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菅元首相の「ヒトラー」投稿は「ヘイトスピーチ」にあたるのか

「ヘイトスピーチ」とはそもそもなんなのか? 今一度、立ち返って考えなければならないのかもしれない。

2022年1月21日、菅直人元首相が自身のTwitterで、橋下徹氏の名前をあげた上で、「弁舌の巧みさでは第一次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす」(原文ママ)などと投稿。立憲民主党側には抗議文が提出されたが、橋下氏個人からではなく、日本維新の会としてのものだった。ちなみに橋下氏は2012年6月、当時の民主党政権が公約に掲げていなかった消費税増税を目指していることについて「ヒトラーの全権委任法以上」と発言し、2017年2月には特定の学者を、やはり「ヒトラー」になぞらえる投稿をしている。

菅氏のTwitterより

2022年1月27日、フジテレビ「Live News α」に出演した津田塾大学教授の萱野稔人氏は、下記のように発言している。

「ヘイトスピーチという言葉がありますよね。ヘイト、つまり憎悪にもとづいて、相手を侮辱したり、その相手に対する憎悪を煽ったりする表現のことです」

「フランスやドイツではヘイトスピーチを法律で禁じていて、その基準に従えば、菅直人元総理のヒトラー発言は、処罰の対象となる可能性が非常に高いです」

「ヒトラーの名を持ち出して他人を批判することは、その相手への憎悪を容易に煽る行為となりますし、ナチズムによるホロコーストの被害者を冒涜することにもなるからなんです」

もちろん菅氏の投稿が妥当な表現手法であったのかどうかという議論はあるが、果たしてこれは「ヘイトスピーチ」にあたり、フランスやドイツでは処罰の対象となりえるのだろうか。

外国人差別の問題に取り組んできた、龍谷大学法学部金尚均教授は「これはヘイトスピーチではありません」と言い切る。

取材に応じてくれた金尚均教授

「橋下さんは国籍、民族、出自など特定の属性を理由に誹謗中傷されているわけではないので、フランスでもドイツでもヘイトスピーチには当たりません。ヘイトというのは差別を煽動し、特定の属性をターゲットにして同じ人であることを否定して、人間の尊厳を侵害し、マイノリティをより弱い立場に追いやるものです。社会的に危険だからこそ、侮辱罪や名誉棄損などとは別に規制しているのがフランスやドイツの姿勢です」

ドイツでは、他民族ないしは特定の属性の人々への迫害を繰り返さない社会の構築のため、特定集団に向けて憎悪を煽る言動を処罰する民衆扇動罪など、ヘイトスピーチに対する刑事規制法が発展してきた。2018年1月には、SNS運用事業者に対し、違法な投稿の削除などを義務づける「SNS対策法」も導入されている。

フランスでは1972年に、包括的な人種差別禁止法が導入され、これによって改正された「出版自由法」により、人種などを理由とした差別、憎悪煽動が処罰の対象となった。2018年には「情報操作との闘いに関する法律第2018-1202号」により、選挙期間中のフェイクニュースやヘイトスピーチを規制した。

また欧州議会では1月20日、ヘイトスピーチなどを含んだ違法コンテンツの拡散防止などをプラットフォーム側に厳しく義務づける内容を盛り込んだ「デジタルサービス法」が承認されている。

では菅氏の投稿は、侮辱罪や名誉棄損の対象とはなりえるのだろうか。

「ヒトラーに例えること自体はいい表現とはいえませんし、政治的手法を例える以外の形で執拗に言い続ければ、侮辱罪や名誉棄損にあたる可能性があります。ただ、今回の場合は基本的に該当しないでしょう。政治的な議論の中でその手法や表現の仕方を例えるために“まるでヒトラーのようだ”と言うことはありえますし、その意味では名誉棄損ではないはずです」

橋下氏は府知事などの公職を経てきており、テレビなどマスメディアにも盛んに登場している。「社会的な影響力という意味では、単なる“私人”としては理解されません」と金教授は指摘する。

「ただし、橋下さんが学者さんを名指しして“ヒトラー”とした言動は、名誉棄損にあたる可能性があります」

前述の萱野氏の発言はネット上で拡散され、訂正などを求める声が相次いでいる。

「ヘイトスピーチにあたる表現と、酷い言動といった侮辱・名誉棄損にあたる言葉などが、混同されてしまうことがあります。差別表現とは何か、そしてどんな危険性があるのかを明確に知るきっかけとしていく必要があるのではないかと思います」

2020年、新橋駅周辺でのヘイトデモに集った、差別に反対する「カウンター」たち

「ヘイトスピーチ」について、ピントのズレた発信は後を絶たない。例えば「日本維新の会」は「維新八策 2021」で掲げている「ヘイトスピーチ対策」に、「日本・日本人に対するものも含む」としている。もちろん、どのような立場であっても、不当な言動を受けることがあってはならないが、ことヘイトスピーチに関しては、力の不均衡を利用して発せられる社会的排除を扇動する危険な言動であり、社会的マイノリティに向けられる「ヘイトクライムの一種」だということが抜け落ちている。

法務省はヘイトスピーチを「特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に、日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの一方的な内容の言動」としている。また、「ヘイトスピーチ解消法」は、日本国外の出身者やその子孫に対する差別的言動に関して成立したものであり、日本人に対する言動は想定されていない。

※参考:本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(ヘイトスピーチ解消法)
https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00108.html

公の場で発言するそれぞれが正確な情報や認識に基づいて発信していかなければならないのはもちろんのこと、事実に基づかないもの、誤った認識をただ垂れ流さないよう、メディアの責任も問われているのではないだろうか。

(2022.1.31/写真・文 安田菜津紀)


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