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アサド政権崩壊、シリアの「故郷」を知らない子どもたち、親たちの葛藤

「こんなときにどんな言葉をかけてほしいかって? それは“おめでとう”だろう! アサドがようやくいなくなったんだ!」

イラク北部クルド自治区、スレイマニアの商店街にある理髪店で、常連だという男性はやや興奮気味に話し続けていた。シリアを追われて10年近くだという彼は、帰郷前に身だしなみを整えに来たのだという。黙々とハサミを動かす店員たちも皆、彼のように難民としてシリアから避難してきた人々だ。隣国とはいえ、政権崩壊前であれば、店中にとどろく声でアサド前大統領をののしることは憚られただろう。

UNHCRによると、イラクにはシリアから30万人ほどのシリア人が身を寄せ、多くが北部のクルド自治区に暮らしている。

2016年1月、イラク北部クルド自治区・ダラシャクラン難民キャンプ。(安田菜津紀撮影)



アサド政権崩壊後も続く不安

弾圧の限りを尽くしたアサド政権が崩れ去り、彼のように帰郷を急ぐ人がいる一方、葛藤を抱える声にも触れる。

「これまでは政権の批判なんてもってのほか。それはハーフィズ(バッシャール・アサド前大統領の父)の時代からずっと続く統制でした。アサドがいなくなったと聞いたときは本当に、夢だと思いました」

そう語るIさん(40代)は、ダマスカスで技術系の仕事に就いていた。Iさんがシリアを離れた約10年前、首都でさえ電気の供給は限られ、水道が止められることもしばしばだった。

「インフラの欠如には制裁の影響もあると思いますが、政権が力を誇示する手段でもあったのでしょう。自分たちはあらゆることをコントロールできるんだ、と」

イラク北部クルド自治区・アルビルで取材に答えてくれたIさん。(安田菜津紀撮影)

元々、農村部出身のIさんは、「女性が男の所持品のように扱われる」男性優位社会での息苦しさも感じてきた。一方、イラク・クルド自治区で暮らし始めてからは、「〝シリア人”というだけで学歴が公正に評価されず、職を探す難しさを感じてきた」と、“居場所”を見いだせない困難を語る。

「安全が担保されるのであれば、もちろんシリアに戻りたい気持ちはありますが、これから本当に〝平和″になるのかは、まだ誰にも分かりません」

Rさん(20代)はシリア南部、ダラー出身だ。「政権が嘘ばかりだったのは、大統領の不自然なほど多い得票率(2021年5月の選挙では95%)を見ても明らかでしょう。選挙の実施は結局、メディア向けのポーズでしかありませんでした」。

ただ、アサド政権崩壊後もシリアに戻ることは考えていない。キリスト教徒でもあるRさんは、「新政権から弾圧を受ける可能性はないのか、椅子に座る人間が変わっただけで、権力による搾取や弾圧の構図は変わっていないのではないか」と、不安を拭えないという。


「故郷」を知らない難民の子どもたち

イラク・クルド自治区中心地であるアルビルには、家賃の安い住居を借りの住まいにしてきたシリアの人々の姿がある。ヤーセルさん、妻のルウェイダさんも、小さなアパートの一角で息を潜めるように生活を送っていた。一家の故郷はとりわけ激戦に見舞われたシリア第二の都市、アレッポだ。

次男ザッカリーヤさんとお祈りをするヤーセルさん。(安田菜津紀撮影)

娘のマルワさんは、同じくシリアから逃れてきた男性とわずか15歳で結婚。私が出会ったときには、16歳にして臨月を迎えていた。

シリアに限らずではあるが、難民の早期婚増加の問題は、国際機関が警鐘を鳴らしてきた。避難生活による教育機会の喪失、娘を「嫁がせる」ことによる家族の負担軽減、婚姻による少女への「保護」の提供、文化や「伝統」などの背景、虐待からの「避難」など、複合的な背景をユニセフは指摘する。

2016年5月、マルワさんのアパートに泊まらせてもらった翌日の早朝、まだ太陽が昇らないうちのことだった。「大変、産まれそう!」と、マルワさんはまだ薄暗い道を、タクシーで病院に運ばれていった。

15歳で流産を経験しているマルワさんの体の状態を医師も心配していたが、到着から2時間後には元気な赤ちゃんが産まれ、「サラ」と名付けられた。避難生活が長引くほど、一家の中でも、こうして「故郷を知らない子どもたち」が増えていった。

生まれたばかりのサラさんとマルワさん。(安田菜津紀撮影)

その後も暮らしは厳しく、ヤーセルさんが鉄屑など換金できるものを拾い、期限切れの食品を商店から安価で買いうけるなどして生活をつないだ。凍える時期に洪水に見舞われ、避難先のアパートからも一時、退去を余儀なくされたこともある。

2022年5月の一家。前列左がサラさん、後列右がマルワさん。(安田菜津紀撮影)

現在サラさんは顎などの骨の治療を受けており、他にも呼吸器に問題を抱える家族がいる。今後が見通せない中、シリアに帰郷する望みよりも、ヨーロッパで暮らせる可能性に賭けた。実は昨年(2023年)、ヤーセルさんは単身、トルコ、ロシア、ベラルーシ、そしてポーランドへと、過酷な道のりを経て、今は欧州内で難民として受け入れられることを模索している。

2024年12月撮影。一番右がサラさん、右から5番目の女性がマルワさん。(安田菜津紀撮影)


親たちの葛藤――シリアは民主的な社会を築けるのか

シリア国内最大の脅威はアサド政権であったことは言うまでもないが、とりわけ北部は他地域と異なる事情を抱えてきた。

2019年10月9日、シリア北部へトルコ軍が侵攻を開始した。トルコはIS掃討作戦で米国の支援を受けてきた、クルド人主体の勢力の拡大を懸念し反発してきたが、この侵攻はトランプ政権での米軍「撤退宣言」の直後だった。国連の発表によると、この攻撃によって家を追われた人々は21万5000人にのぼり、うち約8万7000人が子どもとされている。

2019年11月、シリア北東部、マリキヤの学校で。(安田菜津紀撮影)

トルコ国境に接するシリア北部の街カミシリにも、ある日突然ロケット弾が降り注いだ。当時8歳のサラさんは、路上で兄たちと遊んでいたところ、傍らに着弾した砲弾の爆発に巻き込まれた。13歳だった兄、ムハンマドさんは即死、11歳だった次男アフマドさんは片目に重傷を負い、そしてサラさん自身も片足を失った。現地では治療が難しく、国境を越えイラク北部クルド自治区に搬送されてきた。

彼女に最初に会ったのは、搬送先のスレイマニアの病院だった。

スレイマニアの病院で治療を続けていたサラさんと母のナリマンさん。(安田菜津紀撮影)

「ねえ、私たち何も悪いことしてないでしょ? もうこんなことやめるように”大きい人たち”に伝えて?」

ベッドの上でつぶやくようにサラさんが私たちに語りかけた。”大きい人”の意味が飲み込めずにいると、母のナリマンさんが声を詰まらせながらこう語った。

「子どもたちには、この惨劇にどんな勢力が関わっているかなんて分からないんです。ただただ、力のある人間がやっていることを止めてほしいと、サラは伝えたいんです」

父のユーセフさんは当時、子どもを亡くしたショックで失語状態にあったが、3年後に訪れた時には声を取り戻し、その思いを語ってくれた。

「シリアでは30年以上溶接の仕事を続け、ごく普通の生活を送っていました。でも、子どもを亡くしたあの場所には、もう戻る気持ちにはなりません」

2022年5月撮影、スレイマニアで生活を続けるサラさん家族。(安田菜津紀撮影)

あれから5年が経ち、サラさんは義足で日常生活を送る。成長期で骨が伸びるため、手術と義足調整を今も繰り返している。

シリア北部ではアサド政権崩壊後も、クルド人主体のシリア民主軍(SDF)と、「シリア国民軍(SNA)」などトルコが支援する組織との激しい衝突が相次ぎ、先行きの見えない状況が続く。

「私は故郷に帰りたい。でも、子どもたちの安全を考えたら、その選択は考えられません」と、母のナリマンさんの決意は固い。前述のヤーセルさんと同じく、2023年、父のユーセフさんは欧州へと発ち、いつかサラさんたちを呼び寄せ共に暮らせる日を待ち望んでいる。

2024年12月撮影、スレイマニアで生活を続けるサラさん家族。(安田菜津紀撮影)

急激にシリア社会が変わった今、そこにどのような未来が待ち受けているのかと、懸念の声も多々耳にする。シリアから他国に避難したある男性はこう語る。

「あまりに独裁が長すぎて、“自由を知らない”人たちがほとんどです。これまで味わったこともない民主的な社会をどのように築いていけるのか、不安でなりません」

これまでアサド政権が繰り返してきた残虐行為を、「国際社会」が止められなかった責任は計り知れない。だからこそせめて今、この社会を孤立させず、権力ばかりに都合の良い不透明な社会が再び現れることのないよう、世界からの目と、具体的な支えが不可欠だろう。



Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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