炊き立てのご飯の上で、キムチの鮮やかな色彩がより一層引き立つ。薬味の香りと共に口に広がる辛さは、仕事終わりの疲れた体にも活力をくれる。約2カ月に1度、私はこの「埼愛キムチ」を心待ちにし、注文受付のメールをそわそわと待っている。
「埼愛キムチ」は、埼玉朝鮮初中級学校の運営を支えるため、保護者たちが中心となって2017年から販売が続けられている。定番の白菜キムチに留まらず、もちもちとした食感のユッケジャンうどんや冷麺、多彩な料理で活躍するサムジャン(万能味噌)なども人気だという。
「学校の経営難が続く中で、私たち親に負担をかけまいと、ただでさえ厳しい学校の先生たちの給料が減らされてしまったりする――何かできないかと思って、活動をはじめました」
埼愛キムチスタッフの金明熙(きむ・みょんひ)さん、同スタッフの金初美(きむ・ちょみ)さん、金範重(きん・ぽんじゅん)さん、卒業生の金理花(きむ・りふぁ)さんが、学校での取材に応じてくれた。
明熙さん自身の子どもは、昨年この学校を巣立っていったが、今でも車で片道2時間近くをかけて来校し、活動を続けている。
初美さんの子どもは現在初級部に通い、すでに卒業した上の子どもたち2人も卒業生だ。私も毎度楽しみにしている、ユッケジャンうどんの仕分けなどを担当している。活動については「やれることをやるしかない、誰かが何かをやるしかない」と、かみしめるように語る。「何かをしないと事態は動かないし、それを子どもたちに見せられるのであれば、“大変”にはならないんです」。
「拉致問題」などを引き合いに止められた補助金
「やるしかない」状況はなぜ生み出されてしまっているのか。
朝鮮学校は法律上、「各種学校」としての認可のため、公的支援が極めて乏しい。現在、幼稚部と合わせて175人の子どもたちが通う埼玉朝鮮学校でも、厳しい経営状況が続いてきた。
ところが埼玉県は、1982 年から支給してきた「私立学校運営補助金」を、2010年度から止めている。
発端は「拉致問題」を理由に朝鮮学校への補助に反対する団体からの要請だった。教育内容についての学校側の説明は、県も「それなりに了承できる内容」としていたが、2010年度を終える直前に一転、同年度の補助金を支給しないとしたのだ。
当時の上田清司知事は、その理由を学校の経営問題(学校の校地が整理回収機構から仮差押えを受けていることなど)だとし、「経営の健全性が確認できれば再開できる条件が整う」(県議会答弁/2011年6月24日)と答えていた。
ところが整理回収機構への返済が完了し、借り入れの問題などが解消された今も、補助金は止められたままとなっている。
県議会は2012年3月の予算特別委員会で「拉致問題等が解決されるまで予算の執行を留保すべき」という附帯決議を付け、2013年度からは予算に計上すらされなくなった。2013年2月の定例会見で、上田知事は「度重なるミサイル発射や核実験など、もう我慢にも限界がある」とし、“国民感情”も踏まえ計上しないことを決めたと述べた。
この「感情」を持ち出し、「理解が深まるまでは――」と公権力がお茶を濁す場面は至るところで見受けられるが、これでは「マジョリティが“理解”するまで、マイノリティは不利益をこうむり続けろ」ということになってしまう。
その後、2019年8月に大野元裕知事が就任してからも、解決に向けた進展はない。
問題は補助金不支給に留まらない。2020年春、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、全国的にマスク不足が深刻な問題となっていたため、さいたま市は、子ども関連施設や高齢者施設に向けて、市が備蓄しているマスクを提供すると決定した。ところが埼玉朝鮮幼稚園は当初、「マスクが不適切に使用された場合、指導できない」などを理由に対象外とされた。
「正直、差別慣れしてしまっている自分がいて、あの時“またか”と思っていたんです」と明煕さんは当時を振り返る。
「小学校に入る前、子どもたちは地元の保育園に通っていましたが、差別に直面したことはありませんでした。でも、朝鮮学校に入ると、通学中に見知らぬ人から“朝鮮人帰れ”と言われたりして、子どももそれに慣れていくんです」
朝鮮半島情勢に関わるニュースが大きく報じられる度、“子どもに通学路で何かあったら”と怯える。マスクの問題や補助金についても、「闘わないと解決できない、という状況そのものがとても悔しい」という。
明熙さんが在住する自治体は、夏になると、熱中症予防グッズを子どもたちに配布している。市内の学校に通っていない明熙さんの子どもたちにも郵送で届き、喜んで市役所に感謝の電話を入れた。「みなさんに送っているので、そんなに気を遣わないで下さい」という担当者の返答に、ハッとした。「子どもの命に線引きをしない」という本来当たり前のことが、逆に新鮮に思えてしまっていた。
初美さんも続ける。「児童手当など、個人単位では平等な制度もありますが、学校単位になると、朝鮮学校というだけでもらえるはずのものがもらえなくなるのは、やっぱり差別ですよね。行政と話していても、ずっと平行線。まともに答えられないなら、そこには矛盾があるんだと思います」。
理花さんは2005年の春に卒業しているが、自身が通っていた頃よりもむしろ事態が悪化していることに衝撃を受けたという。「少なくとも私が在学していた当時、通学中に繰り返し被害を受けるようなことはありませんでした。通学路で突然暴言を吐かれることが日常化していることに危機感を持ちます」。
「補助金停止は子どもの権利侵害」
行政側に様々な働きかけを重ねてきた範重さんは、「一般の人たちの行動も問題ですが、行政がそういう振る舞いをすることの方が、より深刻なのではないかと思います」と語る。学校が直面してきたこれらの問題は、子どもの権利や国際的な視点からどう見えるのか。
国際子ども権利センター代表理事の甲斐田万智子さんは、行政自ら差別行為を行った責任を問う。2020年春、マスクが当初不支給になったことについて、「マスクがないために感染リスクが高まったりしてしまうのは、子どもの権利条約第2条の差別されない権利、6条の生きる権利、24条の健康に生きる権利などの重大な侵害でもあります」と指摘する。
2019年、朝鮮学校が高校授業料の実質無償化の対象外になっていることについて、「国連子どもの権利委員会」は日本政府にその基準の見直しを勧告している(2019年2月、第4・5回総括所見)。埼玉朝鮮学校は高校ではないが、補助金不支給をどのようにとらえるべきだろうか。
「子どもの権利条約の大事な原則は、どんな子どもであっても差別されない権利です。子どものルーツの国の政治状況は分けて考えるべき問題であるにも関わらず、子どもに責任を押し付けるのは重大な問題です」
「日本社会全体が、人権や子どもの権利についての理解が低いといえますが、それは政府がしっかり教育や啓発活動を行っていないからにほかなりません」
さいたま市には、朝鮮学校などに子どもを通わせる保護者を対象とした「さいたま市外国人学校児童生徒保護者補助金」制度があるが、市は2017年度にこの制度に所得制限を設けた。2017年3月16日に教育委員会で作成された文書には、「外国人学校に通う児童・生徒は無償である本市の市立小・中学校を選択することも可能である」と記されていた。
「子どの権利条約の基本に、教育委員会の理解が低いといわざるをえません。教育委員会こそ、マイノリティの子どもたちの文化・アイデンティティを守るための教育を推進したり支援したりする立場にあるにも関わらず、“外国ルーツであっても日本人のようになるべき”かのような同化的な政策は、自分らしく生きることを妨げ、アイデンティティに悩む子どもの苦しさを助長してしまいます」
2001年、国連子どもの権利委員会は、子どもの権利条約を補完する「一般的意見第1号」を出しているが、これは、条約第29条1項の「教育の目的」の意味を詳しく説明したものだ。同文書の中では、子ども自身の文化的アイデンティティ、言語および価値の尊重が記されており、「29条がどれだけ人種差別や排外主義に抗う上で重要なのかを明確にしているもの」と甲斐田さんは指摘している。
以後も国連子どもの権利委員会は日本政府に対し、この文書に触れながら「外国人学校に対する補助金が不十分」「社会的差別が根強く残っていることも懸念」(2010年6月、第3回総括所見)といった指摘を重ねてきた。
「日本がこれを無視し続けてきたのは、メディアが大きく、丁寧に報じてこなかった影響も大きい」という。
公権力のこうした態度や、メディアが積極的に取り上げない影響は、学校の運営や子どもたちの学ぶ権利に重大な支障を来すだけに留まらない。
「行政や国、国会議員が差別的な行動をとることで、“こういうことをしていい相手なんだ”という意識を市民にも植えつけてしまうと思います。だからこそ責任は重大です。差別、ヘイトクライムは許されないと、本来率先して言わなければならないはずです」
「それはおかしい」を肌感覚で
埼玉県議会は1996年、全国に先駆けて「子どもの権利条約の普及啓発を推進する決議」を全会一致で採択しているが、その理念と逆行する政策が続いていることになる。
学校では昨年、開校以来初めて常勤の「保健室の先生」を迎えた。開校60周年を機に寄付を募り、校庭を人工芝に変えたが、空き時間は外部に貸し出しをして、運営費に充てている。存続のため、現場の試行錯誤は続く。
「学校はまず、安心して子どもが学べる場でなければならないはずです。生まれたルーツを知る権利はあると思いますし、子どもも保護者も集まってつながれる場所さえも奪わないでほしい」と初美さん。
理花さんは、「在日といっても、日本社会の中で育ってきたり、色んな人がいる」とした上で、「少なくとも通った身として、朝鮮学校は故郷、自分の存在証明のようなもの。ここで育ったことを共有できるのは、場があってこそ」と、実感を込めて語る。
今年で6年目となる「埼愛キムチ」には、北海道から沖縄まで各地から注文が寄せられ、温かな声援も届くという。最近ではBTSのファンになったことをきっかけに興味を持ち、この取り組みを周知する支援者がいたりと、新たな広がりも見受けられる。商品は郵送が大部分を占めるが、近隣から直接学校に受け取りにくる人も少なくない。
範重さんは「“補助金が止まっているのはおかしいと思っていたけれど、朝鮮学校に来る機会がなかった”、という声もあり、キムチ販売が“つながるハードル”を下げた面もあると思います」という。そして実際に来校した地域の人々が、「保健室ないの?」「給食ないの?」と気づく。
「民族ルーツを守るために朝鮮学校に行ったら、なぜこれだけ他の学校と差が出てしまうのか、それを“おかしい”と、地域の人に肌感覚で実感してもらうことが大事だと思っています」
「美味しいね」の先の具体的な変化を
「埼愛キムチ」を紹介するYouTube動画では、学校を見に来てほしい、と保護者や関係者が呼びかけている。一方、理花さんはこう投げかける。
「こうした機会をつくっていかなければ、誰にも知ってもらえません。でも、ことあるごとに同じ話を繰り返さなければならないことに、時々疲れてしまうこともあるんです。場を開いていくことも大切ですが、“こちらがすでに発している声”を、しっかり受け止めてほしいな、という思いがあります」
取材者としても、常に心に刻みつけなければならない言葉だった。当事者の声を大事にすることは重要だが、過度に説明責任を背負わせていないか――。あらゆる差別に通底することだが、マイノリティ当事者に、いつまで説明のリソースを割かせ続けるのかという問いかけに、マジョリティ側は真摯に応答していく必要があるだろう。
「埼愛キムチ」を注文した知人たちが、最近になって、この取り組みをSNSなどで紹介すると共に、「子どもに政治問題を背負わせるのは理不尽」「頼むよ大野知事」と問題提起をする投稿をしているのを度々見かけるようになった。「知らなかった」「次は注文してみる」というコメントがそこに連なる。
大切なのは受け取った私たちの「美味しいね」の先、問題を共有し、具体的な変化につなげていくことだろう。
(参照)次回(第38回)の告知開始予定日は2023年2月16日です
(参照)誰もが共に生きる埼玉県を目指し、埼玉朝鮮学校への補助金支給を求める有志の会声明
(2023.1.14 / 写真・文 安田菜津紀)
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