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エッセイ

2021.4.2

ぶさいくなしゃもじ(『10分後に自分の世界が広がる手紙』より)

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

田中 えりEri Tanaka

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

田中 えりEri Tanaka

2021.4.2

エッセイ #アフリカ #佐藤慧

本記事は『10分後に自分の世界が広がる手紙』(東洋館出版社)という小中学生向けのエッセイシリーズの一冊、『毎日がつまらない君へ』から、WEB記事用に整え、転載したものです。書籍詳細は記事末をご参照ください。

※書籍では難しい漢字にはルビをふっています。
※本記事に掲載している写真はWEB記事のみのものです。
 

 


 

ぶさいくなしゃもじ

あるときぼくは、ザンビアの小さな村で、学校や病院のお手伝いをする活動を行なっていました。ぼくが住んでいたころのザンビアは、国民の半分以上が、一日100円ほどでくらさなければいけない、とても貧しい国でした。病院も少なく、幼くして命を落としてしまう子どもたちも大勢います。

電気が安定せず、ガスも水道も整っていない村での生活は、日本での生活とくらべると、とても不便なものでした。夜暗くなれば、ろうそくに火をともし、水は井戸からくんできます。ガスコンロもないので、料理をするときは、その1時間も前から、木炭に火をつけなければなりません。

洗濯機もない生活では、井戸水をくみ上げ、タライで服を洗い、両手でぎゅっとしぼってから干さなければなりません。

こわれたものは自分でなおし、売っていないものは自分でつくります。学校の校舎を建てるプロジェクトをおこなっていたときは、近所の大工さんたちといっしょに、ドアや机、黒板までつくりました。

電気がとどく時間も限られているので、冷蔵庫も役に立ちません。もちろん、コンビニやスーパーもなく、食材はその日のうちに、歩けないほどの人でこみ合う、路上の市場で買ってきます。

たいていは野菜とお米、ザンビアの主食であるンシマ(トウモロコシの粉をお湯でといておもちのように固めたもの)などを食べますが、ときどきはお肉も食べたくなります。そんなときは、生きたニワトリやヤギ、ブタなどを買ってきます。そして家の庭で、包丁一本でさばいていくのです。

あばれるブタの足をおさえ、首に包丁を入れていきます。温かい血がながれ、ブタは少しずつ動かなくなっていきます。たきびで全身の毛を焼き皮をはいで、まだいのちのぬくもりの残っている内臓を取り出し、肉を切り分けていきます。ぼくは、自分で動物をさばいてみてはじめて、「いただきます」という言葉の意味が、本当は「あなたのいのちをいただきます」という意味なのだと、気づきました。

不便な生活は、大変なことばかりに思えますが、じつは、便利なものにかこまれた生活では意識しない、大切なことに気づかせてくれる毎日でもあるのです。
 

近所の子どもたち。井戸まで水をくみに行くとちゅう。

「しゃもじ」をつくったときのことを、君に話しましょう。

ぼくは日本食が好きなので、やはりンシマよりも、お米のごはんが口に合います。さいわい、ザンビアでもお米は売っていました。けれど、お米を炊いたあとにお茶碗によそう、「しゃもじ」がどこにも売っていなかったのです。しばらくは、同じような大きさのスプーンをつかっていましたが、やはりしゃもじの使い勝手にはかないません。

「そうだ!ないものはつくればいいんだ!」と、ぼくはしゃもじをつくることにしたのです。

本当は、日本の桜の木のように、きめが細かく、かたい木材だといいのですが、ぜいたくは言えません。近所の大工さんに、あまっていた木材をゆずってもらい、理想のしゃもじを思いうかべ、毎日少しずつ、ていねいにけずっていきました。

たった1本のしゃもじですら、小さなナイフでけずっていくのは大変です。ときにまちがって指を切ってしまったり、思ったよりもけずりすぎてしまったり、なかなかうまくいきませんでしたが、ちょっとずつ、しゃもじらしくなってきました。

何日もかけてつくったしゃもじは、とてもぶさいくなものでしたが、ぼくにとっては、たくさんの苦労が染みこんだ、大切なしゃもじです。それに何より、自分で何かをつくるということは、とても心のわくわくする、楽しいことでもあったのです。
 

かんたんな道具だけで、なんでもつくるザンビアの大工さん。

100円ショップに行けば、ぼくのつくったしゃもじよりも、はるかにじょうぶで、見た目もいいしゃもじが手に入るでしょう。スーパーに行けば、わざわざ自分でさばかなくても、新鮮なブタ肉が手に入ります。全自動洗濯機にいたっては、服を放りこんでボタンをおすだけで、かんそうまでしてくれるものもありますね。何をするにも、とても時間と労力のかかるザンビアの生活とくらべて、なんと便利なのでしょう。

けれど、ぼくはこうも思うのです。「便利な生活」とは、「何かをはぶいた生活」なのではないでしょうか。

木を切ったり、ブタをさばいたりといった、大変でしんどいことを、お金をはらって、ほかのだれかにやってもらう。それはたしかに便利で、つかれないことかもしれません。でももしかしたら、そうした苦労といっしょに、ぼくがブタをさばいたときに感じた、「いのちをいただきます」という思いや、しゃもじを作るときに感じた、わくわくした心すらも、いっしょにはぶいてしまっているのではないでしょうか。

毎日をしあわせに生きるとは、どういうことでしょう。

どれだけたくさんのものにかこまれていても、便利な生活があったとしても、そこに感謝もよろこびも感じられなければ、きっとその日々は、つまらないものではないでしょうか。

反対に、多少不便な生活でも、ひとつひとつのものごとに、感謝やよろこび、わくわくする気持ちを見つけることができたなら、あたりまえの毎日が、とっても楽しいものになる気がしませんか?

「なんだかつまらないな」と思うときにこそ、そこにどんな宝物を見つけることができるのか、君の心にたずねてみてください。

ぶさいくなしゃもじは、今でもぼくの、大切な宝物です。
 

漁のお手伝いも、たいへんだけど、とても楽しかった。

▶佐藤慧著『10分後に自分の世界が広がる手紙』
「毎日がつまらない君へ」 目次

未来へ続くピーナッツ / おじいさんの100ドル / なにもしない時間 / かべをこえる凧 / がれきの中のスパゲッティ / ぶさいくなしゃもじ / 父のなみだ
 

 

 


 
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2021.4.2

エッセイ #アフリカ #佐藤慧