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経済的に依存させ、支配する―パレスチナ・西岸の労働者たちは今

「これまで生きてきて、今が一番苦しい」――パレスチナ・ヨルダン川西岸に滞在中、何度となくそんな悲鳴に近い声に触れた。「パレスチナ人を殺すことが、あまりにも軽くなってしまった」ということに加え、経済的な苦境がじわじわと日常を締め上げる。

1993年の「オスロ合意」は和平の象徴のように語られるが、結局は構造的不平等を固定化し、土地を「管轄」の異なるエリアに引き裂くものだった。水や土地の利用に不当な制限をかけられ、いつどこで検問が閉じられ、軍や入植者による襲来があるのか、数時間先も見通せない状況が続く。当然まっとうな経済活動が成り立つはずもない。パレスチナの人々を、イスラエル製品・イスラエル経済へと依存させる構造は、「支配」を強めるものでもある。

2023年10月にガザ侵攻が始まって以来、イスラエルや入植地に働きに来ていたパレスチナ人労働者たちが締め出され、一気に職を失うことになった。入植地やエルサレムのごく一部などでは労働許可が再開されているものの、多くが失業状態に陥ったままだ。

この問題について、労働組合「MAAN」のハイファ事務所で、運営責任者のイスラエル人、アサフ・アディブさんに聞いた。

「MAAN」の活動について語るアサフさん。(安田菜津紀撮影)



――パレスチナ人労働者の権利のために活動を始めたきっかけは何ですか?

私は、反レイシズムや、パレスチナ人の権利、イスラエルとパレスチナにおける民主主義のために、1970年代から活動しています。

私の生まれ故郷はキブツ(※1)でした。シオニズム運動の一環として建設された集団入植地ですが、私が生まれた場所は、左翼的で社会的なつながりが強い場所でした。それはある種、社会主義とシオニズムの「混合体」のように見えましたが、実際にはふたつの層に分かれ、シオニズムの部分が支配的だったということに気が付きます。

また、内部において、人々は社会的かつ文化的によく結びつき、非常に献身的でしたが、それは特定の人々、つまりユダヤ人だけに限定されていました。「ヨーロッパ出身のユダヤ人」だけだと言ってもよいでしょう。したがって、「アラブ諸国出身のユダヤ人」さえもあまり歓迎されませんでした。この矛盾に気づき始め、アラビア語を真剣に勉強するようになり、やがてキブツを離れました。

しかしイスラエルでは現在に至るまで、「アラブ人」を敵視する考え方が一般的です。私はパレスチナ人がみな危険であるかのような「一般化」は、歴史的にも、文化的にも、政治的にも、そして人道的観点からも間違っていると思います。

私は80年代に「占領」に反対する活動を始め、新聞を発行していました。1987年に始まった第一次インティファーダの頃、私は仲間とともに、1年半、投獄されました(※2)。

その後、私たちは労働者を対象とした活動を始めました。1993年のオスロ合意を「和平」とみなした人々がいましたが、私たちはそれを、「問題を継続させる新植民地主義的な仕組み」だとみなしました。イスラエルが国境、空、水、資源、あらゆるものを支配するのです。

解決策の基礎を作りたいのであれば、人々が自分たちの生活や利益のために戦える手段を作り出す必要があります。これが、イスラエルの既存のものとは独立した労働組合を創出するというアイデアでした。今は、15人のフルタイムの労働者からなる組織です。

(※1)20世紀初頭から建設が始まった入植村。入植やイスラエル建国の歴史を担い、シオニズムの象徴としても知られる。

(※2)アサフさんたちが発行していた新聞は1988年、政府によって廃刊にさせられ、アサフさんは「パレスチナ人組織と不法に接触した」として告訴、投獄された。


――ガザ侵攻前、およそ何人のパレスチナ人労働者がイスラエルや入植地で働いていたのでしょうか?

MAANはパレスチナ人だけの組織ではなく、イスラエル人とパレスチナ人、すべての人々に開かれた組織であり、労働組合です。

イスラエルや入植地で働く西岸の人々についてお話すれば、この10年間で増加し、2023年10月までには20万人もの労働者が働いていました。その労働者の家族が5人から7人いると仮定すると、西岸に暮らす約300万人のうち、100万人以上の人々に関係してきます。

事務所の壁に貼られた、MAANの活動を伝える写真。(安田菜津紀撮影)



――主な産業は建設業ですか?

工業や農業、ホテルやサービス業もあります。しかし、主要な部門は建設業でした。20万人のうち、イスラエル国内で正規の就労許可を持つ者が12万人で、入植地で正規の就労許可を持つ者が4万人、“半ば不法に”働く者が4万人でした。“半ば不法に”というのはたとえば、病院に行くための許可を得てイスラエルに入り、戻らずにそのまま働いたりするケースです。また、分離壁の穴を通るなどして越境する人々もいました。

犯罪歴のある者には、許可は与えられません(※3)。しかし生活する手段がなく、止む無く分離壁などから越境し、働くのです。

(※3)政治犯とされた場合、その家族にも労働許可が出ないこともある。


――どのような人がイスラエルで働く許可を得ることができるのでしょうか?

2023年10月23日まで、西岸地区の労働者には3つのものが求められました。まず第一に、西岸地区のパレスチナ人が所有する「身分証明書」です。

第二に、「マグネティック・カード」と呼ばれるものです。イスラエルの占領当局に申請し、犯罪歴がなく、イスラエルの治安機関が承認すれば取得できます。4年ごとに更新が必要で、手続きには150シェケルかかります。これを得てようやく、イスラエル入国の「申請」が可能になります。

第三の「就労許可」は、上記ふたつとは別の問題があります。問題は、イスラエルの就労許可は「労働者」にではなく、「雇用主」に与えられるということです。パレスチナ人の労働者はイスラエルの雇用主を見つけなければならず、労働者は、その雇用主のもとで“のみ”働くことが許可されます。

もし雇用主があなたに残業代を払わなかったり、休業中の賃金を支払わなかった場合、一般的には雇用主と争い、解決策を見つけることができるかもしれません。あるいは、別の雇用主を探すかもしれません。しかしパレスチナ人の労働者は、その雇用主の元を離れた場合、次の日には就労許可を失い、収入が途絶えてしまうのです。

彼らは脆弱な立場に置かれ、あらゆることを受け入れざるを得ません。つまり現在の就労許可制度は、労働者を搾取し、抑圧し、「雇用主を選ぶ」という労働者の基本的な権利を無視するものなのです。イスラエルの治安当局による審査を受け、「マグネティック・カード」を持っている人であれば、世界中の労働者同様、雇用主を探す自由があるべきだと私たちは主張してきました。

また、就労許可の売買も行われてきました。労働者はイスラエルの架空の企業に月2,500シェケル(10~11万円)ほどを支払い、就労許可を手に入れます。そのイスラエル企業は、イスラエルの「移民局」に偽装した雇用関係を提出します。

また、イスラエルの雇用主は、西岸にいるパレスチナ人労働者と接触したければ、パレスチナ人の「仲介人」を必要とします。そのため、就労許可を売買していたイスラエル企業の中には、数百人のパレスチナ人「仲介人」と連絡を取っていたところもありました。

東エルサレムと他の西岸地区を隔てるアパルトヘイト・ウォール(分離壁)。(安田菜津紀撮影)



――それはシステム自体の失敗ですよね?

この明らかな失敗を、議会は変えませんでした。当局は、パレスチナ人がどこにいるかを知る人がいない限り、イスラエルに入国させることはできないと主張します。これはもちろん、嘘です。すでに6万人が偽の許可証を持ってイスラエルで働いていたとされています。パレスチナ人が「仲介人」から許可証を購入し、イスラエルの架空の会社で働くことを装って入国し、実際には別の仕事を探すのです。したがって、その6万人がどこにいるのかは把握されていませんし、税務当局は何十億シェケルものお金の流れを見逃しているのです。



――2023年10月、西岸の労働者はイスラエルに入国できなくなりました。

労働者たちの苦しみは想像を絶します。オスロ合意の経済追加条項のもと、イスラエルで働く労働者たちは、いかなる失業保障もない雇用システムで働くことになり、補償を求める法的根拠はありません。

つまり、労働者たちは、仕事がなくなれば、4年前のCOVID-19危機のように、長期間にわたって自宅に閉じ込められ、生活費もなく、失業手当も、誰からの支援もない状況に陥ります。2023年10月から1年以上経ちますが、依然として収入源が全くないのです。

当初、ガザ地区の労働者がイスラエルに入国してハマスに情報を提供し、ハマスの侵入を助けたという指摘もありましたが、それはすでに、ガザの労働者への厳しい取り調べの末、否定されています(※4)。

その後一部の労働者には、イスラエル軍に必要な食料を生産する工場や病院など、特定の場所への入国が許可されるようになりました。労働者が来なければ、軍に食料が行き渡らないためです。入植地では現在、約15,000人のパレスチナ人労働者が働いています。彼らは2023年11月に戻ってきました。

入植者は一般的に、イスラエルの極右勢力です。パレスチナ人がイスラエルに戻って働くことを最も強く拒絶する勢力が、なぜ入植地でパレスチナ人を雇用しているのでしょうか?

また、労働許可を、ある種のパレスチナ自治政府との政治的な駆け引きにも利用している面もあります。

(※4)2024年3月、イスラエル情報機関「シンベト」は、調査の末、イスラエルに働きに来ていたガザの労働者が組織的にスパイ活動を行っていたなどとする指摘を否定した。


――パレスチナ人労働者をインド人労働者や他の国の労働者と「置き換え」ようとする動きもあります。

「パレスチナ人は必要ない」と言いながら、実際には誰が働くのか。ニール・バルカット経済産業大臣は、パレスチナ人の代わりに16万人のインド人労働者を連れてきたいとしていましたが、そんなにも多くのインド人労働者は来ていません(※5)。

こうした案が困難な理由として、第一にイスラエルが「戦争状態」にある国であり、安全な出稼ぎ先とはいえないということがあります。第二に、インドの側でも、犯罪歴がないことを証明する書類を取得するには時間を要するなど、複雑な手続きが必要なことがあげられます。

第三の理由として、こうした労働者がイスラエルで暮らすということに、拒否感を示す人々の存在があります。テルアビブでは過去20年間、エリトリアやスーダンから逃れてきた数万人の難民との間で、多くの問題を抱えてきました。“肌の黒い人”を受け入れることができない人々がいるからです。

そして最後の点として、こうした労働者はインドの家族や親族に送金するため、給与の多くが外に流出してしまい、シェケル経済圏内での資金循環を妨げるという問題があります(西岸地区ではイスラエルと同様にシェケルが使用されている)。

レバノン国境に近い、イスラエル北部の家々の再建需要なども相まって、今も建設現場での深刻な労働者不足が続いています。経済有力紙も、パレスチナ人なしではイスラエルの建設部門は成り立たないとし、財務大臣のスモトリッチ氏を批判しました。スモトリッチ氏は入植地出身であり、イデオロギーによってパレスチナ人労働者の入国に反対しているのです。

(※5)2024年末までに新たにインドから入国した労働者は約1万6千人ほどと報じられた。

西岸・ヘブロン県の丘の上に作られた入植地。(安田菜津紀撮影)



――エルサレムやイスラエル国内のパレスチナ人からは、ガザ関連のソーシャルメディアの投稿、あるいは単にそのような投稿を「いいね」したために解雇されたという声もあります。

イタマール・ベン・グヴィル国家治安大臣らは、反アラブ人・人種差別主義的なプロパガンダを展開し、「アラブ人は危険だ」というような発言を正当化するような土壌を作っているのです。

パレスチナ人による“過激なアプローチ”があると、影響力のない個人の投稿であったとしても、警察が介入し、その人物を解雇したり、連行する場合がありますが、イスラエル人による過激な発言や投稿があった場合、ただ「感情的だっただけ」とされ、問題視されません。差別的なシステムです。過激な発言をするすべての人に対して警察の介入が必要だと言っているわけではありません。警察や司法の介入が必要な場合は、客観的であるべきです。

しかし、パレスチナ人労働者がイスラエルに入国できなかったのは、彼らが何かを投稿したからではありません。彼らがパレスチナ人だから、というだけです。20万人の労働者が、単に西岸地区のパレスチナ人であるという理由だけで、入国を拒否されています。



アサフさんが指摘した通り、「パレスチナ人はいらない」「置き換える」と高らかに宣言したところで、ルーツの異なる他者に対する差別のまなざしが根強い限り、「生活者」として平等に見られることはないだろう。

経済的メリットを理由とした労働許可を望む声も、結局のところ人々を「安価な労働力」や「経済の駒」として捉える視点と変わりない。

そもそも冒頭で記したように、「労働者の許可をどうするか」は小手先の問題でしかなく、根本的に切り込まなければならないのは、西岸の経済を徹底的に破壊したうえで、イスラエル側に依存させ支配する、「占領」そのものの問題であるはずだ。



Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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