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『はだしのゲン』削除から考える平和教育―軍拡・安全保障教育にしないために(高橋博子さんインタビュー)

広島市教育委員会が2023年度、平和教育の小学生向け教材から、漫画『はだしのゲン』を削除する方針を決めたと報じられました。広島市の小学校、中学校、高校では、2013年度に平和教育プログラムがはじまり、それぞれの学年に応じて作られた教材を使用しています。『はだしのゲン』は小学3年生の教材に6ページに渡って掲載されています。関連文書では、削除の理由として《漫画の一部を教材としているため、被爆の実相に迫りにくい》、《ゲンの気持ちを考えることに留まり、教材を通して、自分が平和について考えたことを伝える学習となっていない》などを挙げています。さらに、中学3年生の教材にあった「第五福竜丸」の記述がなくなることも分かりました。
戦争の記憶の継承にはどのような課題があるのか、歴史家の高橋博子さんに伺いました。

高橋博子さん(本人提供)

――『はだしのゲン』が広島市の平和教育の教材から削除されると聞いて、高橋さんは率直にどう感じられましたか?また、高橋さん自身『はだしのゲン』をどう評価されていますか?

まず率直に、大変ショックでした。どういうショックかと言うと、新しい情報に対するショックというよりも、「またか」というショックです。つまり、『はだしのゲン』は今までいろいろな形で撤去されたり、問題視されたりといった目に遭ってきているのに、ここでまたこういうことがあったのかと、そういうふうに思いました。

この平和ノートで『はだしのゲン』を取り上げることになった2013年は、作者の中沢啓治さんがお亡くなりになった翌年なんですよね。中沢さんの思いを引き継ぐためにも、平和教育プログラムで取り上げられることを知って私も大変嬉しく感じました。中沢さんが被爆されたのは6歳の時でした。ゲンが被爆したのは小学2年生という設定です。教材として『はだしのゲン』に触れる小学校3年生と言えば、ゲンの年齢と近く、子どもたちにとっても共感を持ちながら学び、考えることができるのではないかと思っていたので、大変残念に思っています。

またその削除の理由が、まったく理由になっていないと思います。作中に登場する鮫島町内会長(戦時中にゲンの父親が戦争反対を訴えた時、町内会長としてゲンのお父さんやゲンたち家族を「非国民」と排除する側だった人物)のような、『はだしのゲン』を教材として取り上げたくない人々による削除行動なのではないかと感じました。

また、戦後の時代は、プレスコード(連合国軍占領下の日本においてGHQによって行われた言論統制)が発令されていた時代でした。後の首相である鳩山一郎氏が「原爆は無辜の民を殺傷した」と批判した記事を朝日新聞が掲載したことをきっかけに、2日間の発禁処分を受け、その後1945年9月19日に占領軍がプレスコードを発布したのです。原爆の惨状を含めて、原爆によって人間に何が起こったのかという情報は、報道・出版できませんでした。それと同様のことが起こってしまうのではないか、今現在起こっているのではないか――。こういう心配が出てきてしまったわけです。

『はだしのゲン』は、(原爆が投下された)8月6日はもちろんのこと、ゲンを通して原爆、戦争、差別、貧困、人権、戦前・戦後の軍国主義の不条理さ、植民地主義の不条理さ、日本帝国による戦争、アメリカによる戦争などをとても鋭く描いていると思います。平和学で共有されている「積極的平和」では、戦争・平和の問題はもちろん、貧困・差別・人権などの構造的暴力を重視しており、まさしく、平和について学ぶためにはとても良い教材だと思っています。

世界各国で翻訳され、累計発行部数は1千万部を超える『はだしのゲン』(写真は中公文庫コミック版)。

伝えるための大事な手段としての漫画

――削除の理由としては、例えば、家計を助けようとゲンが浪曲を唄って小銭を稼ぐシーンが《浪曲は現代の児童の生活実態に合わない》、そして、身重の母親に食べさせるために池のコイを盗む場面が《誤解を与える恐れがあり、補足説明が必要となるため教材として扱うことが難しい》というものでした。これらについては、どうお感じになりますか?

理由そのものに驚きました。そうした理由をつけたら、《現在の子どもの実態に合わない》ということで、歴史的なことや過去のことは触れられなくなってしまいます。もちろん盗みはいけないことですが、それだけの極限状態まで追い込まれるという苦しい戦時中の状況、そういう不条理さを描いているわけですね。それを知るには極めて大事なシーンだと思います。歴史学を研究する者としては、当時の時代状況を説明する教育的意味がむしろあるのではないかと思っています。

《漫画だから実相が伝えられない》という理由についても、そんなことはないのではないのでしょうか。実際に話を読めば伝わり、むしろ伝わりすぎるほど伝わる。ただ、例えばこの原爆の惨状を示した写真や映像は、プレスコードの下で公開されず、ずっと隠されてきたと言って等しいものです。現在はそれらを見られる状態ですが、子どもに対して、特に小学校低学年の子どもに対して原爆の惨状を示す写真や映像を見せることには、丁寧な配慮が必要だと思います。確かにショッキングなシーンも漫画の中にはありますが、だからこそ、漫画という手段は伝えるための大事な方法だと思います。この削除の判断をした大人たちに、ゲンの教材によって原爆の実態が伝わっていないとしたら、それこそ、その大人たちの問題ではないでしょうか。

――続いて、「第五福竜丸」の記述削除について、高橋さんはどのように受けとめていらっしゃいますか。

大変驚きました。まず、広島市教育委員会は削除の理由について《第五福竜丸が被爆したという記述にとどまり、被爆の実相を確実に継承する学習内容となっていない》と説明しています。私は逆に、被爆のこと、第五福竜丸のことだけではなく、世界中にこのアメリカの水爆実験による被爆者がいるという話に結び付けていくことこそが大事だと思います。マーシャル諸島の人々をはじめとして、他にもたくさんの被災船がいるわけです。

そして削除の一方で、変更後についての記述もあります。《核軍縮の動きなどについて、地図や表、グラフなどから具体的に捉えられる資料に変更した》と。これのどこが「被爆の実相を確実に継承する学習内容」なのだろうかと疑問に思います。説明になっていないと思いますし、例えば「核廃絶」ではなく「核軍縮」という表現があります。実は今現在、太平洋のこうした核実験で被災した乗組員やその遺族の方たちが、国や保険協会を対象として裁判を起こしている最中なんですね。日本国はその被告なわけです。第五福竜丸事件を初めとして、そういった問題を取り上げるということは、「被告である日本国の機嫌を損なうのではないか」と、実はそういう配慮が裏にあるのではないかという心配が私にはあります。

――この削除は、広島を選挙区とする岸田首相への忖度、5月に開かれるG7サミットへの配慮なのではないか、という声も聞かれます。

タイミング的にもまさしくそうだと思います。この先々、何が起こったのか資料に基づいて検証したいのですが、いわゆる「忖度」は、なかなか議事録や公開される公文書などの形で残りにくい。そういう意味では検証は難しいかもしれませんが、まさしく、『はだしのゲン』や第五福竜丸の削除の問題は、G7を広島で開催するタイミングに合わせた動きなのではないかなと考えられます。第五福竜丸の被爆も含めて、歴史的事実を知られたくないのではないでしょうか。第五福竜丸の被爆は、日米関係に関わるところだから削除したのではないか、とさまざまな「忖度」が考えられます。

具体的には、平和ノートでは、資料などを最新のものにする必要があり、核弾頭の保有数やNPT再検討会議のことなど、近年の情報に変更したとあるんですね。最新の情報に変えること自体はいいことだと思うのですが、ここにはどこにも最近の動向として大事である核兵器禁止条約の成立などが一切触れられていないんです。NPT再検討会議止まりなわけです。ですから、なぜ触れないのか、これはすごく疑問ではあります。核兵器禁止条約に対する「日本政府の考え(※)」に忖度しているのかと思います。

(追記)広島市教育委員会に後日確認したところ、核兵器禁止条約は資料的扱いとして言及はされるとのことです。

日本の外務省のサイトには、核兵器禁止条約に対する日本政府の考え(※)が示されています。(核兵器禁止条約発効後も)いまだに文面が全く変わっていないんです。核兵器を直ちに違法化する条約に参加すれば、アメリカによる核抑止力の正当性を損ない、国民の生命財産を危険にさらすことを容認することになりかねない。こうしたことを公言しています。それだけではなく、北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手に対しては、通常兵器だけでは抑止を効かせることは困難であるため、日米同盟のもとで核兵器を有するアメリカの抑止力を維持することが必要であると、そうした発言がサイトに堂々と書いてあるのです。

(※)日本政府の考え
「核軍縮に取り組む上では、この人道と安全保障の二つの観点を考慮することが重要ですが、核兵器禁止条約では、安全保障の観点が踏まえられていません。核兵器を直ちに違法化する条約に参加すれば、米国による核抑止力の正当性を損ない、国民の生命・財産を危険に晒(さら)すことを容認することになりかねず、日本の安全保障にとっての問題を惹起(じゃっき)します。」

外交青書・白書 第3章 国益と世界全体の利益を増進する外交
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2018/html/chapter3_01_04.html

矮小化されてきた原爆被害

――ところで、原爆が投下された後、政府は残留放射線の存在を否定し、内部被爆の被害を無視・軽視してきました。こちらについてはどうお考えですか?

日本政府は、この原爆投下当時の1945年8月10日、《原爆というのは「毒ガス」以上の国際法に違反する兵器である》と、スイス政府を通じてアメリカ側に抗議しましたが、それ以来一度も批判していません。それどころか、アメリカ政府・軍と共に原爆被害の矮小化をしてきました。占領が始まってからは、ウィルフレッド・バーチェット記者のように、連合国軍の記者が残留放射線による被害を裏付ける報道(※)を行いましたが、それに対するトーマス・ファーレル准将など、アメリカの軍人たちやアメリカ政府が、「そういう影響はない」という声明を発し続けて、今に至っています。

このようにして「いかに原爆が非合法で残忍な兵器か」という情報が、早速隠蔽されてしまったわけです。残留放射線・内部被曝にしても、それを認めてしまえば、核兵器の正当化を棄損してしまうことになりかねない。被害を無視・軽視する態度はそうしたところからきていると思います。

(※)それを裏付ける報道
デイリーエキスプレス(ロンドン)特派員のウィルフレッド・バーチェット氏は1945年9月5日の記事で「原爆の疫病とでも言うしかないものによって人が亡くなっていく」と報道。ニューヨーク・タイムズから派遣されたW・H・ローレンス氏も同様の報道を行っている。

(参照)へいわ創造機構ひろしま(HOPe)
https://hiroshimaforpeace.com/atomic-plague/

――内部被爆を無視・軽視したままでは、原爆による被害の実態は伝わらないと思うのですが。

その通りだと思います。逆に『はだしのゲン』では、ゲンの頭髪が抜け落ちる様子を描いています。ですから、急性症状も含めて被爆の影響を描いており、ゲンの存在そのものが、「原爆は国際法違反の兵器である」ということを示していると思うのです。

ABCC(原爆傷害調査委員会)が1947年に広島、長崎の被爆者を調査する機関として発足しましたが、そこも本当に生々しい描き方をしています。ゲンのお兄さんが母親をABCCに連れていく場面があります。ここなら治療を受けられるのではないかと思っているわけですね。ところが、「かあさんはまるハダカにされて白い布をかぶせられ室(へや)をぐるぐる回され体のすみずみまでしらべられただけよ」と、標本のように扱われたことが描かれています。ABCCや放射線影響研究所の調査は、アメリカの原子力委員会や軍によるものなので、残留放射線や内部被曝についての情報は過小評価されるか、軍事機密情報として共有されてきませんでした。従って何重にも伝わらない、伝わりにくい構造ができていたのだと思います。『はだしのゲン』はそうした問題も告発しています。

原爆ドーム。2023年5月には広島でG7サミットを控えている。

――高橋さんは『はだしのゲン』に出てくる町内会の会長、鮫島伝次郎という人物に着目されているそうですが、どんなキャラクターで、どんな点に注目されているのでしょうか?

一言で言うと、時代の抑圧の「権威」を代表する人物だと思います。ゲンの父親は戦時中、鮫島町内会長から「非国民」として糾弾され、その結果特高警察に捕まってしまいます。町内会長は戦後、あたかも戦時中は戦争に反対していたかのように演説しています。「わたしは戦争反対を強く叫び通しておりました」「私鮫島伝次郎は市会議員に立候補し、当選の暁にはこの広島市の復興を平和の鬼となってやりとげる決心であります」と。さらに1950年代には県会議員となり、「日本の防衛」という題で「愛と平和の戦士」として講演会を行います。戦時中の軍国主義者が戦後日米同盟の推進者となり、日本の再軍備を行っている様を、皮肉を込めて描いています。

作者が生きていたら、「日米同盟」を強調し「集団的自衛権」を正当化し、核兵器は憲法違反でないとする今の政権をどのように描いたでしょうか。皮肉を込めて鮫島町内会長を今の日本国首相になぞらえて描いたのではないでしょうか。そして「こんな戦争をよろこぶ奴が偉そうに日本の政治をうごかしているとおもうと、わしゃ、くやしくて腹がにえくりかえるわい」と怒っていると思います。鮫島伝次郎は決して単独の存在ではなく、彼を支える「マジョリティ」がいるのだと思っています。

核廃絶の思いを込めた教材作りを

――今後、高橋さんとしては広島市教育委員会にどういった対応を求めていきたいと考えていらっしゃいますか。

削除の方針を撤回してほしいと思います。市議会を傍聴された方の証言によると、教育委員会は、有識者による検討会議には「新学習指導要領に精通している人が必要」と答弁したとのことでした。なぜ平和研究に精通している人ではないのでしょう。新学習指導要領に基づく教育では、日本やアメリカを賛美しつつ、アジアの国々、また、日本在住の日本国以外にルーツを持つ人々への配慮のない内容になりかねないと危惧しています。

また、多様性どころか同調性を求める教育になりかねない、とも感じています。いつの間にか「国のために命を捧げること」を賛美するような教育や、軍拡・安全保障教育になってしまわないかと懸念しています。これは私が「新学習指導要領」に基づいて作成された、私の息子の小学生時代の社会・道徳の教科書を読んで実際に危惧したことです。平和ノートは教科書ではないので、広島市教育委員会には、もっとオリジナリティあふれる戦争・平和・差別・人権、さらには核廃絶への思いをしっかりと取り上げたものを作ってほしいと思います。

――『はだしのゲン』の削除を巡る動きは、私たちに何を投げかけていると思われますか?

これは広島市の小学生や中学生の教育にとどまらないことだと思いますが、『はだしのゲン』のように強烈に反戦・反核を訴える教材・言論・出版は簡単にいつの間にか削除されてしまいかねないということを示していると思います。

広島市教育委員会の変更前の説明では《漫画の一部を教材としているため、被爆の実相に迫りにくい。ゲンの気持ちを考えることに留まり、教材を通して、自分が平和について考えたことを伝える学習となっていない》とあります。しかし、この削除問題にこれだけ多くの人、メディアが関心を持ち、「これはおかしい」と発言している人がいるということ自体が、いかに多くの人がゲンの気持ちを考え、戦争と平和について考え、伝えてきたのか、ということを示していると思います。

『はだしのゲン』、また、第五福竜丸のことを通じて知ったこと、学んだこと、考えたこと、感じたことをより一層世代を超えて、国を超えて、言葉を超えて伝えること。そうしたことが大事だと思います。

【プロフィール】
高橋博子(たかはし・ひろこ)

兵庫県西宮市生まれ。同志社大学大学院修了。博士(文化史学)。明治学院大学国際平和研究所研究員、名古屋大学法学研究科研究員などをへて2020年4月から奈良大学教員。著書『新訂増補版 封印されたヒロシマ・ナガサキ』(凱風社,2012年),共著 『核の戦後史』(創元社、2016年)他。日本平和学会理事・広島平和記念資料館資料調査研究会委員・第五福竜丸平和協会専門委員・日本パグウォッシュ会議運営委員。

※本記事は2023年3月1日に放送されたRadio Dialogue、「『はだしのゲン』削除から考える記憶の継承」を元に編集したものです。

(2023年3月 /編集 田中えり )

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