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「拍手をするより、民族浄化を止めるべき」―映画『ノー・アザー・ランド』から浮かび上がる圧倒的不平等と暴力

これが同じ大地なのだろうか。2024年1月、パレスチナ・ヨルダン川西岸地区のダハリーヤ郊外を訪れた時、緑豊かな丘を、羊たちが悠々と歩く光景がそこにはあった。

2024年1月に訪れたダハリーヤ郊外、オディさんたちが放牧をしていた土地。(安田菜津紀撮影)

ところが2025年1月、再び訪れた丘は掘り返され、褐色と化し、羊たちは姿を消していた。



増加の一途をたどる入植者

「入植者たちは昨年、何度も襲撃しに来ては、ここにあるものを全て壊していきました。つい10日ほど前にもやってきたばかりです」

前年も私たちも迎え入れてくれたオディ・アブシャルクさんが指差す先で、彼らの小屋は瓦礫と化し、バラバラに崩されたコンクリートの壁から、へし折られた鉄杭がむき出しになっていた。

破壊された家屋の前に立つオディさんと息子のカラムさん。背後の土地は変わり果てていた。(安田菜津紀撮影)

傍らに建てられたトタン作りの倉庫に足を踏み入れると、そこには羊たちがぎゅうぎゅうとひしめき合い、方々から聞こえる鳴き声が、低い天井に反響した。

「家畜たちにとって、空の下を歩き、自然の草を食べることはとても大切なことです。しかし入植者たちは、ドローンを使って家畜を追いやり、土地自体を奪っていきました」

今は近隣の街から、羊たちの水やエサを買っては運びを繰り返し、一日中その作業に費やしている。生業を奪われた上、かさむ費用が一家にのしかかる。前年、オディさんは「土地を奪われるのは、体から魂を抜かれるようなものだ」と語っていた。代々受け継いできた土地は、オディさん自身と切り離せないものだった。

「入植者たちは、水も土地も電気も、様々な家畜も全て所有し、私たちを追い出すことも自由にできます。今この羊を外に出したら、入植者たちは私たちも、羊も、容赦なく撃つでしょう」

前年の気丈な口調とは打って変わって、「どうしたらいいのか」と途方にくれた様子が、その声色から、表情から、ひしひしと伝わる。

倉庫に閉じ込めるほかなくなってしまったオディさんの羊たち。(安田菜津紀撮影)

こうして占領地に入植者を送り込み、パレスチナ人たちの土地を奪うイスラエルの政策は、兼ねてから国際法違反であると指摘されてきたが、入植者の数は増加の一途をたどる。国連人権理事会の報告では、東エルサレム含め西岸の入植者は70万人を超えるとしている。

アジザ・イブラヒムさんは2023年11月、ヘブロン県南部、ザヌータからこのダハリーヤ郊外に避難してきた。

「2023年10月以前から、入植者たちは私たちを攻撃し、農作物などを蹴散らしていきました。その後、襲撃は増え、女性や子ども、羊までが暴力を振るわれるようになりました。一日に何度も来るようになり、夜も眠れない状態が続きました」

隙間風が吹き込むプレハブに腰かけ、伏し目がちにアジザさんは語る。

「故郷が、育った土地が、恋しいです。ここでは、プレハブにただじっと座っているだけ。土地とは、私自身です。彼らはそれを奪っていくのです」

プレハブに置かれた簡易ベッドに腰かけるアジザさんと孫のムハンマドさん。(安田菜津紀撮影)



マサーフェル・ヤッタの不条理

西岸地区は、行政権や治安権に応じてABCと3つに分けられているが、もはやこの区分自体に疑問を呈さなければならないだろう。パレスチナ自治政府に行政・治安の権限があるはずの「A地区」でさえ、イスラエル軍や入植者たちの襲撃は相次ぎ、「やりたい放題」の状態だからだ。さらに、行政・治安の権限がイスラエルの管理下にある「C地区」の人々は、とりわけ過酷な環境に追いやられ、移動や居住、水の確保など、命に関わるライフラインを含め厳しい制限をかけられている。

ヘブロン県の中でも南端に位置する村々の集落、マサーフェル・ヤッタも、この「C地区」だ。1981年、イスラエルはその土地を「軍事演習場」にすると宣言し、住民に立ち退きを迫る。しかしここは、代々に渡りパレスチナの人々が営みを続けてきた土地だ。住民たちは「違法である」と声をあげ、裁判は20年以上にも渡って続けられた。けれども2022年、イスラエルの最高裁判所は住民の主張を退けた。

これにより、8つの村の住人、約1,000人が「法的に」追放される危機に直面している。パレスチナ人であるバーセル・アドラーさん、イスラエル人のユヴァル・アブラハームさんらが監督を務めるドキュメンタリー映画『ノー・アザー・ランド』でも、イスラエルの入植者や軍が住民を攻撃し、学校や家々を砕き、人々の歴史や痕跡すらも消そうとする現状が映されている。

「イスラエル政府が何かをしたかったら、書類をつくってサインをすれば、それが法律になり、私たちに強制されるのです。それは法律ではなく“命令”です」

マサーフェル・ヤッタで生まれ育ったバーセルさんはこう訴える。

「たとえば彼らは、“これは違法だ”といって、水道管を破壊します。“違法だ”というのはいつも建前に過ぎません。水道を通すために申請をしたところで、99%は却下されてしまうのですから」

取材に応じてくれた『ノー・アザー・ランド』の監督のひとり、バーセルさん。(安田菜津紀撮影)

生活をしていれば当然、家が老朽化したり、家族が増えて手狭になることもあるだろう。ところがC地区や東エルサレムの住民たちは、家を改修したり増築したりするとき、許可を求められる。その申請そのものに高額な費用がかかるが、それを払って許可を求めたとしても、バーセルさんが語るように、ほぼ認められることはない。やむなく許可を得ずに工事や作業を進めると、完成した頃に「違法建築だ」と壊しにやってくる――。マサーフェルヤッタに限らず、収奪のために繰り返されてきた「手口」だ。

『ノー・アザー・ランド』は2024年のベルリン国際映画祭で、ドキュメンタリー賞と観客賞をダブル受賞した。ところがその直後、ドイツの文化・メディア庁は、なぜかこんな「声明」を発した。

《大臣の拍手はユダヤ系イスラエル人映画監督のユヴァル・アブラハーム氏に送られた》

こうして省庁ぐるみで、パレスチナ人であるバーセルさんの存在を黙殺したのだ。この態度に憤りながらも、バーセルさんはこう続ける。

「そもそも、私たちを殺すための武器を売り、イスラエルのジェノサイドや人種差別、国際法違反の占領を支える国の政府の大臣に、拍手などされたくありません。もう少し踏み込んでいうと、民主的な国家として国際法を遵守し、人権を守る立場にあるのならば、ジェノサイドを目にしながら私たちの映画に拍手をするよりも、この民族浄化を一刻も早く止めるべきでしょう」

イスラエルに対し、アメリカに次いで軍事支援を続けてきたのが、このドイツだ。ドイツ国内ではパレスチナに連帯するデモなどが「反ユダヤ主義」と見なされ、参加者が逮捕、拘束される事件が相次いできたが、文化・メディア庁のコメントは、そうした公権力の態度を象徴するようなものだった。



銃撃を「無視」する警察

国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、ガザ侵攻が始まった23年10月以降、西岸での犠牲者は900人に迫る(2025年1月末時点)。

バーセルさんのいとこにあたる、ザッカリーヤ・アドラーさんは、23年10月13日、モスクでの祈りを終え外に出てくると、女性たちの悲鳴を耳にしたという。丘の上から武装した入植者たちが、兵士を伴って村に侵入してきたところだった。

「ここは私たちの村だ」とザッカリーヤさんは近づいていったが、入植者は彼を銃で押したかと思うと、そのまま至近距離で腹部に銃弾を撃ち込んだ。

撃たれた直後のザッカリーヤさん。(安田菜津紀撮影)

「横にいた兵士が、『もう一人の頭を撃て』と言うのが聞こえました。検問は閉められていたため、救急車を呼ぶことができず、タオルで止血をしながら、友人の車でクリニックまで運んでもらいました。出血がひどく、生きて病院にたどり着けるとは思いませんでした」

その後、なんとか近隣の病院にたどりつき、転院や開腹手術を繰り返した。70日以上も食べ物を口にすることができず、入院は84日間にも及んだ。85キロだった体重は57キロまで激減した。後遺症が残り、500mℓのペットボトルよりも重い物は持ち運べず、建設関係の仕事に戻ることができずにいる。

ザッカリーヤさんの腹部には、今でも深い傷跡が残る。(安田菜津紀撮影)

妻のシューグさんは、怒濤の日々をこう語る。

「私たちには4人の子どもがいて、ザッカリーヤが撃たれたのは、双子の赤ちゃんがまだ4ヵ月のときでした。乳飲み子たちを抱え、収入も途絶えたまま、夫が死んでしまうかもしれない状況に耐えなければなりませんでした」

1歳になった息子をあやすシューグさん。(安田菜津紀撮影)

当初、動くことさえできなかったザッカリーヤさんは、警察に病院まで聞き取りに来るよう願い出た。結局警察は姿を現さず、ザッカリーヤさんは体を引きずり自ら警察署へと赴くことになる。

「ところが警察は『どうせお前が(入植者に)石を投げたんだろう』と言うのです。もちろん証拠は何もありません。入植者の犯罪を報告しに来たのに、警察は私の証言を無視し、気づけば私が取り調べを受けていました。最後には1000シェケル(約44000円)払えば解放してやると言われ、払わざるをえませんでした」



国際的にも批判を浴びる「力の支配」

こうした現状を、国際法の中でどう考えるべきなのか。西南学院大学法学部教授の根岸陽太さんに解説頂いた。



根岸陽太さん。(本人提供)

2022年、イスラエル最高裁は、マサーフェル・ヤッタに住むパレスチナ人の立ち退きを認める判決を出した。この判決は、1949年ジュネーヴ第四条約のもとで禁止されている被占領地域の住民の追放(49条)を許容した点で、国際法に逆行するものであった。ここでは、この判決にどのような問題があるのか、大きく4つのポイントに分けて説明する(詳細は別途準備した外部リンクを参照)。


①文民条約49条を拒む判決

第1に、本判決は、文民条約、なかでも追放禁止という極めて人道的な49条の適用を拒んだ。西岸地区に関する過去の判断では、文民条約が適用された実例もある(例:2002年アジュリ事件判決)。しかし、本判決を主筆した裁判官は、文民条約49条が慣習国際法を反映していないとして、その適用を認めなかった(イスラエルでは、条約の規範は議会による編入がなければ自動的に適用されないという仕組みになっている)。時代錯誤とも言えるこの判断は、占領下の文民の保護を後退させるものである。


②条文から逸脱した解釈

第2に、本判決は、文民条約49条の適用範囲を恣意的に狭めた。この条文は、占領地の住民の強制移送・追放を「その理由のいかんを問わず」禁止している。それにもかかわらず、裁判官は、この条文が「絶滅・強制労働・政治的目的」による追放のみを禁じ、それ以外の追放を容認するかのような解釈を行った。このような条文から逸脱した解釈を裏づけるために、裁判官はテロ関与者の追放を認めた判例を引用した(1988年アフー事件判決)。しかし、本件での住民はそのような脅威を示しておらず、単に伝統的に暮らしてきた土地に住んでいたにすぎない。また、私有地を制限する軍事的必要性について、裁判所は文民条約49条2項の要件を満たしているかについての判断も回避した。


③国際法との矛盾を主張

第3に、本判決は、「イスラエル法」が国際法と矛盾する場合、前者が優先されるという理由で、文民条約の適用を否定した。しかし、本件で国防軍が根拠とした1945年の国防(緊急事態)規則は、実際には「イスラエル法」ではなく、「被占領地域の国内法」に属するものであり、本来的に国際法と矛盾しない。この規則はイギリスの委任統治時代に施行された植民地時代の負の遺産であるが、イスラエルは1967年の占領以降、「占領地ノ現行法律ヲ尊重」するという名目で(ハーグ陸戦規則43条)、継続して効力を持つと解してきた。それ以来、例外状態を規律する国防(緊急事態)規則が部分的に変更され、アラブ人を日常的に抑圧するために濫用されてきたのである。現地住民を抑圧するために植民地主義の遺物を「占領地ノ現行法律」として使い続けながら、それを「イスラエル法」とみなして国際法との矛盾を主張するのは、それこそ筋が通らない倒錯である。


④植民地主義を色濃く反映

第4に、本判決の重要な事実認定に関わる部分が植民地主義を色濃く反映している。上記の司令官命令は閉鎖区域から「恒久的居住者」を立ち退かせる権限を認めているが、ミンツ裁判官は、住民が伝統的な住居である洞窟に住んでいた経緯、人類学者の専門的知見などを無視し、原告が「恒久的居住者」ではないと判断した。


この判決は、国際的にも大きな批判を浴びている。実際に、国際司法裁判所(ICJ)は、2024年7月に下した勧告的意見のなかで、パレスチナ被占領地域におけるイスラエルの政策・慣行が文民条約49条に違反することを示す典型例として、本判決を挙げている。つまり、国際法の観点から見ても、イスラエル最高裁判決は、「法の支配(the rule of law)」を示すものとは言い難く、むしろ「力の支配」を覆い隠すため「法による支配(a rule by law)」に成り下がっている。現在、剥き出しの暴力がガザ地区から西岸地区へと移りつつある。このような時だからこそ、抑圧された人々を下から「支え」、解放の活気を「配る」ような、真の意味での「法の支配」を実現することが国内司法と国際社会に求められている。

根岸さんが語る、「法の支配(the rule of law)」ではない「法による支配(a rule by law)」が覆い隠す「力の支配」の暴力が、映画『ノー・アザー・ランド』にも凝縮されている。そしてまた作中、イスラエル人のユヴァルさんと、「力の支配」を受けるパレスチナ人のバーセルさんの間に歴然と横たわる、圧倒的な不平等も浮かび上がる。

私たちはこの不条理を、「遠い話」と切り離すことができるだろうか。2024年7月に根岸さんが「パレスチナ被占領地域でのイスラエル駐留の違法性」について解説した寄稿の中でも、国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見は、他の国々に対しても、「イスラエルの違法な駐留を支援・援助しない義務」などを示している。日本政府を含め、これに無視を決め込む国際社会であってはならないはずだ。



Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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