【エッセイ】ヘイトスピーチとホロコーストの間を生きる 関東大震災から100年の地平に立って
靴、ハブラシ、メガネ、それらを入れていただろう鞄――虐殺された人々の遺品が堆く積まれる部屋を、私はただ、沈黙しながら歩いていた。ここで言葉を発すれば、遺品の一つひとつが発する「声」を聴き洩らしてしまうかもしれない。
2017年9月、ポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ博物館(以下、アウシュビッツ博物館)は、晴天ながら秋の肌寒さを宿す空気に覆われていた。強制収容所として作られたアウシュビッツでは、1940年6月から1945年1月までの4年7ヵ月の間に、ナチスドイツによって約110万人の命が奪われたとされる。ユダヤ人だけではなく、多数のポーランド人やソ連人捕虜、ロマ、同性愛者、障害者らがここで殺害されていった。
『「優生思想」と向き合うことは、自身の中の「加害性」に気づくこと』(群像)にも記しているが、この時私は、アウシュビッツ博物館でガイドを務める中谷剛さんの案内で館内を巡っていた。参加者と共にしばらく展示室を回っていた中谷さんは、これまでの部屋にヒトラーの肖像などがどこにもなかったことを指摘した上で、こう語った。
「ホロコーストはヒトラーがひとりで起こしたのではなく、『ユダヤ人は出て行け』といった街角のヘイトスピーチから始まりました」
今の日本はヘイトスピーチとホロコーストの間の、どこに立っているか考えてほしい、と。
9月1日は、1939年に、ナチスドイツがポーランドに侵攻した日だ。そして日本では、1923年に、関東大震災が起きた日でもある。
「朝鮮人が井戸に毒を入れている」「暴動を起こしている」――。発災直後から、恐怖を駆り立てる無根拠な「噂」が広がり、各地で「自警団」が結成された。警察をはじめ公権力までもがデマの扇動に加わり暴力に加担、幾多もの虐殺が起きた。内閣府中央防災会議のまとめた報告書では、殺害された朝鮮人、そう見なされた中国人や日本人の犠牲者の人数を、推計で千~数千人としている。
毎年9月、墨田区の横網町公園にある朝鮮人犠牲者追悼碑の前で、日朝協会東京都連合会などでつくる実行委員会が追悼式典を行ってきた。100年目となる今年、真夏を思わせる強烈な日差しが容赦なく降り注ぐ中、木陰から溢れるほどの人々が集まり、参列者がしめやかに追悼の辞を述べていった。
けれどもその中に、東京都知事の言葉はない。歴代の都知事はこの式典に追悼文を寄せてきたが、小池百合子知事は2017年から送付を取りやめている。そして同年から、「そよ風」と名乗る集団が、追悼式典と同時刻に同じ公園内で集会を開くようになった。
“日本を愛する女性の会”を掲げる同集団は、追悼式典の目と鼻の先で「日本人を貶める都立横網町公園朝鮮人追悼碑を許すな」「六千人虐殺も噓、徴用工強制連行も噓」という、およそ死者に思いを馳せることとはほど遠い看板を並べ、碑の撤去などを要求してきた。
2019年の集会では、参加者が「犯人は不逞朝鮮人」などと発言し、翌年には東京都が人権条例に基づき「ヘイトスピーチ」と認定している。ところが今年、その「そよ風」が、追悼式典と時間帯をずらした上で、朝鮮人犠牲者追悼碑の前で集会を行うと宣言した。東京都はそれに、占有許可を与えた。
当日、集会が予告された時間帯を前に、市民たちが追悼碑の前に座り込み、この場で歴史否定とヘイトスピーチが繰り広げられることを許さなかった。汗だくになりながらも声を張り上げ続ける市民たちの中に、見覚えのある顔を見つけ、はっとした。韓国から来日した、犠牲者の親族たちだった。
とにかく、この状況を目の当たりにさせていることに「申し訳ない」という言葉が真っ先に浮かび、私はすぐ、頭の中で打ち消した。その言葉さえ、どこか「上から目線」の「他人事」のように思えたからだ。
権在益(クォン・ジェイク)さんの祖父は、群馬県藤岡市の警察署で保護されていたものの、押し寄せた「自警団」に殺害された。「差別をなくすためにここに来た。人として、しなければならないことだ」と静かに語る。「そよ風」のような集団が追悼碑前で集会を試み、東京都が許可を与えたことについては、「心が痛い。言葉もない」という。
祖父の兄が犠牲になったという曺光煥(チョ・グァンファン)さんは、市民と「そよ風」を隔てる警察官らの隊列を前に、こう語った。
「(そよ風のような)団体も問題ですが、日本政府がああいった人々を育ててしまうのではないでしょうか」
史実に背を向ける公人は、小池知事だけに留まらない。8月30日、松野博一官房長官は会見で、朝鮮人らの虐殺について「政府内で記録が見当たらない」と答えている。虐殺に関連する公文書は複数確認されている。では、内閣府中央防災会議の報告書は何なのか。内閣府はいつ、「政府」を辞めたのだろうか。
翌日、松野氏は報告書について、「有識者が執筆したもので、政府の見解を示したものではない」とさらりと述べた。こうして、内閣府の公式サイトに掲載されている報告さえ、軽々と、恣意的に切り離し、政府自ら率先して歴史否定をする実情に、眩暈を覚える。
時折この虐殺は、恐怖や不安が蔓延した「非常時」に人々が陥る「集団の狂気」「群集心理の弊害」と評されることがある。けれども当時のことを知るほどに、「群集心理」という文脈だけには回収はできないと感じてきた。これは追ってまた記事にするが、1932年、現在の岩手県陸前高田市矢作町では、「平時」にも関わらず、朝鮮人労働者を襲撃、惨殺した事件が起きている。
関東大震災当時、警察に自ら出向き、朝鮮人を殺害した「恩賞」を求めた者までいた、という話も残っている。中央防災会議の報告書も、事件の背景に「無理解と民族的な差別意識もあったと考えられる」と指摘し、「過去の反省と民族差別の解消の努力が必要なのは改めて確認しておく」と記している。善良な人間が混乱の中で「衝動的に」動いてしまったというよりも、植民地支配という構造的な力関係の中、朝鮮半島出身者を見下げ、差別する「土壌」がすでに、日本社会に出来上がっていたのではないだろうか。
ひるがえって現代社会を見つめたとき、あの追悼碑前の市民たちの行動さえ、報道では「現場騒然」などといった言葉に矮小化され、“両者”の言い分を単に並べる「どっちもどっち論」に押し込められてしまうことがある。けれどもそれは、差別という力の不均衡、不平等の中で起きる暴力の本質を、ぼやかしてしまうだろう。
そんな「ぼやかし」をけん引してきたのは、ほかならぬ公権力だ。しかし東京都や政府がここまで堂々と歴史否定を繰り返せるのは、「ここまでやっても票には響かないだろう」と高を括れる現状があるからにほかならない。
日本はヘイトスピーチとホロコーストの間の、どこに立っているか――。今改めて、アウシュビッツ博物館での中谷さんの言葉を思い返す。
「朝鮮人暴動」など、誤報を掲載した当時の新聞を引用し、「朝鮮人の暴動は事実」「(殺害は)自衛のためだった」と主張する虐殺否定は巷に横行している。だが当時、放火や殺人、強盗といった凶悪犯罪で朝鮮人が起訴されたという記録は残っていない。けれどもこうした現代の「デマ」の横行を、政府も東京都も、打ち消そうとはしない。彼らのこうした沈黙は、市井のヘイトに「お墨付き」を与え、勢いづかせている。
ふと、考えることがある。私自身は顔と名前を出し、父親が朝鮮ルーツであることを公言してきた。今この瞬間に大災害が起き、当時のような「噂」が流布されたとき、東京都や政府は、それに歯止めをかけようとするだろうか――。そうした不信感は、恐怖となって体に巣食い、考えるほどに冷たい感覚が背筋を伝う。
公権力に歴史の直視を求めることは不可欠だが、彼らがただ「傍観」しているだけでは不十分だろう。「平時」から差別解消のため、あらゆる手段を尽くせるか――。その声を届けるのは、100年目の地平を生きる、市民だ。
(2023.9.3 / 安田菜津紀)
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