2024年元旦に石川県・能登半島を最大震度7の大地震が襲った。石川県のまとめによると、1月18日午後2時現在で死者232人(うち14人は災害関連死)、安否不明者は21人。道路の寸断で孤立する集落なども依然残り、発災から2週間以上が経過しても被害全容は見えていない。
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被災地では、災害ストレスによって新たに精神的なケアのニーズが高まる一方、被災によって精神科医療の機能が一時的に低下することが考えられる。そこで、被災した都道府県等からの要請に基づいて派遣されるのが、精神科医療の専門家チーム、DPAT(災害派遣精神医療チーム:Disaster Psychiatric Assistance Team)である。精神科医師、看護師らで構成され、発災直後から、状況に応じて時に数ヵ月単位で患者や被災者の心のケアを担う。今回の地震では、DPATは石川県で22隊(1月17日午後3時現在)が活動中。
今回の能登半島地震で、DPAT先遣隊(発災直後に被災地入りし、本部機能の立ち上げなど急性期の精神科医療ニーズへの対応を行う隊)として、1月5日から10日までの6日間、現地で活動した竹内祥貴さん(栃木県立岡本台病院精神科医)、上野三枝子さん(同病院看護師)、村嶌泰良さん(同病院精神保健福祉士)に、同月15日、お話を伺った。
3人は、活動拠点本部の運営、支援ニーズの把握、患者の診療、入院先への搬送など多岐にわたる活動に携わった。竹内さんは「先遣隊として、ニーズを把握する態勢をつくるのが私たちの役割だった」とし、今後のニーズの高まりに言及、被災地域の市町職員らへの「支援者支援」の必要性も指摘した。
――能登半島での活動内容ついて教えてください(以下、敬称略)
竹内:活動初日、1月5日のお昼頃にDPAT活動拠点本部がある公立能登総合病院(石川県七尾市)に着きました。2日目(1月6日)は輪島市の市役所や市ふれあい健康センターで診療するなどし、3日目(1月7日)の午前2時ごろまで、日付をまたいで活動しました。その日の朝には聞き取ったニーズについて活動拠点本部のカンファレンスで共有しました。4日目(1月8日)は避難所になっていた穴水町の公民館へ、5日目と6日目(1月9、10日)はDPAT活動拠点本部で本部運営に携わりました。
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「数十件で収まらない」ニーズ、幅広い相談が
――活動初日、そして2日目の輪島市での診療活動について教えてください
竹内:1日目はどういった医療ニーズがあるのか、また、地域の患者情報について、市の保健師や担当の保健所からの情報を収集するところからスタートしました。1月5日はまだどの道路が通れるか状況が全く分からない状況で、DMAT(災害派遣医療チーム)からの情報も参照しながらルートを確認しました。
2日目の1月6日、輪島市には私たちを含めてDPAT3隊が派遣されました。私たちは市役所や、医療の調整をする拠点と避難所を兼ねた、市ふれあい健康センターで活動しました。別の隊は輪島小学校へ。市立輪島病院にも一隊派遣されました。私たちは、以前精神科に入院された方で今調子が悪い方がいるらしいという情報を基に確認に行きました。その方については入院が必要と判断し、夜間、輪島市内から金沢市内の病院に搬送しました。
別の隊が避難所へ行ったところ、精神科など関係なく医療関係者だと分かった途端に「調子が悪い人いる」「怪我をしている人がいる」とたくさん声をかけられる状況だったそうです。活動初日に私たちが把握したニーズの数は一桁でしたが、実際に現地へ行くと、「避難所で寝られない」といった相談もあり、そうしたものを含めるとニーズは数十件では収まりませんでした。認知症があるご高齢の方で、普段と違う環境に反応して怒りっぽくなったとか、育児中のお母さんで子育てに不安を感じているとか、相談は幅広くあったと聞いています。
――4日目、穴水町の避難所ではどのような活動をされましたか
竹内:(その避難所には)見える範囲で10人くらいの方がいらっしゃいました。「統合失調症の患者さんが避難しているので、薬の処方をお願いしたい」という情報を受けて行くと、実際にはその方は避難所近くのご自宅にいらっしゃいました。避難所にいると周りの音が気になって落ち着かないということでした。薬は月末までの分をお持ちだったのですが、被災していつも通りの生活ができなくなり、落ち着かなくなることがあるということで、その分追加で(薬を)処方しました。気持ちが落ち着かなくなるというのは、被災した状況であれば病気の有無に関わらず誰にも起こり得ることです。誰にでも起こり得ることだから、休める時に休みましょうと伝えました。
「精神科医療の視点で考えると、ニーズが出てくるのはこれから」
――5、6日目のDPAT活動拠点本部では具体的にどのようなことをされたのでしょうか
竹内:本部運営は、4隊の12、13人で行っていました。私たちは情報収集係として、さまざまな情報を集め、ここの場所に隊をいくつ派遣するとか、そういったことを決定していました。「ここの道路が開通した」「どこどこの病院が支援を必要と言っている」など、上野や村嶌は集まった情報を記録に残す係を担当しました。
精神科医療の視点で考えると、ニーズが出てくるのはこれからです(2024年1月15日時点)。支援物資のニーズの後に精神科ニーズが出てきます。「こっちの避難所にこういう患者さんがいる」など、そうした情報が集まってきます。私たちは先遣隊として、そうした連絡をもらえる態勢を作るのがまず仕事でした。
――活動の中ではどんなことが困難でしたか
竹内:渋滞が一番こたえました。車のナビで目的地まで1時間と出ても、実際は3時間かかったり。渋滞していたり、道路が被災して片側交互通行となっていたりしました。輪島市から金沢市まで患者を搬送する時には普段であれば2時間で着くところ約6時間かかりました。
――今後、どのような支援が必要になるでしょうか
竹内:必要な支援について、情報を集めるのは被災地の職員です。自分たちも被災しながら、情報を集めなければなりません。あるところでは、300人規模の避難所が2ヵ所あったのですが、どちらも2人ずつしか市の担当職員がいない状況でした。支援者への支援が全く手付かずで、今はすでに始まっているかもしれませんが、「支援者支援」が今後必要になってくると思います。
精神科医療の支援、後からニーズが上がってくることも
――精神科医療の支援の難しさを感じる場面はありましたか
竹内:災害時、精神科医療の支援は避難所で「大丈夫です」と断られるケースがあります。他のDPAT隊のお話ですが、一度支援を断られた避難所で次の日になったらこの人もあの人も、と山のようにニーズが上がってくることがありました。
私たちが今回派遣されたタイミングでは、すでにニーズが上がっていたところを見ていきました。住民の方が避難されてすぐの段階で、避難所で一人ひとりに声を掛けていくということは基本的にはしませんでした。「精神的な問題があるか」と聞かれても大体の方は「基本的にない」と言うと思います。聞かれても「自分はまだ大丈夫だから」とずっと言い続けてしまいます。「診てほしい」と自分から言う方は本当にわずかです。「助けて」と言われるまで私たちは待たないといけない。あるいは周りが何かその方にストップをかけるまでにならないと介入は基本的にはしません。後発の隊になればなるほど、例えば避難所にDPATを1隊派遣して、相談事がある人はどうぞ、ということができる態勢になっていくと思います。
――他に、現地の様子について支援の必要性を感じた点は何かありましたか
上野:断水が続いている地域が多く、看護師目線で言えば衛生面がとても不十分だと感じました。活動拠点本部に2日間いましたが、そこのトイレも水が出ないので、ペットボトルの水を持ってきて、という状態でした。排泄後の手洗い、感染症対策の手洗い、入浴、歯磨きなど、衛生を保つためには水がとても重要です。まず断水の解消が求められている支援だと思います。
村嶌:まずはライフラインだと思います。道路について言うと、自衛隊しか入れないところもありました。道路が開通していけば渋滞も緩和され、人も派遣できて、支援が届きます。それから、場所によっては電波が届かないところもありました。DPAT隊として本部などとの連絡は、電波がある時に、つながる時にするという感じでした。
現実を受け入れる道のりは人によって異なる
――被災された方、心が落ち着かない方へお伝えしたいことがあればお願いします
竹内:被災された方全員が精神科医療が必要というわけではありません。被災されて、現状を受け入れるまで時間がかかる方もいれば、素直に受け入れられる方もいて、人によってかなり個人差があると知っておいてもらえたらと思います。これだけ大きい災害で、身近な人が亡くなった人もいれば、重傷を負った人もいる。どの経験がその人にとって重大な意味を持つのかは、被害の程度によってではなく、人によって本当に異なります。もし、ご飯が食べられない、いっこうに眠れない、落ち着かなくて座っていられないなど、普段の生活が営めない状況になった時には、私たち精神科医療の専門家に相談していただける環境があればと思います。
自分が落ち着くための手段は人によってバラバラですが、普段と同じ行動がとれるだけで人は安心できます。例えば、こういうことをしていて落ち着いたということがあれば、それをやったり、提供したりしてみてください。
――被災された方の周りの方に知っておいてほしいことは何かありますか
竹内:被災した方が、その状況を受け入れる道のりは人によって異なります。大きく分けて4段階あります。まず、1段階目として、目の前で倒壊した家を見た時のように呆然とします。次に「これは現実ではない」と考え、自分がこうしたら亡くなったあの人が戻ってくる、と考えて何か行動する方もいます。3段階目として、もう元の生活に戻れないと理解したとき、怒りや強い孤独感を覚えます。そうして最後は、こうしたら元の生活に戻れるのではないかと探索できるようになります。4つの段階を経て人は回復していきます。
この段階ごとの行動をそばで見ている人の中には、「おかしなことをしている」「変だ」と言って止めようとする人がいますが、これはぜひ止めないであげてほしいです。本人が現実を受け入れるために必要な段階なのです。ボランティア活動をしたら自分の家が元に戻るんじゃないかと、根拠のない理由で何かに熱中する人も時々いらっしゃいます。それも止めないであげてほしいです。受け入れるために本人がやっている行動を、無理のない範囲でフォローしてほしいと思います。
(2024.1.18 / 田中えり)
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