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歪められる教科書、「非政治化」される教育―「平和学習」はどうあるべきなのか

「沖縄攻防戦では、中学生から高校生の男女二三〇〇人以上が、志願というかたちで学徒隊に編入され、一二〇〇人以上が死亡しました」

2025年度から中学生が使う教科書に「追加合格」となった「令和書籍」(代表:竹田恒泰)の教科書に書かれていた一節だ。「動員」ではなく「志願」という言葉が用いられたことに加え、沖縄戦の説明の中で、「爆弾を持ったまま敵艦に突入する特攻作戦」が「沖縄を守るために」とされた上で、その死は「散華しました」と表現されている。

他にも、「蒸し返された韓国の請求権」というコラムでは、日本軍「慰安婦」について、「日本軍が朝鮮の女性を強制連行した事実はなく、また彼女らは報酬をもらって働いていました」などと記し、戦場を連れまわしていたことを否定した。

そもそも、教科書は、「平和教育」はどうあるべきなのか? 「政治問題」は教育現場でどう扱えるのか? 琉球大学教育学部教授の山口剛史さんに聞いた。

取材に応じてくれた山口さん。(安田菜津紀撮影)



“書かせる検定”のままでいいのか

――昨年の検定で、集団自決に対する軍の関与についての記述が、全ての小学校教科書からなくなったことが指摘されました。

元をたどると、集団自決を書くようにと言ったのは文部省(当時)なんです。

沖縄戦について教科書で記述されるようになったのは主に復帰後ですが、1982年、文部省の検定で、高校日本史教科書における、「日本軍による沖縄戦での住民虐殺の記述」について、検定意見がつき削除されています。

アジアへの「侵略」を「進出」などに“書きかえさせる”検定が問題視されていた頃です。記述の元になった『沖縄県史』は、一次資料としては認められませんでした。

翌年の検定では、「集団自決の人数の方が多かったのだから、住民虐殺を記述するなら集団自決をまず書くように」という検定意見がつけられました。つまり、集団自決の記述は、あくまでも“自己犠牲精神の発露”として、住民虐殺と対比させるために持ち込んだのがはじまりです。

けれどもその後、住民虐殺と集団自決が同質同根のものだという書き方を、執筆者たちが務めてするようになります。


――戦争はどのような支配構造になっているのか、そうした構造自体をどう問題設定するかが問われているように思います。

「集団自決」に追い込まれていくプロセス――そこには指示する軍隊、補助する軍人がいたわけですよね。そこを誤解のないように書かなければ、「住民たちが米軍の攻撃で追い詰められて、もう死ぬしかないと言って死んだ」という、一面的な物語のみが事実として描かれてしまう。そこが不十分であることは間違いありません。

ただ、「軍隊は住民を守るために存在するのではなく、国体を守るために存在する」のだという沖縄戦の教訓を、端的に事実として教科書に書き込むとするならば、日本軍による住民虐殺を書くことが、沖縄戦の本質を伝えることになると僕は理解しています。

読谷村、チビチリガマの前で。(安田菜津紀撮影)



――なぜ、教科書の内容はこうして「横並び」になってしまうのでしょうか。

どんどん“書かせる検定”になっているからでしょう。「閣議決定の中身を書きなさい」「国の統一見解を書きなさい」――と。

領土の問題をはじめ、「論争的な問題こそ論争的に書かれるべき」なのですが、それを許さず、政府見解が教科書に書かれる「事実」になってしまうことが一番問題です。一方、南京大虐殺の人数など、矮小化したいことは論争的に書かせる。教科書検定が恣意的に、今の政府のありようや政府の見解を是とした世界観を、子どもに伝える機能を担ってしまっています。


――「公教育」が国家の意図を免れるのは難しい面もあるのではないでしょうか。

国民国家の公教育なので、国の考えやスタンスを伝えたい、それを自信を持って主張できる国民に育てたいという意図は必ず存在します。

けれども戦前、国が介入したからこそ歪んだ教育が行われ、戦争に突き進む教育が行われましたよね。だからこそ行政組織は、教育の内容に介入して不当な支配をしてはならず、教科書の内容は学術研究によってのみ語られるべき、というのが大原則のはずでした。

それが80年の時を経て、なし崩しになっている。政府は政府で自分たちの作りたい国民像に合わせて教科書を書かせるし、それにモノを言えないよう、がんじがらめに縛っていく。


――教科書の内容は本来、どんなことが大事にされるべきなのでしょうか。

教科書の中に、どのように子どもが考えるヒントや矛盾、ズレを発見できるような仕掛けをしておくかが大事ではないでしょうか。

もちろん、文科省という国家権力が「こう書け」とか「書くな」というのは検閲なので、これは戦わないといけない。けれども全てを書くことはできないのも事実です。

住民虐殺、「慰安婦」がいたこと、朝鮮人軍夫がいたこと、ハンセン病の差別など、知らなければならないことはたくさんあり、単純に住民と軍隊だけではない構造まで含めて理解できる方が、より戦争が持つ、差別主義的な面や支配的な面が顕在化することは確かです。けれど教科書は辞書ではありません。

せめてそこを臭わせるようなきっかけや問い、資料をどう工夫できるかが重要なのではないでしょうか。

普天間市内の小学校で平和学習の授業を行う山口さん。(安田菜津紀撮影)



歴史修正主義的記述の教科書を合格とした罪深さ

――先日、追加合格した令和書籍の教科書で、特に問題意識を持たれているのはどんな点でしょうか。

たとえば「地上戦の基本的な性格」や「根こそぎ動員」など、沖縄戦研究に依拠して書いていないところも問題ですし、「蒸し返された韓国の請求権」というコラムも、韓国側への憎悪を煽るような記述になっていると思います。

天皇の支配が及ばなかった地域もたくさんあり、それぞれの地域に歴史がある中で、神武天皇から始まる皇国史観で北海道から沖縄まで「日本の物語」化するのは、歴史としてはおかしいと感じます。

領土も人も可変的で、いろいろな地域の多様な歴史が積み上がりながら、最終的に明治以降の国境画定の中で、今の大きな「国家」としての枠組みができていくわけですが、日本の成り立ちのどこにズレや膨張、縮小があったのかという視点が抜け落ちています。

もうひとつあげるとすれば、あの教科書のページ数や構成はとても1年間で終えられるものではありません。どのように授業を展開できるか、全く想像できない作りです。


――確かに、500ページを超える分厚い作りで、文字中心の「読み物」という印象です。

そういう意味で言えば、楽観はできませんが、この教科書が学校現場に直接与える影響はほとんどないように思います。ただ、「歴史戦」的な問題でいうと、これが教科書として文科省のお墨付きを得て、どんどん教科書記述が歪んでいく、その材料に使われるのではないかと懸念しています。

神武天皇から始まっても日本の歴史として問題ないのだと、歴史修正主義的な記述が当たり前の世界を、教科書として採択することによって歪めていく――これは文科省が罪深いと思いますね。


――今後、教科書検定や教科書の選定はどう変わっていくべきでしょうか。

教師自身が選定のプロセスに関われない現状において、授業で使いにくいものや、子どもの学びに寄り添ったものではない教科書が採択されていけば、「自分の教材」という意識が失われ、教師と教科書が乖離していきます。どこに教師の主体性が生まれるのかを、本質的に考える必要があります。

世界的な潮流からすれば、教材の選定などは「教師の専門性」に委ねられるべきなんだというのが基本なんですよ。その考え方からすると、本来であれば検定はなくし、採択は政治性に左右されない形で、「最低でも学校ごと」にすべきでしょう。

学習指導要領はしっかりこなしつつ、本当に今学ばないといけない歴史事実なり憲法の考え方なり、人権の取り上げ方をちゃんと精査して、選べる力を教師は持ってほしいし、教師にそれだけの専門性を持っている職としての、研修と自律と選択権を与えてほしいというのが究極だと思います。



「非政治化」の教育、「賛否があるもの」は扱えないか

――今日は普天間市内の小学校5・6年生それぞれを対象にした、山口さんの平和学習授業を見学しましたが、「戦後」の具体的な衣食住を子どもたちが考えていましたね。

野菜を植えても翌日取れるわけではありませんし、綿花を植えてもすぐに服が作れるわけではないのですが、子どもたちは「米軍」という存在が抜け落ちた状態で戦後の生活を想像していたんですよね。

生活をちゃんと見つめてみると、米軍の残飯やスクラップを拾っていたとか、軍作業しか仕事がないから警備や洗濯の仕事をしたりとか、軍依存の経済が作られていく過程が見えてきます。


――確かに、最初は「畑で芋を作る」「釣りとか狩りをする」という発想だった子どもたちが、戦後を生き抜いた実際の住人の方の証言を一緒に読み、視点が変わっていく場面がありました。

「普天間基地みたいに危ない場所の周りに住んでいる人間が悪い」といった言説に、子どもが分かるレベルで反論する、ということにもつながるかもしれません。

「基地で働いている人がいるから基地容認」という対立になりがちですが、あの授業で考えたかったのは、誰も好きで軍依存の社会になっていたわけではない、すべてが焼き払われ、土地が基地に取られ、どうやって生きていくの?という切実感です。

こうして様々な立場の人たちの視点からものを見ていくわけですが、「翻弄されていく住民がどうなっていくのか」、ということは、絶対に外してはならないと思っています。

辺野古での基地建設の土砂を搬入するダンプの列。(安田菜津紀撮影)



――「平和教育」が、内容によっては「政治的なもの」として忌避されることもあります。

日本の場合、悪い意味で「非政治化」の教育になってしまうんですよね。核兵器や原爆はだめだよね、でも、核兵器を持つか持たないかは政治問題だから、あまり触れられない……みたいな話になりやすいんです。そこをどう突破するのかということは、やはり常に考えないといけません。

たとえば普天間第二小学校の校庭に米軍ヘリの窓枠が落ちたとき、防衛大臣が「最大限可能な限り普天間第二小上空を飛ばないと米軍と合意した」と記者発表したプレスリリースを引用してみる、でも実際にはまだ米軍機は飛んでいる――。「もう飛ばないでほしい」という子どもの投書も市民からの要請もあるのに、どうしてそこに溝や矛盾があるのか?ということを見せる。でも資料自体は防衛省のリリースを引用しているので、その資料が回収されて独り歩きしても全く問題ないでしょう。

学習指導要領にしても、教育基本法にしても、「平和で民主的な国家社会の形成者を育てる」と言っているわけですから、ちゃんと政治的判断ができる子どもを育てることは、それらに沿っていますよね。その中で、住民の願いとか、生活の願いとして、どう当事者の声を中心に読み取らせるかということは僕も大事にしています。

浦添市の上空を飛ぶ戦闘機。(安田菜津紀撮影)



――とりわけ「賛否」が別れる問題については、「扱いが難しい」という声も聞きます。

基地問題などにしても、「賛否あるから取り扱えない」と言った瞬間に、子どもは賛否の判断すらできなくなります。社会の現実をちゃんとリアルに見せながら、子ども自身にきちんと判断させる。自分自身が「権利の主体者」として判断できて、意見表明できて、それが教室の中で否定されないということを、どのように学習の中に取り入れていくかが重要です。

「平和」は確かに人類の到達したい真理ではありますが、だからと言って反論を許さず、「それこそが正しいものだからそう思いなさい」というのは教育ではありません。

平和教育というものが実施されるためには、教室の中が平和でないといけない。教室の中が平和ということは、「意見表明権」が保障され、「思想信条の自由」が保障され、それをちゃんと踏まえた上での話し合いができるということです。みなで考え、判断していく力が問われているはずです。

Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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