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インタビュー

2024.3.22

社会の在り方や常識に「問いかけ」続ける(落合恵子さんインタビュー)

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

田中 えりEri Tanaka

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

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佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

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安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

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佐藤 慧 Kei Sato

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田中 えり Eri Tanaka

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安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

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佐藤 慧 Kei Sato

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田中 えり Eri Tanaka

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安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

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佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

田中 えりEri Tanaka

2024.3.22

インタビュー #田中えり #人権 #子ども・教育 #政治・社会 #佐藤慧

世界各地で繰り返される戦争、2024年元旦に能登半島を襲った地震、2011年の福島第一原子力発電所の事故、そして貧困の拡大など、社会課題は山積しています。ところが、そうした社会課題に声をあげる人を冷笑したり、何か困りごとを訴える人に「自己責任」論を突きつけるような言葉が後を絶ちません。この社会には今、どんな「言葉」が足りていないのでしょうか。作家で、子どもの本の専門店「クレヨンハウス」主宰の落合恵子さんと、「社会をケアする言葉」について考えました。

撮影/神ノ川智早

 

命、人権に向かって歩く

――クレヨンハウスでは戦争、原発、人権に関わるさまざまなイベントを開いていらっしゃいます。パレスチナやウクライナ、ミャンマーなど、戦争が収まらない現状をどう見つめていらっしゃいますか。

心の半分ではまだ終わっていないという無念さと、力足らずである自分自身も含めて今を生きている全ての大人への無念さがいつもあります。ただし、歴史を見ていけば、残念ながら戦争はすぐに終わるものでなく、繰り返し。じゃあ、いつになったら私たちは、「終戦」――本当の意味での戦争の終わりを見ることができるのかと思うと、悲観的になってしまう瞬間もあります。

ただ、そんなときに自分に言う言葉は「諦めてはいけない」。昨日より今日、0.0001歩でも無理でも平和に向かって、あるいは命に向かって(全部同じだと思うんですが)人権に向かって歩いていこうという思いはあります。

 

言葉が危うくなったときが平和が危ういとき

――イスラエルとパレスチナの衝突では「人間動物」という人間の存在を根底から否定する言葉も飛び交っています。この現状についてどうお感じになりますか。

社会が好戦的になっていく、あるいは自分が属するそのグループが極めて攻撃的になっていくときに、あまり美しくない言葉で相手の人格を否定するような言葉が使われますよね。

言葉が危うくなったときが、平和が危ういときだと私は思いますし、現実にもう危ういどころか戦争前夜を過ぎて、その最中にいるのでは?と。何かを見たときに言葉が美しくない――美しいというのは整っているということではなくて、言葉がビビッドでないということに気が付いたとき、この社会は「大丈夫なのか」と問いかける視点が必要だと思います。

 
――能登半島の地震で「原発は大丈夫なのか」という声も聞かれました。不安を口にする声がどれだけ社会へ、為政者へ届いているかが不透明な時代になっています。

1月1日のあの瞬間。午後4時10分ごろ。「あっ、志賀原発」と多くの方が考えたでしょう。あるいは、あの近辺はとても原発が多いです。「私たちはやっぱり福島から何も学ばなかったのか」、「反対は言ったけどそれがなぜ、なかなか為政者に届いていないのか」、あるいは「あの為政者たちを選んだのは誰か」について、もう一度考えなければいけないですよね。

もうひとつ。そのとき例として出てきたのが、珠洲の原発に反対したご住職たち。結局(原発を)作らせなかったですよね。一方は作ってしまって恐ろしい思いを、もう一方はとても嫌な思いをたくさんされたと思いますけれど反対運動をして作らなかった。この違いは、どこから生まれるのか。もちろん近くの原発で何かあったら珠洲だって無傷では済みません。でも自分たちは作らなかった。このことも考えていかなければいけないですね。

 

大きな力は人々を対立させ、生き延びてきた

――2011年に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故。被害に遭われた人々の声も社会の中で可視化されていません。

そうだと思います。不安や悲しみや無念さ、それをどこかで一度はきちんと整理して言葉にしないと、人生の中でとても辛い思いをずっと抱き続けることになると思う。

けれど現実に、福島のあの事故の後を見ていても、それよりその前を見ても、同じように被災されても住民は対立させられたり。結局大きな力は「反対派」と「賛成派」を対立させて生き延びてきたんですよね。このこともしっかり知らなきゃいけない。

佐藤祐禎さとう・ゆうていさんという農夫で歌人だった方が、長い間、歌を詠まれてこられました。自分たちが獲って、食べて、自分たちが一番おいしいと思うところの魚を、原発があるために「この海のものではない」とスーパーで書かなければいけないその悲しさ。あるいは、ご自分の甥っ子がだんだん言葉少なになってきた。というのは、福島の原発は小さな事故がたくさんあって、言葉を自分から捨ててしまう。甥は、原発関連の仕事をしている……。自分が大好きで人生の大半を過ごしてきた双葉郡から違うところに行かれて……。亡くなってしまう。本のタイトルが『再び還らず』。土と共に生きていた人、種と共に生きていた人、その人が原発反対を言わざるを得なかったのは何なのか、もう一度私たちは考えないといけないですよね。

佐藤祐禎歌集『再び還らず』
https://irinosha.stores.jp/items/61df873d1dca327717623a7d

 
――土地から離れる痛みというのは他に比べられるものではない。

土地から引き離されるというのは自分の歴史から引き離されるということですね。幼い時代、子ども時代、少年少女時代、青春時代、いっぱい持っていたそれぞれの時代も、ある意味では引き剥がされてしまう。その無念さを、ちょっとだけ私たちは「自分だったら」と思って、難しいけれど、考えなければいけないと思います。

 
――パレスチナでも「土地というのは自分の一部」と聞いて、まさに福島で聞いてきた話だと思いました。

パレスチナの人々、ガザ地区、その他もろもろのことを語る。いま私たちは一生懸命自分たちに引き寄せようとしている。でも、その引き寄せることが、ウクライナを忘れることでもない。全員がひとつの命から考えていくと、いかに私たちは酷薄なのか悲惨なのか、どういう言葉を使ったらいいか分かりませんが、ひどい時代を生きているか。誰もがひとつの戦争が終わった後、もう二度と戦争は嫌だと思ったはずです。繰り返したくないと思ったはずのことをまだ繰り返している私たち――。時々、人であることって何なんだろうと分からなくなってしまうときがあります。

 

政治は誰のためのものか

――政治が機能することが必要ですが、裏金の問題(自民党の派閥の政治資金をめぐる裏金問題)もあります。為政者の姿や、その言葉についてはどう見ていらっしゃいますか。

ひどいものですよね。というか、あまりにもひどくて、怒らなきゃいけないのに、「またか」と思ってしまう自分が怖いですね。ずっと繰り返してきた裏金問題もそう。私たちは「私たちが主役である」、「私たちが1票を持っている」、「もし為政者たちがだめだったら、あなたのことを私たちは落としますよ」という権利、強い力を持っているはずなのに、充分に使わないで来たのか。これはとても不思議な気がします。

裏金の額や議員の名前がずらっと書いてあるものを見ると、まだ復旧の第一歩まで行っていない能登半島の被災地にこのお金をどうしてすぐさま送れないのかと思います。他にも、もちろん困っていらっしゃる方がいます。そうすると、政治っていったい誰のためのものなのかという基本に戻ります。

 

国の構造、人間の思考の「問い直し」を

――今年2月上旬、東京でも大雪が降りました。路上で生活する人にとっては命に関わります。

たとえば今年はフランスでオリンピックがあります。私、(1964年の)東京オリンピックも十分知っている年代なんですが、あの時東京から消えていったもの、消えていった人がいました。為政者が考えるところの「この人たちがいる」というのが分かられたくないという人たちが消えていった。それから私の知っているところでは、黒いペンキ塗りのゴミ箱が消えていきました。その他もろもろ。つまり自分たちが都合のいい形で国を作ってきて、その邪魔になる人たちは捨てていってしまった、かつての東京オリンピックがありました。今でも、いろいろな場面で、繰り返されていることでしょう。

前回(2021年)の東京オリンピックは反対した人が随分いました。私も反対しました。が、やっぱりおこなわれてしまった。なんとなくの反対の声もあったせいか、きっちりした形での「問い直し」が行われないまま、「え、もうこんなに過ぎちゃったの?」と。

 
――声をあげること、その責任についてはどうお考えになりますか。

「責任」であるという言葉も正しいし、同時にそれも「権利」ですよね。少しだけ余裕がある、声をあげられる人が声をあげないで誰が声をあげられますか、という「問いかけ」は、とても大事だと思います。それはスポーツ選手だったり、海外だと芸能関係の方だったり、いろいろな方が声をあげる。例えば、Black lives matterで大坂なおみさんが声をあげたとき、日本の内側からバッシングの声もあがっていましたよね。声をあげるのは民主主義の権利です。それを叩くのはきわめてアンフェアであると知るべきですが。

 

子ども時代に「してはならないこと」ばかり教わるつらさ

――関心の間口を広げるという意味では、さまざまなアート作品も入り口になると思います。クレヨンハウスでは、「ママたちが言った」という絵本を出されています。

原題は「The Talk」。伝えること、語ることのTALKですね。これは私ではなく、編集担当の者が見つけてきてくれました。米国におけるアフリカ系アメリカ人、今までの言葉で言えば「黒人」の子どもたちがごくごく幼い時、あるいは小さい時は自由にやんちゃであったであろう子たちが、ある年代を超えて少年・少女に成長していく時、家族から注意されること、大人から言われることがあります。

例えば、表を歩く時、「フードをかぶっちゃいけない」。フードをかぶって歩くと悪いことをするために顔を隠してると思われるんじゃないか、と。あるいはポケットに手を突っ込んでいると「それは危ないよ。中に何かナイフとか凶器とか持っていると思われたらどうするの」。ガムひとつ買っても「レシートをとっておきなさい」。安いものでも、レシートがないと盗っただろうと言われたときに証明できないよ、などなどですね。

最も自由で最も無垢な子ども時代に、なぜ「してはならないこと」ばかり教えられなきゃいけないのか。それも大好きなお母さんやお父さんやおじいちゃんやおばあちゃんから、そう言われるつらさ。同時に、そう言わねばならない大人たちのつらさ。過去ずっと差別されてきたということだけでなく、いま現在、リアルタイムの子どもの目から描いたのがこの「The Talk」という作品なんですね。絵を描かれた方も、文章を書かれた方も、「される側」のアフリカ系アメリカ人です。

 

遠くの出来事から近くの差別が見えてくる

――アメリカ社会におけるマイノリティであるが故に、気を付けなければならないことが課されています。

もうひとつ大切なことは、アフリカ系アメリカ人もそうですし、アジア系アメリカ人はどうなのか、ひとつひとつ見ていかないといけないですね。共通するものがあるはずです。アフリカ系アメリカ人であろうとそうでなかろうと、じゃあ社会が「障がい」と呼ぶものがある人にはどうなのか、ひとつひとつ検証していかないといけない。日本ではようやくLGBTQに光が当たりましたが、まだ問われていないことはないか、とこの「ママたちが言った」は私に問いかけてくれるんですね。

この中で私の大好きな詩人・石川逸子さんの詩をご紹介しています。「遠くのできごとに 人はうつくしく怒る」。とても痛い言葉です。近くの出来事にはだまっていて、遠くのことには「許さない」と美しく怒ってみせる。これも本当に問わなきゃいけないし、「ママたちが言った」もある意味では「遠く」とも呼べます。でもここから何かを引き出した時、私たちは近くにあるところのいろいろな差別、それらがより鮮明に見えてくるのかなと思います。

 

少しの気づきが少しの自由を私に

――最近では「レイシャルプロファイリング」の問題があります。警察官が、ある人のルーツや出自などの背景をもとに「この人は犯罪に携わっているんじゃないか」と職務質問をする。それに関する訴訟が日本でも起こされています。

例えば髪の毛が長い、ドレッドヘアをしているとか、そういうことだけで(犯罪に関わっているんじゃないかと)見られてしまう。なぜ私たちはその人のその人自身でないところまで見てしまうのか。「レイシャルプロファイリング」だけでなく、男か女かでも、異性愛者か同性愛者かでも違ったりしますね。そういうところの「問いかけ」はやはり続けていくしかないのかなと。ひとつの蓋が取れてもまだ取れていない蓋があって。蓋の一番下の地下では、人が人であることを阻む、差別的な地下水脈があるということに気が付きたいですよね。私もまだまだ十分じゃない。でも「少しの気付きが少しの自由を私にもたらした」という言い方はできるかもしれないです。

 
――属性に基づく差別が病巣の奥底にあります。社会課題や、自身が直面することに声をあげるとそれを冷笑したり、あなたが悪いから、弱いからと自己責任に回収したりする文脈もあります。

例えば「セクシュアルハラスメント」や最近は「性加害」という言葉が使われますが、これらについて告発しようとすると、本当にその人の人生そのものを否定するような言い方をされる場合があります。私は40年くらい前、「ザ・レイプ」など、性暴力を告発する小説を書きました。あえて小説にしたのは、小説だと構えないで読んでくれるんじゃないかと考えたからです。ただ、「ザ・レイプ」と横文字にしてしまったために、その忌まわしさが薄れたのではないかとずっと自分を責めていた時期もありました。どんなに拙くても作品にすることで、ひとりでも多くの人に手渡していきたいと今も思います。

当時は、本当に被害者が声をあげていませんでした。被害者の方から長い手紙をいただいた。「自分が悪かった」、「自分を責めるしかなかった」と。その時の私から見てもご高齢の方が、自分を責め抜いた日々について記されている。自分を責めるしかなかった、と。

「そんなに性暴力が嫌だったらスカートを履くな」、「口紅をつけるな」と言われた時代がありました。そういう世の中の常識に対して「本当にそうか」と問いかけをしない限り、そのまま続いていってしまいます。

 

自分の心に近い言葉を探し続けたい

――今、どのような言葉が社会に必要とされていると思いますか。

私は本屋をやっていて、自分も本を書いて言葉を使って暮らしていますが、時々、言葉って何ができるか、正直分からなくなるときがあります。

例えば、デモがあります。そこで短いけれどスピーチをする。その時は一生懸命用意していきます。でもステージにのると緊張しちゃってその言葉を忘れる。でも、言葉っていつも用意されていないといけないのか、という問いも私の中にあって。用意していない時に出てくる言葉が案外本音だったりする。これも大事にしたいなって思うんです。ケアできるかできないか分からないけど、自分の心に近い言葉を探し続けたいです。

 
――最後にメッセージをお願いします。

英語の言葉で、私の大好きなフレーズがあります。“I can’t live your life.” あなたの人生を私は生きることができません、という意味で、それはそのまま「あなたを生きることができるのは、あなたしかいません」という言葉です。大事にしていきたいです。あなたがあなたの人生を生きていくことを阻むものがあったら、一緒に声をあげましょう。

 

【プロフィール】
落合恵子(おちあい・けいこ)

作家、クレヨンハウス主宰。社会的に声のちいさい側に置かれたひとたちの視点で、執筆、活動を続けている。小説『偶然の家族』(東京新聞)、『わたしたち』(河出書房新社)ほか著書多数 。子どもの本の翻訳に、『おやすみ、ぼく』『あの湖のあの家におきたこと』『悲しみのゴリラ』(以上、クレヨンハウス)、『とんでいったふうせんは』(絵本塾出版)など。「さようなら原発1000万人アクション」「戦争をさせない1000人委員会」呼びかけ人。

 
※本記事は2024年2月7日に配信したRadio Dialogue「社会をケアする言葉」を元に編集したものです。

(2024.3.22 / 聞き手 佐藤慧、 編集 田中えり)

 
 
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2024.3.22

インタビュー #田中えり #人権 #子ども・教育 #政治・社会 #佐藤慧