「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「私たちは真実を語っています。恐れはありません」。2022年8月10日、長崎地裁から出てきた岩永千代子さん(86)は、集まった関係者や支援者を前にまっすぐとこう語った。
長崎の「被爆地域」は、原爆投下時の行政区域をもとにしている。爆心地から12キロ圏内で原爆に遭っても、国の指定する「被爆地域」外にいた人々は「被爆体験者」として、被爆者と線引きされてきた。岩永さんも、そのひとりだ。当時岩永さんがいた旧深堀村は、旧長崎市と隣接している。同じ家族の中でも、旧市内にいた姉は被爆者だ。
この日は岩永さんが原告団長となり、被爆者認定を求めている裁判の非公開協議が行われたが、大きな進展は見られなかった。
次々と体に表れた異変
原爆投下時、岩永さんは9歳、国民学校4年生だった。
「当時は食糧難で、うちは少しばかり畑で芋を育てていました。あの時は、母とサツマイモの手入れをしていたんです」
岩永さんが母と作業をしていたのは、爆心地から約10.5キロの地点だった。11時02分、ふと兵隊たちが「あれは日本のじゃないね」と空を指さした瞬間――「もう、“閃光”なんていう意識もないくらい。“自分が死んだ”っていうのを意識しましたね」。
近所の人々と防空壕に逃げ込んで身を寄せ合い、しばらく経った頃、外に出てみると、空の様子がいつもと違っていた。「“黒い雨”や灰を受けた記憶はないんですが、青空だったはずの空が、うっすらと暗かった、ということは覚えています」。
自宅に戻ると、窓ガラスは無残に割れ、室内では仏壇や柱時計の周りに家具が散らばっていた。
当時、近隣に水道設備はなく、井戸水や、近くの岩場の水を汲んで、生活用水にしていた。岩永さんもバケツいっぱいの水をせっせと自宅の甕(かめ)に運んでいた。「海で泳いであがってきたら、家の前の畑のトマトなんか洗わず食べてましたね」。美味しかったんですよ、と岩永さんは目を細める。
ところが原爆投下から1週間ほどして、岩永さんの体に異変が表れる。歯茎から出血し、顔がぱんぱんに腫れた。のどにいがいがした感覚を覚え、圧迫感を感じることもあった。直後の症状に留まらず、大人になってからも、放射線の影響が疑われる症状に次々と見舞われ、50代になってからは「甲状腺異常」と診断されている。
けれども日本政府は、援護拡大の声に正面から向き合おうとせず、「影響」を最小限に留めようとする姿勢を貫いてきた。
1979年、厚生大臣(当時)の私的諮問機関として「原爆被爆者対策基本問題懇談会」が設置され、翌年12月に報告書(※)が出されたが、そこには「被爆地域の指定は、科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきである」と記されていた。放射能の影響は完全には解明されていないにも関わらず、以後の裁判でも、救済を求める側に「科学的・合理的根拠」を示すようにと、国側はこの言葉をふりかざしてきた。
(※)この報告書自体が後に、広島の「黒い雨」訴訟でも、「(援護拡大に)歯止めをかけることを強く意図して、政策的な見地から作成されたものであることが明らか」と指摘されている。
原爆投下直後から作り上げられていった「ストーリー」
こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」
では米国側は、放射能の影響や、その後の健康被害について、全く予測しないまま原爆を投下したのだろうか。
1943年5月、米国、カナダ、イギリスが原子爆弾製造を行った「マンハッタン計画」の一環として、「放射能毒性小委員会」が発足している。放射能は「毒」と認識され、同年8月6日に出された報告では、放射能兵器で地域が汚染された場合、滞在した人々に健康上の深刻な障害が生じることが指摘されていた。
「戦争兵器として使用することが有効であるという考えが示されており、マンハッタン計画の科学者の文書そのものが、残留放射線や内部被ばくを認めています。米国政府はこうしたことを認識していたからこそ、その事実が知られ、補償問題になることを懸念していました。その一方で、放射線被曝情報は、重要な軍事機密情報だからこそ隠蔽されていたともいえます」
このマンハッタン計画の医学部門では、プルトニウムを注射するなど、人体実験も用いた内部被ばく研究が行われていたことも後に明らかになっている。
「こうして、次の世界大戦に備えるために有益な情報として内向きには研究を重視し、公式声明の中では影響を否定するという二重基準が適用されました」
原子爆弾は、威力はあるが残酷な兵器ではなかった――ファーレル声明にあるような「ストーリー」が作り上げられていった。
国が依拠するものの成り立ち
広島の「黒い雨」訴訟で、国側は国際放射線防護委員会(ICRP)国内メンバーが記した論文を引用した上で、「内部被ばくをより危険とする根拠はない」などとしていた。
国が政策で依拠するICRPとはどのような成り立ちなのだろうか?この組織は1950年、米国放射線防護委員会(NCRP)議長らが中心となって組織された。NCRPは1946年に発足しており、あの「人体実験」にも携わったマンハッタン計画の医学部長らが執行委員となっていた。中心メンバーも、マンハッタン計画に従事した科学者たちだった。
「ICRPも最初からマンハッタン計画の影響を受けて発足しています。核開発にとって有効な情報は積極的に公表しようとしますが、それに反する放射線の人体影響研究は積極的に公開しない、という発想になっていきます」
高橋教授は、米国側の調査資料で、いまだ開示されていないものがあることを指摘する。そして日本政府も、あらゆる手がかりを集めて救済に努めることを怠ってきた。
核兵器の「必要性」を謳う日本政府
現代日本は、すでにアメリカによる占領下にはない。原爆投下直後から米国側が作り上げていった「ストーリー」から、日本はなぜ抜け出すことができないのだろうか。
外務省が刊行した「外交青書2018」に記載されている「核兵器禁止条約と日本政府の考え」には、明確に核兵器の「必要性」が謳われている。
北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手に対しては通常兵器だけでは抑止を効かせることは困難であるため、日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要です。
「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」
肯定的イメージの拡散と被害の否定は表裏一体となってきた。NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」(2021年8月9日放送)で、トランプ政権の国防次官補代理として核政策を担ったエブリッジ・コルビー氏は、小型核の配備に触れ、残留放射線についての質問に対し、「空中だと最小限で済む」「爆発させる高度が非常に重要」と発言してる。「相当の高度で爆発させたため、残留放射線の影響はない」とするファーレル声明が今に至るまで踏襲されているのだ。
「彼がこういうことを言っている、という恐さに留まらず、日本も含めて世界中でこれが既成事実化していくことを危惧しています」
そもそも2016年4月15日、当時の安倍内閣は答弁書で下記のような見解を示していた。
我が国には固有の自衛権があり、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法第九条第二項によっても禁止されているわけではなく、したがって、核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、それを保有することは、必ずしも憲法の禁止するところではない
つまり“必要最小限の核兵器”の保持は憲法上、許されている、ということだ。しかし核兵器の被害を正面からとらえるとすれば、その存在そのものが、安全保障上の脅威といえないだろうか。
「放射性降下物の影響を受けた人たちの存在をきちんと認め、これまで認めてこなかった分も補償していくことが早急に求められると思いますが、残念ながら日本政府は率先して否定する態度をとってきました。岸田首相がこの答弁書と同じ見解を持つかどうかが大きな分かれ目ではないでしょうか」
新基準運用の対象外となった長崎
広島の「黒い雨」訴訟の高裁判決は、内部被ばくの高い危険性を指摘した上で、原告84人全員を被爆者と認めた。判決要旨にはこうある。
黒い雨に放射性降下物が含まれていた可能性があったことから、雨に直接打たれた者は無論のこと、たとえ雨に打たれていなくても、空気中に滞留する放射性微粒子を吸引したり、混入した飲料水・井戸水を飲んだり、付着した野菜を摂取したりして微粒子を体内に取り込むことで、内部被ばくによる健康被害を受ける可能性があった――
ところがその後も国は、内部被ばくによる健康被害の可能性を否定した。4月から始まった被爆者認定の新基準運用でも、「たとえ雨に打たれてなくても」という高裁判決に反し、「黒い雨」を浴びたと確認できること、そして一定の疾患を発病していることが条件とされてしまった。そしてこの新基準運用でも、長崎の「被爆体験者」は対象外だ。
「被爆体験者」の健康被害は否定されてきた一方、「精神的な影響」のみは認められ、精神疾患やその合併症に限り医療費が補助される支援事業が行われてきた。今年8月9日、岸田首相はその対象に、「がんの一部」を追加する考えを示した。けれども全体像はまだ見えていない上、この方針は飽くまでも被爆者認定の拡大とは異なる。岩永さんらが求めているのは、こうした「小手先」の解決案ではない。
岩永さんは、岸田文雄氏が首相となった当時、広島選出の政治家が首相になったと喜び、大いに期待していたという。
「岸田さんも、長崎を最後の被爆地にというメッセージを世界に発信しています。では具体的にどうするのか決めていくのが、あなたの使命でしょうと言いたい。国の役割は、国民の権利を守ることでしょう」
そして岩永さんは内部被ばくの危険性、その実態を、「遺言として残していきたい」と語る。
「これを認めると、福島の問題への影響もあると恐れているのかもしれませんが、結局は経済優先になってしまっている。人間優先、命優先になっていないんです」。
こうして解決を一日先延ばしすることは、認定を受けられずにいる人々を、一日余計に苦しめることにほかならない。核兵器廃絶を進めていくのであれば、核兵器の被害者を正面から救済することが不可欠ではないだろうか。
(2022.9.5/写真・文 安田菜津紀)
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