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取材レポート

2022.6.8

「人道はどこへ」トルコの軍事侵攻から2年半、シリア北東部から遠のく支援

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

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安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

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佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

田中 えりEri Tanaka

2022.6.8

取材レポート #シリア #安田菜津紀

2019年10月、米国のトランプ大統領(当時)は過激派勢力「イスラム国(IS)」に勝利したことを強調し、「(ISが)トランプ政権下で(米軍が)そこに駐留する唯一の理由だった」と米軍の撤退を宣言した。その直後、米軍撤退宣言を待ち構えていたかのように、シリア北部、主にクルド人が暮らす地域へ向けて、トルコ軍が「平和の泉作戦」と名付けた軍事作戦を開始した。

シリア北部では2013年から「ロジャヴァ(Rojava―クルド語で“西”という意味)」という名称で実質的に自治区が築かれ、行政区の整備や選挙の実施など、クルド人勢力による自治の既成事実化が進められてきた。米国はIS掃討作戦の中で、シリア北部のクルド人部隊との連携を続けてきたが、トルコはクルド勢力の拡大を懸念し猛反発してきた。トルコ側はシリア北部のクルド人勢力が、自国内でテロ組織とされているPKK(クルディスタン労働者党)と同系の組織と見做している。
 

「クルドは使い捨てなのか」「アメリカは私たちをトルコに売り渡した」――トランプ大統領の撤退宣言とトルコによる侵攻後、そんな声が現地の知人たちから相次いで届いていた。

国連の発表によると、この攻撃の直後に家を追われた人々は21万5,000人にのぼり、うち約8万7,000人が子どもとされている。私たちが前回取材に入った2019年末時点では、キャンプや学校、廃墟などで7万人以上の人々が避難生活を続けていた。
 

当時の攻撃で破壊された学校。シリア北東部、デレクにて2019年11月撮影。

翻弄されてきた複雑な歴史と新たな脅威

クルドの人々はこれまでも、複雑な歴史に翻弄されてきた経緯がある。紛争が激化する以前のシリア国内人口約2,400万人に対し、主に北東部、北西部を中心に居住するクルド人は10%前後を占めていたとされる。1960年代、数十万人のクルド人たちが“トルコから流入してきた者”とみなされ、国籍を剥奪された。同時期に、トルコ国境沿いの“アラブ化”政策として、クルド人たちの農地収容や、クルド語地名のアラブ語地名への変更も行われていった(2011年4月、各地で大規模な反政府デモが起こり始めた直後、無戸籍だったクルド人たちにも国籍が与えられた)。政権側による監視や不当な拘束なども、国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチから2010年に出された報告書『失われた10年:アサド政権下のシリアにおける人権状況』(※)で指摘されている。

(※)A Wasted Decade
Human Rights in Syria during Bashar al-Asad’s First Ten Years in Power
https://www.hrw.org/report/2010/07/16/wasted-decade/human-rights-syria-during-bashar-al-asads-first-ten-years-power

 

2013年以降に広げられていったクルド人勢力による「自治区」も、内外の情勢は決して安定的なものではない。そして再び直面しているのが、隣国トルコの脅威だ。
 

シリア北部で戦闘訓練を受ける女性兵士たち(2019年1月)。

今年2022年6月1日、エルドアン大統領は「テロリストを掃討する」と、シリア北部への新たな軍事作戦を行うと警告した。トルコは北欧スウェーデンとフィンランドが「クルド人武装組織を支援している」とし、両国のNATO加盟に難色を示しており、改めてけん制したとみられている。

加えてトルコは、物価高など国内不安も抱えており、5月のインフレ率は前年同月比の73.5%にのぼった。また国内には370万人を超えるシリア難民がおり、トルコ側は国境からシリア国内30キロ地帯を「安全地帯」にしたうえで、難民の「帰還」を促すとしている。けれどもこれまでの経緯を考えれば、彼らが押し戻されるその「安全地帯」が、かつて暮らした「故郷の街」と一致するとは考えにくい。こうしたことからも、2019年の軍事侵攻同様、トルコの国内的な不満をそらす思惑も見え隠れする。

エルドアン大統領が侵攻を名指しした街、マンビジュではすでに砲撃がしかけられているほか、北東部カミシリ郊外の村では車両がドローン攻撃を受けている。
 

2022年5月30日、北東部カミシリ郊外の村でトルコ側からのドローン攻撃を受け、2人が死亡、5人を負傷した。

「私の足はどこ?」戻れない家族

2019年のトルコによるシリア北部侵攻後、シリア東側の隣国、イラク北部クルド自治区スレイマニアに避難したユーセフさん一家には、前回(2019年)の取材で初めてお会いした。今も同じ街に残り、ユーセフさんは人道支援団体での職を得ていた。

2019年10月、路上で遊んでいた3人の子どもたちが、突如撃ち込まれた砲弾に巻き込まれ、13歳だった長男のムハンマド君は即死、11歳だった次男のアフマド君は目に重傷を負い、8歳の長女サラさんは右足切断となった。
 

片足切断となったサラさん。2019年11月撮影。

当時、サラさんは病院のベッドの上で「ねえ、私たち何も悪いことしてないでしょ? もうこんなことやめるように“大きい人たち”に伝えて」と、ぽつり、ぽつりと語ってくれた。彼女の語る“大きい人”の意味が呑み込めずにいると、母親であるナリマンさんが声を詰まらせながらこう続けた。

「子どもには、戦争にどんな勢力が関わっているかなんて分かるはずがないんです。ただただ、“力のある人間”がやっていることをやめてほしいと、サラは伝えたいんです」
 

義足をはめ、歩く練習をするサラさん。

「あの時、“私の足はどこ? 私の足を返して”と泣くサラに、なんと声をかけていいのか分かりませんでした」と、ナリマンさんは当時を振り返る。「今使っている義足は簡易なもので、“私もほかの子たちみたいにジャンプしたい”と、今もサラはよく言うんです」。

これから成長し、骨が伸びていけば、新たな手術も必要になってくる。

父のユーセフさんは当時、子どもを亡くしたショックで失語状態にあったが、今は声を取り戻し、家族と語り合うことができていた。「シリアでは30年以上溶接の仕事をし、ごく普通の生活を送っていました。でも、子どもを亡くしたあの場所には、もう戻れないでしょう」とうつむく。
 

右から、母のナリマンさん、サラさん、兄のアフマドさん、父のユーセフさん、妹のゼイナブさん。

苛酷を極める避難生活

一方、シリア国内で避難生活を続ける人々の状況は、苛酷を極めていた。トルコによる軍事侵攻後、避難してきた人々のために開設されたハサカ県ワショカニ避難民キャンプには、1万6,000人以上が今も暮らしていると、キャンプマネージャーのセルワ・アフマド・ジュジュ氏は語る。
 

酷暑に見舞われるワショカニ避難民キャンプ。

私たちが以前訪れた2019年12月に同キャンプに暮らしていた人々は5,000人ほどだったが、「学校などの避難所や親せき宅に一時的に身を寄せていた人たちが、キャンプに移り、人口は増えていきました。完全にキャパオーバー状態です」という。「当初、ここで支援活動を続けていた人道支援団体も、“予算がもうない”、“ウクライナが最優先”とここを去っていき、状況は以前より悪化しています。“人道”って何なのでしょうか」。

2019年末に訪れた際は、凍える気候で雨が降り、人々はぬかるんだ大地の上でのテント生活を余儀なくされていた。季節が廻り、今度は熱波がこの地を襲う。6月でも日中の気温は40℃を上回り、頭を圧する強烈な日差しの下、ドライヤーの熱風のような風は、テントの中まで容赦なく迫ってくる。

「こんなところに暮らしてみなさいよ。蒸し暑いだけの家の中より、風が吹く外にいた方がまだマシよ」

キャンプ内の通路を歩いていると、水汲みに来た女性たちが口々に生活苦を訴えてくる。飲み水にも洗濯にも使用する小さな水タンクを10家族が共同で使い、夏場はとても足りないという。
 

水タンクの周りに集まる人々。

同キャンプに暮らすヒーバさんは、5人の子どもと共に、今もトルコ影響下にある街から着の身着のままで逃れてきた。それから2年半以上が経ち、「電気も水も十分ではない中で、NGOからの支援は減り、とにかく生活の全てが苦しい状況です。わずかに得られる物資を売って、そのお金をほかの日用品に充てています」とため息をつく。キャンプの中にも学校はあるものの質は保たれず、子どもたちはこの間、まともな教育を受けられずにいる。

トルコが再度、軍事攻撃をしかける可能性については、「私たちは生活の全てを2年半前に失いました。同じ破壊がほかの家族にも起きないことを願います」と語った。額には終始汗がにじみ、頬はげっそりとして見える。傍らでは子どもたちが、わずかな野菜の混ざったスープを分け合っていた。
 

少ない食事を分け合うヒーバさん(左)の子どもたち。

トルコが制圧した地域にほど近いテルナスリは、元々アッシリアの人々が多く暮らし、伝統ある教会が村人の拠り所だった。2015年、イースターの日曜日、ISの襲来により教会は無残に破壊された。その後、打ち捨てられた教会のかたわらに放置された建物の小部屋に、トルコの侵攻を受け避難してきた家族が身を寄せていた。
 

2019年末に出会ったワエドくん。

その時出会ったワエドくん一家は、いまだ同じ小部屋で避難生活を送っていた。この2年半の生活の変化を、母は「ゼロ。なにもない」と切実に語った。兄のシャーミくんは、時々声を詰まらせながら故郷を懐かしんだ。「親戚のおじさんや近所の人たち、飼っていた鳩たち、友達と遊んだりご飯を食べていた時間、そのすべてが恋しい」。彼らの今の「遊び場」である破壊された教会は、日を追うごとに朽ちている。
 

同じ場所で避難生活を続けていたワエドくん。

ISの問題が「終わった」わけではない

他の反政府武装勢力と異なり、クルド人勢力は政府軍との全面的な交戦は避け、事実上の自治拡大のため、主にIS(過激派勢力「イスラム国」)との戦闘に従事してきた。政権との散発的な交戦はあったものの、トルコによる軍事侵攻では協調関係にあるなど、微妙な立ち位置を続けている。だが、シリアの政権が「自治」を認めているわけではなく、先行きは不安定なままだ。

シリア北東部は国内でも石油が豊富な地帯でもあり、米兵の完全撤収を宣言したトランプ大統領もその後、「石油確保のため兵を残す」と語り方針を転換した。そして、この地で採掘された石油の大半が、シリア政権側に売られているとされる。
 

ハサカ県内の石油の精製施設。

大量の黒煙が煙突から吹き出す石油精製施設では、炎天下、14歳の少年含め、雇われた男性たちが一日12時間以上の労働に従事していた。暑さに加え、立ち上る煙や油のにおいで、辺りはむせかえるような空気に覆われていた。これだけ過酷な環境で働いても、5ドルほどの日銭を得るのがやっとだという。
 

煙が消えてもなお、石油精製所の周辺は熱気が漂う。

こうした石油の存在も、人々の生活を豊かにするわけではない。私たちがシリア北東部を2018年に訪れた際には、「自治」下での建設ラッシュに街が沸いていた。ところが相次ぐトルコの軍事侵攻後、リスクを恐れて新たな投資は滞っている。加えて今年は干ばつや砂嵐など、過酷な気候による小麦の不作なども打撃となっている。

また、トランプ大統領が宣言した通りに、ISの問題が「終わった」わけではない。シリア北東部、ハサカ県にあるIS構成員、約3,500人が収容されていた施設が今年1月末に襲撃され、それに続く戦闘で400人近くが亡くなったとされている。
 

IS構成員が収容されていた施設。大人数が一部屋に押し込められ、環境は劣悪だった。2019年12月撮影。

同ハサカ県に位置するアル・ホルキャンプには、戦闘を逃れてきた市民たちが暮らしているほか、IS戦闘員の家族が収容されており、1万人近くが外国出身の女性とその子どもとみられている。キャンプ全体の規模は6万人近い。周囲はぐるりと有刺鉄線で囲われてはいるものの、警備は決して厳重とは言えず、女性たちは金網越しに外のコミュニティ内の“スリーパーセル”と接触しているとみられる。治安も悪化の一途をたどり、今年確認されているだけで、18人がキャンプ内で殺害されている。私たちが訪れる数日前にも、斬首された女性の遺体が見つかっており、頭部はまだ見つかっていない。
 

アル・ホルキャンプ内の、外国出身者が集められたエリア。

「シリアになんで来たのかって? そんなの関係ないでしょう、私は来たくてきた。だからここは天国だ!」。ここで暮らす女性たちと会話を試みるものの、皆、固く口を閉ざすか激しく拒むかのどちらかだった。殺気だった空気の中、ロシア出身だという一人の女性が子どもの手を引いてこちらに歩んできた。「子どもの一人の行方が分からなくなってしまった」という彼女は、他の女性たちの視線を気に留めながらも切実に訴えた。

「ロシアがウクライナに侵攻した? そんなこと知らない。とにかく帰りたい。今すぐに」

女性たちの出身国は60カ国にのぼるとみられ、ロシア側も一部子どもたちの受け入れは行ってきたものの、概して「帰還」が順調に進んでいるわけではない。帰国が叶ったとしても、彼女たちがどのように社会復帰をしていくのかは各国手探りの状態だ。彼女の出身地であるダゲスタン共和国では、2018年に帰還した女性たちがすぐに8年の刑期を言い渡されている。
 

ロシアからシリアに渡ったという女性。

破壊の爪痕が残る地で続く人々の生活

トルコ国境に面するカミシリ郊外にあるクルド人民防衛隊(YPG)の墓地には、夕方、日が陰り、暑さが少し和らいだ頃、ぽつりぽつりと遺族たちが集いはじめる。
 

YPGの戦闘員たちの墓地。

26歳だった息子を過激派勢力との戦闘で亡くしたアブドゥラ・マジッドさんは、再びトルコによる軍事侵攻が始まろうとしていることについて、「また避難生活を送る人々を増やし、家族を引き裂こうというのでしょうか。もちろんただこの事態を見ているだけというわけにはいきませんが、自衛しようにも戦力ではとても大国にかないません。世界の国々が沈黙していればなおさらです」とため息をつく。

24歳だった息子を亡くし7年目の命日だったという父のフセインさんは、親族たちと息子の墓を囲んだ。亡くなったワルシンさんは、2011年から各地に広がった反政府デモに参加したことで、シリア政権側に捕まり、2年間投獄され、拷問を受けたという。シリア政権を支えていた大国はロシアであり、フセインさんはその関係についても憤りをもって語った。

「シリア政権が人々に対してどんなことをしてきたか、皆さんも見てきたでしょう。街を破壊し、人々を殺し、それはロシアの支援のもとで行われてきたことです。そして今、ロシアはウクライナで市民の殺戮を続けています。それも、力と土地を得たいがために」
 

ワルシンさんの墓の前に集ったフセインさんはじめ親族たち。

メディアは概して、「見えやすい」戦火に吸い寄せられがちだ。ただ、砲撃の脅威をかいくぐり、メディアが去った後も、破壊の爪痕が残る地で人々の生活は続いていく。その地から関心が遠のけば、支えがより脆弱になることはもちろん、翻弄する側の大国として、これほど好都合なことはないだろう。シリア北東部に暮らす男性はまっすぐに、私にこう語った。

「私たちの置かれた状況は、なぜウクライナほどの関心を集めないのでしょうか? 信じる宗教が違うからでしょうか? 私たちの目の色がヨーロッパの人々のそれとは違うからなのでしょうか?」
 

トルコ国境に面するシリア北東部デレク。彼方の山はトルコ側だ。

(2022.6.8/写真・文 安田菜津紀)

 


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