子さんの代理人を務める生越照幸弁護士は、「俊夫さんが受けた心理的苦痛を明らかにするためには、俊夫さんが作成したとされるファイルの提出が、証拠として不可欠」として、「ファイルが公開されることで、改ざんをしてはいけないという抑制にもつながり、将来同じような改ざんや不正行為をせざるをえない状況に直面した国家公務員が、赤木さんのように記録を残そうとすることにもつながる」と語りました。

雅子さんは「夫の残したファイルは、夫が職務中に残したものです。財務省や財務局や、一部の人のものではなく、国民の皆さんの財産でもある」と、公にすることを改めて求めています。2月17日の口頭弁論を前にどんな思いを抱いているのかを伺いました。

―俊夫さんの手記の公表と提訴から1年近くが経ちました。これまでどんな声が寄せられていますか?

提訴してすぐにオンラインでの署名活動がはじまり、これまでに37万人もの人が署名して下さりました。プリントアウトしたものを当時の安倍首相宛に、代理人の弁護士さんたちが提出して下さりました。麻生大臣や参議院、衆議院議長さん宛にも送ったそうです。夫が苦しんでいる時、これだけの人が夫や私のことを応援してくれる、ということは想像もできませんでした。もう夫はいませんが、そうした声には感謝しかありません。

境遇は違いますが、過去に冤罪に苦しめられ、国賠訴訟をしている仲間にも出会いました。「相手は国なんだから、元気で闘うんやで」、という声をかけて下さいます。今は思い悩むんじゃなくて、明るく元気にやっていこうという気持ちになっています。

―実際に署名を提出して、何か反応はありましたか?

提出した先からの直接の反応は全くありません。ただ、署名の声の力が働いたのではないかと思うものもあります。夫は公務災害が認定されたのですが、その理由について最初に開示された文書の殆どが黒塗りでした。改めて昨年4月に関連文書の情報公開請求をしたのですが、5月に一部が開示決定されたのみで、コロナの影響で人員も限られているからと、残りは延期、開示可否の決定まであと1年かかると言われてしまいました。なので、延期されたことは違法だと、別途裁判を進めようとしていたのですが、昨年12月になって一応開示はされました。署名をはじめ声をあげて下さった人たちには、感謝しかありません。

―これまでの発信の中で、俊夫さんが苦しんだ日々だけではなく、俊夫さんがどのように生きたのか、ということも伝えていらっしゃったと思います。音楽や落語、書道など、多趣味でしたね。そうした時間を共にする、ということもかけがえのないひと時だったのではないでしょうか。

私の趣味は赤木俊夫、というくらい、夫は色んな楽しみを色々見つけてきては、全てを私に共有してくれました。(石に印章を彫る)篆刻だったり書道だったり、この先生の作品は素晴らしいから見てごらんよって教えてくれました。私のすべてが夫でした。今、いないのが不思議です。体が半分引きちぎられたような感覚があります。

書道道具を手にする俊夫さん(雅子さん提供)

財務局では2年に1回は異動があるのすが、夫はよく、“引継ぎ書であれば僕は誰にも負けないんだ”、と話していました。何がどこにしまってあって、これまでどういう過程があったのか、自分がいなくなった後、誰が見ても分かるようにしておくんだ、と家でも言っていたんです。

改ざんさせられてから、夫は自分が異動できると思っていたのに、結局その部署に残されてしまいました。しかもその後、気が付いた時には、森友学園への土地の売り払いに関する書類や資料が処分され、職場から消えていたということも話していました。そういうところを夫はきっちりやってきたのに、何も残してくれなかったのが、どんなに辛かったのかっていうことは感じます。

夫は近所の方に、「僕の雇用主は国民なんです」「僕は国家公務員という仕事を誇りに思っている」ということを言い残してくれていました。公務員の人たちが皆そうやって、国民の皆さんに対して忠実に仕事をしていたら、こういうことは起こらなかったのではないかと思います。

俊夫さんが常にスケジュール帳に挟み、擦り切れるほど肌身離さず持っていた国家公務員倫理カード。

―2018年6月に公表された報告書は、財務省による内輪の調査しかなされませんでした。俊夫さんが亡くなったこと自体も記載されていません。作成にあたって、雅子さんにヒアリングなどはあったのでしょうか?

全くありませんでした。手記を見せてほしいとも言われていません。報告書をまとめた財務省秘書課長(当時)の伊藤豊さんが我が家に来て下さったときに尋ねてみたのですが、手記は見ていないと答えていました。見ていないのにどうして報告書を作れるんだろうって思います。

報告書自体はふわりとした内容でした。何を書きたいのか、どう受け止めていいのか、分かりにくいもので、真実に踏み込んでいないと感じました。伊藤さんが来られる前に、近畿財務局の方に一応説明をしてもらったのですが、その方から「赤木のような立場の人間のことをこの報告書に入れてもらえるだけありがたく思え」と言われたので、ぞっとしました。財務局は夫のような立場の人間には、厳しいんだな、と。その頃は裁判を起こせること自体を知らなかったので、何も闘う術が分からないまま、全く太刀打ちできないんだろうな、と黙ってしまったんです。

―俊夫さんが何に苦しんだのかということを調べていないことも問題ですが、報告書が公表されてから伊藤豊氏が説明に来るまで4カ月もかかっています。

報告書は2018年6月4日に出たのですが、その日に誰からも連絡がなかったんです。ニュースで報告書が出たことが報道されていたのですが、どこからそれを入手したらいいのかも分かりませんでした。財務局の方に聞いたらHP上に出ているというので、自分で印刷して確認しました。当時はまだ連絡をとっていた夫の同期の方に、「夫のことはどの部分に書いてあるんですか」って駅のホームで泣きながら電話をして、「多くの職員が反発した」(報告書37ページ)の部分ですよ、とようやく教えてもらいました。あの方たちは自分たちの報告書を出したことで満足して、私に何の説明もしようとしませんでした。伊藤さんもこちらからお願いしたから来たようなもので、そうでなければ来るような方ではなかったと思います。

俊夫さんが残した手記

―俊夫さんは公務災害認定を受けていますが、そもそも改ざんが公務なのか?というところも考えなければならないと思います。また、公務災害の理由を個人開示請求して出てきた文書は、当初は黒塗りだらけでした。

人事院から自宅にその書類が送られてきたのですが、まず、手に取った感触が薄かったことに驚いたんです。夫が亡くなった理由がたった70ページで済まされるんだっていうことにびっくりしました。開けてみたらほとんど真っ黒だったので、ばかにされているような、嫌な気持ちがしました。でも、当時の代理人の先生は「こんなものですよ」とおっしゃたんですよね。弁護士の先生からそう言われてしまうと、これで納得するしかないといけないんだと思ってしまいます。まさかそれを、もっと明らかにしてほしいと言える術があるなんて知らなかったので、その時は自分の気持ちを押し殺してしまったんです。

―そもそも、公務災害認定の際、国の筋書きに沿った内容にサインをさせられた可能性も指摘されています。

公務災害認定のための書類に、2018年4月23日にサインしているのですが、夫が亡くなってから2ヵ月も経っていないときでした。当時の代理人の先生が財務局と相談して作った書類なので、これにサインして印鑑を押せばうまくことが運ぶんだと思っていました。その中に書かれている、夫の鬱になった原因の中に、全く「改ざん」という言葉が入っていなかったんです。それが書いていないことで公務災害が認められたのは、今になるとおかしいことだと思うんです。

※代理人を務める松丸正弁護士は、「改ざんのことを入れ込んだら認定されないということはありません。改ざんを強要された事実のみで精神障害を発病するおそれのある強い心理的負荷があったとして認定されます。厚労省の『心理的負荷による精神障害(自殺)の認定基準』の『業務に関連し、違法行為を強要された』という項目に、「業務に関連し、反対したにもかかわらず、違法行為を執拗に命じられ、やむなくそれに従った」が評価表の中で「強」に位置づけられています。その詳細を知るためにも、ファイルが必要です。赤木俊夫さんを最も追い込んだのは、改ざんという違法行為を強要されたことだと考えています」とコメントしている。

亡くなる直前の俊夫さん(雅子さん提供)

―公務災害認定の個人情報開示の交渉で近畿財務局へ行かれていますが、俊夫さんの職場に入ったのは初めてと伺いました。せめて俊夫さんの机があった部屋を一目見せてほしい、という願いも受け入れられなかったそうですね。

対応して下さった方々も、本当はこんなやり方はしたくないんだろうな、とは感じるんですが、とにかく事を大きくせず、とにかく話を済ませて帰ってもらう、という印象でした。まさか部屋を見せてほしいと言われるとは思っていなかったのだと思うので、全力で否定されました。夫のことは知っているとおっしゃっていたので、その人たちも気の毒だな、と思います。一緒に働いていた人がこういう形で亡くなって、その対応をしなければいけないわけですよね。

夫も手記に「最後は下部がしっぽを切られる」って書いていましたが、組織って恐いところだなって感じます。黒塗りをしている人たちも、直属の上司だった方も、辛い思いでいると思うので、もっと上の人たちが色んなことを明らかにしてくれたら、その人たちも気が楽になると思うんです。

―公務災害を認定した際の報告書が昨年2020年12月7日に開示されました。先ほどお話頂いたように、サインする時点からねじれがあった可能性があり、改ざんを強いられた事実には触れていません。俊夫さんが何に苦しんで、何に追い詰められたのかが抜け落ちてしまっているように思います。

夫は間違いなく改ざんしたことで苦しんでいました。「自分は犯罪者や、内閣がふっ飛ぶようなことをしてしまったんや」と、検察の取り調べを受けることを日々思い悩んでいました。人間が壊れていくように、体中が痛くなったり、耳鳴りや突発性難聴や色んな病気を抱えながら、最後に命を絶ってしまいました。一番の苦しみは間違いなく改ざんをしたことなので、そこは明らかにしてほしいと思います。

2017年2月26日は日曜日だった。俊夫さんは雅子さんと共に神戸市内の梅林公園を訪れていた時、上司からの電話で呼び出された。ここから、改ざんをさせられ、苦しむ日々が始まる。写真は雅子さんがこの日に、梅林公園で撮影したもの。

―直属の上司だった職員は、俊夫さんが文書の改ざんについて整理したファイルを残していたと話されています。そのファイルがどこにいったのか、なぜ報告書に反映されていないのかも明らかになっていません。国側はファイルの存在や提出について、存否も明らかにせず、回答を拒否しています。

あやふやですが、「ない」とはっきり言っていないので、恐らくあるんだろうな、と私は受け止めています。直属の上司もそう話して下さっていますし、夫から直接何度も聴いているんです。どういう形でとは言っていなかったのですが、僕はやったことを職場に残してきている、と話していました。残しているからこそ、それを検察に提出していて、自分が取り調べられるのだと思い悩んでいました。いずれ国は出してくれると信じています。

―改ざんが発覚し、赤木さんが命を絶ち、本来であれば国として、説明責任を尽くしたり、透明性をより持たせていく方向に舵を切らなければならなかったのではないかと思います。

ファイルは恐らく、出そうと思えばすぐに出せるはずのものだと思うのですが、まるで時間稼ぎをして、世の中が忘れるのを待っているのではないかという態度は、夫や私だけではなく、国民みんなを馬鹿にしているんじゃないかって思います。その作業自体も皆さんの税金を使っているわけですし、そんなつまらない時間をかけずに、出せるものをぱっと出して下さったらいいのに、ともやもやした気持ちを抱えています。

―佐川氏側は「賠償責任があるのは国であり、公務員個人は責任を負わない」としています。

佐川さんの指示っていうことを、夫も手記に書き綴っています。ただ、報告書とあわせると、佐川さんだけが責任を背負わされたような状態になっているのが現状だと思うんです。自分が考えて改ざんをさせた、ということであればそう話してほしいし、そうではない指示系統が別にあったのであれば、それを明らかにしてほしいです。逃げ隠れせず、法廷に出て話してほしいです。

―提訴することはもちろん、メディアに出演されたり、ご自身も発信も続けることも勇気のいることだと思います。今、雅子さんを動かしているものは何ですか?

私は全く人生に後悔はないのですが、夫のことだけは後悔しているんです。夫は一年間苦しんで苦しんで、苦しみぬいたその姿の横にいて、どうやったら助けられたんだろうって思っていたんです。夫のやってしまったことを考えると、あの道しか夫には残されていなかったのかな、としかは今は思えなくて。これから夫をもう一度助け出そうという気持ちです。本当に大事な人なので、その思いだけです。

風の強い日に、久しぶりに弁護団会議に行く途中で、夫が私の前を歩いているような気がしたんです。「とっちゃん」って声をかけたら、振り向いてくれて、私に「面白いことやってるなあ」って笑顔で話してくれた感覚がありました。私がしていることも応援してくれていると感じますし、夫のためにできることは、何でもやろうと思います。

甥っ子と書道をする俊夫さん。(雅子さん提供)

―雅子さんは以前にも、国を動かすことができるのは世論、と話されていました。次の口頭弁論を前に、改めて社会の側にどんなことを訴えかけていきたいと考えていますか?

こういうことがあったということを、とにかく知ってもらえたら嬉しいです。公務員として真面目に働いていた人間が、改ざんをさせられ、その重さを苦に自殺までしてしまった事実が、皆さんの心から忘れられているんじゃないかと思うので、一人でも多くの人に、夫のことを、こういう人がいたんだっていうことを、一瞬でも感じてもらえたらと思います。

夫は「戦争や」って言っていたんですよね。白いものでも「黒」って上司に言われたら「黒」って言わなければいけないし、やれっていわれたらやらないといけない、そういうことを僕はやってしまった、「戦争と同じなんや」って、苦しみながら私に伝えてくれていたんです。今、日本では戦争が行われているわけではないにも関わらず、“底辺”にいる人間が最後にこういうことをさせられるということが、実際にあるということを知ってもらいたいと思っています。

今でも財務局の中には苦しんでいる人がたくさんいると思います。本当のことを話せるような環境を、上の人が作ってほしいです。


2月8日の会見で、雅子さんは俊夫さんがファイルを残してしまったことを、「自分のことだけではなく、仲間のことも書いていた」と悔やんでいたことを明かしました。けれども「残してよかったのか」を俊夫さんに尋ねると、小さな声でぽつりと「よかったと思う」と答えたのだといいます。そこに、俊夫さんが責任を全うしようとする意志が表れているように思います。

来月3月7日は俊夫さんの命日、もうすぐ亡くなってから3年が経とうとしています。声をあげた人を孤立させないこと、不都合が隠されないようまなざしを向け続けることが今、私たち社会の側に改めて問われています。

(2021.2/聞き手 安田菜津紀)

▶よりそいホットライン
https://www.since2011.net/yorisoi/
誰でも利用できる悩み相談窓口です。
電話、FAX、チャットやSNSによる相談にも対応しています。

▶︎電話相談システム「#いのちSOS」
https://www.lifelink.or.jp/inochisos/
自殺対策に取り組むNPO法人「自殺対策支援センターライフリンク」運営(2021年2月開設)。窓口は年中無休で、相談員約70人が12:00~22:00に受け付ける態勢でスタートし、将来的には24時間対応を目指すとのことです。電話番号(0120)061338は、「おもいささえる」で覚えておくと安心です。

※電話が繋がりにくい場合、下記、都道府県別相談窓口一覧(いのち支える 自殺総合対策推進センター)もご参照ください。
https://jssc.ncnp.go.jp/soudan.php

この取材は、「Choose Life Project」と共同で行いました。2021年末、同団体が特定政党からの資金提供を秘匿していたことが発覚し、2022年1月現在弊会では同団体との取引を行っていません。

※「Choose Life Project」に関する表記を一部修正しました。(2022.1.14)


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