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インタビュー

2020.12.2

ヘイトクライムに抗う ―憎悪のピラミッドを積み重ねないために―

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2020.12.2

インタビュー #差別 #法律(改正) #佐藤慧

本記事では「ヘイトスピーチ」「ヘイトクライム」の概念の説明上、差別的な発言を引用している箇所があります。

11月29日、浅草。差別的な言動を繰り返す十数人の集団が、その何倍もの数の警察官に囲まれながらデモ行進を行った。道行く人々は何事かと奇異の目を向けるが、「カウンター」と呼ばれる、レイシズムに抗議する市民たちの声により、デモ集団の「ヘイトスピーチ」はかき消されていた。先導する警察車両や、街角に待機する大勢の警察官、デモ行進の都合で切り替えられる信号機、様々なプラカードに、拡声器から流れてくる大音響…。非日常的な光景に人々は驚くが、集団が去るとともに、街はまたいつもの雑踏に溶け込み、野次馬的に周囲で写真を撮っていた人間も、「変な集団もいるものだな…」と、その関心はまたすぐ別のものへと移ろっていく。
 

ヘイトデモは道路使用許可を取得し、公然と街中で行われる。

こうしたあまり世間に注目されることのないデモ行進や街宣活動が、社会を深く分断し、人類史の中でも最も戦慄すべき事態ともいえる、「ジェノサイド」へと繋がる可能性があるといったら、大袈裟に聞こえるだろうか。そのヘイトスピーチからジェノサイドへと至る段階的な発展の詳細は後述するが、第二次世界大戦中、アウシュビッツに代表される絶滅収容所で引き起こされた、何百万というユダヤの人々が殺されたホロコーストは、街角のヘイトスピーチから始まったものだった。その反省はドイツでは社会制度として活かされており、ユダヤ人虐殺の事実の否定やナチスの賛美は禁止され、ヘイトスピーチに対しても厳しい刑事罰を科している。


翻って日本の現状を見るとどうだろうか。11月29日のデモに限らず、全国各地で明らかにヘイトスピーチに該当する言動を繰り返すデモや街宣が、行政の認可を受けて堂々と行われており、それに反対する市民の方が逆に「近づくな!」とばかりに警察に隔てられている。マイノリティ(社会的少数者)に対する差別や脅迫はエスカレートし、デモや街宣の場での暴行事件も発生している。ヘイトスピーチを含めた「ヘイトクライム」の問題点と、条例制定の意義について、外国人人権法連絡会の事務局次長、瀧大知さんにお話を伺った。
 

ヘイトスピーチ・ヘイトクライムとは何か?

―「ヘイトスピーチ」という言葉は、日本では2013年頃から度々メディアで取り上げられるようになりましたが、そもそもどのような意味の言葉なのでしょうか?

「ヘイトスピーチ」という言葉は「憎悪表現」と訳されることもありますが、ここでいう「ヘイト」とは、マイノリティに対する否定的な感情を特徴づける言葉として使われており、単なる「悪口」や「汚い言葉」ではありません。ヘイトスピーチは、個人に対する攻撃に留まらず、マイノリティ集団全体への差別を「扇動」する効果を持っているのです。そういう意味では、「憎悪表現」という訳よりも、国際人権条約などでも使用されている「差別扇動」という言葉の方が適切でしょう。言葉そのものが他者を傷つける暴力となりえることはもちろん、それがきっかけとなり、差別や有形的な暴力を誘因してしまう危険性があります。

そのような「扇動」にはふたつの害悪があります。ひとつ目は、そうした言動を繰り返すことによって、その対象となっているマイノリティ集団を「差別をしてもよい存在である」と社会に伝えてしまうことです。ふたつ目は「沈黙効果」と呼ばれるものです。ただでさえマジョリティ(社会的多数派)とマイノリティの間には、必然的に強者と弱者という関係性がありますが、攻撃を受けたマイノリティは、恐怖を感じ、自己喪失感や無力感にさいなまれ、さらなる被害を恐れて声をあげられなくなるのです。

また、同時に語られることも多い「ヘイトクライム」という言葉ですが、これは「憎悪犯罪」と訳されることがあります。ただそうなると難しいのが、「じゃあヘイトスピーチは犯罪じゃないのか?」という誤解が生じてしまうことですね。こうした誤解が生じるのは、日本の場合、「ヘイトスピーチ」という言葉が、「ヘイトクライム」という言葉よりも先に脚光を浴び、認知が広がってしまったことが原因でもあると思います。ですが実際には、殺人を仄めかしたり、爆破予告、脅迫や人格否定を行うということは当然ながら「犯罪」ですよね。ヘイトスピーチとヘイトクライムという言葉は、そこまではっきりと切り分けられるものではないでしょう。私たちもそうですが、メディアの皆さんに「ヘイトクライム」という言葉を積極的に使って欲しいです。そうすることで、デモや街宣で当たり前のように「○○人を殺せ」と叫ばれていること、あるいはそれが放置されていることの異常さが伝わるかと思います。また、法規制の是非を議論する際にも「ヘイトクライム」=犯罪的な行為であることを認識の前提とすることで「表現の自由vs侵害」という単純な二項対立に陥らずに済むのではないでしょうか。
 

アウシュビッツ絶滅収容所の有刺鉄線。

「表現の自由」を守るためにこそ

―実際にはヘイトクライムという、マイノリティや社会的弱者、レイシズム(人種・民族的差別)に基づく犯罪行為という概念が先にあり、その中で「表現」の部分に着目したのがヘイトスピーチということですね。

ヘイトクライムにおける表現と行為という二文法は、実はアメリカで生まれた類型概念です。この背景にはアメリカ独自の特殊な事情があります。最近でも「Black Lives Matter」という人種差別抗議運動が注目を浴びましたが、1950年代、マッカーシズム(共産主義者やその同調者に対する取り締まり)が強い時代に、黒人やユダヤ系の人々が、自分たちの人権を求めて運動を行っていたんですね。その時に、「表現」を理由に自分たちの活動が潰されないようにと、「表現そのものに対する法規制はしないでおこう」という声が出てきました。この辺りの流れは、2014年に翻訳されたエリック・ブライシュの『ヘイトスピーチ――表現の自由はどこまで認められるか』(明石書店)に詳しいです。

重要なのはこの動きが「当事者の側」から出てきたということです。また、例えばアメリカに住む黒人と日本に住む在日コリアンやアイヌとでは、その社会内における人口比率が全く違います。単純すぎる比較ですが、日本国内のマイノリティは文字通りの少数者であり、声を上げても「数の暴力」で簡単に潰されやすい状況にあるといえるのではないでしょうか。日本ではヘイトスピーチを規制することは「表現の自由を侵害している!」という議論になることもありますが、このような社会学的な状況を踏まえず「法律」だけの議論をしても意味がありません。確かにアメリカには連邦レベルでのヘイトスピーチ規制法はありませんが、マサチューセッツやミネソタ、モンタナなど、州レベルではヘイトスピーチへの罰則規定を設けているところもあります。ヘイトクライムに関しては、1990年に連邦レベルで法規制されおり、職場などにおけるレイシャル・ハラスメントも厳しい規制があります。人種などを理由とした差別を禁止する「公民権法」の存在も大きいでしょう。
 

―日本におけるヘイトスピーチの規制にあたり、「表現の自由を侵害する恐れがある」という論調はどう思われますか?

2016年に日本で施行された「ヘイトスピーチ解消法(※)」が「規制法」にならなかった背景には、そうした意見があったからでしょう。しかし「表現の自由か、規制か」という議論は、あまりにも単純な二項対立です。本来「表現の自由」とは、民主的な社会を形成するための重要な権利です。ところが今の日本社会は、マイノリティが沈黙させられ、「表現の自由」を一方的に奪われていながら、レイシストによる差別がネット空間や路上に蔓延している状態です。「人種差別撤廃条約」や欧州では、「表現の自由を守るためにこそヘイトスピーチを規制する必要がある」という考えに立っており、他者の人格を否定し攻撃する、「差別表現の自由」は認められません。ヘイトスピーチを規制する法律は「表現の自由」を奪うものではなく、むしろ「表現の自由」が大切だからこそ、必要なものなのです。

(※)ヘイトスピーチ解消法
正式には「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」。

 

2020年10月25日に銀座で行われたヘイトデモ。

憎悪のピラミッドと「本質化」

―ヘイトスピーチが規制されずに蔓延していくと、どのような事態が引き起こされてしまうのでしょうか。

先に述べたように、ヘイトスピーチは言動そのものの暴力性とともに、より深刻な差別を誘引するという害悪があります。下記の図は「憎悪のピラミッド」という図で、ナチスのユダヤ人迫害がホロコーストに至った歴史や、ルワンダでの虐殺など、過去の様々な事例を分析して作成されたものです。
 

 

この図は先入観や偏見によるレイシズムが放置されることで、差別が日常化・固定化し激しさを増していき、最終的にはジェノサイドに至るということを表現しています。日本の現状を見てみると、すでに上から2段目の「暴力行為」が起きている状況です。

最下部の無意識の偏見というのは、人間である以上防ぐことは難しいでしょう。たとえば僕が今日こうして話している内容を見聞きして、「ああ、外国人人権法連絡会っていうのはそういう組織なんだ」と、「私」と「所属する組織」を関連づけて大きなフレームをつくってしまう。「○○ってそういうものだよね」という、物事を大枠で理解してしまうことは、ある意味では仕方のないことです。ですが、問題はその内容が往々にして他者へのスティグマ(負の烙印)を伴う点です。マイナスイメージが強化されていき、より悪質化していくことが問題です。たとえばアメリカのトランプ大統領による「メキシコが強姦犯や麻薬密売人を米国に送り込んでくる」というような発言は、特定の集団を「犯罪的である」「社会のマイナスである」と「本質化」した、極めて悪質なヘイトスピーチにあたると思います。日本で言えば、関東大震災時の朝鮮人虐殺も忘れてはいけません。「犯罪者」「悪」が「朝鮮人」の「本質」であるかのようなデマが流布されたことで虐殺へと繋がり、その行為が正当化されました。
 

―「本質化」とはどのようなことでしょうか?

簡単に言うと「この存在はこういうものである」と決めつけることです。差別をする側の論理として、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムの対象を「排除すべき脅威」だとして扇動するのです。「○○人は我々の社会秩序を破壊する存在だ!」「○○民族から自分たちを守らなければならない!」と。○○人という人々は、「本質的に」そうした害悪を持った存在であると決めつけるのです。社会学者のジョック・ヤング(Jock・Young)はそうした本質主義について下記のように述べています。

本質主義は、社会的対立に文化的根拠を与える。本質主義は、社会のさまざまな部分の人々を悪魔に仕立て上げるための必須条件なのである。他者を悪魔に仕立て上げることが重要なのは、それによって社会問題の責任を、社会の「境界線」上にいるとみられる「他者」になすりつけることができるからである。このとき、よくあることだが、因果関係の逆転が起こる。社会に問題が起こるのは、実際には、社会秩序そのものの中に根本的な矛盾があるからなのだが、そう考えるのではなく、社会に問題が起こるのは問題そのもののせいだ、と考えるのである。――つまり、「問題自体を取り除いてしまえば、社会から問題はなくなるじゃないか!」というわけである。

『排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異』(洛北出版)より引用

コロナ禍において日本でも多くのレイシズムが噴出していますが、パンデミック化における差別は非常に危険です。外国人などの「他者」を自分たちに危害を加える「ウイルス」=「害」として、ある種の「本質化」がされやすい状況にあります。ユダヤ人への迫害・虐殺はナチスによるホロコーストが有名ですが、約700年前、14世紀のペスト流行期における迫害も深刻なものでした。当時ヨーロッパの人口の実に1/3が亡くなり、パニックに陥った人々はその原因を「ユダヤ人」に求めたんですね。「ユダヤ人が井戸に毒を入れている」といったデマが流され、それを信じた民衆によって数多くのユダヤ人が虐殺されました。1348年9月に「ジュネーブ虐殺」が起きると、その後スペイン、ドイツ、フランス、スイスなどヨーロッパ中で虐殺が行われました。フランスのアルザスでは「ユダヤ人狩り」が行われ、犯人と目されたユダヤ人を処刑する死刑執行者に、町民がこぞって志願したほどです。「我々の安全のため」に、排除が正当化されてしまうんですね。
 

アウシュビッツに連行された子どもたち。

―2016年、日本では「ヘイトスピーチ解消法(以下―解消法)」が成立しましたが、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムを抑制する効果はあったのでしょうか?

解消法は法的拘束力のない理念法であり、その行為が「違法である」とは明言しつつも、実際に罰則を科して規制することはできません。そういう意味では、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムに対する効果としては、実効性に乏しいものであると言わざるを得ません。たしかに成立当初は、ヘイトスピーチなどを行うレイシストたちも、若干文言を控えたりといった風潮が見られましたが、結局罰則も何もないので、またすぐに効果が薄れていきました。

ただ、それまでの日本には「外国人を管理する法律」はあっても、「外国人の人権を守る、差別に抗う」ような法律は何ひとつ存在しなかったんですね。そうした状況と比べると、ひとつ前進したとはいえると思います。

実はこうした動きは、国よりも地方自治体の方が積極的です。度々深刻なヘイトスピーチ・ヘイトクライムに晒されてきた神奈川県川崎市などでは、取り締まりを求める声が市民からあがっていましたが、市としては「基本法が無い」ということで何もできませんでした。実際には、「人種差別撤廃条約」に加盟している以上、地方自治体単独でも何かしらできたとは思いますが、やはり国が率先して基本となる法律を作ることの意義は大きいです。
 

ヘイトスピーチを犯罪と位置付けた「川崎モデル」

―日本は「人種差別撤廃条約」に加入(※)していながら、それに関わる法律がなかったんですね。

(※)「加入」と「批准」
国が条約の内容に基本的に賛同し、その条件に将来に渡って拘束される意思を示す「署名」を経て加盟することを「批准」といい、署名を経ずに加盟することを「加入」という。「人種差別撤廃条約」の成立は1965年。日本の加盟はその30年後、146ヵ国目。

日本は1995年に国連の「人種差別撤廃条約」に加入しています。この条約は、人種差別を撤廃する政策を「遅滞なくとること」を締約国に義務付けるものです。具体的には、人種差別を「根絶する」ために、差別の「扇動」や「行為」を犯罪として罰し、差別を扇動する団体を規制することを求めています。ところが日本は、ヘイトスピーチに関わる人種差別撤廃条約第4条のA項、B項という部分においては「留保」している状態なんですね。その留保の理由としては、下記のように答えています。

―人種差別思想の流布などに対し、正当な言論までも不当に委縮させる危険を冒してまで処罰立法措置をとることを検討しなければならないほど、現在の日本が人種差別思想の流布や人種差別の扇動が行われている状況にあるとは考えていない―

つまり簡単に言うと、「そこまで酷いものは日本では起こっていない」と。2012年、2013年には大阪の鶴橋や東京の新大久保で大変なヘイトが行われていたにも関わらずです。この留保に関しては、「表現の自由」を理由にあげられたりすることもあるのですが、日本という国、政府の姿勢も大きく関わっていると思います。1981年に加入した難民条約にしてもそうなのですが、日本はそうした人権に関わる条約に「外圧」で加盟しているんですよね。自ら進んで加盟するのではなく、先進国としての立ち振る舞いを求められる中で、「日本もいい加減に加盟するべきだ!」という声に押されてやっと入る。「日本は単一民族国家だ」という発言が政治家から出てくるぐらい、レイシズム的な発想が様々な壁になっていると思います。
 

―そんな中、2019年12月に神奈川県川崎市で、ヘイトスピーチを「犯罪」とした画期的な条例が可決されました。

先ほども言ったように、地方自治体の動きは日本政府よりも積極的でした。大阪市の「大阪市ヘイトスピーチの対処に関する条例」は、解消法成立よりも前の2016年1月に成立しています。ヘイトスピーチの対象について「人種もしくは民族に係る特定の属性を有する個人又は当該個人により構成される集団」と、明確に定義しました。また、IT業者にインターネット上の差別書き込みを削除要請するという拡散防止措置は、そのまま川崎の条例にも引き継がれています。

2016年12月には香川県観音寺市、2018年には東京都世田谷区、国立市、そして東京都全体でも条例が制定されました。その後2019年6月に神戸市が、そして12月には神奈川県川崎市で条例が可決されました。

川崎の条例とそれ以前の条例で明確に違うのは、その罰則規定です。「人種、国籍、民族、信条、年齢、性別、性的志向、性自認、出身、障害その他の事由を理由とする不当な差別」を禁止すると示しているように、ヘイトスピーチだけではなく、そこへ繋がる差別も含めて包括的に対処しつつ、その違反に刑事罰を設けました。実際にはその違反に対し、「勧告」→「命令」→「公表・罰則」という3段階の流れを経て刑事告発されることになります。

まだまだ対応が遅く、実効性に問題がないわけではありませんが、ヘイトスピーチを「犯罪」と位置付けた「川崎モデル」が生まれたことで、他の地方自治体への波及も期待されます。同条例は162団体を越える多くの市民団体やカウンター、NGO、各政党の市議団も加わり、解消法から3年半もの歳月をかけて生まれたものです。それまで、ヘイトスピーチに対する川崎市の姿勢は積極的なものであったとは言えません。それでもこうした条例が制定されたのは、市民が粘り強い運動によって事態の深刻さを広範囲の人々に伝え、議会と行政を動かし支え続けたからです。換言すれば、この条例の波及効果は「ある」のではなく、市民が「つくる」ことが必要なのです。
 

警察は目の前でヘイトスピーチが叫ばれていても止めることはない。

本来「差別」とはマジョリティの問題

―そうした確かな前進がありながらも、いまだに各地でのヘイトデモ・街宣が続いています。差別根絶条例の波及は何よりも必要なことだと思いますが、私たちひとりひとりはどのようにヘイトスピーチ・ヘイトクライムと向き合っていけばいいのでしょう。

近年ヘイトデモが過激化する中、市民による抗議活動、通称「カウンター」が登場しました。これは誰か中心的なリーダーがいるような運動ではありません。参加者は「普通の人々」であり、ヘイトデモや街宣の情報をネットで見つけて駆けつけてくる人々です。カウンターには差別の対象となっているマイノリティ当事者も多く参加していますが、マジョリティとして参加しているカウンターの人々には、共有されているある考えがあります。それは、「マジョリティとして行動する」ということです。マイノリティに寄り添うことや、彼ら・彼女たちの代弁をすることでもなく、「差別の問題をつくりだしているマジョリティ」として抗議活動を行うのです。

本来、差別とはマジョリティの問題です。差別を受けるマイノリティには何ら責任はありません。ただ生活をしているだけで、差別にさらされてしまうのが今の日本の現状です。カウンターの人々は、自分たちの責任として、身を挺してこうしたヘイトスピーチ・ヘイトクライムを止めようとしているのです。解消法の成立はたしかに影響を与えましたが、最も大きな抑止効果を発揮したのはカウンター行動です。

時折、ヘイトデモや街宣の場で、大声をあげるカウンターの人々をみて「どっちもどっち」だという意見も聞かれますが、それは問題の本質を見ていないのだと思います。カウンターの人々は、その声や音により、ヘイトスピーチが被害者やその地域に届かないよう遮断しているのです。「そんな言葉で罵っていては同じようなものだ」という意見もありますが、カウンターはあえて汚い言葉でレイシストを挑発・罵倒します。攻撃の矛先を、マイノリティから自分たちに引き付けるためです。そもそも、レイシストとカウンターは「マジョリティ」と「マジョリティ」という対等な関係であり、レイシストからマイノリティに対する非対称的な権力関係とは全く違うものです。

今の日本のヘイトスピーチ・ヘイトクライムに関する状況は、被害者への多大な負担はもちろんのこと、啓発も含めた差別を止めるための行動全てが市民(カウンター)任せになっているといっても過言ではありません。レイシストのターゲットとなり、直接的な暴力に晒される危険を抱えるカウンターの人々の負担は限界に来ています。毎週のように行なわれるヘイトデモや街宣への抗議に行く費用だけを考えても莫大な負荷です。自分たちに関係の無い問題だと傍観者になってしまえば、それは被害者からは加害者に見えてしまうし、レイシストたちは沈黙の了解と受け取ってしまいます。マジョリティに属する人は、表面的なところだけを見て「どっちもどっち」だと距離を置くのではなく、マジョリティのひとりとして、カウンターの人たちへのリスペクトと共に一緒に声を上げることが必要だと思います。もしカウンターが2千人、3千人集まれば、大声をあげなくてもヘイトデモ・街宣を無力化することができるでしょう。「差別主義者vsカウンター」という構図で捉えてはいけません。マジョリティとして日本社会に生きる僕たち全員が「カウンター」であることが求められています。
 

川崎駅前のヘイト街宣に駆け付けたカウンターの人々。

―2016年、戦後最悪のヘイトクライムである「津久井やまゆり園事件」が起こった相模原市では、政界への進出を目論むヘイト団体により様々なヘイトスピーチが行われています。

「在特会(在日特権を許さない市民の会)」から派生した「日本第一党」の桜井誠党首は、2018年3月に相模原市で開かれた決起集会において、「ヘイトスピーチ抑止法や条例ができても、われわれが政権を取ってひっくり返せばいいだけの話。条例と法律を作った人間を必ず木の上からぶら下げる。物理的にこれをやるべきだ」と、犯罪的な発言をしています。相模原市の本村賢太郎市長は、「川崎モデル」に続く、刑事罰を伴った差別根絶条例をつくると、差別と闘う姿勢を示していますが、それに対しレイシストによる執拗な街宣活動や電凸(電話による嫌がらせ)といった妨害活動が行われています。

今年10月12日、外国人人権法連絡会も賛同団体となっている「反差別相模原市民ネットワーク」(相模原ネット)は、相模原市長あてに「ヘイトスピーチに罰則規定を設けた「川崎モデル」条例の制定を相模原市に求める要請書」を提出しました。この要望書に対する賛同署名は相模原市在住者に限らず、どなたでも賛同できます。川崎の条例がシンボルになっている現在、相模原市の条例の行方は単に一地域だけの問題ではありません。今後「川崎モデル」のような罰則を伴ったヘイトスピーチ規制条約が全国に波及していくかどうか、そうした責任を負った決断となるでしょう。また、相模原市で行われているヘイトデモや街宣は、ウェブを通じて他の地域へも「輸出」されていきます。どのようにして目の前にある差別・加害を止めるかということを、多くの人に考えて欲しいです。
 

▼「ヘイトスピーチに罰則規定を設けた『川崎モデル』条例の制定を相模原市に求める要請書」への署名・賛同のお願い(反差別相模原市民ネットワーク)

【プロフィール】
瀧大知(たき・だいち)

1988年生まれ。和光大学大学院・社会文化総合研究科現代社会文化論コース修了。和光大学現代人間学部ティーチング・アシスタント。外国人人権法連絡会、事務局次長。
▶外国人人権法連絡会 https://gjhr.net/

 

(インタビュー・執筆・写真 佐藤慧/2020年11月)

 

本記事は瀧氏へのインタビューとともに、氏の著作である『「差別根絶条例」を全国へ広げよう!ヘイトスピーチの問題点と条例制定の意義』や、講演を基に執筆したものです。
 

主な参考文献
・『「差別根絶条例」を全国へ広げよう!ヘイトスピーチの問題点と条例制定の意義』 瀧大知(一般社団法人市民セクター政策機構)
・『ヘイトスピーチとは何か』 師岡康子(岩波新書)

 


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インタビュー #差別 #法律(改正) #佐藤慧