「日本政府はこの遺骨に答えて」―長生炭鉱で83年後の発見、問われる公の責任

本記事にはご遺骨の写真が含まれています。
肌を刺すような強烈な日差しの下、海辺に集う人々の視線は沖に並ぶピーヤ(排気・排水筒)へと集まっていた。その海から突き出た煙突のような筒から、小型のボートが水しぶきをあげてこちらへ向かってくる。ダイビングスーツに身を包んだ韓国のダイバー、金秀恩(キム・スウン)さん、金京洙(キム・ギョンス)さんを、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下、刻む会)の井上洋子代表らが浜辺で迎えた。金京洙さんが抱えていた大きな箱から頭骨が見えると、囲んでいた取材陣、ご遺族、支援者らが息をのんだ。

海底炭坑の探索から帰ってきたダイバーたち。(佐藤慧撮影)
真っ黒に染まり切ったその姿が、あまりに長い年月と、そこが過酷な炭鉱であったことを突きつける。
2025年8月26日、歯も残された頭蓋骨とみられる遺骨が、ダイバーたちの手によって地上へと連れて帰られた。80年以上もの月日、海底でこの日を待ち続けていた人だろう。前日には、大腿骨などとみられる3本の遺骨が発見され、警察に手渡された上、鑑定を待っているが、今回発見された頭蓋骨も、そのすぐ傍から見つかっている。
この日発見された頭蓋骨のほか、前日25日に見つかった骨を含めて人骨であることが警察の鑑定により明らかとなりました。(2025年8月27日追記)

発見された頭骨。現場の周辺には、まだ多くの遺骨や遺品が残っているという。(安田菜津紀撮影)
ダイバー2人によると、付近には複数の靴や、服をまとって横たわっている上半身も含めた遺骨も確認できたが、続く捜索による浮遊物で視界が悪くなり、今回は頭骨のみを持ち帰ったという。
長生炭鉱は、かつて山口県宇部市・床波海岸に存在した海底炭鉱だ。戦時下の増産体制のもと、多くの石炭産出が求められる中、「水非常」は起きた。1942年2月、坑口からおよそ1km奥へ入った坑道の天盤が崩壊。海水が浸水し、183名もの坑内労働者が犠牲となった。そのうち136人は、植民地支配下であった朝鮮の人々だった。冷たい海に呑まれた遺骨はみな、海底に眠ったままだった。
長生炭鉱は別名「朝鮮炭鉱」とも呼ばれるほど、労働者の大部分を朝鮮の人々に依存し、「安価な労働力」を踏み台に成長してきた企業だった。
「刻む会」は2024年9月、長年の調査を経て、市民から募った資金をもとに、水没した炭鉱へとつながる坑口を発見し、以後、潜水調査を重ねてきた。しかし市民のみの自主的な活動に任せるだけでは、資金面でも体力面でも、そして危険性を考えても、あまりに負担が大きい。

遺骨発見現場を指さす金京洙さん。(安田菜津紀撮影)
しかし2025年8月19日、「刻む会」の要請に対し、厚労省人道調査室の担当者は「知見を持つ人に話を聞いているが、現時点では安全を確保した上での潜水調査に資する新たな知見は得られていない」とした。“知見を持つ人”が誰なのかに留まらず、聞き取りの回数や人数なども明らかにできない、という不可解な回答だった。
今回駆けつけた遺族らは匿名で取材に応じ、「亡くなった方々が海の中からどんな思いで訴えてきたのかを、昨日からずっと考えていた」「対面できて感無量。ひとりでも多くの方が一日でも早く地上に上がってくることを祈るばかり」と語った。
井上代表は、「このようなご遺骨がまだたくさん坑道の中で救出を待っている。日本の戦争、日本が始めた植民地政策のために、ここで亡くなったみなさまを、政府は放っておくのでしょうか。日本政府にはこのご遺骨に答えて頂きたい」と、改めて訴えた。

遺族の背に手を添える井上代表。(安田菜津紀撮影)
石破首相は「全戦没者追悼式」で「反省」という言葉を口にしているが、それは何に対する、誰に対しての反省なのか。
長生炭鉱の「水非常」が起きたのは、「戦争遂行」が掲げられた国策の渦中だ。「たまたま起きた不幸な事故」と片付けるのはあまりに浅はかだろう。犠牲を生み出し続けた植民地支配とレイシズムに対する検証と反省は十分なのか――。こうした問いに真摯に向き合うのであれば、「公」の責任において一刻も早く、海底に置き去りにされた人々を探し出すべきではないだろうか。

海底には未だ多くのご遺骨が眠っている。戦争は「終わって」いない。(佐藤慧撮影)

犠牲者の名前の刻まれたキャンドルが灯された。(安田菜津紀撮影)
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フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda
1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
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