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■スリランカ滞在記:ウィシュマさんの生きた軌跡をたどって(前編)[2021.10.19/安田菜津紀]
目を閉じると、風にそよぐ木々のざわめきと共に、どこか楽し気に聞こえる鳥の声が響いてくる。背の高い寺院の菩提樹を見上げると、時折リスたちが枝の間をせわしなく駆け回っている姿が垣間見える。神聖な場所は靴を脱ぎ、裸足で歩くことになっている。朝の陽ざしが少しずつ強くなる一方、木々を囲む砂のひんやりとした感触が心地よい。「ナーの木」と呼ばれる、葉の一部が真っ赤に染まった木は、境内に程よい木陰を作ってくれていた。「この木の下に机を並べて、子どもたちは勉強していたんです。その中に、ウィシュマさんの姿もありました」。そう語るのは、スリ・ウィーラシンハ・ピリヴェナ寺院の僧侶、ナランデ・ウィマラシリ氏。幼少の頃からウィシュマさんを見守ってきた一人だ。
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ナーの木の前に立つナランデ氏
ウィシュマさんは2017年6月に来日し、その後、学校に通えなくなり在留資格を喪失。2020年8月に名古屋出入国在留管理局に収容され、体調が悪化していく。入院や点滴など、本人や支援者が求めていた措置は最後まで受けられず、2021年3月6日に亡くなった。
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実家のリビングの食器棚の上、父の遺影と共に、ウィシュマさんの写真が並んでいた
寺院では「日曜学校」と呼ばれる、日曜日に仏教について教える学校を開いており、コロナ禍前は2000人もの子どもたちが地域から集まってきていたそうだ。「ウィシュマさんは小さい頃から日曜学校で熱心に勉強し、その後はここで先生として教えていました。教え方も上手で、生徒一人ひとりの心をよく分かっていました。小さい子どもたちは皆、彼女のことが大好きでした」。日曜学校に着て行った、ウィシュマさんのサリーを母のスリヤラタさんが見せてくれたことがある。真っ白なサリーを着たウィシュマさんが、ナーの木の下で子どもたちに囲まれる様子が目に浮かぶという。
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木々の間に、色とりどりの花が咲き誇る境内
ナランデ氏も、ウィシュマさんが日本に行きたい気持ちを抱いていたことを知っていた。スリ・ウィーラシンハ・ピリヴェナ寺院は日本の寺院との交流があり、日本から訪問者が来るときはウィシュマさんも手伝っていたのだという。「私自身も何度も訪日し、日本の話を聞かせていました。そんな中で日本への気持ちが強くなっていったのでしょう」。一呼吸おいて、ナランデ氏が続ける。「多くの若者には夢があります。より発展している国を目指し、幸せをつかみたい、と。その夢が、ウィシュマさんは果たせませんでした」。
ウィシュマさんが亡くなったとの知らせに、ナランデ氏自身も深く悲しんだ。「日本は人も仲良く、相手の気持ちを慮る人が多いと感じます」。その上で、とナランデ氏は続ける。「日本人は規則をよく守ります。でも規則に縛られ、人の命がそれよりも軽視されたのではないでしょうか。人の心と向き合うことで、規則が変わることもあります。様々な宗教、国籍の人がいますが、皆、人間です」。
何か悩みを抱えたとき、境内の大仏の下で、時折瞑想するウィシュマさんの姿があったという。コロナ禍で、今はがらんとしたお堂の中で、仏陀が今日もかすかに、微笑みかけていた。
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ウィシュマさんはここでよく、瞑想していたという
日本で英語教師になることを夢見て来日したウィシュマさんだったが、スリランカでも、英語教師としての仕事を続けていた。「ウィシュマさんに教わったのはほんの1ヵ月ほどでしたが、謙虚で、とても印象的な先生でした」。2016年9月、放課後の英語塾で英語を教わったというナラン・ジャヤスリヤさんが、当時を振り返ってくれた。「ウィシュマさんが来ると教室が明るくなり、皆、彼女の授業を楽しみにしていました」。ウィシュマさんが日本にいることは、Facebookの投稿で知ったという「日本が好きだという話は聞いていたし、日本で暮らすことが夢だと語っていたのを覚えています。だからこそ、亡くなったと知ったときは混乱しましたし、涙が溢れました」。
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生前のウィシュマさんの様子を振り返ってくれたナランさん
入管の中で何が起きたのかを知っているわけではない、と前置きした上で、彼はこう語る。「もちろん守るべきルールはありますが、人権が最も価値があり、最も優先されるべきことだと思っています。日本はとても発展した国だと知っていますが、人権を守る国であってほしい」。
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ウィシュマさんが教鞭をとっていた学校の一つ
コロンボから東へと進むこと4時間近く。ウィシュマさんが日本に発って以来、一度も訪れていなかったという歴史深い街、キャンディを、ワヨミさんとスリヤラタさんは再訪した。夕方の境内には、法要の太鼓の音が響き渡る。仏歯寺には仏陀の歯が安置され、仏前に備える蓮の花を手に、昼夜、一心に手を合わせに来る人々の姿が絶えない。
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仏歯寺で祈るワヨミさん
生前のウィシュマさんも、ささやかながらこの寺院に寄付をしたことがあったという。ウィシュマさんは一時、尼僧になりたいと思っていたほど、仏教の教えを大切にし、実際の行動にもそれを感じたとワヨミさんは振り返る。「貧しい家庭の子どもや若い人たちに無料で英語を教えたり、時には制服を買って渡すこともあったりしました。路上でケガをしていた見ず知らずの女性を、自分の母親のように病院に連れて行った姿も覚えています」。
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日が暮れたキャンディの街
私は「“善良な人”だから虐げてはいけない」という言説には賛同しない。どんな背景の人であっても、守られるべき人権があるという前提を崩してはならないと思うからだ。ただ、ウィシュマさんが生きた証を少しでも伝えたいと感じ、生前のウィシュマさんを知る人々の言葉をここに記した。ウィシュマさんのこうした姿を思い出すほどに、遺族や友人、知人たちの悲しみや無念も募ることだろう。
そして、「誰しもに守られるべき人権がある」ということが置き去りになりがちなこの社会の中で、残念ながらウィシュマさんに対して、「不法滞在だったんでしょ?」「すぐ帰ればよかったのに」という誹謗中傷や差別の言葉もネット上で繰り返されている。ワヨミさんは改めて問いかける。「ビザがないことによって死刑にする国があっていいのでしょうか?こんなことが世界で起きるのでしょうか?」
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ウィシュマさんの遺影にほほを寄せる、母のスリヤラタさん
(文・写真 安田菜津紀/2021年10月25日)
スリランカ出身のウィシュマさんが名古屋入管で亡くなってから、7カ月以上が経過しています。その間、中間報告書、最終報告書、そしてウィシュマさんが最後に過ごしていた居室を映した監視カメラのビデオ開示などをめぐり、真相究明に向けて、法務省、そして入管の不誠実な態度が問題視されてきました。あらためて、ひとりの人間の命を奪った構造と問題点について考えていきます。
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【取材報告】スリランカ『生きた軌跡をたどって』-なぜウィシュマさんの命は奪われたのか _Voice of People_Vol.11
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