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2019.11.26

【レポート】音楽と写真で繋がったイラク(ババガヌージュプロジェクト寄稿)

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2019.11.26

Report #others

2016年、ヨルダンの難民キャンプで避難生活を続けるシリアの人々を訪れたSUGIZO氏を中心に結成した「BABAGANOUJ(ババガヌージュ)」。2019年9月28日~10月10日の日程で、イラク・ヨルダンの各地を訪れ、ライヴや現地での訪問活動を行いました。この活動に撮影でご協力いただいたのがフォトグラファーの田辺佳子さんです。今回は、田辺さんの視点から見たババガヌージュの活動をレポートでお届けします。


初めまして。ババガヌージュ中東音楽交流プロジェクトで、カメラマンとして同行させて頂いた田辺佳子です。約18年に渡りSUGIZOさんの音楽活動を撮影させて頂いている、ジャーナリストではない写真家です。今回は、旅を終えて寄稿のお話を頂いたので、私の経験を中心にイラクでの活動に焦点をあててレポートをお届けしたいと思います。

                                     

「イラクとヨルダンの難民キャンプとかの撮影に声をかけて頂いたのだけど、行っていいかな?」

100%安全とは言い切れないし、大切な人はきっと心配するからきちんと相談して決めて欲しい、そう前置きをした上で声をかけて頂いた今回のババガヌージュプロジェクトへの参加を、私は夫にこう相談をした。

「行くでしょ!」

写真家としても人としても、断る理由は何一つないと、夫は即答した。心配するだろうからと先送りにしていた母への報告も「いいわね!楽しそう!でも気をつけてね」と、拍子抜けするほどあっさりと送り出してくれた。こんな人たちに囲まれているから、私自身誤解も偏見もない人間だと思って生きてきた。

それでも渡航が決まって日が経つにつれ、実体のない不安に鳩尾が重くなるような感覚が芽生えた。イラク=外務省の危険情報で見るように退避勧告で真っ赤になっている地図の印象や、報道で見るテロや空爆のイメージが強く、街はボロボロで、人々は荒み、常に警戒して過ごさなくてはいけないのか。一見ちょっと怖そうな人が多いしな…。さらには、到底想像できない不条理や痛みを背負い、今も困難と向き合う人々に、ジャーナリストではない写真家の私が、カメラを向けることができるのか。しっかりと撮る覚悟が持てるのか。

楽しみの中に拭いきれない不安を抱いて渡航の日を迎えた。まず訪れたイラク、クルド人自治区の首都エルビル。

©︎KEIKO TANABE

治安の安定しているエルビルは、大きなビルや外資系のホテルも立ち並び、レストランも綺麗で、砂埃と乾燥は酷いが清潔。そしてエルビル城塞周辺は私たちがイメージする伝統的なアラビアの風情と活気があり、市場や広場に集う人々の表情は柔らかく、土産物屋などでは外国人への押し売りやぼったくりを心配していたのだけど、皆控えめで親切。むしろ日本人が来たことを歓迎してもてなしてくれる。今回コンサートを開催することになったUniversity of Kurdistan Hewler(以下UKH)の学生や卒業生の方たちは、とても聡明で国際感覚に長けており、きっと日本の(勤勉な笑)学生と感覚は違わないだろう。この時点で私は自分の無知を恥じた。そして、無知からくる偏見もあったのだと気付いた。

©︎KEIKO TANABE

©︎KEIKO TANABE

クルド人との交流の第一歩は、JIM-NETハウスで行われたミニコンサートだった。小児癌を患う子どもやその親御さんたちが、ドレスアップをして遊びにきてくれた。ここで私は初めて現地の人々にカメラを向けることになる。イラクの小児癌の多さの理由に、湾岸戦争やイラク戦争で使用された劣化ウラン弾による放射能の影響もあると考えられている。そんな背景も聞いていたので、ただでさえ病気はセンシティヴなのにそれ以上の背景が頭に浮かんで、正直ためらい空気を読もうとしていた。

そんな時、民族衣装を着た可愛らしい女の子がこちらを見ていたので、ニコッとしてみたら、彼女もニコッと微笑み返してくれた。その笑顔があまりに可愛かったから、自然とシャッターを切った。そして「ほら、とても可愛く撮れているよ」という気持ちで写真を見せたら、とても嬉しそうにしてくれたので、何度も撮って、何度も見せた。彼女は闘病により髪がなかったけれど、とても愛らしく好奇心旺盛な女の子だった。

©︎KEIKO TANABE

©︎KEIKO TANABE

その時、私はこの旅で写真を撮る上での決め事をした。写真を撮る時はまず心を交わすこと。その後に交流する一つのツールとしてシャッターを切る。そして大切なのは、悲惨さや辛さを演出せず、ただ温かく優しい写真を撮る。私はジャーナリストではないからこそ、この旅の心の核になっている、お互い思いやる気持ちと優しさを写そうと決めた。

コンサートは、控えめなクルド人らしく、最初はジーッとSUGIZOさんのヴァイオリンに釘付けに。そこで(佐藤)慧さんはギターを弾きながら近寄り子どもたちを楽しませ、(斉藤)亮平さんはピアノはもちろん流暢な言葉でコミュニケーションを取り一緒に歌って盛り上げた。すると次第に立って手拍子をしたり、一緒に歌ったり、さらに終演後には楽器に子どもたちが群がって無邪気にメンバーと触れ合っていた。親御さんもそんな子どもを記録に残そうと写真をたくさん撮っていたが、SUGIZOさんやメンバーだけでなく、なぜか演者ではない私とも記念写真を撮りたがる人が続出。その後痛いほどわかることになるが、どうやら中東の人々は日本人が珍しらしく、そしてセルフィーが大好き。よってこの旅、至る所で一緒に写真を撮られまくることになった。控えめなクルド人が一度距離を縮めたらそれは熱烈で、永遠とセルフィー大会。群がり囲まれる。基本は男女の触れ合いが控えめなお国柄なので、私は女性ばかりだったが、腕を組まれ頬にキスもされるし、完全にミッキーの気持ちである。

©︎KEIKO TANABE

その後UKHでのライブも何とか無事終わり(この一言では決して済ませられない程、絶体絶命壮絶な経験だったが、お客さんの盛り上がりが感動的で中東でSUGIZO MUSICの土壌がしっかりあることを実感!)、いよいよダラシャクラン難民キャンプでのコンサートの日。

©︎KEIKO TANABE

クルド系シリア人が集まるこの難民キャンプは、だいぶ環境が改善されたとはいえ、決して快適ではない。しかし、水も出ないようなテント生活ではなくて、質素ながら一軒づつ家があり、衣食住をまかなう商店なども点在し、商売をする人、キャンプの外へ働きに出る人などもいて(ダラシャクラン難民キャンプは金銭的支援がなく食料配布もなくなった為、キャンプ内外での就労が許可されている。異国で難民という立場は就労が難しいのに働かないと生きていけないシビアな状況)、各家庭それぞれの生活が成り立っていた。もちろん裕福ではない。夏は暑く冬は寒いそうで、切り詰めた質素な生活だと見て取れる。

©︎KEIKO TANABE

遮るもののない痛いほどの太陽が照りつける中、キャンプ内の囲われた広場で設営とリハーサルをしていると、わらわらと子どもたちが音を聞きつけ集まってきた。そして騒ぐ、絡む。「まだだよ〜!出ててね〜!」というジェスチャーや言葉は一切通用しない。私も最初はニコニコ話していたけど、結構な押しの強さに、途中からなかなかの強面で「ダメ!まだ!忙しい!」ともはや日本語で応戦。しかし子どもたちは全然めげない!
そんな時、亮平さんがアラビア語で「ヤー スーリー?!ヤー クルディー?!」と強い口調で言ったらピタリと子どもたちが収まった。何を言ったのか聞くと「君たちシリア人、クルド人だろ?!」という言葉で「君たちが素晴らしい人だと知っているよ!シリア人としての誇りがあるだろ!?」と、格さんの印籠ばりの効力がある決定打を打ったと。悪ガキどもがピタリと静まり返る様子に、クルド系シリア人の誇りを目の当たりにしたからこそ、国を追われ異国の地に逃げてきて苦渋を飲んでいることの辛さ、それと同時にこの誇りがあればきっと希望を持ち続け、故郷へ帰れる日が来ると感じた出来事だった。

©︎KEIKO TANABE

©︎KEIKO TANABE

いよいよコンサートの時。在エルビルの森安領事のアラビア語での挨拶の後、キャンプ内の若者のバンドが演奏して場を温めて、民族衣装を着たシリアダンサーの女の子たちも手を繋ぎ、可愛らしいダンスで華を添えていた。

©︎KEIKO TANABE

そして『SUGIZO COSMIC DANCE QUARTET』が登場!最初は椅子に座り見ていた群衆も、あっという間に総立ち。そして1曲ごとにジリジリと前に詰め寄ってきて、中盤ではすでにステージに齧り付き状態で大盛り上がりに。そして詰め寄るスペースがなくなったら、ついにはステージに上がる!さらには、まさかの演奏中のSUGIZOさんに近寄って勝手に2ショットセルフィー!(爆笑)
コンサートの経験がきっとないのだろうということ、この生活の中でいかに娯楽がなく、刺激に飢えているという状況。そして、UKHライブでも感じたが、SUGIZO MUSICのビートやサウンドは中東の人の控えめで慎重な心を爽快なまでに解放している!ヒジャブをまとった女性がフェスのように肩車され手を高く上げて踊っていたり、男性たちは肩を組んでノリノリに、最前列の男の子たちは、まるでSUGIZOさんのギターとMCバトルでも繰り広げているかのごとく熱狂していた。

©︎KEIKO TANABE

©︎KEIKO TANABE

終盤戦、『ババガヌージュ』登場の時には、夕焼けが群衆とその奥の広野を金色に染めていた。難民キャンプで生まれた楽曲「The Voyage Home」がキャンプ内に響き渡ると、まるで空気が浄化されたように静まり返り、SUGIZOさんのコンサート演出の映像に映し出されるような、子どもたちの本物の笑顔がそこにはあった。皆んな本当にこの時間を満喫しているのが伝わってきて、今まで経験のない感動で胸がいっぱいに…。ただでさえ苦境に立たされているこの人たちに、こんな楽しみや心の解放が、少しでも多くこの先も訪れますように。いつか祖国に帰れた時、その場所でもまた会えたら、という気持ちになった。

©︎KEIKO TANABE

さて、終始絡みまくりの小さい子どもたちは、コンサート中もカメラ貸してだの、写真撮ってだの、一緒に写撮ろうだの、私が撮影中なのはお構い無し。その絡みまくりの子どもたちの中に、一人の可愛らしい男の子がいた。お互い言葉が通じないけれど、彼の知っている唯一に近いであろう「ワッチューネーム」という訛った英語で名前を聞いてきたので「KEIKO」と教えた。すると、彼は準備中も本番中も終演後も、ともかくひょっこり私の前に現れては「KEIKO!KEIKO!」と呼び、気づくと金魚の糞のようにずっとついて歩いていた。彼はきっと私の名を100回以上は呼んだだろう。何度も呼ぶものだから「KEIKO!」と言われたら私は「はいよ〜!」と決まり文句のように返事をした。すると嬉しそうに笑って、彼は飽きずにずっと私の名を呼んだ。
コンサートが終わり、日が暮れてセルフィー大会も落ち着きを見せた時に、彼がまた私を呼んだ。「はいよ〜」と振り返ると、キラキラの金色のチャームを差し出していた。私に?とジェスチャーすると、なかなかハンサムな笑顔でうんうんと頷いた。難民キャンプで苦しく貧しい人たちに「何か与えられるものはないか」と無意識に驕っていたのだろう。それがまさか、子どもからプレゼントをもらうなんて。私はその時何も返せるものを持っていなくて、さらに彼がどういう生い立ちで、何歳で、何が好きかも知らなくて、でも忘れたくなくて彼の写真をたくさん撮った。彼は私がカメラを向ける度、何度でも格好良くポーズをとった。

©︎KEIKO TANABE

©︎KEIKO TANABE

©︎KEIKO TANABE

最初は子どもたちが勢いよく集まってくると、海外では基本的なことだが、貴重品の管理が気になった。置かれている状況も理由も違うのに、正直、観光地などで群がってスリをする子どもが頭に浮かんで心配していた。貧しさゆえの気の迷いなどはあるだろう。しかし冷静に考えればわかること。ここにいる彼らは、武装勢力や戦争によって国を追われ、命からがら逃げてきた、元々はしっかりと職や学もあり普通の生活を送っていた私たちと変わらない人たち。日本から来た私たちを歓迎してくれた、優しく聡明なクルド人たちと一緒なのだ。彼がプレゼントをくれた時、私は自分を猛烈に恥じた。

©︎KEIKO TANABE

冒頭、私は誤解も偏見もない人間だと思っていたと書いた。この旅で、無知さによって、気づかぬうちに誤解と偏見が自分の中に産まれていたことに気づかされた。偏った情報、報道を斜め読みするようにして、自分の無知さに気づかない怖さ。まだまだ難民の人たちへの理解は到底追いついていない。しかし、知ってしまったら、知らなかった世界にはもう戻れない感覚がある。

©︎KEIKO TANABE

SUGIZOさんがなぜこんなに難民へ心を寄せているのか、ここに来るまで私は本質的に理解できていなかったと今になって思う。全てはご縁。日本にも日本以外にも、私にも私以外にも、事情や大小こそ異なれど、痛みや苦しみ助けを必要とする問題は山積している。そこで何を知り、何に気付き、何を思うか。その中で誰の為にどう生きるのか。それを選ぶのは個人の自由。だからこそ、心が傾く先に手を差し伸べればいいのだなと、私自身も迷いがなくなった。

一番怖いのは無関心だと改めて思う。ここまで読んでくださった方は、すでに無関心どころか、深い関心をもっている方たちだと思うので、私が何かを言う必要はないだろう。まずは私自身が、次の一歩として、手をどう差し伸べるか、今はそればかり考えている。

(2019.11.26/写真・文 田辺佳子)


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