2021年11月初頭、ベラルーシから主にポーランドに向けて、数千人の移民・難民の人々が越境を試み、立ち往生を強いられていることが日本でも大きく報じられた。その多くがイラクやシリアからやってきたクルド人だという。時に氷点下まで冷え込む季節に森の中をさまよう人々の状況は苛酷を極めた。ポーランド警察は、昨年9月から国境付近で19人の遺体が見つかったと発表しているが、これは飽くまでもポーランド国境付近で確認できた人数であり、他の国境線付近で亡くなった方や行方不明者も含めれば、犠牲者はさらに多くなるとみられている。
ベラルーシのルカシェンコ大統領は、既に6期、通算27年以上その座にあり、「ヨーロッパ最後の独裁国家」と呼ばれる所以ともなっている。2020年の大統領選で再選を果たしたものの、不正選挙を訴える市民が10万人を超える規模でデモを展開した。けれども政権側は再選挙を実施することなく、デモを抑え込みにかかる。
こうした状況を受け、ベラルーシは2021年6月、EUから包括的な制裁措置を受けることとなった。そのベラルーシ側から多くの人々がポーランドをはじめEU圏内に越境を試みた背景には、ベラルーシ側が移民・難民を扇動し、EUに圧力をかけようとする政治的な意図が見え隠れしていた。ポーランドのモラウィエツキ首相も、「これ(移民の扇動)はEUに混乱を引き起こすために行われており、人間を生きた盾とする新たなタイプの戦争」だと述べた。
施設内のハンガーストライキと、薄い関心
ポーランドは2021年9月2日に非常事態宣言を出し、ベラルーシ国境から3キロ圏内への地元住民以外の立ち入りを禁止したため、立ち往生する人々は支援から切り離されがちだった。今後2022年7月1日から立ち入り制限は“緩和”される見込みだが、それはベラルーシ国境沿い約186キロに渡って「壁」が建設されることに伴ってのことだ。水や食料にも事欠く人々に対し、地元住民が有志で支援をはじめ、やがて組織化されたのが、「Grupa Granica」(ポーランド語で「国境グループ」の意味)だ。支援団体や有志で集まった個人からなるチームで、今も国境付近の人々から届くSOSに応え援助を続けている。
「国境で何度も追い返され、悪夢のような時を過ごした人たちは、それまでフレンドリーな人に出会ったことがなく、私たちのような支援者も警戒されることがありました」
昨年9月から「Grupa Granica」の活動に加わったマシックさんはそう語る。彼らが危機感を強めているのは国境の状況だけではない。ポーランドの国境警備隊に見つかった後、収容施設に収容された人々の中で、イラクやトルコ出身者ら10人ほどが、6月9日まで35日間に渡って抗議のハンガーストライキを行っていたのだ。彼らがハンストを中断した際の声明には、「(国境警備隊は)私たちが生きているより死んでいる方が煩わしくないと考えているのでしょう」と綴られていた。
「そこは“施設”とは言い難い、牢獄のような環境です。私たちの差し入れなども阻まれ、ネットへのアクセスも非常に限られています。医療支援も必要ですし、自殺を考える人もいることから、メンタルケアにつなげることも不可欠です。ハンガーストライキはこれが初めてのことではありませんが、メディアや議員たちの関心も薄く、彼らの声は黙殺されがちです」
ベラルーシ国境を越えようとする人々が寒空の下で追い返さてきた一方、2月24日に始まったウクライナに対するロシア侵攻の後、ポーランドは300万人を超える戦争避難者を受け入れてきた。
「これだけの人をウクライナから受け入れても、誰かを路上に追いやることなく、概してうまくいっていますが、収容施設で起きていることやベラルーシ国境を越えようとする人々に対する関心は非常に低い状況です。国境での人道危機は、越境を試みる彼ら自身が起こしているのではなく、政治の責任です。誰かが森の中で死にかけている時に、なぜ事を厳しく、複雑化する必要があるのでしょうか」
ポーランドは国境での人道危機以前から、モラウィエツキ政権が厳しい移民・難民政策を打ち出してきたことも知られている。
「ポーランドという国は、ほとんどの住民がポーランド人、カトリックの社会で、残念ながらレイシズムやイスラムフォビア(イスラムの人々に対する恐怖・嫌悪)を煽るような為政者もいます。慣れない文化を怖がってしまう人も少なくないでしょう。ただ、地理的にもポーランドは中東からヨーロッパ諸国への通り道に位置しています。将来的にはもっと多くの人々がやって来てもおかしくありません。だからこそ、今から解決策を模索しなければならないでしょう」
若者たちがヨーロッパを目指す複合的な背景
越境を試みた人々の中でも、なぜクルド人たちが多かったのか。なぜ彼らはベラルーシからEU圏内を目指したのか。その根源をたどるため、イラク北部クルド自治区を訪ねた。その北東部に位置し、40万人ほどが暮らすラーンヤは、とりわけ多くの若者たちがヨーロッパへと渡航を試みる街としても知られている。
「これは皆、この街からヨーロッパを目指す途中で亡くなった人々です」
ヨーロッパから帰還した人々を支援する「Association of returned migrants from Europe to K.R.G」(以下、帰還者支援組織)創設者、バキール・アリ氏は、事務所に掲げられた写真を指差しため息をつく。若い男性たちの写真が目立つが、中には幼い子どもと親たちの姿も見受けられる。
バキール氏によると、2021年に約2万8,000人がイラクからヨーロッパへと渡航を試み、そのうち約7,000人がこのラーンヤと周辺コミュニティーの出身だという。
クルド自治区の首都アルビルは一時、活発な投資や開発が進み、「第二のドバイ」と謳われていたこともあった。ところが2014年以降、過激派勢力「イスラム国」との戦闘で不安定化し、海外からの投資は滞り、経済も消耗した。加えてイラク中央政府との関係は冷え込み、クルド自治政府への予算配分が停滞したことで、公務員への給与支払いも安定しない状況が続いている。クルド自治区の中で、およそ3分の2の家庭が公務員としての給与を得ているとされ、「プライベートセクターの乏しさも、若者が職に就くことを困難にしています」とバキール氏は語る。国連の調査によると、15歳から29歳までのイラク国内のクルド人の間で、男性の失業率は24%、女性は69%にのぼるという。そこに新型コロナウィルスの感染拡大やロックダウンも重なり、追い打ちをかけた。
「クルド自治区全体で雇用の問題を抱えていることに加え、他国からの支援事業や雇用創出につながるようなプロジェクトは、アルビルなどの大都市に集中しがちです。加えてラーンヤはイラン国境付近に位置しているため、治安の面などからも国際NGOに倦厭されがちです」
帰還者支援組織では、渡航を試みたものの止むを得ず帰国した若者たちに対し、教育支援や、ビジネスマナー講習などを含めた職業支援などを行ってきた。「皆、すべての財産を、ヨーロッパにたどり着くためだけにつぎ込むので、残された家族も、あるいは戻ってきた若者本人も苦境に立たされます」。
街の中心地の広場には、暑さが和らいだ午後、次々と若者たちが友人を伴い集い始める。公園に隣接する2階建ての商業施設は、1階にカフェが並び、2階は複数の旅行会社が軒を連ねていた。「ここに来ればすぐにヨーロッパへの移民希望者を探せるよ」と地元の人が語る通り、公園で声をかけた2人の若者もまた、近日中に渡航を控えているとのことだった。21歳のバケールさんはイギリスを目指して明日、22歳のディアコさんは翌週にこの街を発つ予定だと語る。
2人とも先にヨーロッパで生活をはじめた親族がおり、ネット越しに見る彼らの日常は魅力的だという。「トルコからイタリアへと海を渡り、イタリアから陸路でフランスを目指します。フランスで“ジャングル”と呼ばれる移民たちの“キャンプ”に滞在した後、機会を伺ってイギリスへと向かう予定です。ここにいても生活していけるだけの職にはつけませんから」というバケールさん。「僕もより安定した生活を求めています。それに、自分の意見を自由に発言できる自由もほしい」とディアゴさんも続ける。
別の男性は怒りを露わにしてこう語った。「これだけ石油資源のある国で、国民の生活がこんなにも厳しいなんて馬鹿げてる。どれもこれも、腐敗した政府の責任だ」。
帰還者支援組織のバキール氏は、若者たちがヨーロッパを目指すのは決して金銭的な目的だけではないと語る。クルド自治区は概して治安の安定した地として知られるが、《【取材レポート】世界の目が背くことが脅威 シリア・イラク取材報告》で記した通り、イスラム過激派の脅威がこの地から消え去ったわけではない。国連イラク支援団(UNAMI)と国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が2021年5月に公表した調査の中でも、クルド自治政府の失策を追求するメディアやジャーナリスト、アクティビストらに対する圧力や不当な逮捕、勾留の問題も指摘されており、こうした社会状況が若者の絶望感を深めている。
「生まれる場所は選べません。“自分たちの国は人権を守っている”というのであれば、その人権や安全な生活を求める人々を受け入れる必要があるのではないでしょうか」と、バキール氏は語る。
かねてから「難民の避難ルート」として知られていた地中海経由ではなく、ベラルーシ・ポーランド国境にて多くの人々が越境を試みるようになった背景には、昨年2021年中ごろから、ベラルーシがより簡易に観光ビザを発行するようになったことが指摘されている。
ラーンヤの公園脇の旅行会社に勤める男性は、イラクやシリアのパスポートでは、正規にEU諸国に渡航するハードルが高く、危険なルートを選ばざるを得ないのだと語った。「トルコから海を越えていくルートよりも、ベラルーシからの国境越えはずっと安全だと思われていたので、一時ベラルーシ渡航の希望者が急増しました。ホテルやビザ、帰りのチケットも含め、私たちの会社では4,000ドルほどのパッケージを売り出していました」。もちろんここには、イギリスやドイツなどにたどり着くため、密航業者に払う資金は含まれていない。そして多くが、帰りのチケットを使わないつもりで購入する。
「ポーランドへの越境が困難となり、今はシェンゲン協定(※)内に行くとすれば、隣国トルコを通り、そこから海をこえてイタリアなどに渡るのが唯一のルートです。よりよい未来を得たいと考えている若者がいる限り、密航がなくなることはないでしょう」
(※)シェンゲン協定
締結しているヨーロッパ諸国間で、出入国審査なしに自由に国境を越えることを認める協定。
ボールのように蹴り合われた
昨年11月、ベラルーシ・ポーランド国境付近で不安定な通信状況の中、取材に応じてくれたセルヴァスさん(27・仮名)は、2022年6月の時点でイラク北部クルド自治区に帰還しており、改めてインタビューに応じてくれた。
セルヴァスさんが以前に働いていた会社は過激派勢力「イスラム国」の勃興で閉じてしまい、その後レストランで働くも、「収入が月に300ドル程度、けれども支出は毎月最低でも500ドルはかかった」と経済的に厳しい状況が続いた。「兄も姉も大学を卒業しましたが、仕事が見つからず、ただ家に座っているだけです。私の兄姉たちの問題だけではありません。同じような若者たちがあふれているのです」。
先にベラルーシ経由でEU圏内に入った人々のことを知り、家族や知人たちにも頼んで渡航資金の4,000ドルを集めた。家族たちは皆、「ここにいるよりも、ヨーロッパを目指した方があなたの人生のためだ」と、心配しつつも背中を押した。昨秋にドバイ経由でベラルーシの首都ミンスクに飛び、そこから“ジャングル”と呼ばれるポーランドとの国境地帯の森に向かった。
ところがセルヴァスさんが国境越えを試みた当時、すでにポーランド側の警備は移民を警戒する体制となっていた。ほどなくベラルーシ側に追い返されると、ベラルーシの国境警備隊に暴行された挙句、今度はリトアニアと接する国境へと連行された。
凍てつく寒さの中、国境沿いに走る小川をずぶぬれになって渡ったものの、駆け付けてきたリトアニアの治安部隊に捕まり、ベラルーシ側へと追い返される。同じ川を腰まで水につかりながらベラルーシ側へと戻ると、またもベラルーシ国境警備隊に捕まり、電線を利用した鞭で何度も殴られたという。「あまりの痛みと寒さに、もう今夜で命が尽きてしまうのではないかと思ったほどです」。森で一緒に過ごした知人は、持病の糖尿病の薬が底をつき、ある朝、冷たくなっていたという。
ベラルーシ国境警備隊は、とにかくセルヴァスさんたちが国境を越えるよう追い立てたという。ポーランド国境へと向かうため、賄賂を要求されたこともあったという。「私たちはまるで、国と国との間にあるサッカーボールのようです……」と、国境付近にいる間、セルヴァスさんは切実に語っていた。「どこか、安心して暮らせる場所を求めるということが、それだけ大それたことなのでしょうか」。
4度越境を試みたのち、セルヴァスさんは国境警備隊によって首都ミンスクに移送され、そこからイラクに送還されることとなった。その後、ウクライナへのロシアの侵攻で、多くの難民をポーランドが受け入れている様子をニュースで知った。
「もしも人権というものが存在するのであれば、私たちの命などなんでもないかのように、政治意図で翻弄するようなことは起こらなかったでしょう。誰も理由なく故郷を離れたりはしません。そして、私たちは特別なことを望んでいるのではありません。ごく普通の日常を送りたいと願っているのです」
これだけの過酷な旅を経てもなお、「今は資金もエネルギーも尽きていますが、機会があればまたヨーロッパを目指したい」とセルヴァスさんは語る。「ここにいても、拓ける未来などありませんから……」。
私たちを動物だと思っているのか
一人ひとりの背景は異なるが、概してシリア側の状況はさらに厳しさを増す。11年以上戦争が続いていることに加え、クルド人勢力が事実上の自治を行うシリア北部では、2019年、隣国トルコによる武力侵攻で多くの市民が犠牲となり、家を追われている。
2022年に入って過激派勢力「イスラム国」の“スリーパーセル”との武力衝突なども相次いでおり、リスクを恐れ、新たな投資は停滞したままだ。加えて今年は干ばつや砂嵐など、過酷な気候による小麦の不作なども打撃となっている。そして再びトルコが北部への軍事作戦を行うと警告している。
「2019年のトルコ侵攻直前までは、新しい投資や建設も進んでいました。平地が多いこの周辺は、開発には適している場所だったでしょう。侵攻さえなければ、もっと発展していたはずです」。そう語るアブアフマドさんは、ベラルーシ国境からポーランドへの越境を試みたひとりだ。
渡航前は兄が興した建設業の手伝いをしていた。渡航を決意したきっかけは、軍事侵攻などの脅威に加え、20代の弟の病状だった。
「2014年に弟が肝臓の疾患を患い、私の肝臓の片方を弟に移植しましたが、恒常的に高額な投薬が必要となりました。弟の体のことを考えても、より安定した生活が望ましいと考えていました。4歳と1歳半の子どもがいますが、彼らの未来を考えても、これしか道はないと思ったのです」
旅行会社やNGOを訪ね歩いてみたものの、ビザ取得は手続的にも資金的にも困難を極めた。その際、人づてに耳にしたのがベラルーシ行きのビザだった。同じルートでEU圏内を目指す人たちが、周辺のコミュニティーからも相次いでいたのだ。
貯金を切り崩し、親族から資金を集め、4,000ドルのパッケージ料金を払い、1週間の観光ビザを取得した。当時はシリアの首都ダマスカスからミンスクまで直行便があり、弟と2人でベラルーシからポーランド国境を目指した。
「私たちがベラルーシにたどり着いたのは11月1日でしたが、そのころにはすでに、ポーランドへの国境越えが難しくなっているときでした。あの場所で経験したことは、思い返す度に悲しくなります。最初に越境を試みたときは、ポーランドの国境警備隊に捕まり、5~6時間、冷たい雨の中、外に立たされ続けました。私たちは20人ほどのグループでしたが、スマートフォンを没収され、数人の小さなグループに分けられた上で、ばらばらの場所に送り返されました。互いに連絡を取り合えないようにするためでしょう」
混乱の中、弟は毎日飲まなければならない薬の入ったカバンを失い、これ以上留まるのは限界となり帰国した。アブアフマドさんはひとりベラルーシに残り、再三にわたって越境を試みた。
「ベラルーシ側に押し戻されたとき、立ち上がれないほど国境警備隊に殴打される人もいました。私たちは国と国の政治的意図の間で、さんざん弄ばれたのです。ベラルーシはポーランドに対して私たちを道具のように使いました。一方、ポーランド側で私が何度も『あなたたちの国に滞在し、あなたたちの国で飲み食いをするつもりさえありません。ただただ、ドイツにたどり着くためにあなたたちの土地を通りたいだけなのです』と訴えても、“シリアに帰れ”と言われるばかりでした。そしてまたベラルーシに返されれば、『ポーランドに戻れ』と言われる。そんな状況の中でどうすればよかったのでしょうか」
ベラルーシ側の国境警備隊は、ビザが有効であろうとなかろうと、あまり気にしない様子だったという。ビザ更新は数回のみで、5ヵ月半の滞在のほとんどが非正規滞在だった。
その間、国境の過酷な状況は変わらなかった。零下の気温が続き、雪が積もる中、「なぜ私の村ではなく、こんな場所で死ななければならないのか、死ぬなら自分の村がいい」と、アブアフマドさんも3月にやむなく戻ってくることになった。その頃はすでにポーランドが、ウクライナからの難民受け入れに本腰を入れているときだった。
「私たちのことは、SNSさえ使わない、未開の地から来た人間、あるいは動物だとでも思っているのでしょうか。イスラム教徒を受けれたくないという考えもあるのでしょう。けれど、私たちのパスポートが他国で受け入れられないことも、私たちの国で戦争が起きることも、私たちの力ではどうにもならないことです」
今なお、命を危険にさらす旅を経てでも、EU圏内を目指そうとする人々は後を絶たない。シリア北東部から新たに旅立とうとする人に、「国境越えの状況は厳しい」と告げると、「ここでの生活より厳しいことなどないでしょう」という答えが返ってきた。
確かに彼らの状況は、今まさにロシアによる侵攻で脅かされているウクライナ難民とは異なるかもしれない。ただ、安定した日常を阻むものは、空爆や砲撃ばかりではない。その不安定な状況から逃れようにも、自国のパスポートでの渡航が困難な人々が、より人間らしい生活を求め、危険を承知で越境を試みるとき、彼らの命がさらなる危機にさらされると分かりながら追い返すことが、果たしてあるべき選択だろうか。出自による「命の線引き」を固定化する前に、彼らそれぞれの声に、より細やかに耳を傾けたい。
(2022.6.20/写真・文 安田菜津紀)
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