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映画『Black Box Diaries』をめぐる記者会見・声明など

date2025.2.20

writerD4P取材班

category取材短報

tag#人権

本日、日本外国特派員協会(FCCJ)にて、映画『Black Box Diaries』をめぐる記者会見が行われ、参加してきました。問題を提起する弁護士らの会見に続き、伊藤詩織さんの会見、及び映画上映も予定されていましたが、伊藤さんは体調不良によりドクターストップがかかり、伊藤さんの会見と映画上映は見送られました(そのため伊藤さん側は文書資料で声明などを発出)。SNS上では多くの問題が議論され、様々な情報が飛び交っていますが、本問題を理解し、考えていくうえで、本日の会見および声明などを参照することは、どんな言葉を発するにしても重要な基盤となるはずです。


《動画》記者会見:伊藤詩織氏のドキュメンタリーにおける倫理的懸念

原題:Press Conference: Ethical concerns over Shiori Ito documentary

※問題を提起する弁護士らの者会見の模様は下記にて配信されています。

(動画)日本外国特派員協会(FCCJ)オフィシャルサイトより

日本外国特派員協会(FCCJ)での会見の様子。



伊藤詩織さん声明など



下記をクリックすると全文が表示されます。
伊藤詩織 記者会見 声明

今日お集まりくださった記者のみなさまへ

本日はお集まりいただき、ありがとうございます。せっかくの機会にもかかわらず、体調不良によるドクターストップで出席できなくなってしまいました。申し訳ございません。

会場でお話する予定であった、私が映画を制作するに至った経緯を、この機会にご説明させていただきます。加えて、制作の過程でご迷惑をおかけした関係者の方々への謝罪と共に、その後の対応についてご説明させていただきます。


「Black Box Diaries」を作成した理由

今回、私が9年かけて制作したドキュメンタリー、「Black Box Diaries」 がアメリカのオスカーにノミネートされました。この映画は、私のレイプ被害そのものを描いた作品ではありません。私がこの映画の中で伝えたかったことは、その後の社会の話です。

被害直後に警察が被害届をなかなか受け取ってくれなかったこと。

「このようなことはよくあることだから忘れなさい」と捜査員に言われ続けても、「削除される前に防犯カメラを確認したい」と必死に訴え、性被害を受けたホテルに震える足で行ったこと。

全く記憶のない自分の姿が人形のように防犯カメラ映像として写っていたこと。

防犯カメラの映像を見て「犯罪性がある」と言われてやっと捜査が動き始めたこと、しかし相手がTBSワシントン支局長だとわかった途端、警察から「君の人生が水の泡になるからやめたほうがいい」と言われたこと。

等身大の人形と床の上で性被害の再現をさせられ、その姿を、数名の男性捜査員によって写真に収められたこと。

仕事を休職せざるをえなかったこと。

やっとの思いで捜査が進展したのにもかかわらず、その後逮捕直前の現場、成田空港で警視庁刑事部長からストップがかかってしまったこと。

110年もの間変わらなかった刑法への思いを胸に、変化を望んで再捜査をお願いし、被害を公にしたこと。

家族からは、被害を公表することを猛反対されたため、最初は苗字を伏せて会見を行ったこと。

しかし、すぐにネットで苗字が特定され、誹謗中傷や脅迫を受け、日本に住めなくなってしまい、ロンドンに移り住んだこと。

ロンドンで映画制作の仲間と出会い、日本に帰国して撮影を続けたこと。

私の人生を大きく変えたあの1日から10年がたち、刑法も変わりました。

#metoo運動が世界で起き、日本でも性犯罪の報道のされ方が変わってきました。

もしも最初から被害届が受理され、捜査が真っ当にされていたら。もしも警視庁刑事部長が理由なしに逮捕をストップしていなかったら。

もしも被害者としてここまで声をあげることの苦しみを知らなかったら。

私はこの映画を作っていなかったと思います。

社会や法がどれほど、性被害サバイバーに寄り添うかで、サバイバーのその後の回復のスピードは大きく変わってきます。

性暴力は「被害者」個人の問題ではなく、「社会」の問題なのだと心から感じました。

この10年間、私はトラウマと共に生きてきました。そして学んだことはトラウマと誹謗中傷は、最悪の組み合わせだということです。

どんなに心ない言葉の石を投げられても、私自身が公で泣いたり、苦しい姿を見せたら、他のサバイバーにとって悪影響になってしまうと、自分を奮い立たせていました。

それでも限界を感じ、自らの命を終わらせようと、行動を起こしました。

映画には、その全てが描かれています。

病院で目覚めた時、私はすぐに携帯で病院の天井を探すように撮影を始めていたようです。意識が朦朧としていたので、撮影したこと自体覚えていません。

この映像は編集が始まって一年後に、編集者によって私の携帯から見つけ出されました。

これらの映像は、私が映画に本当は入れたくなかったものの一つです。反対しながらも応援してくれた母、そして父には見せたくなかった。サバイバーとしても入れたくなかったのです。

何よりジャーナリストでもある私は、一方的に私の主観だけで映画を作ることに何度も躊躇しました。

しかし、この病院の映像を見た瞬間、私はこの映画の監督として、映画を完成させるまでは生き延びることを、自分自身に約束しました。

どれだけ苦しくて終わりにしたくても、本当は生きて伝えたかったんだ、と確信できたからです。


謝罪と、今後の対応

証拠集めの過程のなかでリスクを冒してまで証言してくださった、タクシードライバーさんドアマンさんには心から感謝しています。彼らは私にとってヒーローです。

映画には当初、ドアマンの証言を直接聞けた直後に連絡した、西廣弁護士との電話の「ホテルが止めに入るかもしれない」というアドバイスの音声が入っていました。ご本人への確認が抜け落ちたまま使用し、傷つけてしまったこと、心からお詫び申し上げます。

また、映像を使うことへの承諾が抜け落ちてしまった方々に、心よりお詫びします。最新バージョンでは、個人が特定できないようにすべて対処します。今後の海外での上映についても、差し替えなどできる限り対応します。

そして多くの助言をいただいた支援者の方に、心より感謝します。「適切な対応をした上で、映画を公開してほしい」という声は、大事な支えになりました。


監視カメラの映像使用について

ホテルの防犯カメラは、私の受けた性犯罪を、唯一、視覚的に証明してくれたものです。この映像があったからこそ、警察も動いてくれました。

映画への使用について、ホテルからの承諾は得られませんでした。そのため映画では、外装、内装、タクシーの形などを変えて使用しています。

しかし加害者の山口氏と私の動きは一切変えることはできませんでした。それは事実を捻じ曲げる行為だからです。

これに対してはさまざまな批判があって当然だと思います。それでも私は、公益性を重視し、この映画で使用することを決めました。

そこに確かに、性加害の経緯が映った映像がある。それをみずに、性被害を否定する誹謗中傷が、社会に飛び交っている。手元にある映像をどうしたらいいのか、何年も悩みました。でも、ブラックボックスにされた性加害の実態を伝えるためには、この映像がどうしても必要だったのです。


メッセージ

この映画を通してさまざまな観客の方々と出会いました。どんなに日本より刑法が進んでいる国でも、ほとんど皆が、社会やコミュニティーの中で同じ苦しみを抱えているのだと実感しました。

この映画が光を当てているのは、性暴力と権力というテーマです。このテーマは、誰もが目を向けたいものではありません。

最後に。私が願うのは、みなさんにこの映画を見ていただき、議論してほしいということ。この映画は、私にとって日本へのラブレターなのです。

ありがとうございました。

2025年2月20日 伊藤詩織

伊藤詩織氏代理人コメント

伊藤詩織さんの体調が不良でドクターストップがかかったため、本件記者会見は中止とさせていただき、以下の点について代理人としてコメントを公表します。


第一に、防犯カメラ映像の利用についてですが、まず、本件映画で使っているのはホテルから提供された映像(オリジナル版)ではありません。2023年12月の元代理人からの、ホテルに対する裁判以外で使うべきではないとの意見を受けて、ホテルの内装、外装、タクシーの形状、山口氏の姿などをCGを用いて加工し、スクリーン上、英語でこの映像はホテルのオリジナルのものでないと表記しました。

その後、2024年7月の西廣弁護士らとの協議を踏まえ、最新バージョンではスクリーン上に日本語でもホテルのオリジナルのものでないことを明記しました。

ただし、作り直した映像においても、ホテルのオリジナル版の一部分は使っています。それは、酩酊状態でタクシーから降りない伊藤氏をタクシーから抱きかかえて降ろし、自力で歩けない伊藤氏をホテルの入り口まで引きずり入れている伊藤氏と山口氏の動きです。

なぜなら、この映像が伊藤氏の同意のない性暴力事件であることの唯一の視覚的証拠だからです。伊藤氏は一審勝訴後も、現在に至るまで、同意があったのに嘘つき等とネット内外で誹謗中傷を受け続けています。裁判勝訴だけでは救済されていません。とりわけ本件では、ホテルのオリジナル映像が証拠で提出され、閲覧制限がかかっていなかったこともあり、伊藤氏が自力で歩いて出ていく映像が裁判中からネットで流出し、それがあたかも同意があったことの証拠のように使われ、現在まで何十万回も再生されてネットリンチの最大の原因となっています。

伊藤氏は恐怖で日本にいることもできなくなり、メールを開くことすら困難になり、日常生活も仕事にも深刻な支障を及ぼしました。そのため、山口氏への民事裁判を抱えながら、伊藤氏は、ネットの匿名者などを訴える民事裁判を数件を起こさざるを得ませんでした。これらの裁判の代理人は佃克彦弁護士でした。

もし、山口氏と伊藤氏の実際の動きを変更する、たとえばアニメ映像などに変えてしまうなら、伊藤氏への疑惑を完全に打ち消すことはできません。

また、このドキュメンタリー映画の目的は、性被害の実態及び性被害の防止及び救済の法的、社会的に極めて困難であることを映像で社会に訴え、変えていくことです。そのためにも、本件の性暴力の現場の稀有な映像を示し、実際にこのような形でこの社会の多くの人々の目の前で起きていて、それが止められず、事件後もこれほど明確な性犯罪にも関わらず、権力によりもみ消され、被害者が大きな二次被害を負いながら民事裁判を起こさざるを得ず、被害者が死に直面する苦しみを受け続けたことを示すことは、高い公益性があります。


他方、ホテル側には顧客のプライバシーを守るという営業上の利益がありますが、2018 年の誓約書作成の時点と現在とは事情が異なります。本件映像は、裁判中誰もが閲覧可能な状態にあり、本件映像を提供したホテル名はすでに多数報道されて公知の事実となっています。何より、本件映像は裁判により、性暴力の現場の証拠であることが確定しています。

このような事情の変化を踏まえ、伊藤氏本人及び性暴力の被害者の救済という公益性の観点から、両者を比較考量すれば、仮に本件映像がホテルのオリジナル版と別のものと認められなかった場合でも、ホテルのオリジナル版の一部使用が許容されうると考えます。

この点、元代理人から、ホテルとの誓約が順守されなければ、今後ホテルから協力が得られなくなり性被害者の救済に支障が生じるとの主張がなされています。しかし、もとより防犯カメラはホテルで起こる犯罪を防止する目的で設置されているものであり、現行法上でも、性暴力の証拠である場合、文書提出命令(民事訴訟法第220条、第231条)があればホテルは応じざるを得ません。

そもそも伊藤氏のように、性暴力の被害者であり、かつ、映像ジャーナリストであり、しかも自らの闘いの姿を記録し、それをドキュメンタリー映画にし、自らの被害現場を世界の人々にさらけ出して問題提起したのは世界で初めてです。伊藤氏がホテルから得た映像の一部を映画に使用したからといって、他の性暴力被害者が同様の行動をするだろうとの合理的推測は働きません。

さらに、国連の「ビジネスと人権」に関する指導原則の観点からすれば、ホテルは施設内での人権侵害の予防と起きた場合の救済の責任を有します。「社会正義の実現」を掲げるなら、ホテルに対し、性暴力被害者の救済をすることを求めるべきなのに、ホテルの営業利益の側に立ち、被害者に協力しないことを正当化するのは本末転倒です。


第三に、捜査官Aの声については、元代理人側は、2024年10月の記者会見で、捜査官Aの発言が音声を変更することなく無断で使用されていると述べましたが、当初より全ての警察官の声を加工・変更して使用しており、事実と異なります。このことは伊藤氏は、2024 年7 月の元代理人との協議の際に説明済みです。

なお、捜査官Aは、「公益通報者保護法」第2条の「公益通報」にあたりません。捜査官Aは、犯罪被害者の伊藤氏に対し、逮捕状が出たのに上からの指示で執行されなかったという捜査状況を説明し、あきらめるよう話したのであり、その状況について警察内部や報道機関、公的機関に通報していません。実際、伊藤氏が裁判への協力を求めた際、捜査官Aは、伊藤氏に、養ってくれるなら、などと言った上で、断っています。

伊藤氏は、被害届すらなかなか受理されず、本件がもみ消されるとの危機感から、性犯罪被害者として事件に関するすべての音声の記録を行うようになりました。捜査官A との話は、捜査官による犯罪被害者への捜査状況の説明であり、取材源といえるかも疑問です。

捜査官A の発言の利用は、明確な性犯罪であった本件が権力によってもみ消された事実を社会に示す公益性があることは明らかです。

ただし、協力者としての側面もあることから、2024年7月の西廣弁護士側との協議後、最新バージョンでは、声と姿をさらに加工しています。


第四に、元代理人の映像・音声の利用については、2017年10月に西廣弁護士を含む当時の代理人弁護士から、BBCの伊藤氏のドキュメンタリー作成のための撮影の許可と、それを別の媒体でも使用を許可する契約書に署名をもらっています。そのうえで、実際に使う映像は2023 年12 月に元代理人たちに見せて確認をとっています。他方、西廣弁護士との電話の会話は、伊藤氏がセルフ・ドキュメンタリーの手法をとり、毎日すべての行動を撮影・記録していたことから、電話の相手方の声として録音されたものです。しかし、映像がなかったため、事前の確認が抜け落ちてしまったものです。それは伊藤氏のミスであり、すでに2024年7月31日の西廣弁護士らとの協議において、伊藤氏は謝罪し、その部分を削除するなどの提案をしています。西廣弁護士からはその提案について反応はありませんでしたが、すでに昨年8月には削除しています。


第五に、無許可使用で問題となった第三者の方々の映像・音声については、新しいバージョンでは個人の特定がされないよう適切な処理を施すとともに、すでに関係ある方々と接触して問題の解決にあたっています。今後同様の問題が発見された場合にも、代理人を窓口として、誠実に問題の解決に当たっていく所存です。


最後に、元代理人との関係につきましては、伊藤氏の性被害からの救済について数年にわたり尽力されてきたことへの感謝から、伊藤氏からの説明不足や落ち度も一因でこじれてしまった関係を修復すべく、伊藤氏側は一貫して元代理人らとの協議を求めてきました。この度、弁護士会の紛議調停を申立てており、直接の話し合いによる解決を目指します。

2025年2月20日 伊藤詩織氏代理人 弁護士 師岡 康子 弁護士 神原 元

にれの木クリニック院長コメント

にれの木クリニック院長の長井です。私は、微力ながら、詩織さんの裁判で医師として、特にレイプドラッグによる被害についての意見書を書いたり、治療にかかわってきたものです。

その立場から、今回の映画について、意見を述べさせていただきます。

まず、皆さまもご存じのように、性暴力は他人の目がないところで行われることが多く、証人や客観的証拠を得ることが難しい犯罪です。でも、被害者に意識があれば、自分の記憶を糧に闘うこともできます。でも、被害者に意識や記憶がなかったらどうでしょう? お酒やドラッグで意識をなくされたとしたら、何を根拠にして訴えることができるでしょう? 想像してみてください。自分が知らない間に、性暴力を受けたとしたら。犯罪はあったのに、記憶がないとしたら? この絶望感や無力感は想像を絶するものです。私は、こうした被害者に出会ってきました。詩織さんもその一人です。

でも彼女には、客観的証拠・偶然の証人がいました。これは、こうした犯罪ではまさに奇跡ともいえるものです。


《ホテルの監視カメラについて》

これは詩織さんと山口がホテルにつき、タクシーから詩織さんが、引きずり出され、ロビーを通って部屋に向かう場面が映っています。ここでの詩織さんは全く意識がなく、足取りもおぼつかなく前のめりになり、山口に支えられてかろうじて立っています。意識のある人の姿ではありません。

一方で、非常に奇妙なのは山口の動きです。ここは、私も映像を1回見ただけでは、1回目は詩織さんの動きに集中していたので、気が付かなかったのですが、2回・3回とみる中で、山口の動きが非常におかしいことに気が付きました。一言で言えば、彼の動きにはまったく迷い・無駄がないのです。普通、同行者の意識がなければ、慌てるだろうし、少なくとも、タクシーを降りるときなど、外気にあてて見みて、タクシーによりかかってでも立てるか、試してみたりするものですが、彼には全くそんな気配はありません。彼はタクシーが止まるや、詩織さんを一瞥し、荷物を引きずり出すように引っ張り出し、相手の顔を見るでもなく、まっすぐにすごい勢いで玄関に向かいます。つまり、彼にとって詩織さんの意識がないのは、織り込み済みのことだったとしか言いようがないのです。私個人はお酒・ドラッグが使われたと考えていますが、それはさておき、彼のこの迷いのない・無駄な動きのなさは奇妙だとしか言えません。

この映像はこうした被害者と加害者の対比を余すところなく、描いています。幸いなことに、私はこの映像の加工前のものと、映画で使われている加工が施されているものの両方を見ています。加工前のものは、裁判で意見書を書くために、弁護士さんを通じて見せていただきました。映画は、かなり加工されていて、これ以上加工すると、両者の対比も含め、非常にわかりにくくなるギリギリのところだと思います。私はこの映像は、世の中に実態がほとんど知られていない意識のない状態でおこなわれた性暴力を訴えるうえで大きな力になると考えます。そして、詩織さんが自らの経験を心身を削りながら作ったものであり、一人でも多くの人に見てほしいと考えています。

なお、現在、この映像をめぐって、様々な意見があることは、私も十分とは言えないまでも、承知しております。

私が、そのことを知ったのは昨年12月でした。私は、映像を作るといったような、クリエイテイブな仕事の世界は全く知りません。ただ、監督が自らを主体にした映像作品は世界でも数少ないということは聞きました。詩織さんはその作業を何年間かかけてやってきました。大変な葛藤を抱え込んでいたと思います。一人の人間の中に、被害者と製作者が同居しているのですから。あるときは被害者として、何の制約も受けず、あらゆる罵詈雑言を叫びたいという衝動が突き上げてくることもあっただろう。また、世間一般や善意の支援者でも抱きがちな「あるべき被害者像」について、違うよ、被害者も日々生きているのだから笑うこともあるし、お酒を飲んで騒ぐこともあるよと正直に自分をさらけだしたかっただろう(この点は私も被害者と接する中で、「あるべき被害者像」がいかに被害者とすれ違うか、経験しているのでよくわかります)。一方で製作者としてジャーナリストとしての規範を自らに課さなければならないと思うこともあっただろうし。そのはざまで、揺れ動いてきたのだと思います。2025年1月、詩織さんが受診したとき、その疲弊した表情をみて、私はまだ、その葛藤の中にいると思いました。「ドクターストップをかけてでも、2-3か月休養して自分の納得いく結論を出せるようにするべきか」とも思いました。結局、詩織さん自身が落ち着いて、考えられる時間・プロセス・環境を作ることができませんでした。

また、私がこの意識のない状態での性暴力にこだわるのは、詩織さんの裁判でレイプは認められたものの、ドラッグについては、逆に名誉棄損で詩織さんに罰金が下されたとことにも起因しています。ドラッグの関与は認められなかったのです。冒頭で申し上げたように、私はこの裁判で、旭川医大法医学講座の清水恵子教授、山口大学医系研究科法医学講座の藤宮龍也教授とともに、この事件でドラッグが使われたことを示す意見書を提出しました。しかし、これらの意見書については一言も触れられないまま、上記の結果が出されました。私は、これは現行の裁判の限界でもあると思いましたが、ここで諦めてはならないと考え、2023年明治大学情報コミュニケーション学部の堀口ゼミの堀口悦子先生、学生さんたちと共同で、レイプドラッグのアンケートを実施しました。この、アンケート結果は、ドラッグを使ったレイプが珍しいものではないということを示しています。簡単に入手できるドラッグのレイプ事件は、日本の中で、どれほど広がっているか把握できない現在、レイプドラッグの実態を示すドキュメンタリーの価値は実に大きいものです。

今後、同様の事件が起こったときに、被害者にとってあきらめないでとほしいという励みになるでしょう。

同様に、詩織さんもこの映画は未来の女性たちへのラブレターと言っていますが、是非、若い世代に受け取ってもらいたいと思います。

2025年2月18日 にれの木クリニック 院長 長井チヱ子


下記は安田菜津紀よりコメントです。

私(安田菜津紀)と伊藤さんとの関係性をお伝えすると、私にとって大切な友人であり、私の「ルーツの旅」のドキュメンタリーを作ってもらったこともありました。そのため、ここに記すことは、「第三者」としての発信とは言えないと思いますが、現時点で共有しておきたい最低限のことをお伝えします。

『Black Box Diaries』は伊藤さんが性被害を受け、その後をどう生きてきたのかを記録した映画です。現在、様々な問題提起がなされ、懸念を持ったり、心配したり、戸惑ったりしている人たちが大勢いることでしょう。きりきりとした気持ち、もやもやを抱えたりもしているかもしれません。

先述の通り、2月20日に開かれる予定だった詩織さんの会見と、会見場での映画上映は、ご本人の体調の問題、ドクターストップによって中止になりました。そもそも映画自体が日本では公開されておらず、今の時点ではまだ見えていない点もあるかもしれません。

伊藤さんが声明でも触れているように、映画には彼女が自ら命を絶とうとし、病院で朦朧と目をさますシーンがあります。サバイバーとしての伊藤さんの「被害救済」には程遠い状態であり、裁判が終わった今もその地続きの地平に立たざるをえないのだと思います。

「SNS上は元気に見える」という投稿が散見されましたが、SNSで可視化されるものだけがその人の「全て」ではないことを、つい忘れてしまうことはないでしょうか。

もちろん、「詩織さんは被害者なんだから批判すべきではない」「この映画は100点満点非の打ち所がない」といった極端な言説で思考停止するのは不健全です。ただ今、非常に気がかりなのは、問題提起するために、「毛虫の次に嫌い」「モンスター」などといった、非人間化するような言葉が用いられている点です。

「その人のふるまいの問題を問う」という目的のために、その人の人権を侵害していいわけではありません。「普通の日本人としては…」という文言を引き合いに出すことも暴力的と感じます。またときに、「恩」「感謝」という言葉を相手に押し付けてしまう態度が、支配構造を生みだす恐れがあることも、慎重に見ていく必要があります。

「倫理」「人権」の問題が、この間、投げかけられてきたことの根幹なのであれば、伊藤さん、元代理人、関係者、その誰もにその人権があるのだということを、議論や発信する皆がいま一度、軸足としていく必要があるのではないでしょうか。



Writerこの記事を書いたのは
Writer
D4P取材班D4P Journalists

Dialogue for Peopleに所属するスタッフによる記事はこちらです。

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