
ほんのりと温かい日差しが木々の間からこぼれる。春を思わせるような陽気の日でも、上空からはひっきりなしに、ヘリの羽音が轟いてくる。隣町である岩手県大船渡市で続いた山林火災の対応のため、陸前高田市内には消防ヘリや車両の拠点が作られていた。緊急車両が絶えず道を走るその様子に、「14年前を思い出して心がざわざわする」といった声が、この街に暮らす人たちからも届いていた。
2011年3月11日、陸前高田市には18メートル近い津波が襲来した。
実は市内には過去の大津波の到達点を伝える石碑が複数存在している。けれども時が経ち、その存在は人々の生活から忘却され、石碑より海抜の低い沿岸の土地へも家々が立ち並んでいった。教訓が伝わらなかった「悔しさ」――それが2011年に立ち上がった認定NPO法人桜ライン311(発足当初は任意団体)の原点だ。
桜ライン311は、津波の到達点に沿って10メートルおきに桜の木を植え、その記憶を後世に伝えていく活動を続けている。これまでの植樹本数は2,300本を超え(2025年3月11日時点)、目標の本数は約1万7000本にものぼる。
年に一度必ず春を告げ、人々がそこに集う桜の木であれば、記憶を伝え続けてくれるのではないか。自分たちの子どもたち、孫たち世代に、大きな揺れに襲われたら、最低でもあの桜の木の上まで逃げなさい、と伝えられるのではないか。植えられた一本一本に、そんな思いが込められてきた。
2025年3月10日にも、市内米崎町沼田で一本の桜が植えられた。この植樹に参加した大船渡市の男性は、たまたまプレハブの雑居オフィスで桜ライン311の事務所を見かけたことをきっかけに活動を知り、これで二度目の植樹だという。
「様々な場所に災害の可能性がありますし、自分の家だけではなく、職場、学校どこにリスクがあるか、参加者に考え、備えてもらえるきっかけになればと思っています」
職員の佐藤一男さんは、地元や全国各地から植樹参加者を募ってきた理由をこう語る。市内での記憶継承のみならず、防災をどう全国に広げていくか、模索は続く。

津波が遡上してきたラインに桜を植える。(安田菜津紀撮影)
福島県大熊町にも、「悔しさ」を抱え生きてきた人がいた。木村紀夫さんの次女で、当時7歳だった汐凪さんは、津波襲来後に行方不明となり、今でも遺骨は一部しか見つかっていない。
一帯は869年、貞観地震による津波の被害を受けていた。けれども木村さんがこの津波被害を知ったのは、震災後のことだ。
「汐凪はしっかりしていたし、大きな地震があったら家に戻っちゃいけないって、もし言い聞かせていたら、車を運転するおじいちゃんに『家(海側)に行っちゃだめだよ』といえる子だったと思います」
木村さんの自宅跡地裏の丘をのぼると、その頂上には、柔和な顔つきの小さなお地蔵さんが立っている。この地にいるであろう汐凪さんが、たった一人で寂しくないようにと、2013年に建てたものだ。傍らに立つと、一帯の平野と、海の姿までがよく見える。大熊町内で直接的に津波の犠牲になった方は、汐凪さんを含め12人いるが、このお地蔵さん以外に、手を合わせる場所は見当たらない。
2025年3月11日、地震発生時間の14時46分前後、木村さんは、職員一人が行方不明となっているヒラメの養殖場や、津波の犠牲になった人の自宅跡地、汐凪さんの遺骨の発見現場や海に花を手向けて回った。

帰還困難区域内で汐凪さんを見守るお地蔵さん。(安田菜津紀撮影)
大熊町に第一波が襲来したのは15時半頃だったと言われている。ただその時間までゆっくりと死を悼むことはできない。周辺は東京電力福島第一原発事故の影響で、いまだ帰還困難区域に指定されている。再びこの区域を出て、16時までにはスクリーニング場に戻らなければならないのだ。
木村さんは汐凪さんの遺骨が見つかった現場などを、慰霊と伝承の場として後世に残していきたいと考えている。
人は誰かの「教訓のため」に生まれてくるのではない。けれどもこの14年間、話を聞かせてもらった遺族たちからは、「せめて、教訓に」という言葉を幾度も聞いた。大熊市内のJR駅前には真新しい商業施設が並んでいるが、災害、そして原発事故、それに伴う不条理と犠牲を繰り返さないために、「何を遺すか」が強く問われているはずだ。

大熊町の海に祈る木村紀夫さん。東京電力福島原発から僅か数キロの海岸にて。(安田菜津紀撮影)
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フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda
1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
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