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誹謗中傷を次世代に引き継がせないために―伊藤詩織さんによるネット上の誹謗中傷訴訟、被告に賠償命令

date2021.7.7

writer佐藤慧

category取材レポート

ジャーナリストの伊藤詩織さんが、「Twitter」上で虚偽の内容により中傷を受けたとして、大澤昇平氏(元東大特任准教授、株式会社Daisy社長)に対し、110万円の損害賠償と投稿の削除を求める裁判の判決で、東京地裁(藤沢裕介裁判長)は6日、33万円の支払いと投稿の削除を命じた。判決の言い渡し後、伊藤さんは下記のように語った。

「私が受けた性被害のトラウマは、年月が経っても日常を容赦なく揺るがす経験でした。そんな中、少しでも前を向き生きようと、日々歩みを進めています。誹謗中傷はそんな私の足を止め、先に進むことを、存在することを否定するようなものばかりでした。この暴力的、否定的な言葉は私個人だけではなく、同じような経験をした人も同様に傷つけ、声を奪います」

「最初の会見でもお伝えしたように、この訴訟を提起した目的は、こんな思いを他の人には経験してほしくないからです。次の世代に引き継いでいってほしくない、私たちの世代で終わりにしたい、ということでした。今回、誹謗中傷に関する初めての判決言い渡しがあり、こちらの主張のすべてを認めていただいたことについては満足しています。支えてくださった皆さまに心からお礼を申し上げます。この判決が、ネットの誹謗中傷を無くすための一助になることを心から願っています」
 

司法記者クラブで行われた記者会見。

被告と同様のツイートを行う何千という人々の罪

名誉棄損の対象となったのは、「伊藤さんが破産手続開始決定を受けた」という虚偽の事実を大澤氏がツイートしたことにより、伊藤さんの社会的評価を低下させたという点だった。それに対し伊藤さん側は「損害賠償の請求」と「当該ツイートの削除」を求めており、そのどちらもが認められた形となった。

その後開かれた記者会見では、今回のツイートが「悪質である」と判断された理由として、判決の中で下記の5点が述べられたと、原告代理人弁護士の山口元一氏は説明する。

①(伊藤さんではない人物の)通名を偽名と誇張して記載したうえ、伊藤さんがその人物であるとの裏付けであるかのように官報公告記事の画像を引用するなど、読者の誤認をことさら誘引する演出・手法が悪質と評価されたこと。

②「名指しで中傷しなければ名誉毀損にならない」という被告の独善的な解釈・それに基づくツイートが身勝手と評価されたこと。

③被告は原告の別件名誉棄損訴訟提訴に反感を抱いていることを繰り返し表明したうえで本件ツイートの投稿に及んでおり、伊藤さんへの悪意が認められると判断されたこと。

④(2020年7月20日時点での)被告は18,000人のTwitterフォロワーを擁しており、本件ツイートの社会的影響力は小さくないと判断されたこと。

⑤提訴後も原告に対する攻撃的な姿勢を維持している態度がマイナス評価されたこと。

そのうえで山口弁護士は、「被告と同じようなツイートをした人間は何千といるわけです。大澤氏のツイートをリツイートした方もまた何千といます。そうした個々の名誉棄損が特定の個人に押し寄せることで被る精神的な苦痛は、計り知れないものがあります。今回判決を受けたのは大澤氏ひとりですが、損害請求額の多寡を問題にするよりも、同じような罪に問われるべき何千・何万という人々がいるのだということを社会に問うた点に注目して頂けたらと思います」と、本判決の社会的意義を強調する。
 

原告代理人弁護士の山口元一氏。

この判決は社会を問うリトマス紙

スマートフォンが必需品となり、SNSが日常の延長線上となった現在社会――。どれだけ軽い気持ちで放った言葉やリツイートであっても、それは誰かの心を傷つけ、居場所を奪いかねないものである。しかしそうした認識は、まだまだ市民権を得ているとは言い難い。

伊藤さんは昨年6月にこうした一連の名誉棄損に対する訴訟を開始すると公表したが、そのように声を上げ、行動を起こす度にさらなる誹謗中傷に晒されてきたと語る。今回、司法によるひとつの判決が出たことは大きな一歩である一方、この判決に「反発」するかのように、また多くの誹謗中傷を巻き起こしてしまうのではないかということには不安を覚えるという。

「これまでは“自分が目をつぶっていたらいいんだ”、と、こうした誹謗中傷の言葉を避けるようにしていました。けれど同じような被害に遭われている方と出会う中で、やはりこうした日常を奪う、矢のように暴力的に突き刺さる言葉、誰かを追いつめてしまう発言というのは、きちんと司法の中で見直し、どのような法改正が必要なのかなど、改めて一緒に考えて頂きたいと思いました」と、伊藤さんは、この判決が社会の行動規範を問うリトマス紙でもあると語った。

「特に若い世代はオンラインの世界がより身近に、リアルなものとして存在しているのではないでしょうか。おそらく私が今感じている以上に、インターネットの影響に晒されていると思います。こうした誹謗中傷に対する訴訟は、リサーチチームや法律の専門家など、多くの人の助けを借りてやっと起こせたことであり、私ひとりで行えたことではありません。できればそうした負担や苦痛を次世代に負わせないためにも、今回の判決をひとつの例としていけたらと思います」

裁判の判決というものは、これからの社会の目指すべき姿を告げる指針でもある。今回の伊藤さんの訴訟により投げかけられた問いに答えるのは、今を生きる一人ひとりの「あなた」であり、「わたし」であるはずだ。言葉は希望を紡ぐ力を持つものである。しかしその鋭利さ故に、ときに誰かの大切なものを奪うこともある。「言葉」という可能性を、どう育んでいけるか、今試されているのではないだろうか。
 

      

  (2021.7.7 / 写真・文 佐藤慧)

 


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