「狂気を止めよう」―ガザでの虐殺に異を唱えたイスラエル人高校教師は、ある日突然、逮捕された
「この狂気を止めるんだ」――2023年10月、イスラエル軍によるガザ侵攻が始まった直後、イスラエルの高校教師、メイール・バルヒンさんは、犠牲になった子どもたちの写真とともに、Facebookにそう投稿した。
ところがこの投稿をきっかけに、教員の職を解雇され、さらには「反逆罪」などの疑いで逮捕される。その後起訴はされず解雇も無効となったももの、再び勤務校に出向いてみると、一部の生徒らから「人でなし!」「お前は癌だ!」と唾を吐かれ、叩かれるなどの暴力に見舞われた。
治安維持法を敷いた大日本帝国を想起させるような事態を前に、メイールさんが今何を思うのか、2024年12月、西エルサレムでインタビューを行った。
子どもたちは大人の映し鏡
――ソーシャルメディアへのポストをきっかけに逮捕されることとなりましたが、投稿を通してどんなことを伝えたかったのでしょうか。
私はフェイスブックを積極的に使っています。イスラエルに住む多くのユダヤ人は、パレスチナ人の「作り上げられたイメージ」しか知らず、顔や名前のない、そして希望や計画性のない存在と見なしています。だからこそ多くのユダヤ人に、パレスチナ人と人間として向き合い、願わくば、非暴力の方法で交流してほしいと思ってきました。
私は終身在職権を持っていますが、(2023年)10月24日、教育省は私の免許を停止し、私は国内のどの学校でも教えることができなくなりました。そして11月9日、エルサレム警察から電話があり、出頭するよう命じられました。警察はふたつの容疑で私を尋問しました。ひとつ目は、イスラエル国家に対する反逆行為を企てたこと。ふたつ目は、公共の秩序を乱す意図があったこと。
私が警察署に入ると、彼らは私の頭と足を叩き、携帯電話を没収しました。5人の刑事が私のアパート中を、床が見えなくなるほどひっくり返して捜索しました。その後、誘導尋問としかいえないような尋問を受けました。
私は「ハイリスク」の被拘留者として分類され、独房に入れられます。翌日の法廷審問にビデオ会議室から参加すると、裁判官は私の拘留を11月13日まで延長しました。
その後、釈放され、地方労働裁判所で市と教育省に対する申し立てを行います。2024年1月13日、裁判所は私の即時復職を命じました。
――ところが戻った学校でも、暴力に見舞われることになりました。
学校に戻ると、職員室は100人以上の生徒らに囲まれ、彼らは私を罵倒し、壁を棒で叩きました。私が職員室から出ようとするたびに、唾を吐きました。
こうした生徒たちの姿は、親や政治家から見聞きした言葉や態度の映し鏡でしょう。でも子どもたちには、希望があると信じています。いつか、気づくときがくるのではないかと。彼らをあきらめるということは、教師であることをやめることです。
市は私の授業をビデオで撮影し、それを生徒たちに配信することにしました。とても奇妙な経験でした。つまり、私は誰もいない教室で、椅子と机に向かって話していたのです。それでも、私は自分の役割を果たそうとしました。しかし後からわかったのですが、市は結局、私の授業を生徒たちに配信していなかったのです。
――9月から、新しい学期が始まっています。
私の復職を巡り、市は控訴していましたがそれは棄却され、新学期となりました。私は教室に入り、生徒たちにこう言いました。
「この1年間、私のことをいろいろ聞いてきたかもしれません。私に何でも聞いてもらっても大丈夫です。でも、今日はやめておきましょう。私が君たちのことを知り、君たちが私のことを知る――そこから始めましょう」
ユーモアもたくさん取り入れた授業を続け、生徒たちも少しずつ私に慣れていきました。当初、私の教室に入ることを拒絶していた生徒も、友達に「楽しいよ」と勧められて参加するようになりました。今では最も親しい生徒の一人です。
否定された「面白い授業」
――日頃、どんな授業を心がけていたのでしょうか。
私の授業の中心は、生徒たちとの民主的な対話です。全員が同じように考え、同じ声で話せば、「民主的な対話」はできません。最初は、パレスチナ人について語ることに対し身構えていた生徒も、時が経つにつれ、私のことを知り、私が危険ではないと分かり、対話が生まれるようになりました。
ところが一部、私が授業で政治の話をすることを嫌がる保護者たちがいて、彼らは市役所に苦情を入れました。保護者の一人は、「“面白い授業”はいらない。退屈な授業でいい」というのです。「お子さんの中で、他者への共感が育ってほしくないということですか?」と尋ねると、「そうだ」と。まるで壁に向かって話しているようでした。15歳の息子に、憎しみだけを持たせたいのでしょうか?
親たちは何のために自分の子どもをガザに送り込み、命を危険にさらすのでしょう? その子が戦場から戻ってくることができたとしても、どうやって誰かと“普通の関係”を築けるというのでしょうか? もし彼の恋人が彼と違う考えを持っていたら、「もう会いたくない」と拒絶するのでしょうか? 子どもが違う考えを持っていたら、「出ていけ」というのでしょうか?
親世代もまた、トラウマを抱え、憎しみに満ちており、それを自分の子どもに伝えてしまうのです。
――「民主的な社会」が成り立つためには、公正な意味での「表現の自由」が必要なのではないでしょうか。
今のイスラエルに言論の自由などありません。「あなたに私と同じ宗教を信じてほしい」「同じ人種でいてほしい」「同じ国籍でいてほしい」、そして「私と同じ政治的見解を持ってほしい」――自分と同じコピーを求める社会です。そして「あなたが私と違うと、私は脅威を感じる。だから暴力で応戦する」となる。
――こうした現状に違和感を抱く保護者や生徒はいないのでしょうか。
学期のはじめに、12年生の生徒が数人私のところへやってきました。彼らは私のクラスの生徒ではありません。しかし彼らは「高校を卒業して兵役を終えたら、この国を去るつもり」と言いました。「ここでは“普通の生活”は送れない。暴力と憎しみの中で子どもたちを育てたくありません」と。私の周りにもすでに、イスラエルを離れた人たちがたくさんいます。右翼か左翼かという問題ではありません。
――逮捕された後、メイールさんの日常も大きく変わってしまったのではないでしょうか。
私の人生は大きく変わりました。親しい友人を失い、幼なじみとも疎遠になってしまいました。彼らは恐れているのです。ガザでの行動や政府を批判したりすれば、政治的に迫害されることを知っています。仕事を失ったり、公の場で辱めを受けたり、場合によっては刑務所に入れられるかもしれません。親族の中にも、私を「敵の支持者」だとみなして、話しかけてくれない人もいます。
――今でも匿名の中傷や脅迫は届くのでしょうか?
私や私の子どもたちを呪い、「体のあらゆる部分がガンになれ」などという何千通ものコメントが届きます。
日常にもあふれる暴力
――人質解放と停戦を巡り、ネタニヤフ氏らに対するデモが起きている一方、同氏やリクード党の支持率は、イランやヒズボラに強硬姿勢をとる中で回復してきたことも指摘されています。
彼らはユダヤ人の優位性を放棄することを拒否しています。民主主義を望んでいません。ユダヤ人とパレスチナ人の平等を望んでいません。非ユダヤ人コミュニティに対するユダヤ人の優位性を維持したいのです。こうしたユダヤ人至上主義こそ最大の問題です。
10月7日にハマスが行ったことは決して許されることではありません。しかし、だからといって、イスラエルが行っていることを正当化できるわけではありません。人道主義を標榜する人の中には、「ガザでの民間人の犠牲は残念だが、それはハマスのせいだ」と言う人もいます。そして、「イスラエルに責任はない」と結論づけてしまうのです。そのような意見を聞くたびに、私は憤りを感じます。
――ガザ侵攻前から、イスラエル兵たちが民家に押し入り、住民の女性の下着を身に着けてふざける様子が、数えきれないほどソーシャルメディアにアップされてきました。
これは単なる性的嫌がらせの問題ではありません。彼らがしているのは、相手を殺傷することだけではなく、相手より優位に立ち、支配しようとしているのです。これは、ユダヤ人とパレスチナ人だけの問題だけでなく、男性と女性の、つまりは力を持つ者とそうでない者との関係の問題でもあるのです。
顔も隠さずそれをソーシャルメディアにアップするのは、それが間違っているとは思っていないからでしょう。ガザのある家族全員を殺害した後、家族の写真を笑いながら焼き払う動画もありました。その家族の存在を、完全に消し去ってしまおうとしていたのです。
――こうした社会状況は、生徒たちの日常にも影響しているのでしょうか?
ある時、生徒たちに空のノートを用意してもらい、3ヵ月の期間からランダムに週を選んでもらった上で、その週に遭遇した暴力的な出来事をすべてノートに書き留めてもらったことがありました。身体的暴力、言葉による暴力、あらゆるものです。
その後提出されたノートにはぎっしりと文字が書き込まれ、分厚い辞書のようになっていました。「テレビのチャンネルを巡って兄に殴られた」「バスの中で誰かが人に唾を吐いた」「些細なことで父に怒鳴られた」――。
この国では、一日たりとも暴力から逃れることができません。私たちは暴力に“慣れて”しまい、もはや日常の光景として、それを意識していないことが多いのです。ユダヤ人とパレスチナ人の間だけの問題ではありません。社会全体に、そして私たち一人ひとりの心に根付いてしまっているのです。
「私が先に撃ったから」
――どのようにしてこの国の「狂気」に気づいたのですか?
私はこの国で学校に通い、国が私に学ばせたいことだけを教えられ、学びさせたくないことは一切教えられませんでした。パレスチナ人の友人は一人もいませんでしたし、パレスチナ人と何かを共にする経験もありませんでした。
そして軍隊に入り、装甲戦車部隊に勤務します。1982年の夏には、レバノン侵攻に参加し、死を何度も目の当たりにしました。「もしも命を危険にさらしたり犠牲になっても、それはイスラエル北部の人々の安全のためになる」といったことを説かれ、祖国に貢献したいと考えていました。
ある時、戦車のスコープを覗くと、シリア軍の大砲がこちらをのぞいていました。目の前にその砲口がブラックホールのように現れたときの気持ちは、言葉では言い表せません。一瞬のうちに砲弾が自分の方向に飛んでくるかもしれないのですから。
私が今あなたの前に座っているのは、私が先に撃ったからです。
結局イスラエル軍は、2000 年まで18 年間そこに留まりましたが、「安全」はやってきませんでした。
兵役を終え、1年半かけてヨーロッパやアメリカを旅してからイスラエルに戻ると、政治学を学び、戦争に関するあらゆるコースを受講しました。大学に入学したばかりの頃、初めてパレスチナ人の学生と出会いました。そして、彼らを人間として見るようになったのです。彼らにも私と同じ権利を持ってほしい、彼らの子どもたちも、私の子どもたちと同じように扱われてほしいと願うようになりました。彼らより多くを持ちたいとは思いません。
こうして私はいわゆる「国家の洗脳」から少しずつ、自分自身を解放することができました。自分の国が何年もの間、私に嘘をついていたことに気づくのは、とても辛く、長いプロセスでした。自分を殺すようなものですから。
――メイールさんの考える「人権」とは何でしょうか?
授業の中で、人権について教える機会がありました。そのとき、ハマスやヒズボラに加わった人物の名を黒板に書き、「彼らにも人権があると思う?」と生徒たちに聞きました。すると誰もが、「彼らに人権なんかない」と言います。なぜ?と聞くと、「彼らは人間ではないから」と答えるのです。
人間ではない、とはどういう意味でしょうか? 人権とは、人間性や行いによって定義されるものではありません。人間には良い面もあれば、悪い面もあり、礼儀正しく、ユーモアがあり、ポジティブな側面がある一方で、非常に残酷になることもあります。しかし、どんな人間であっても、人権はあるのです。
あなたが賛同できない人の人権のためにも、声をあげる必要があります。人権は、自分が好きな人のためにあるものではありません。
インタビューの最後に、メイールさんは、棚の上に置かれている写真について教えてくれた。イスラエル国旗の前に立つメイールさんの写真は、拘留延長の法廷審問の時、ビデオ会議室で撮影されたものだ。警察がこの写真を、メディアにばらまいたのだという。
「実はこの写真を、私は誇りに思っています」とメイールさんは語り、アメリカで南北戦争(1861-65年)が勃発する前の時代を生きた、ヘンリー・デイヴィッド・ソローという作家のエピソードを挙げた。
「彼は政府に対して、特に黒人奴隷制度に対して抗議し、税金の支払いなどを拒否したため、投獄されます。そして彼の友人であり、作家のラルフ・ウォルド・エマーソンが独房のソローを訪ね、『中で何をしているんだ?』と尋ねました。するとソローは即座に『外で何をしているんだ?』と答えたといいます」
ソローのような行いができる人間でありたい、とメイールさんは言う。自国であるイスラエルによる占領と民族浄化が続き、レイシズムが吹き荒れる中にあって、それに抗うことは容易ではないかもしれない。この占領や虐殺を止められない「国際社会」の一部である日本社会にも、暴力に加担せず、むしろ「抗えるか」が問われている。
Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda
1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
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