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「ネットの存在が神様のようだった」―トランスジェンダー女性の殺害相次ぐイラク北部クルド自治区からの声

2022年1月、メイクアップアーティストだった23歳のトランスジェンダー女性、ドスキ・アザドさんが、イラク北部クルド自治区、ドホーク県内で殺害されたことが報じられた。アザドさんの遺体には、2ヵ所銃で撃たれた痕があり、両手を縛られた状態で側溝に置き去りにされていたという。警察は容疑者として、ドイツに在住していた兄の行方を追っている。アザドさんは生前、家族から自身の存在が受け入れられず、殺害されることを恐れていると周囲に打ち明けていたことが分かっている。

ユニセフによると、イラク全体で2021年に報告されたジェンダーに基づく暴力は22,000件にのぼり、前年から25%増加しているという(※)。その根深い問題のひとつが「名誉殺人」と呼ばれるものだ。主に女性たちが、男性と出歩いたり、またその疑いをかけられた際、家族の“名誉”を傷つけたとして、身内から命を奪われるケースのことを指す。ガソリンをかけられ、生きながら焼かれる事件も報告されている。イラク北部クルド自治区内では、昨年把握されているだけでも、45人の女性たちが「名誉殺人」含め、社会的性差に基づく暴力で命を奪われた。

クルド自治区内で女性支援に携わる人権団体にインタビューしたところ、経済状況の悪化やコロナ禍なども、そうした暴力事件増加の背景にあるとしている。「名誉殺人」も長らく社会の中でタブー視されてきたが、被害者がセクシャルマイノリティであった場合、輪をかけて事件について語ることは難しくなるという。当該団体の担当者も、「もちろん大きな問題だと認識しているし、オフレコであれば語れるが、公にこのトピックについて語るのは、自分たちにとってもリスクが高い」と声を潜める。

実際にアザドさんが亡くなった後、SNS上には彼女の尊厳を傷つけるような書き込みがあふれた。今もなお、LGBTQ+のムーブメントを象徴する「レインボー」をクルド語で検索をすると、否定的、差別的な書き込みが多数ヒットしてしまう。

(※) On International Women’s Day, UNICEF and GDCVAW in KRI launch the radio station “Voice for Equality”, with support from USAID, to empower women and adolescent girls’(08 March 2022, UNICEF)

アイデンティティをめぐる「旅」を経て

「名誉殺人」に命を奪われたトランスジェンダー女性は、アザドさんが初めてではない。昨年も、トランスジェンダー女性がひとり行方不明となり、母親は、夫や義理の息子たちが殺害に関与したのではないかと訴えている。女性はいまだ見つかっていない。彼女はLGBTQ+コミュニティでは「ミショ」という名前で呼ばれ、家族のもとを追われた後、時には廃墟で寝泊まりすることもあったという。失踪前の2019年、義理の兄は地元メディアに対し、「やつが家に戻ってきたら、銃弾を30発は撃ち込んでやる」と語っていた。彼女の失踪についてはいまだ解明されておらず、誰も逮捕には至っていない。

「彼女は一度、私のところに身を寄せていたことがありました。見つかることは永久にないかもしれないと思うと、心が痛みます」

クルド自治区、スレイマニアに暮らし、人権団体に所属するハワールさんは、声を震わせながら語った。

「性的マイノリティというだけで殺害の対象になるのだと思うと、あまりに悲しいし、恐ろしくもなります」

スレイマニアでインタビューに応じてくれたハワールさん

ハワールさんは、5~6歳の時には、「自分は周りとは違う」と感じていたという。兄たちと同じような話し方をしたり、振る舞い方をしたいと思えなかったが、「こんな感じ方をしているのは自分だけなのだろうか」と、孤独感にさいなまれていた。

「友達とよく話すんです。“インターネットはまるで、神様のようだった”って。自分だけではなかった、“おかしい”わけではなかったって、ネットにアクセスして初めて思えたんです」

ただ、インターネットがすべてを解決してくれるわけではない。「クィアについて、クルド語でのリソースは乏しいままです。英語で書かれたものはありますが、クルド語しか話せない人たちは置き去りにされてしまいます。家族の中でも学校でも、しかるべき知識を得る機会などほとんどありません」。

ハワールさん自身は、アイデンティティをめぐる「旅」を経てきたと語る。「最初は男性に惹かれる自分をゲイだと思っていましたが、クィアについての知識を少しずつ得ていき、今は自分をトランス女性だと認識しています」。

自身のジェンダーアイデンティティ(性自認)を口にすることさえ、「自然に反する」「倫理的ではない」とタブー視される社会の中だ。「医学生たちの間でも、いまだにクィアが“精神的な病”として扱われることがあります」と、誤った知識がいまだ流布されている状況をハワールさんは危惧する。保守的で信仰も強い自身の家族に、自分のアイデンティティについての話をしたことはない。

孤独を感じない居場所を作ること

ハワールさんは元々クルド自治区外の小さな街の出身だが、約8年前にスレイマニアへと移ってきた。「表向きには仕事を理由にしてこちらに移ってきましたが、最大の理由は家族関係から距離を置くことでした。元々いた小さなコミュニティも、居心地がいいとはいえませんでした。大きな街の方が、“知識のある人”にも出会える可能性が高まるだろうと思っていました」。

公にジェンダーやセクシャリティを語ることが極めて難しい街の中で、クィア同士はどうつながりあっているのだろうか。ハワールさんと共にインタビューに応じてくれたサラさんは、アプリを使って知り合う機会も、完全に“安全”な方法ではないと語る。「なので例えば、外から見えにくいカフェのようなスペースなど、いくつかの “安全な場所”に集います。信頼できる人の紹介で、差別も侮蔑もされない居場所を見つけるんです。攻撃の的にされるリスクがあるので、場所の名前は言えないけれど」。

以前インタビューに応じてくれた、クルド自治区アルビル在住の男性は、自身がゲイであること、そしてオンラインで知り合った別の男性とデート中に治安警察に見つかり、警棒でひどく殴られたことを語ってくれたことがある。

昨年4月、スレイマニアでは治安当局が、LGBTQ+と“思われる”人々をターゲットにした取り締まりを行い、“不道徳から街の治安を守る”と発表した。SNSでも治安当局責任者のコメントが拡散され、一体どのチェックポイントで捕まる可能性があるのかと、クィアのコミュニティを震撼させた。

同性愛やトランスジェンダーであることを罰する法律はない。だからこそ取り締まる側は「交通違反」など、別の理由をつけて罰しようとしてくるのだとハワールさんは語る。「政府は民主主義や開かれた市民社会を謳いますが、現実は違います」。

商店や市場でにぎわうスレイマニアの中心街

それでも、徐々にではあるが若い世代の中で、マイノリティに対する意識は変わり始めているという。

「もちろん今後、法律の制定などにこぎつけることも大切ですが、まずは安全だと思えるコミュニティを作ること、互いを尊重し合える、孤独を感じない居場所を作ることが大切です。それは誰かが声をあげなければ始まりません。クィアのことは、よく性的な行為のことだけ強調されて語られがちですが、人と人とのつながりの話、人権の問題なんだということを伝えていきたいと思っています」

「いつか日本で開かれているようなプライドパレードを、自分たちのコミュニティでも開催できたら」と、ハワールさんは夢を語った。日本をはじめ、世界各地でプライドパレードが開かれているが、イラクパスポートで外国に行くことはハードルが高く、国内で得られる機会は限られているという。物理的な壁に阻まれる中でも、どう国境をこえた連帯を築いていけるかが、今後の社会の鍵を握っている。

(2022.6.1/写真・文 安田菜津紀)


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