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Interview

2020.4.13

「ちむぐりさ」あなたが悲しいと、私も悲しい -15歳で見つめた沖縄から学んだこと

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2020.4.13

Interview #Yasuda

名護市辺野古の基地建設を巡り、2019年2月末に県民投票が行われてから1年あまり。投票では反対の意思が7割を越える多数を占めたものの、工事はその後も続けられています。

これまでも米軍基地関係の事故や事件が相次いできましたが、2020年4月10日、米軍普天間飛行場から有害な有機フッ素化合物を含む泡消火剤が流出し、大量の泡が住宅街に飛散しました。(*1) 新型コロナウイルスの感染拡大が続く中ですが、米軍は基地内での感染者数など、今後すべての詳細を、沖縄県含め非公開にするとしています。(*2) 県が求める、感染した嘉手納基地米兵2人の行動履歴なども非公開となります。米軍関係者は基地内外で県民と接触するにも関わらず、対策に不可欠な情報が届かないのです。

*1 【住宅地の様子】泡消火剤流出、一夜明けても大量飛散 住民「怖い」(2020/4/11 琉球新報)
*2 米軍内のコロナ感染すべて非公開に 沖縄基地も適用 拡大防止へ悪影響と批判も(2020/4/1 沖縄タイムス)

沖縄が今、強いられている問題や、歴史、文化、戦争の爪痕に、高校生という多感な時期に触れた坂本菜の花さん。3年間、北陸中日新聞にコラムを連載し、書籍『菜の花の沖縄日記』も出版しています。沖縄滞在中や、その後の歩みを追ったドキュメンタリー映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』も公開されたばかりです。現在二十歳。基地問題をはじめ、沖縄の現実を知った坂本菜の花さんが、今何を感じ、何をすべきだと考えているのかを伺いました。

(C)沖縄テレビ放送

沖縄は「地方」なのか、という問い

安田:菜の花さんは15歳の時、ふるさとである石川県を離れて沖縄県で暮らすことを決めたということですが、きっかけはどんなことだったんですか?

菜の花:私はもともと、小学校5年生の終わりから中学校卒業まで、家を離れて和歌山県の学校に通っていました。中学校の時の修学旅行で初めて沖縄に行って、那覇空港から那覇中心部へ入るための「ゆいレール」というモノレールに乗ったときから、沖縄の人たちの目がキラキラとしているように感じられたんです。進路を考えた時にいい学校を紹介してもらったこともあり、沖縄で暮らすことを決めました。

安田:なぜそうやって輝けるのだろうか、ということも探しに、沖縄にもう一度戻ってきた、ということですね。通われていたフリースクール、「珊瑚舎スコーレ」はとてもユニークなところだと聞きましたが、どんなところなのでしょうか?

菜の花:沖縄という場所にあることをとても大事にしている学校で、沖縄の文化、歴史などを授業にも積極的に取り入れています。例えば、「沖縄講座」という授業があるのですが、そこでは三線が必修で、紅型という染め物の授業があったりします。体育講座ではエイサーを習ったりと、様々な形で文化を知ることができる場所ですね。

安田:沖縄の文化といえば、「ウチナーグチ」と呼ばれる沖縄独自の言葉もありますよね。映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」でも、ウチナーグチを学んでいる場面がありました。

菜の花:私が一番関心を持ったウチナーグチが「ちむぐりさ」という言葉です。日本語でいうと「かわいそう」と訳されがちなのですが、少しニュアンスが違います。「かわいそう」というのは、私からすれば上から見ている人が下の人に向かって言う言葉のようにも思えます。沖縄の「ちむぐりさ」は、あなたが胸を痛めていると私も痛い、一緒に悲しむという言葉だなと私は感じています。そういう言葉を通して、沖縄を知っていく時間も多くありました。

安田:なるほど、上から下への目線ではなくて、同じ目線に立とうと努めるような言葉に感銘を受けたと、いうことですね。

菜の花:私は最初、沖縄というのは、「地方」だとどこかで思っていて、沖縄の「方言」と新聞の連載にも書いてしまったことがあるんです。その時、学校長の「ホッシー」こと、星野人史さんから、「沖縄の言葉は“方言”ではない、“方言”というのは中心の東京とそれ以外の地方という考え方の中にあるけれど、沖縄というのは独立した琉球という国だった歴史がある。全く違う文化を持っているだから“沖縄の言葉”なんだ」と指摘されたことがありました。

安田:なるほど、文化という意味でも、中心・地方という考え方よりも、中心の一つであるという考え方もできますね。

珊瑚舎スコーレ、夜間中学に通うおじい、おばあたちと(C)沖縄テレビ放送

「加害者」としての自分を見つめる

安田:沖縄には豊かな文化がある一方で、基地建設や、相次ぐ米軍機の墜落や部品落下事故など、厳しい状況を強いられています。沖縄滞在中に戦争体験者の方のお話を聞いたり、辺野古に行ったりと積極的に活動されていましたが、そうした体験を通してどんな気づきがありましたか?

菜の花:私が通っていた珊瑚舎スコーレには、夜間中学に戦争体験者の方が通っています。

安田:戦争の混乱によって、勉強する機会を奪われてしまったおじい、おばあたちですね。

菜の花:必ずしも戦争の体験を鮮明に覚えている世代ではなくても、戦後の貧しさで学校に通えなかった方たちもいます。私たちは昼間に勉強していて、放課後に、夕方6時頃に開講する夜間中学の授業を受けにくるおじい、おばあたちと、おしゃべりするのが日常でした。日常的にそういった方々と接しているからこそ、決して遠い問題には思えませんでした。

慰霊の日(※沖縄での組織的戦闘が終結したとされる日)である6月23日は、毎年珊瑚舎スコーレで特別なフィールドワークを行うのですが、高校3年生のときにチビチリガマにも行きました。そこは集団自決、集団強制死が行われたところなのですが、高等部の女の子がガイドをしてくれたんです。なぜ、こんなことが起きたのか、その子は「社会の雰囲気」や「教育」という言葉を使っていました。それを突き詰めていくと、日本の教育、日本から沖縄に強いた教育、ということだと思います。日本というのは私が住んでいる「大和」(※沖縄以外の日本の地をそう呼ぶことがある)で、日本政府は私たちが支えている…この時、自分の中にあった点線のようなものがつながった、私と沖縄がつながった、と思いました。私は「大和」から来た人間で、加害者側だ、ということを、チビチリガマを訪れた時に感じました。

安田:戦時中に集団で自決することを強いたことも、今なお沖縄にこれだけの基地が集中していることも、“本土”にいる私たちが、加害者だった、あるいは現在もそうであることの表れですよね。

平和祈念公園(沖縄県糸満市)、平和の広場の中央には「平和の火」が灯されている

新基地建設「賛成」に投票する漁師さんとの出会い

安田:2019年2月には、辺野古での基地建設を問う県民投票もありました。何か地元の方とお話をして印象に残っていることはありますか?

菜の花:この時はすでに珊瑚舎スコーレを卒業していましたが、県民投票のときは沖縄に1週間ほど滞在しました。県民投票は18歳以上しか投票権がなかったのですが、17歳以下の人もちゃんと思っていることがあるし、それを表現したいということで、投票の前日、珊瑚舎スコーレの一つ年下の女の子が、17歳以下の「街頭県民投票」のような形でシール投票を行いました。私もそこに参加したり、実際に辺野古に行ったりしていました。

街頭で行ったシールでの模擬県民投票(C)沖縄テレビ放送

菜の花:辺野古には、資材が運ばれるゲート前と海辺に、基地建設への抗議活動を続けている方々のテントがあるのですが、海辺のテントに行く途中、地元の漁師さんに呼び止められたんです。その方は、県民投票という形であれば辺野古の新基地建設賛成に投票する、条件付きで受け入れるという立場の方でした。私はそういう方に出会うのは初めてだったのですが、どれだけ反対を示しても変わってない、土砂も入れられた、だったらその状況の中でも、子どもや孫によりいいもの渡さないといけない、と話されていました。私はその話を聞きながらなぜか、涙がポロポロとこぼれてしまったんです。

この人も、もしかしたら昔は反対していたかもしれないし、漁師さんだから海は仕事の場、生活をしていくための大切な場所だったはずです。それを埋め立てるという選択を何とか受け入れるまでには長い時間がかかったと思います。色んな迷いがあったと思うけれど、そこに行きつくほどの時間が経ってしまったんだな、ということを考えずにはいられませんでした。お話を聞いた浜から、遠くに埋め立てられているところが見えるんです。そのコンクリートの向こうに島が見えるんですが、おじさんが最後に、「完成したらこの島は見えなくなるんだよ、でもまだ見えるね」っておっしゃって…言葉を失って、ただただ私は泣いていました。

2019年10月、工事が進められる辺野古の海。コンクリートの先に、島が見える。

「自分事」にするための行動とは

安田:こうして現地で生活する方々の声に触れてから「本土」に帰ってみて、初めて気が付くこともあるのではないでしょうか?

菜の花:温度差を感じました。沖縄では毎日、沖縄タイムスと琉球新報に、必ず米軍基地の問題が書かれているのですが、それが地元の石川に戻ったら、ほとんどないんです。あっても見つけるのが大変なくらい小さな扱いです。三上智恵さんという映画監督の方がよくおっしゃっているのが、「沖縄の問題は対岸の火事ではない、向こうに火がついていて大変だね、ということではなくて、もう私たちの服にも火がついているんだ」ということなんです。でも、石川県に戻った今、それが感じにくいし、一時期は思っていてもまた何日かすると忘れてしまう、薄れてしまうという、じゃあどうしたらいいんだろうと、もんもんと考えることがあります。

安田:例えば東京に暮らしていても、6月23日が沖縄の慰霊の日であることを、どれほどの人が知っているだろうか、と考えてしまいます。でも私たちがこうして背を向けて生きていられるのは、裏を返せば、沖縄にそれだけ負担を集中させていることの表れですよね。それをどうやって、「自分事」にしていくことができると思いますか?

菜の花:「自分事」にするということは、自分との関係性が見えているということだと思います。例えば沖縄で何かが起こった時に、あのバイト先のオーナーご夫婦はどうしているだろうか、あの人はどう思っているだろうか、と知っている人の顔が浮かびます。事件、事故が起きた沖縄ではなくて、自分が知っている誰かがいる沖縄、と考えることができれば、もっとシンプルに「自分事」になっていく気がするんです。知り合いをつくるためにはやっぱり、自分で足を運ぶことが大切だと思っています。

安田:それはネットで情報を探してみたり、テレビや新聞で情報得たりすることとは違ったものでしょうか?

菜の花:そうですね、全く違います。写真は何かの意図があって切り取られて、その一部しか見ることができません。現地に実際に行ったら、まずにおいがありますし、写真では見えていない裏側、360度の景色が見えます。この身体で感じられるっていうのは、新聞とかテレビとかでは伝えきれないものを感じ取ることができると思います。

安田:ぼんやりとした輪郭ではなくって、自分が知っている誰かが住んでいる場所、というだけで、心の距離がぐっと縮まりますよね。

菜の花さんも訪れた、宜野湾市の緑ヶ丘保育園。2017年12月、米軍普天間飛行場所属の大型輸送ヘリからとみられる円筒が落下した事故が発生。その後も縁の上を、米軍機は飛び続けている。

足元の問題から声をあげていく

安田:沖縄でも様々な経験を積み重ねてきたと思いますが、今、思い描いている夢はありますか?

菜の花:これは沖縄に行って痛感したことなのですが、石川出身の私が沖縄に行って何かをすることももちろん大事ではあるけれど、身近に潜んでいる差別構造だったり、理不尽だと思うことにも向きあわなければということです。その身近な問題に対して声をあげないのは、結局は沖縄の無力感をつくっている構造と、どこかでつながってしまうと思うんです。だから私たちが今いる場所で、いかにおかしいと思うことに対して敏感に気付くことができるかを考えています。そこで昨年の春からふたつ、珠洲市という石川県の私が住んでいるところで勉強会に参加しています。一つがごみ問題を考える会です。珠洲市の埋め立て処分場がいっぱいになってしまい、別の場所に作ろうというニュースを聞いて、そもそものゴミの量を減らせないかだったり、そういうことを勉強する会を作りました。

もう一つは、もっと市民が政治に参加できるような勉強会です。自分の住んでいるところをいかに楽しくできるか、いかに声をあげてそれが届くのか、市民の声が届くっていう自信をつけるということが、きっと沖縄にもつながっていくのだと感じています。

安田:沈黙をするということが、無意識に何かに加担してしまうことなのかもしれない、というのも沖縄に滞在されていた時の学びなのかもしれませんね。だからこそ声をあげていく、そのためにも自分の足元から声をあげやすい環境をつくっていく、ということが私も大切だと思います。

辺野古、キャンプシュワブのゲート前で(C)沖縄テレビ放送

(聞き手:安田菜津紀/2019年9月18日)
(インタビュー書き起こし:久保田潤一)

▶︎ 映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」
(※現在、上映していたポレポレ東中野が当面休館となってしまいましたが、状況が落ち着き、開館後、ぜひ劇場に足をお運びください。)
▶︎ 書籍「菜の花の沖縄日記」(ヘウレーカ)

※この記事はJ-WAVE「JAM THE WORLD」2019年9月18日放送「UP CLOSE」のコーナーを元にしています。

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