「せめて映像に心だけでも入って、姉を抱きしめて一緒に泣きたい」―ウィシュマ・サンダマリさん死亡事件、何が真相究明の壁なのか

「適切な医療と点滴を求める、命乞いのような姉の願いを聞いた看守や、看守の上司たちが、いったいどのように姉の願いを扱い、結局、全く意味のないものにしてしまったのでしょうか」
名古屋入管で2021年3月に亡くなったウィシュマ・サンダマリさんの妹(次女)ワヨミさんのくっきりとした声が、名古屋地裁の法廷に響く。2025年6月4日、ウィシュマさん死亡の責任を問う国賠訴訟の第18回口頭弁論が開かれ、遺族側は入管職員や責任者らの証人尋問の必要性を訴えた。
しかし被告である国側は、「医学的知見に係る医師及び庁内内科等医以外の証人尋問は不要」という立場だ。ワヨミさんはこう続けた。
「亡くなる前日の姉が、看護師に身体をいろいろ触られて痛がって苦しい声を上げているのを『痛いっていうのが分かるからいい』と言い、笑い声をあげていた看護師が、姉の状態と必要な医療をどのように捉えて何をしていたのか、きちんと教えていただきたいです」
もちろん、現場で個別に対応した職員や関係者だけではない。責任者であった当時の名古屋入管局長が、説明責任を果たしてきたとは言い難い。
「誰かが、姉の願いを握りつぶしたのでしょうか?」
三女のポールニマさんも法廷でこう語った。
「入管職員は『私には、パワーがない、権力がないから、ボスに伝える』と言いましたが、結局、点滴はなされませんでした。症状がどんどん悪くなっていく中でのこの姉の願いは、“ボス”に届いたのでしょうか? 届いたのだとしたら、“ボス”は、姉に点滴をするように、動いたのでしょうか? 誰かが、姉の願いを握りつぶしたのでしょうか?」
ところが大竹敬人裁判長は、国の主張通り、庁内内科医師(飢餓状態を示す尿酸値の値を、看護師から報告されたか覚えていないと語っている医師)、医学的知見のある医師(原告、被告双方の意見書を出した医師)、3名の尋問の必要性があるとの認識を示したものの、それ以外の証人に関しては、「現状の主張、証拠から必要な認定はできる」と消極的な考えを示した。
弁論後、駒井知会弁護士は、「弁護団内ですり合わせる前の個人の見解」と前置きした上で、こう指摘する。
「ウィシュマさんの居室のビデオは98%出てきておらず、暗闇の中で立証活動をしている。手元に出てきているものが本当のことなのか、確認のしようがありません。大事なことが抜け落ちているかもしれない看守勤務日誌や『最終報告書』では、私は不十分ではないかと思います。誰が何をしなかったのか、看守、その上司、看護師、名古屋入管局長にしっかり確認したい。真相を闇に葬ろうという国の主張を肯定するような考えは変えてほしい。他の事件にも悪影響を与えかねないと思います」
指宿昭一弁護士もこう続けた。
「真実を明らかにして、同じことを繰り返さない意味がこうした裁判にはある。証人を20~30人採用してほしいとは言いませんが、要になる入管関係者数名に聞かなければ真相は解明できないし、それは因果関係の立証にも関わってくる。医師だけというのはいくら何でも絞りすぎではないか」

裁判所に向かう遺族と弁護団。(佐藤慧撮影)
いまだ98%が非開示の記録映像
駒井弁護士が指摘するように、ウィシュマさんの居室の映像は、295時間分のうち約5時間しか裁判所に提出されていない。残りの98%はいまだ非開示のままだ。その不十分な「断片」だけで、まっとうな判断ができるだろうか。
なおかつ2021年8月に入管庁が公表した『最終報告書』とビデオ映像との齟齬は、2022年3月に一部を視聴した野党の国会議員によって、すでに指摘されていた。
たとえば『最終報告書』には、ウィシュマさんが亡くなる3日前の2021年3月3日、看護師に対し「頭の中が電気工事をしているみたいに騒がしい。耳の奥で波の音がして聞こえづらい」と発言したと書かれていた。しかしビデオでは、ウィシュマさんはこうした言葉を自ら発することはできていない。つまり、看護師が質問した内容を、“本人の発言”として記していたのだ。入管庁は「過去には同様の発言をしていた」などと主張したが、これは明らかな報告書の誤りだった。
逆に『最終報告書』に記載されているが、開示映像には含まれていないシーンもある。例えばカフェオレを上手く飲み込めないウィシュマさんに「鼻から牛乳や」と職員が言い、食べたいものを尋ねられ「あろ……」と弱々しく答えた彼女に、「アロンアルファ?」と聞き返す様子だ。
川口直也弁護士も、「本来は出ていないところに真実があるのではないか」と指摘する。
ワヨミさんも法廷で、改めてこう語っている。
「295時間分のビデオのうち殆どを見せない今の状態で、証人尋問さえ数人に聞いて終わりにしたい被告の姿勢が、私には理解できません。そしてもう一度、ビデオ全部の開示を決して諦めることのない遺族の強い気持ちを申し上げさせてください」
「姉の真相解明のためにはもちろんですが、ウィシュマが苦しんで命を終えるまでの日々に、そばにいてあげられなかった私たち家族は、せめて映像を映す画面の向こうのその時間に、心だけでも入って行って、姉を抱きしめて一緒に泣きたい、これがウィシュマの家族全員の考えです」

記者会見で発言するウィシュマさんの妹のポールニマさん(中央)とワヨミさん(右)。(佐藤慧撮影)
記録映像は「姉のものであり、政府の資産ではない」
実は遺族は今年2月、全映像を開示するよう名古屋入管に請求したものの、3月には不開示とされてしまっていた。このため4月、国に映像の開示を求める訴えを東京地方裁判所に起こしている。
亡くなった被収容者の個人情報に関しては、先例となる判決がある。
2020年10月、ウィシュマさんが亡くなる約3ヵ月前に名古屋入管で死亡したインドネシア人男性の妻が、診療記録や健康診断などの情報の開示を求めたが、「妻本人の個人情報ではない」などを理由に不開示とされていた。妻は開示を求め提訴し、東京地裁は2024年11月、「記録は妻自身の個人情報にも当たる」と判断し、入管と名古屋矯正管区の不開示決定を取り消す判決を出したのだ。
こうした前例があるため、さすがに入管もウィシュマさんの件に関しては「(ビデオは)遺族の個人情報ではない」という言い分は通らないと考えたのだろうか。不開示の理由として入管は、映像が「顔画像、音声等の情報が記録されており(中略)特定の個人を識別できるもの」であり、そうしたものが記録されている部分を、「容易に除くことが技術的にできない」と主張している。また、「保安・警備体制が明らかとなり、公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれがある」のだという。
この時の提訴会見で、「入管側の言い訳は噴飯もの」だと指宿昭一弁護士は厳しく指摘した。
「あのビデオを公開すると、暴動や集団脱走でも起こるのでしょうか。すでに5時間分が開示されても、そんなことは起こっていません。入管にとって都合の悪いことが出る、イコール、公共の安全を害することだと思っているのでしょうか」
かつ5時間分の映像も、入管職員らの顔にはモザイク処理が施されており、技術的に不可能という主張は通らないはずだ。
遺族にとっては、名古屋地裁で続く国賠訴訟と、ビデオ開示を巡る訴訟、二重の裁判を抱えることになる。そもそもしかるべき開示がなされていれば、ここまで遺族が自らの労力を費やす必要はなかっただろう。
ポールニマさんはビデオ映像について、「姉のものであり、政府の資産ではない」と強調した。その指摘通り、記録は入管職員らの「私物」ではない。しかるべき証拠という土台の上にこそ、まっとうな判決は望めるのではないか。
次回口頭弁論は名古屋地裁にて、9月3日(水)14時半から予定されている。
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フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda
1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
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