
※この記事は、性被害についての記述を含みます。
2025年2月27日に掲載した記事『あの日の「告発」から6年が経ち見つめた今』に、たくさんのコメントをありがとうございました。6年を経て、実名で広河隆一氏からの被害を公表した理由は、記事に記した通り、数々の「告発」の声によって積み上げられてきたはずのものが土台から崩され、加害が矮小化されていくことに危機感を覚えたからです。
こうして言葉にしたことで、自分の心が発していた声に初めて、じっくりと耳を傾けることができました。逆に言えばこれまで、「自分の心身の出すサイン」を見ないふりをすることで、走り続けようとしていたのかもしれません。
以前にも、それに気が付く小さな「きっかけ」はありました。ここ数年、縁あってボクシングを続けています。ある時、トレーナーの藤岡奈穂子さんに「自分の体にもっと関心を持ってみて」と言われ、その何気ない言葉に「衝撃」を受けたのです。自分の体が「関心の対象」になるという概念が私の中になく、言ってしまえば「セルフネグレクト」状態だったことに、初めて気がついたのです。
いつかまた詳しく書きたいと思っていますが、先日、つながりのある医師の元でじっくりと話を聴いてもらいました。診察室に入った瞬間、「ここでは言葉にしていいんだ」と、心が一気に溶けだしたのか、自分でも驚くほど涙が止まらなくなっていました。
6年前の「告発」時は、半ば緊張状態で「乗り切って」いたのかもしれません。けれども「大丈夫、大丈夫」と無理やり押し込めてきたものが、こんなタイミングで一気に噴出してくるとは、自分でも思っていませんでした。
性被害や、無自覚のうちにトラウマが蓄積してきたこと、SNSの書き込みなどふいに目に飛び込んできた言葉がフラッシュバックのトリガーになってしまったこと――。医師と言葉を交わしながら、ゆっくりと、自分の心身に今起きていることを整理したのは初めての作業でした。PTSDや急性不安障害などと、これから時間をかけてじっくりと、向き合うことになります。
こうした治療は本来、極めてプライベートなことであり、「公表すべきこと」と位置づけたくはありません。他者が無理やりそれを暴こうとすることも間違っているでしょう。
ただ今回、私自身の意思によってこれを書いたのは、被害の「その後」を生きることがどんなことなのかが、あまり知られていないのではないか、とこの間、感じたからです。
体が鉛のように動かない人に、「根性がない」「やる気がない」というレッテルが貼られ、まるで詐病を疑うような言葉まで向けられることがあります。「消えたい」ほどの気持ちがずっしりとのしかかってくるとき、それは数日で雲散するほど簡単なものでしょうか。被害に対する法的救済は重要なものですが、それだけを持って「解決」といえるのでしょうか。
記事を公表してから、「安田さんがサバイバーだと思わなかった」という声が複数届きました。それは決してとがめられるべき感想ではなく、むしろ「被害者とはこうあるのだろう」という社会に埋め込まれたイメージを、改めて浮き彫りにしてくれたように思います。
診療室で開口一番に私が医師と話したのは、「社会の文脈で求められている自分」「メディアの中にいる自分」と、「頑張ることに限界を迎えている自分」とのギャップでした。
誤解のないように付け加えると、私にとって「元気に見える自分」は決して「偽りの自分」ではなく、どれも大切な「私」です。ただ「ギャップ」そのものが大きくなるほど、疲労感が増していったのも事実です。
この記事は、ケアにつながったり、誰かを頼ったりすることに、まるで「負け」や「恥」であるかのようなレッテルが貼られ、「自己責任」を「自業自得」と同義で用いてしまう社会が、少しずつでも変わっていくように、という私なりの願いの形でもあります。
『診察室の扉を開けたら、予想外の出会いが待っていた話』にも書いたように、うつで倒れてしまった私のパートナーも、医療にかかる、ということに、当初とても抵抗を示していました。だからこそ今度は、私なりの言葉で、このケアにつながる意味を語ってみたいと思いました。
当時も今も、私の中には加害者らに怒りがあり、それはとても大切な感情です。けれども6年前、その怒りをところかまわず、誰に対してもぶつけていれば、それは相手にも自分にも、新たな傷を負わせていたかもしれません。ケアとは、相手の言い分をただ丸のみするのではなく、その意思を尊重しながらも、回復に向けての道筋を、共に、地道に考えていくことなのかもしれないと、医師や周囲との対話から感じています。
そうは言うものの、今の社会で「自分のリズムを刻んで生きる」ことが、いかに困難なことかも痛感します。生活を続けなければなりません。その上、情報は凄まじい勢いで私たちの周りを飛び交い続けています。
本来繊細なこと、グラデーションがあること、無造作に言葉を投げつければ無用な受傷を引き起こすことまでが、不特定多数のネットの海に放り込まれ、決して単純ではないものでも、すぐにゼロか百かで立ち位置表明を求められがちです。こうして他者の背景やバウンダリーを無視して迫ってくる言葉たちは、時に暴力的とさえ感じます。少し前から私は、オープンなSNS上でのやりとりを原則、控えています。オンライン上のつながりは時に希望にもなりえますが、ケアとは真逆のスパイラルを生みだしてしまうこともあり、私も距離感に悩んできました。
性被害とは異なりますが、私が中学2年生の時に亡くなった父も、その一年後に過労の末この世を去った兄も、「頑張る」ために走り続け、自分のリズムで生きられなくなった人たちだったのでしょう。ふたりが生きられた社会はどんなものだったろうと、大人になっても考え続けています。
回復の過程で、「社会や他者から求められるペース」ではなく、できる限り「自分のリズム」で生きられるよう、しばらく、試行錯誤を重ねてみたいと思っています。
とはいえ、今の仕事は、私の生きる根幹です。取材や、レギュラーで続けているもの、決まっているものは大切に取り組んでいきます。新たにお声かけ頂けることに関しては、自分の心身と相談しながらご返答していきます。こうして活動を支えて下さる方々の存在は、私にとってこれまでもこれからも、明日をまた迎えたいと思えるエネルギーです。
最後に、この数週間、当時のDAYS JAPANや広河氏と携わっていた「関係者」の方々から、謝罪のメッセージなどがいくつも届きました。ただ前回の記事にも書いた通り、広河氏本人が責任と向き合うべきであるのは言うまでもありませんが、広河氏に携わった「すべての関係者」に同じ責任を負わせることを私は望んではいません。それは決して、怒りを「飲み込む」ことではないのです。あらゆる人間に社会的制裁を科してしまえば、かえって論点や責任所在がぼやけ、私の願っていたこととは真逆の結果をもたらすように思うからです。
むしろこうした被害が繰り返されないための社会構造を、「共に築きませんか」という思いを、あの記事には込めました。
もちろん、ひとりの人間ができることには限りがあるかもしれませんが、それぞれの役割を少しずつでも持ち寄り、積み上げていくことが、呼吸のしやすい社会の土台となるはずです。
性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター
Writerこの記事を書いたのは
Writer

フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda
1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
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