
2021年3月6日に名古屋入管で亡くなったウィシュマ・サンダマリさんの遺族による国賠訴訟(2022年3月提訴)が続いている。真相解明にとって欠かせない「証拠」のひとつが、ウィシュマさんが最後に過ごしていた居室を映した監視カメラ映像295時間分だが、国が裁判所に提出した映像は、わずか5時間ほどにすぎない。遺族側は全ての開示を強く求めている。
ウィシュマさんが亡くなってから4年が経つ本日(2025年3月6日)、遺族や弁護団らは名古屋入管を訪問、市村信之名古屋出入国在留管理局局長宛ての手紙を提出した。遺族らは、「事件後に入管はどのように改善されたのか?」などの説明を求めて面談を希望していたが、入管側は「訴訟継続中」との理由でそれを拒否したという。
ウィシュマさんの妹のワヨミさんは、「姉の死から4年経った今も、入管はその責任を認めようとしていません。二度と同じようなことを繰り返してほしくないし、私たちのような悲しみを、他の人には経験してほしくない」と語った。

名古屋入管へ手紙を提出に向かう遺族、代理人弁護士たち。(安田菜津紀撮影)
同日、名古屋駅前でウィシュマさんの死を悼む「お茶アクション」も有志により開催された。ウィシュマさんの写真を横に、道行く人が足を止め、温かいお茶と共に遺族らの声に耳を傾けた。名古屋入管に収容されていたウィシュマさんと面会を繰り返し、仮放免された後には受け入れを予定していた眞野明美さんの姿もそこにあった。
「私は生前のウィシュマと実際に会った数少ない人間のひとりですが、彼女と直接会ったことのない人たちも、こうして追悼のために集っているのを見て、輪の広がりを実感します。こんな時代だからこそ、こうしてカラフルな服装や花で、ウィシュマが望んでいたような楽しい場にしたいと思いました」と、眞野さんは語る。

名古屋駅前で行われた「お茶アクション」。事件については知らなかったという高校生の姿も。(佐藤慧撮影)
入管収容施設での死亡事件は、統計を取り始めた以降だけでも、ウィシュマさんの事件を含め少なくとも18件に上る。
2014年3月、茨城県牛久市にある「東日本入国管理センター」の収容施設で、難民申請中だったカメルーン人男性Aさんが体調不良を訴えるも、7時間あまり放置され亡くなる事件が起きた。床の上で転げまわるほどの苦痛を訴えていたにも関わらず、入管職員は対処するどころか、監視カメラでその様子を観察し、動静日誌に「異常なし」と書き込んでいた。
先月26日、Aさんの遺族が国に賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁は原告の上告を退け、救急搬送を求めなかった入管の対応を違法とし、165万円の賠償を国に命じた判決が確定した。入管収容施設での死亡事件に関して、初めて国の責任を認めた判決となったが、入管の対応と死亡との因果関係は認められなかったほか、賠償金額の低さなど、いびつな構造の残る判決となった。
そもそも収容と死亡との因果関係を証明するには、適切な記録や、検証時の証拠開示が必要不可欠なはずだが、司法の介在しない現在の収容体制には、あまりにも杜撰で不透明な構造が残されている。法制度や体制の改善はもちろんのこと、こうした「命の格差」の背景にある差別構造もまた、見直していく必要があるだろう。
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フォトジャーナリスト / ライター佐藤慧Kei Sato
1982年岩手県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の代表。世界を変えるのはシステムではなく人間の精神的な成長であると信じ、紛争、貧困の問題、人間の思想とその可能性を追う。言葉と写真を駆使し、国籍−人種−宗教を超えて、人と人との心の繋がりを探求する。アフリカや中東、東ティモールなどを取材。東日本大震災以降、継続的に被災地の取材も行っている。著書に『しあわせの牛乳』(ポプラ社)、同書で第2回児童文芸ノンフィクション文学賞、『10分後に自分の世界が広がる手紙』〔全3巻〕(東洋館出版社)で第8回児童ペン賞ノンフィクション賞など受賞。
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